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僕らは虚像で出来ている  作者: 汐井那癒
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第一章

 例年よりも早い開花を迎えた桜はとうに散り始め、普段は無機質なアスファルトをその花弁で所々桜色の化粧を施していた。

「……桜ってなんか可哀想だよね。今年みたいに例年よりも早い開花だと早すぎるとか言われて。僕ら人間が引き起こした異常気象のせいで、開花時期を振り回されているのに。挙句の果てには呆気なく散って、皆に踏まれたりしてボロボロのごみになり果ててさ。それなのにどうしてあんなに毎年綺麗に咲くんだろうね」

道路を彩る桜の花びらを軽く巻き上げながら優雅に走る、綺麗に磨かれた黒塗りの高級車の後部座席で、眠たげに窓の外を見つめていた少年が溜息交じりにそう呟く。

 明るい茶髪に小さなダイヤモンドのピアス、少し着崩した制服姿だがその身に纏うのはどこか気品にあふれた爽やかな好青年の雰囲気だ。

「しかも桜が咲いただけで日本中まるでお祭り騒ぎみたいだし。今は全国にあるのに、桜が咲いただけでそんなに騒ぐことないと思うんだけどな」

 そう言って呆れたように少年が笑うと、助手席から諭すような低くも優しさの満ちた声が返ってきた。

「坊ちゃん、そういう事を言っては桜が可哀想ですよ」

 その声の主は、黒ぶちの眼鏡を片手でくいっと位置を正し、柔らかな笑みを浮かべてさらに続けた。

「桜は確かに全国どこにでもあるかもしれませんが、それは古来より我々日本人が桜を日本の心として愛し、大切にしてきたからこそ日本中に植えられ、そして今なお愛されている証拠です。新しい季節の訪れを告げ、新しい日々の始まりに感謝をする意味でも、桜は日本人にとっては大切な花なのですよ」

「なんだ中里。お前も桜が好きなのか?」

 坊ちゃんと呼ばれた少年が助手席の方へ目を向ける。

「ええ、私は好きですね。坊ちゃんは桜がお嫌いで?」

「桜の花自体は好きかな。でも桜っていう名前が嫌い」

「……なるほど。坊ちゃんにしてみればそうなのかもしれませんね。ですがあのお方に罪はありませんよ」

「罪はある。名前は確かに親からもらったものだから仕方ないけど、あの性格はあいつが悪いだろう。あいつの両親にこの前パーティーで会ったけど、頭を抱えていたぞ」

 どこか楽しそうに話しながらその顔にははっきりと嫌悪が表れている少年は、再び窓の外を流れる景色を眺め始めた。

「坊ちゃん、到着いたしました」

 少し走ると車は洒落た門の前へ停まった。

「さて、行ってきますか」

 中里がスムーズな動きで助手席から降りて後部座席のドアを開けると、少年は伸びをしながら一言呟くと、中里が持って待っていたカバンを受け取り、ご苦労と言いながら門へ向けて歩き出した。その途端、一人の女子生徒が黄色い声で叫んだ。

「きゃー! 桂樹様よ!」

 その声を合図に何処へ隠れていたのか大勢の女子が少年を取り囲む。

「桂樹様おはようございます!」

「ああ、おはよう。今日も可愛いね」

 少年が一つ一つ返事をするたびに黄色い悲鳴があがる。そんな中で残った十数人の女子を引き連れて、少年は建物の中へと入って行く。

「先生、おはようございます」

 女子から桂樹と呼ばれている少年が、たまたま通りかかった清楚な女性に声を掛ける。

「桂樹君おはよう! 今日も早いわね」

「先生は今日も綺麗だ。先生の授業で会えるのを楽しみにしていたのに朝から会えるなんて、今日の僕は運がいいな」

 きらきらとした爽やかな笑顔でさらりと桂樹が言うと、女性教師は頬を赤らめて小走りに去って行った。

「逃げることないのに。可愛い先生」

 桂樹はくすくすと笑う。すると自分たちの相手をしてほしくなったのか、取り巻きの女子たちのうち数人が拗ねたような声を出す。

「桂樹様、私ともお話ししてくださいよ~!」

「桂樹様こちらを向いて!」

 桂樹は慣れた様子でそれぞれに声を掛けながら、自分のクラスへとたどり着いた。

「はい。別のクラスのカワイ子ちゃんたちは今日はここまで。ちゃんと授業受けてきてね。そうしたらご褒美に僕が可愛がってあげるからね」

 軽くウインクをして桂樹が言うと、はーいという返事と共にきゃあきゃあと黄色い声で騒ぎながら女子たちはそれぞれ自分のクラスに入って行った。

 ここは私立花の宮高校。どこかのご令嬢や御曹司が通う、つまりはお金持ちの家の子供たちが通う高校だ。

 その中でも桂樹は特別で、今日本で一番の金持ちであり一番の銘家で旧華族の家柄で、学校一の人気者の高校二年生になったばかりの次男坊である。

「みんなおはよう」

 そう言って自分のクラスに入って行った桂樹は、そのまま真っ直ぐに自分の席へ向かって行く。すると一人の女子が椅子をすっと引いて座りやすいような状態にして嬉しそうな笑顔を桂樹に向ける。

