LAではじめましての日
猫たちとのはじめての出会いはLAに住んでいた8年前だった。
私は26年前に日本からアメリカ人夫の元へ嫁いできた。夫は空軍の救命士で命令があればどこでも行かねばならず、安定した生活とは言えなかった。日本の基地勤務中に子供を産み幼稚園の前にはアメリカ生活が始まった。
初めてのアメリカはアイダホの荒野でそれからまた日本へ帰り、病気になりハワイで闘病した。次の勤務地はロスアンジェルスになった。
そのタイミングで日本から母を呼び寄せて一緒に暮らすことになった。高齢で急に外国暮らしが始まった母は塞ぎがちになって行った。
家族皆動物が好きだったが移動の多い軍生活なので引退してから飼おうと決めていた。しかし猫が特に大好きな母に元気になってもらいたいと、少し早かったけれど猫を飼うことに決めたのだった。
ところがどこを探しても猫がいない。ハワイにはのら猫がたくさんいた。実家で昔飼っていた猫は拾った猫だった。なのにLAでは一匹も見かけない。ペットショップにも行ったが犬も猫もいない。正確にはケージの中にいたのだが値段はついておらず(アダプション済み)と書いてあった。
そこで詳しく話を聞いてみた。
1 ペットショップでは犬猫は売れなくなったこと。
2 今までのケージを利用して日本で言う里親会をしてアダプションを週末していること。
3 子猫は春にたくさん来ること。
子猫希望だった私たちは春を待ち、アダプション会場にやってきた。そこに里子に出された子猫5匹が段ボール箱に入れられてやってきた。ちなみに段ボールはカップヌードルUSAだった。5匹の小さな子猫たちその中の1匹に決めた。それがコタローだった。
「わあああかわいい!」と盛り上がる家族。しかし夫はものすごく責任感が強く動物を飼うということも真剣に考えている人だった。「最初は一匹だけね」と厳しく言っていた。
それなのに、どれどれと子猫のケージを覗き込むと、コタローと抱き合ってチャトラの子猫も一緒に寝ていた。
厳しい鬼軍曹の夫はクネクネしはじめた。目が赤くなっている。
「オレンジの子も一緒に……ツーいいですかあ?だって一緒にスリーピング、かわいそう」言いながら目が潤んできた。
この日から「責任感のある救命士で軍の下士官、皆から恐れられる軍曹」は「ねこばかのおとうたん」に変身したのだった。
「泣いたよねーあの時泣いたよねー」と事あるごとに言っている。
でもその後に「ありがとう」を忘れない。
だってチャチャはあの一言で家族になったのだから。
家に連れて帰ってあまりの乱暴さに怒る私を止めたのも夫、チャチャをかばったのも夫だった。
それなのに恩知らずなチャチャは夫にしばらく冷たかった。
夫にツーンとして私の後を追いかけ回していた。ツーンならまだしも、シャーもする。
あまりにもひどい、チャチャの態度。
しかし、夫は最近引退し事態は一変した。
ほとんど家にいなかった(おとうたん)が毎日家にいる。 そしてにゃんずにご飯をあげる係になった。
おとうたんの猛烈なモテ期がやってきた。
2匹がにゃあ~んと甘い声で足元にまとわりつく。目尻を下げて「な~に~ごはん~?」とすごく嬉しそうだ。椅子に座ってテレビを見ているとぴょーんと乗ってくるようにもなった。しかも2匹で。
「うわあ~見てえ~」頬がピンクに染まり乙女のようだ。こんな嬉しそうな顔見たことない。
近いうちにきっと号泣する。そう信じている。
軍曹でメディックだった夫。 毎日ストレスとの戦いだった夫。 引退してしばらく腑抜けになってしまっていた。 どうしていいかわからないように、ボーッとしていたこともあり、鬱になったらどうしようと心配したけれどニャンズに癒やされ、今は引退ライフをエンジョイしている。
にゃんずに助けられたおとうたん。良かったね。
鬼軍曹のハートをズキュンと狙い撃ちにしたコタローちゃん。
この子も一緒に~と泣いたおとうたんに一番冷たいチャチャちゃん。