36.勇者じゃないけど
初めに気づいたのは、涼子だった。
「シャービル!」
そう言うと二時の方向を指さした。
「確かなのか?」
俺はほたるに訊いた。ほたるはうなずく。
「うん、そっちにいる」
俺たちは、その方向へ走った。時刻は八時過ぎ。シャービルが現れるのは、あたりが暗くなってからだ。そういう習性らしい。とにかく、誰かが襲われるかもしれない。急がなければ。
「そこを左!」
角を曲がると、シャービルがいた。
大分慣れてきたとはいえ、気を抜けば大怪我を負わされ兼ねない。俺は慎重に接近した。
そして、「ひかり」を発動し……
「ん?」
何かがおかしい。そう気づいたが、とにかく俺は「ひかり」を放った。
命中した。……はずだった。
しかし、いつもなら致命傷になるはずの攻撃が、今回、そうならなかったのだ。傷は負わせたが、まだ、動いている。
シャービルが襲いかかってくる。
俺は、ひかりを連打した。だが、放つたびに「ひかり」は弱々しくなっていく。
シャービルの突進は止まらない。俺はそれでも「ひかり」を撃ち続けるしかない。
「あぶない!」
間一髪、目と鼻の先で、シャービルはようやく力尽きた。
みんなの安堵の溜息が聞こえる。
「大丈夫? セイヤ」
ポーティが急いで飛んでくる。涼子、ほたるの二人も駆け寄ってくる。
「ああ、何とか」
危なかった。もう少しであの歯の餌食になるところだ。
「……だけど、そんなことより」
俺は両手を見つめて言った。
「力が、消えた……?」
*
その夜。俺が眠れずにいると、妖精が言った。
「私の世界へおいで?」
「え?」
「セイヤたちだけでも、私の世界へ逃げておいでよ」
つかの間、俺はイエス、と答えることしか考えられなくなった。イエス、イエスイエス。もちろん、イエス!
とてつもなく魅力的な提案に思えた。
この世界を捨て、異世界へ行く。あのすばらしい世界で、ほたるや涼子たちと、一生楽しく暮らしていくのだ……。
だけど。
「ありがとう、ポーティ。考えさせてくれ」
俺は言った。
逃げたくないわけじゃない。死にたい訳じゃない。
だけど、この世界を、世界中の人々を見捨てて、この先、良心の呵責なく生きていけるほど、俺は自分の心が図太いとは思えなかった。
*
「セイヤ」
深夜、家を抜け出した俺を、ポーティが呼び止めた。
「見つかったか」
「どこ行くの」
「俺はもう勇者さまなんかじゃない。わかってる。力がなくなった俺が奴を倒せっこないのもわかってる」
「じゃあ……」
「でもな、引き下がるわけにはいかない。あきらめて、のうのうと休んでるわけにはいかないんだ」
俺は自分でも自分のやろうとしていることが信じられなかった。やけくそ? 勇者気取り? 何故かわからないけれど、急にやる気になってしまったのだ。
「何でよ! 勝てないのがわかってるなら、逃げるべきよ!」
「へへ……」
俺は笑った。この状況で笑えることが、自分でも以外だった。
「いつだったか……、前にも、何で急にやる気になったのか、俺に訊いたことあったよな」
「そうだっけ?」
「そのとき、いつか話すって言ったっけ」
「あ、うん。そうね。たしか洞窟の中で」
「……俺たちの国にさ、外国語学習ってのがあってさ」
「え……?」
妖精は、戸惑った声を出す。
「他の国の言葉を習うんだ。俺も英語の授業受けてる」
「英語?」
「でもな、何年勉強しても、一向にうまくならないんだ」
妖精は黙ってうなずく。話がどこへ転がっていくのか分からないのだろう。
「おまえの国に行ったときさ、全員日本語で話してたろ」
「あ……」
「どんなに猛勉強したんだろうな。こっちじゃ、英語が話せれば何億人と話せる、なんて言葉もある。でも、あの人たちは、俺一人と話すために、日本語を覚えたんだ。インターネットもないあの国で、しかも他の世界の言葉だ」
「…………」
「教えるのも大変だったろ」
「ううん……」
「だからさ、ここで引き下がるわけにはいかねえんだよ」
俺は立ち上がって言った。
「勇者じゃなくても。力がなくても。お前たちと同じくらいの努力はしなきゃ、申し訳がたたない。そう思ったんだ」
「セイヤ……」
「それでさ、考えたんだけど」
俺は話し続けた。
「こっちの世界にも、きっと、頑張ってる人って、いるわけだよな。俺は頑張ってないけど。……正直言うと、世界なんか終わってしまえ、って願ったこともある。このまま無駄で苦痛な時間過ごすくらいならって。だけどその人たちのこと考えたら、世界終われ、なんて、言えなくなっちまった」
俺は立ち上がった。
「……心配すんな。無駄死にしたい訳じゃない。だけど、向こうの親玉を少しでも追いつめないと、俺の気だってすまないんだ」
俺は、ふーっと息を吐いて、振り返った。
「ちょっとカッコつけすぎ?」
「セイヤ!」
ポーティが急に突進してきて、驚いた。俺が倒れそうになって両手をぐるぐる回していると、頬に妙な感触があった。
「さっすが勇者さまね」
「俺はもう勇者じゃないってば」
「いいえ、あなたは立派な勇者さまよ」
妖精は俺の周りをくるくる回り、それから前方を指し示した。
「行くわよ! たしか……魔王はあっち!」
「よし」
俺が歩きだそうとしたそのとき、暗闇から人影が現れた。
「ばっかねえ」
涼子だった。
「サーチ能力なしで、魔王を探し出せるわけ、ないでしょ」
「…………」
「ほたるちゃんと交代で見張っててよかった。こうなると思ったもん」
こいつら……俺のことなんて、お見通しだったっていうのか。いや、そんなことより。
「危険なんだぞ。もしかしたら死ぬかもしれないんだぞ」
「ねえ、とにかく、出発は明日にしてくれる? もし、ほたるちゃんを呼ばなかったら、私、魔王じゃなくて、ほたるちゃんに殺されちゃう」
「聞いてねえな」
「ね、お願い」
涼子は言い出したら聞かない。昔からそうだ。俺はあきらめて言った。
「……わかったよ。明日にするよ。……今、思いついたこともあるし」
「?」
結局、行くしかないんだな。俺は思った。馬鹿なことをしているかもしれない。死にに行くだけかもしれない。だけど、俺は妙に明るい気持ちになった。それは妖精が行く先を照らしているせいかもしれない。仲間がいるからかもしれない。
「なあポーティ」
「なに?」
「お前さっきキスした?」
妖精は前を向いたまま言った。
「しらない」