「あんず、ありがとう。君はよく気が利くから僕はいつも助かってるよ。はいご褒美」

 あんずと呼ばれた少女が恥ずかしそうに俯くと、桂樹はあんずの綺麗に染められた茶色の長い髪を一房摘まんで毛先にキスをした。その瞬間周囲から黄色い悲鳴があがる。

「あんずばっかりずるいよ~。うちだって今日頑張ってメイクしてきたのに~」

 そう言ってあんずに後ろから抱き着いて言う少女は、綺麗に巻かれた髪を指で弄ぶ。

「絵理、心配しなくても僕が君のメイクがいつもと少し違うのに気がつかないわけないでしょう? 今日はなんか小悪魔みたいだね、可愛いデビルちゃんだ」

 絵理の頭を撫でながら桂樹は微笑む。絵理は幸せそうな笑みを浮かべてあんずと手を繋いで桂樹から離れた。

 桂樹が優雅な動作で席に着くと、前の席の男子が振り向いて声を掛けてきた。

「桂樹、あれ持ってきたか?」

「まずはおはようだよ泰幸」

 桂樹が意地悪な笑みを浮かべて言う。

「おはよう!」

 泰幸はめんどくさそうに言ってから、身を乗り出す。

「親しき中にも礼儀あり、だろ? で、どうなんだよ持ってきたんだろ?」

「全く泰幸はせっかちだなぁ。ほら、これでしょう? まだ発売前なんだから落としたりしないでよ?」

 そう言いながら桂樹がカバンから取り出したのは写真集で、表紙には澄んだ瞳でカメラ目線を向ける美女が映っている。

「これこれ! 本当にありがとう! 桂樹に頼んでおいて良かった~! ツバキさん本当に綺麗だよな!」

 泰幸の興奮した言葉に、周りの女子や男子たちが頷く。

雪雨(ゆきさめ)ツバキ、今度また映画の主演やるってさ。すごいよね!」

「今ドラマにも出てるしテレビで見ない日はないよな!」

「そんな今や日本を代表する人気女優の雪雨ツバキと知り合いなんて、流石桂樹様よね~!」

 桂樹の周りで賑やかなお喋りの花が咲く。

「知り合いと言うか、僕の兄さんと仲良いからそれで知り合っただけだよ。特別個人的な交流はないんだ」

 桂樹が笑って言うと、あんずがあっと声を上げた。

「何? あんずどうしたの?」

 あんずの声に気付いた桂樹が振り返って顔を覗き込むと、あんずは頬を赤らめて俯いてしまった。

「あんずは、楠月桂冠さまの大ファンなんだよね~」

 あんずに抱き着きながら絵理が説明する。

「なるほどね。僕の兄さんという言葉で兄さんがすぐに思い浮かんで、それで恥ずかしくなっちゃったのか。あんず、可愛いね君は」

 もじもじと動かしていたあんずの手を取った桂樹がそう言うと、さらにあんずの顔が赤くなる。

「あはは。本当に可愛いね。すぐ真っ赤になるんだからあんずは」

 桂樹がからかうようにあんずの手の甲に小さなキスを落とすと、周囲から黄色い悲鳴が巻き起こった。

「けいきさま……からかうの……ひどいです……」

 消え入りそうな声であんずが抗議すると、他の男子からもあんずちゃん可愛いという声が上がる。

「あ……う……」

 あんずは恥ずかしさのせいか、目に涙を浮かべて絵理の後ろに隠れてしまった。

「もうあんずってば~。せっかく桂樹様が相手してくれてるのに逃げることないじゃん~」

「ごめんごめん、からかいすぎちゃったかな?」

 桂樹が絵理の後ろに隠れたあんずの手を引いて自分に近寄らせる。

「あんず、大丈夫かな?」

 桂樹の問い掛けにこくんと頷くと、あんずは困ったような顔をした後、恥ずかしそうに口を開いた。

「あの……けいかんさまは……?」

「兄さん? 皆も知ってると思うけど忙しいみたいだよ。ほとんど家にいないかな。兄さんは俳優だけじゃなく会社も持ってるからね。僕も一か月くらい会っていないんだよ。同じ家に住んでいるのに」

 そう答える桂樹に、あんずが心配そうな表情を向ける。

「大丈夫だよ、兄さんは。体鍛えているし体調には気を遣っているから。兄さんには可愛いファンが心配していたって伝えておくね」

「……ありがとう……ございます……」

 嬉しそうな笑顔を浮かべてそう言ってからあんずは、くるりと向きを変えると絵理に抱き着いて何やら話をし始めた。

 そんな二人を優しい眼差しで見つめてから、桂樹は他のクラスメイトと賑やかに会話を楽しみだした。

 そこへチャイムが鳴り、担任が気怠そうに教室に入ってきた。

「ほら、早く席に着きなさい」

 教壇に立ちながら教師が言うと、桂樹を囲んでいた人たちが一斉に自分の席へ着席していく。

「楠月は相変わらず朝から大変だな、毎朝だろ?」

 教師が呆れたように笑って言うと、桂樹は真っ直ぐに教師を見据えて満面の笑みでこう返した。

「大変なんて思ったことないですよ? だってカワイ子ちゃんたちにきちんと朝の挨拶をするのは僕にとって癒しの時間ですから。眠気なんてどこかへ行ってしまうくらい、カワイ子ちゃんたちが元気をくれるんですよ」

 教師は理解できないとでも言いたげに肩を竦めると、出席を取り始めた。

「黄瀬百合花。いるのか? いるならきちんと声出して返事しろといつもいっているだろう?」

 数名の名前を点呼してから、ある生徒の名前で教師がイラついたように点呼を止める。

「申し訳ありません」

 少し間が開いてから、一人の女生徒が震える声を返した。

 一切染めていない、しかし手入れの行き届いた漆黒の髪をショートボブに切り揃え、分厚い淵の眼鏡をかけたその少女は、俯いたまま顔を上げようとしない。

「先生」

 その少女の隣の席である桂樹が声を掛ける。

「なんだ楠月」

「あんまり百合花をいじめたら可哀想でしょ。出席しているのは見れば分かるんだからそれで勘弁してあげてよ。例え先生でも僕のカワイ子ちゃんをいじめたら承知しないよ?」

 にこやかに言う桂樹に呆れたような溜息を吐いてから、教師は点呼を再開した。

 こうして桂樹にとっては代り映えのない一日が始まった。

 放課後、部活動に精を出す生徒がほとんどいる中、教室では桂樹を中心に人だかりができ、楽しそうな笑い声が飛び交っていた。

「でも今日の英語の時間も桂樹様素敵だったよね!」

「先生が拍手するくらい英語で話せるんだもの、憧れちゃう」

「そんなに褒めても何も出ないよ? 君たちの可愛さには何をしたって敵わないからね」

 桂樹がそう言ってウインクすると、黄色い悲鳴が教室に響く。

「やっぱり桂樹様も留学しますの?」

 一人の女子がそう問うと、桂樹はにっこり笑って首を横に振る。

「兄さんは留学したけれど僕はしないよ。僕が継ぐことになっている会社はあんまりグローバル化してないから、本来は英語必要ないんだ」

「でも完璧に話せるじゃん~」

「褒めてくれてありがとうね、絵理。家庭教師に子供のころから教えてもらっているから話せるだけだよ。父さんと一緒にパーティーに出席することがあるから、その時に会話に困らないようにって」

「いいなぁ。パーティーでの桂樹様はきっと学校にいる時よりも素敵なんでしょうね……。お洒落してタキシードなんて着て登場されたら私、見惚れてずっと見つめてしまうわ」

 別の女子のうっとりとした発言に、周囲もつられて桂樹の姿を想像したのかうっとりとして頷く。

「君たちだってとても美しくなるんでしょ? 僕は君たちの着飾った姿を見てみたいな。きっと綺麗すぎて他の人たちに僕のカワイ子ちゃんだよって自慢したくなっちゃうんだろうな」

 桂樹のその言葉にきゃあきゃあと女子たちが照れ笑いをあげる。

「さて、今日は帰ろうか。あんず、絵理、楓に蘭子、今日は君たちを僕の家に招待してあげる。幸せな時間を過ごそうね、今日のカワイ子ちゃんたち」

 立ち上がった桂樹に名前を呼ばれた女子たちが、顔を赤らめて桂樹の少し後ろを歩いていく。他の女子たちは少し名残惜しそうに立ち去る桂樹を見送った。

 校門までくると、朝とは違い黒塗りのリムジンが止まっていて、桂樹が姿を現したのと同時に背の高い男が優雅にドアを開ける。

「宮間、ありがとう。さあカワイ子ちゃんたち、どうぞ中へ」

 紳士的なエスコートで桂樹に促され、女子たちがリムジンへと乗り込む。そして桂樹は時分のカバンを宮間に持たせると、四人の女子の真ん中の座席に乗り込んだ。

「出して」

 桂樹の短い一言で、カバンを丁寧に助手席へと置いた宮間がゆっくりとリムジンを発車させる。

「みんな、喉乾いていない?」

 女子たちの反応を伺いながら、桂樹は自分のも含めた五人分のジュースをテーブルに並べる。

「これ、ブドウジュースなんだけど、兄さんからのお土産なんだ。詳しくは聞かなかったけれど、貴重なブドウで造ったジュースらしい。君たちのお口に合うかな。もちろんアルコールじゃないから安心して」

「ありがとう~! ……なにこれすごく美味しい!」

 真っ先に飛びついた絵理が、嬉しそうな笑みを浮かべて飲み始める。それを見て他の三人も飲み始めた。

「ね? 美味しいでしょ?」

 自分も一口飲んでから、両隣に座って上品にジュースを飲む女子たちを満足気に見つめる。

「桂樹様……そんなに見つめられたら恥ずかしくて飲めませんわ」

 長い黒髪をポニーテイルに結った蘭子が頬を赤らめて言う。

「ごめんごめん。君たちの美味しそうな顔が可愛くって」

 蘭子の頭を撫でながら、桂樹は笑う。

「それでは逆効果でしてよ、桂樹様。蘭子さんが頭から湯気が出そうになっておりますわ」

 豪華にくるくると巻いた髪をツインテールにした楓が、少し羨ましそうに口を出す。

「君たちが可愛いのが悪いんだよ」

 甘い笑みを浮かべて楓の頭も撫でてから、反対側のあんずと絵理の頭も撫でていく。

「僕にとって君たちみたいに可愛い女の子を喜ばせるのは当たり前だし、それに可愛い子の喜ぶ顔が大好きなんだよ。だから許してね」

 四人にしか聞こえないような声で桂樹が囁くと、たちまち四人とも顔が赤くなっていく。

「けいきさま……やっぱりいじわるです……」

 あんずが小さな声で可愛く抗議する。それを聞いた桂樹は満足そうな笑みを浮かべて、優雅に喉を潤した。

 しばらく楽しくお喋りをしている間に、桂樹たちを乗せたリムジンが大きな洋館の門をくぐり、洋風の庭園を通り過ぎてロータリーになっている場所で静かに停車した。

「さあ、僕の家に着いたよ。皆お疲れ様」

 宮間がドアを開け、桂樹は先に降りて彼女たちをエスコートしていく。

「やっぱり、いつ見ても桂樹様のお家は素敵ですわね」

 楓がうっとりとした表情で見上げて呟く。

「ありがとう。さあ、中へどうぞ」

 桂樹がそう言うと、豪華な扉が開き広い空間が姿を現した。使用人たちが十名ほど両側に並び、一斉にお帰りなさいませと頭を下げる。

「僕の部屋へ行くから、お菓子と紅茶を持ってきて」

 一人の使用人にそう声を掛けてから、桂樹は彼女たちを引き連れて大階段を上がっていった。

「桂樹様のお付きの方は美人ぞろいですのね。流石ですわ」

 蘭子が桂樹の右腕に抱き着きながら言う。

「そうだね。でも僕が人を選んだわけではないよ。自然と綺麗で可愛い人たちが僕の周りに集まってくれるんだ。僕は幸せ者だよ。君たちもいるしね」

 甘い笑顔を浮かべる桂樹に四人が顔を赤らめたとき、桂樹が足を止めて大きな扉に手を掛けた。

「さあ、着いたよ。ようこそ、僕のプライベートルームへ」

 ゆっくりと重たい扉を開けると、そこはまるで高級ホテルのスイートルームのような豪華絢爛な、しかし落ち着いた雰囲気の広い部屋だった。

「好きにくつろいでいてよ」

 ブレザーを脱ぎハンガーへかけながら、桂樹はソファーに座るよう促す。玄関で鞄を使用人たちに預けていた彼女たちは、どこか手持無沙汰にしながらもソファーへと腰を下ろした。

 そこへノックの音が響く。桂樹が入るよう声を掛けると、紅茶とクッキーを乗せたトレーを持った使用人が入って来て、ソファーの前のテーブルの上へ綺麗に並べてから、一礼して退室して行った。

「まあ、良い香り」

 蘭子が嬉しそうに言うと他の皆も頷いた。

「どうぞ召し上がれ」

 桂樹もソファーに座り、紅茶を一口飲むと皆の様子を伺う。

「お口に合ったかな? クッキー頑張ってみたんだけど」

 桂樹のその一言で皆が驚いたように桂樹を見る。

「桂樹様がご自分でお作りになられたんですの?」

 楓がクッキーを手にしたままそう問いかける。

「うん。僕、こう見えても料理とか好きなんだ。お菓子はあまり作ったことがなかったから少し不安だったんだけど……君たちの反応を見るに大成功かな?」

「あまりに美味しいので、どこのブランドのクッキーなのかをお伺いしようと思っていましたのよ。けれど桂樹様がお作りになっただなんて……桂樹様は本当に何でもお出来になりますのね」

 蘭子が二枚目のクッキーを飲み込んでから、憧れの眼差しで桂樹を見つめる。

「本当だよ~。こんなに美味しいクッキー作れるなんて桂樹様すごい~! あ、そういえばあんずクッキー好きじゃん~。良かったね~」

「はい……。しあわせ……」

 嬉しそうにあんずが頷く。

「喜んでもらって作った甲斐があったよ。好きなだけ食べていいからね。あ、ほらあんず、口元にクッキーの欠片が付いてるよ。くすっ……可愛い」

 桂樹はあんずの口元を優しく指先で拭うと、あんずが耳まで真っ赤になる。そんなあんずをからかうような瞳で見つめながら、指先に付いたクッキーの欠片をわざとらしくぺろりと舌で舐め取った。

「あ……」

 あんずはもう恥ずかしくて堪らないのか、隣にいた絵理に勢いよく抱き着く。

「ちょっと~あんずってばびっくりしたでしょ~! って半泣きだし! 桂樹様あんまりあんずをからかったら可哀想だよ~?」

 絵理にたしなめられても楽しそうに笑う桂樹は、あんずの肩に手を置き優しい声で語りかける。

「ごめんってあんず。もういじめないよ。君が可愛くてついやり過ぎてしまったね」

 まだ赤面が引かないあんずは絵理から体を離しながら頷いた。

「楓と蘭子もごめんね。あんずだけを特別扱いしたわけではないから機嫌直してくれないかな?」

 すまなそうな表情で桂樹が言うと、楓と蘭子は顔を見合わせてから頷いた。

「ありがとう。でもやっぱり君たちは可愛いね。僕の宝物だ」

 桂樹のその一言で、きゃあきゃあと彼女たちは嬉しそうに笑い声をあげる。

「そうだ。せっかく僕のカワイ子ちゃんたちが集まってくれたんだから、一人ずつ、僕にクッキーを食べさせてよ。あーんってしてほしいな」

 桂樹のどこか甘えたような提案に、彼女たちは一瞬戸惑った様子を見せたが、それぞれ桂樹をうっとりと見つめて頷いた。

「では、一番遠い蘭子から楓、絵理、あんずの順でお願いしようかな」

 その言葉を合図に、蘭子は一枚クッキーを手に取り、おずおずと桂樹に差し出した。それを一口で美味しそうに頬張ると、桂樹は手を伸ばして蘭子の頭を撫でた。

「ありがとう。それじゃ、次は楓ね」

 楓も蘭子と同じように一枚手に取ると、桂樹の口元にクッキーを差し出す。そして食べ終わると楓の頭を優しく撫でる。そして同じように順番が回り、最後のあんずの番で桂樹が優しくあんずの頭を撫でている時だった。突然ドアをノックする音が部屋に響いた。

「もう、楽しい時間を邪魔するのは誰かな? はあい?」

 桂樹が返事をすると、少し焦ったような使用人の声が聞こえてきた。

「桂樹様にお客様がいらしております」

「お客さん? 誰かな。予定はなかったはずだけれど」

「それが、あの、ダリア様でして……」

 使用人が言いにくそうな声で告げる。

「ダリア? 分かった通して」

 桂樹がそう返事すると、ドアが開き一人の少女が姿を現した。膝丈の真っ赤なカクテルドレスに、艶めく漆黒の長い髪を緩く巻いて、美しい谷間とデコルテなどの露出した肌は透き通るように白く、スラリとしたスタイル抜群、容姿端麗な少女は、髪につけた赤いダリアの花飾りを少し手直ししてから、赤いヒールを鳴らして桂樹に近づくと、妖艶な笑みを浮かべた。

「いつまで遊んでいるつもりなのかしら? このプレイボーイさんは」

 澄んだ綺麗な声だが皮肉交じりの台詞を言って、少女は桂樹の顔を見下ろす。

「いつまでって……ダリア、どういうことかな?」

 どこか身構えたふうに桂樹が訊くと、ダリアと呼ばれた少女は呆れたような溜息を吐くと、ウエストに手を当てて冷たく言い放つ。

「やはり忘れているのね。今日は貴方の御父上の代わりに社交パーティーへ出席しなければならない約束でしょう? この私もお父様の代わりに出席するからと言ったら、それなら迎えに行くなんて言っていたのはどこの誰でしょう? 私の目に狂いがなければ、今私の目の前でクラスメイトとイチャイチャしている頭の中が完全にお花畑のプレイボーイ様なのですけれど? さて、私はどこか間違っているかしら?」

「あ……あはは……」

 苦笑を浮かべる桂樹に、ダリアはさらに追い打ちを掛ける。

「普段から女の子をエスコートするのが僕の役目だとか言っておいて、肝心のこの私をエスコートするどころか約束を忘れて遊んでいるところに私に迎えに来てもらうなんていう情けない男もどこの誰でしょうか? しかも私という者がいながら女性とばかり遊んでいて約束を忘れた腑抜けは誰ですか? ほら、私のこの目を見て言ってごらんなさい」

 顔を覗き込まれた桂樹は、参ったというように両手を上げて降参のポーズを取った。すると、ダリアと桂樹を交互に見ていた絵理が突然立ち上がり、座ったままの桂樹をソファー越しに背後から抱きしめながら、ダリアに向かって口を開いた。

「ちょっと~、何なの~? 本当に約束してたの~? 忘れてたとしても言い過ぎじゃないかな~? というかあなた誰なの~?」

 警戒するように絵理に見つめられて、ダリアはまた一つ溜息を吐いた。

「何その溜息~……なんか感じ悪い~。綺麗な人なのに台無しだよ~?」

 絵理の言葉にまた溜息を吐くダリア。それを見かねたのか、桂樹が絵理の腕から離れてダリアの隣に立った。

「絵理、あまりダリアを責めないで。僕が悪いんだから。皆に紹介するよ。僕の許婚の待雪ダリアだよ」

「許婚?」

 楓と蘭子が揃って驚いたように言う。

「ま・つ・ゆ・き・ダ・リ・ア~? 変わった名前~。でも許婚にしても言い過ぎ~! でもこんな綺麗な人が桂樹様の許婚なんてうちら敵わないよ~」

 絵理が少ししょげたように言うと、桂樹が優しく笑う。

「ごめんね、ただの許婚ではなくてれっきとした僕の恋人なんだ。皆に黙っていて本当にごめんね」

 桂樹がそう謝ると、絵理たちはそれぞれ理解したようで微笑みながら頷いた。

「ちょっと桂樹。謝る相手が違うのではなくて?」

 ダリアの冷たい声に再び苦笑する桂樹だったが、優雅な仕草でダリアの綺麗な手を取ると、跪いてそっとキスを落としてからゆっくりとダリアを見上げた。

「ごめんダリア。君との約束を忘れるなんて僕は恋人失格かな?」

 一瞬照れたような表情を覗かせたダリアはすぐに妖艶な笑みを浮かべて桂樹に立つように促した。

「このくらいで貴方を恋人失格にしていたら、とっくに失格になっているでしょう貴方は」

「そうかな?」

「ええ。本当に約束を忘れる人なんだから……。しっかりしていないとまた御父上に叱られるわよ」

「これからは気をつけるよ。本当にごめんダリア。君を怒らせたり悲しませたくはないんだ。これは本当だよ。だからこれからは気をつけるよ」

 ダリアの頬を優しく撫でながら、桂樹はしっかりとダリアの瞳を見つめて言う。

「一体何を気をつけるのか具体的に説明して欲しいところだけれど、今は残念ながら時間がないわ。早く支度をしてちょうだい。外に車を待たせてあるから、すぐに出かけるわよ」

「わかった。ごめんね、君たちと遊ぶのはまた今度にお預けだ。ちゃんとお家まで送らせるから安心してね」

 絵理たち四人に申し訳なさそうに桂樹が言うと、大丈夫と皆笑顔で答えた。

「あと、ダリアの事は他の皆には内緒ね?」

 桂樹が人差し指を口元にやり内緒とウインクすると、絵理たち四人の顔が一斉に赤くなった。

「分かりました。内緒にしておきますわ。それでは桂樹様、ダリア様、ごきげんよう」

 楓の合図で四人は桂樹の部屋を出て行った。

「さて、急ぐよ。そこで待っていて」

 桂樹がそう言うと、ダリアは丁度桂樹に背を向ける位置のソファーに座り、テーブルの上のクッキーに手を伸ばした。

「今度はクッキーを作ったのね。パティシエにでもなったら? 貴方の作るお菓子は悔しいけれど本当に美味しいもの」

 上品に一口齧ってから、ダリアはクッキーをゆっくりと眺めながら言う。

「よく僕が作ったって分かったね。あの子たちは分からなかったのに」

 着替えながら不思議そうに桂樹が訊く。

「分かるわよ。何年貴方と付き合っていると思っているの? 私たちは生まれたときから一緒なのよ。恋人になる前からずっと貴方の作るお菓子や料理を食べてきたんだもの、分かるようになるわ」

「そうだね。僕も君が作ったお菓子や料理は分かるからお互い様だね。お待たせ。こんな感じでどうかな?」

 ダリアが振り向くと、そこには黒いタキシードに身を包み高貴な雰囲気をまとった桂樹がウインクをして立っていた。

「ボルドーの蝶ネクタイを選んだのね。素敵だわ」

「君が名前の通りの美しいダリアのようだからね、少し気合を入れてみた」

 桂樹のその言葉にダリアはクスリと笑うと、持っていた小さな紙袋から箱を取り出してほほ笑んで桂樹に差し出した。

「今日は貴方たち楠月家にとっても、私たち待雪家にとっても今後大切な繋がりを持ちたい方がいらっしゃるそうよ。だからもう少し気合入れて行こうと思って作ってきたの。気に入ってくれるかしら?」

 桂樹が箱を開けると中に入っていたのは、ダリアが髪につけている飾りとお揃いの赤いダリアをあしらったブローチだった。

「最高だね。ありがとうダリア」

 桂樹はダリアの頬に優しくキスすると、箱から大事そうに取り出し胸につけた。

「どう?」

「似合ってるわ。私の見立てに狂いはなかったようね」

 そこで二人とも見つめ合い温かい笑みを浮かべながら、自然に手を繋いで部屋を後にした。

 目的の場所へ向かう車内で、二人は仲睦まじく時に笑い声をあげながらお互いの近況を話していた。

「やっぱり貴方は相変わらずね。学園の王子様だもの、羨ましいわ」

 ダリアが窓の外に視線を向けながら言う。

「羨ましい? どうして?」

「女の子たちに毎日囲まれてもそうして楽しそうに、むしろ嬉しそうにできるなんて羨ましいわ。私は囲まれて嬉しいなんて思ったことがないもの。私にとっては通行の邪魔でしかないわ」

 溜息交じりに言うダリアに、桂樹は少し苦笑をもらす。

「なるほどね。君も相変わらずだ。これから行く場所ではどうかな? 君にも人が寄ってくると思うけれど大丈夫かい?」

 桂樹のその言葉に、ダリアは桂樹の方へ向き直って花のような笑顔を見せた。

「平気よ。だって貴方が守ってくれるのでしょう?」

「もちろん。今夜は君だけの騎士になろう。必ず守ってみせるよ」

「それは頼もしいわ」

「任せておいて」

 二人はどちらからともなく軽くキスをすると、会場に到着した車から優雅に降り立った。

 とある大きなホテルの会場を貸し切って行われた今回のパーティーには、財界の大物や資産家、大企業の社長や政治家、そして芸能人などそうそうたる人物が集まっている。桂樹とダリアの二人は、受付を済ませると手を繋いで堂々と会場へ入って行った。

 会場の中は既に大勢の著名人たちが集まっていて、カクテルなどの飲み物を片手にあちこちで立ち話をしているのが見える。その中を桂樹とダリアが進んでいくと、一人の男が二人に気付き周りに聞こえるよう大きな声を発した。

「おお! 若いお二人さんがご到着か! 相変わらず仲がいいなあ」

 その声で桂樹たちに一斉に多数の視線が向けられる。しかし二人とも凛とした姿勢と高貴な雰囲気をまとったまま声の主に向かって声を返した。

「これはこれは。立花社長もお元気そうで何よりです。今日は楠月家と待雪家の両家とも当主が参加できず申し訳ありません。父と積もるお話もおありでしたでしょうに」

 桂樹がそう言うと、立花はガハガハと笑って桂樹に近づいてきた。

「お前さんの父君には本当に頭が下がる。この前の懇親会での助言で私たちの会社も安泰だ。お礼を伝えておいてくれ」

「それは良かったです。父は立花社長をとても良い経営者だと言っておりましたから、同じ経営者同士、友のように思っているのだと思います。もちろん伝言はお伝えしますのでご安心を」

「そうかそうか! 楠月様にそのように言っていただけているとは私ももっと頑張らなくてはならないな! それにしても本当にしっかり者だなあお前さんは。父君もさぞかし誇りに思っておられるだろうよ」

「そんな。私はまだまだ未熟者だと父にはよく厳しく指導されております。立花社長のような経営者になれるよう日々精進しておりますが、なかなか難しいもので父には叱られてばかりですよ」

 桂樹が少しうんざりしたような表情を見せて笑うと、立花もつられて笑う。そして笑顔のまま今度はダリアに声を掛けた。

「君はますます美しくなったなお嬢さん。君の母君とお姉さんにそっくりだ」

 ダリアは恭しくお辞儀をしてから、立花をしっかり見つめて言葉を返した。

「勿体無いお言葉ありがとうございます。本日は父が出席出来ずに申し訳ありません。もしお伝えしたいことがおありでしたら何なりとおっしゃってくださいませ」

 丁寧に挨拶をするダリアに少し見惚れながら、立花が言う。

「今度ある大きな取引をしないかととある企業から持ち掛けられていてね。君の父君なら専門分野だろうからじっくり相談をしたいと伝えておいてくれるかい?」

「承知いたしました。父には立花さまとお会いになるよう伝えておきます」

「悪いな、ありがとう。お二人はまだ未成年だからあまり遅くまではいられないだろうが、パーティーを楽しんで」

 立花はそう言ってからカクテルを一口飲むと、他のお客の所へと歩いて行った。

「ダリア、あの人だ」

 立花が完全に離れたのを確認してから、桂樹が目配せをして一人の女性を指す。

「あの方が……小林財閥の?」

「ああ。新しく社長に就任した小林桜乃さんだ」

「小林さくらの……どこかで聞いた名前だわ。確か……いつだったか父が電話で話をしていた方だわ」

「そうか。なら君のお父様はご存知かもしれないね。僕の父は名前しか知らないと言っていたけれど。……行こうか」

 桂樹の言葉にダリアが静かに頷く。そして会場のほぼ中央に佇むラベンダー色のドレスを身に纏った女性に近づいて行った。

「あら、可愛い子たちがいらしたわね」

 桂樹たちに気がついた小林が、美しい笑みを浮かべて声を掛けてきた。

「お初にお目にかかります。本日はこのような素敵なパーティーにご招待いただきありがとうございます。多忙の当主に代わり、楠月家次男、楠月桂樹が今夜は参加させていただきますことをお許しください」

 綺麗な挨拶をする桂樹をどうやら小林は気に入ったらしく、にっこりと笑うとウェイターからジュースを取って桂樹に渡した。

「楠月桂樹さんね。私は小林桜乃よ。お互い以後お見知りおきを」

「ええ。よろしくお願いいたします」

 小林からジュースを受け取って桂樹が言う。桂樹がジュースを受け取ってから、小林はダリアにようやく目を向けた。

「随分とお綺麗な方をお連れになっているのね」

 小林のその言葉を受けてダリアは綺麗な笑みを浮かべながら、静かに桂樹の隣に立った。

「お初にお目にかかります。待雪家次女であり楠月桂樹様の許婚である、待雪ダリアと申します。以後お見知りおきくださいませ」

 ダリアがそう挨拶すると、小林は納得したように頷いてから、ダリアにもジュースを手渡した。

「あなたが待雪さんのご息女ね。あなたのお父様や関係者から噂は聞いていたわ。本当に美しい子ね。お父様も自慢していらしたわよ」

「申し訳ありません父がお恥ずかしいことを……。今日は父が仕事のため代理としてこの時間を楽しませていただくことをどうかお許しください」

 深く頭を下げるダリアに少し驚いたような小林だったが、すぐに笑顔を浮かべてダリアに頭を上げるよう促した。

「構わないわ。こうして若い子と触れ合える機会はあまりないものだから新鮮で楽しいわ。どうぞゆっくり楽しんでいって」

 そう言って和やかに微笑む小林に桂樹たちはそれぞれ感謝を述べ、他のお客が小林に声を掛けたタイミングで、小林の傍を後にした。

「今日は大勢いるわね」

 少し離れた場所で優雅にジュースを飲んでいたダリアが、隣で壁に寄りかかって立っている桂樹に声を掛けた。

「それはそうだろう。あの今や世界市場でも黒字を毎年たたき出すほどの大企業である小林財閥の新社長就任記念パーティーだよ? 僕はもっと人が多いと思っていたくらいなんだから」

「あら。これでは少なく感じるの? 確かに小林財閥はすごく大きな財閥よ。けれど貴方のところほどではないでしょう?」

 どこか悪戯っぽく笑うダリアにまあねとウインクをする桂樹。周りの人々はそんな二人の様子をどこか羨ましそうにちらちらと見ていた。

「なんだか今日は視線が多いわ。気のせいかしら」

 ダリアが少し怪訝な表情で呟く。桂樹もそれを感じているのか、肩を竦めて囁いた。

「君の美しさに皆見惚れているんじゃないかな」

「冗談はよして。本当は貴方だって視線に気がついているでしょう?」

 そう言って小悪魔的な笑みを浮かべるダリアに降参だとでも言うように両手を小さく上げ、桂樹は周りに気付かれないようにそっと見渡した。

「確かにそうだね。君を見ているというよりも僕らを見ている感じだね。何だろう」

「お父様でも長男長女でもなく私たちが来たことがご不満なのかしら……。けれどもそれなら誰かが何か言いそうなものよね。こういう場に集まっているのは絶対的な自信と権力に物を言わせて生きている人たちだもの」

 皮肉めいたことを呟くダリアの手を、桂樹がそっと握る。

「君は本当に純粋だねダリア。君だって大財閥のご令嬢だろう? そんな君がここにいる人たちを皮肉交じりに拒絶する資格はないよ」

「拒絶するつもりはないわよ。けれども貴方は知っているでしょう? その大財閥の令嬢が隙を見せようものならどんな目に遭うのかを」

 少し声を大きくして言うダリアの髪をなだめる様に撫でてから、桂樹はその毛先にそっとキスを落とした。

「分かっているよ。だからいつも君から離れないでいるんだよ。僕の大切な恋人に何か遭ってからでは遅いからね。さあ、こんな話はやめにしてパーティーを楽しもうマイフィアンセ。今からダンスの時間だ。僕と踊ってくれるかい?」

 甘い声で囁く桂樹に少し照れながらも、ダリアは頷き自分へと伸ばされた桂樹の手を取った。二人はそのままくるくると踊りながら、ゆっくりと会場の中心へと優雅に移動していく。それを他のお客たちはこそこそと何やら話しながら見つめていた。

「あの二人本当にお似合いね」

「羨ましいわ、仲が良くて」

 微かに聞こえる周りの会話を聞きながら、桂樹たちは美しいダンスを続けている。

「でももしかしたらあの二人も見納めかもしれないな」

 不意に聞こえてきた不穏な声に、桂樹とダリアの視線が絡まる。

「次はあの二人のどちらかの父君だとでも言うのか?」

「ありえなくはないだろう? この前美川財閥の社長が殺されたんだ」

「犯人は大きな財閥や企業の社長を狙っているらしいわよ」

「なら可能性はあるかもしれないのね。嫌だわ」

 そんな物騒な会話が聞こえて来るたびに視線を合わせる桂樹たちだったが、一曲目が終わったところでダンスを止めてこそこそと会話を続ける人たちの話を聞くために、テーブルの上の料理を楽しむふりを始めた。

「美川社長も可哀想に。まだまだ会社を大きくするところだったから無念だろうな」

「でもホテルにいたのよ? 奥様が可哀想だわ」

「愛人がいたという噂は聞いたことがないが、相当女好きではあったらしいから、もしかしたら愛人がいたのかもしれん」

「それにしても結構酷い殺され方をしたようよ。私たちもいつ狙われるか分かったものじゃないわ」

「怖いわよね。あんな惨たらしい死に方はごめんですわ」

 取り分けた料理を食べ終わった後、桂樹たちは会場を出て広いバルコニーへ静かに移動した。

「皆あの事件の話でもちきりね」

 バルコニーの柵にもたれかかる様にしながら、ダリアが隣に立つ桂樹を見つめる。

「そうだね。スキャンダルが大好物な人たちの集まりだから仕方ないけれど、次は僕たちの親だと思われているのは少し心外だなあ」

 苦笑する桂樹にダリアは控えめに体を寄せると、寒そうに白い息を吐いた。

「皆が今日私たちを見ていたのは、あの事件の話をしていたからなのね。次は私たちの親だと」

「ああ。確かに可能性はあるけれど、こんなところでこそこそとしないで欲しいなあ。君が怖がるしね」

 脱いだタキシードの上着をダリアの肩にかけながら、桂樹は苦笑する。

「自分たちだって狙われるかもしれないのに酷いわ。きっと私たちの会社が傾くのを待っているのよ。自分の会社がトップになる様に」

 そう言って顔を悔しそうに歪めるダリアを、桂樹はそっと抱きしめて耳元で囁いた。

「大丈夫だよきっと。僕たちの家は狙われない。もし狙われても、君は僕が守るよ。これでも僕は楠月家の次男だからね。例え父が狙われてもそれなりに生きていけるだけの財産も家もある。頼りになる兄さんもいるしね」

「桂冠お兄様に頼っては申し訳ないわ。私だって待雪家の次女なのよ。万が一の時は私も貴方を助けられるわ。貴方は誰にも傷つけさせない」

 桂樹の背に腕をまわして見上げながら、ダリアが言う。

「ありがとうダリア。僕は本当に最高の恋人をもったよ。君となら大丈夫そうだ」

 ダリアの髪を愛おし気に撫でながら桂樹は言い、ダリアを腕の中から解放するとまるで王子のように微笑みながら手を差し出した。

「行こうダリア。今日はもう遅いから、僕の家で温まっていくといい。どうかな?」

 桂樹の言葉の意味を瞬時に理解したダリアは頬を染めながら頷き、ゆっくりと桂樹の手を取った。

 パーティーを後にした桂樹たちは、桂樹の家で軽く夕食を済ませると、桂樹の部屋でパーティーの事を話し合った。

「なんだか少し脅された気分だわ」

 桂樹の部屋の備え付きバスルームから出てきたダリアは、シルクのガウン姿のままソファに座って用意されていた水を一口飲んでそう呟いた。

「そうだね。僕たちの事を話すのは構わないけれど、あんな会話をされるのはいい気分ではないね。君のお父様はなんて?」

 同じくガウン姿の桂樹が大きなベッドの羽毛布団を捲りながら訊く。

「電話の向こうで笑っていたわ。自分が狙われるだなんて微塵も思っていないそうよ。むしろ来るなら来てみろと言うんだもの。危機感がなくて心配になるわ」

 困ったようにダリアが言うと、桂樹は笑いながらダリアの横に腰を下ろした。

「流石は天下の待雪家の当主、言うことが違うよ。僕にはそんなことを言う度胸はないな。こんな弱気な僕では幻滅するかい?」

 ダリアの手を両手で包み込み、桂樹が尋ねる。

「貴方に幻滅なんてしないわ。だって貴方は私の最高の恋人だもの」

 自分の手を優しく包む桂樹の手を、ダリアはそっと握り返した。

「それに貴方は十分男らしいわ。さあ、今日は寒かったから冷えたわ。貴方の男らしさで早く温めてちょうだい。お風呂だけでは足りないの」

 妖艶に微笑むダリアに軽くキスをしてから、桂樹はダリアをいわゆるお姫様抱っこしてベッドへ運んだ。

「おませで誘い上手だね君は。僕を煽ったこと後悔させてあげる」

 ダリアを優しくベッドに下ろしながら、桂樹は熱を持った瞳でダリアの瞳を覗き込む。

「本当、貴方って最高にクールだわ。そんな貴方が大好きよ」

 そう言って微笑むダリアに覆いかぶさりながら、桂樹はもう一度キスをして答えた。

「僕も君が大好きだよ。愛してる、ダリア」

 熱い想いで潤む瞳で見つめ合い、抱き合ってキスをしながら二人はゆっくりとその情熱に身を委ねていった。

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