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貴方の恋愛ゲームには乗らない  作者: 岩月クロ
番外編:篠原先輩視点
8/11

02

 決定的な自覚から逃げ続けたツケが回ってきたのは、それよりも後のことだった。

 いつも通り、サークルに向かう。倉庫を開けると、そこには彼女が掃除をしているはずだった。機嫌が良い時には、鼻歌混じりに。

 いや、確かに掃除はしていた。──髪から肩、胸のあたりまで、服が肌に張り付き、下に着ているものが透けている。そんな寒々しい状態で。


 頭が真っ白になって、ようやく口から出たのは、「なんで濡れてる?」と間の抜けた発言だった。なんでも何も。もっと大事なことがあるだろうに。

 たとえば「なんででしょうか」と引き攣った笑みを浮かべる彼女を、慰めること、とか。

 慌てて自分の上着を彼女に羽織らせて、やれタオルはどこだ、とドタバタ動きながらも、その実、頭の中はまだ混乱が渦巻いていた。


「とりあえず今日は休んで、家帰ってあったまること。なんかボーッとしてるし、家までは一─」俺が送るから、と続けようとした。音を与える直前に、その虚しさに気付く。その役割は俺に与えられたものではない。「家までは、彼氏呼んで、送ってもらいな」


 必死に感情を抑え込んだ発言を、しかし彼女は何故か頑なに拒絶し、自分で帰ると主張した。そんなわけにはいかないと言い募れば、鋭く切り返される。


「──呼んでも来ないですから!」


 その勢いに飲まれ、言葉を失う。

 ……呼んでも、来ない?

 気まずそうに目を逸らした彼女は、誤魔化すように「とにかく一人で帰れますから……」と目を逸らす。


 ふつふつと、怒りが沸いた。

 いったい何に対する怒りなのか、自分でもわからない。


「──なら俺が送る」


 抑え込んでいた本心のままに宣言する。とはいえこの場を放置するわけにもいかない。同じサークルのメンバーで一番信用の置ける人物は誰かと考えた時に、サークル長の顔が浮かんだ。早速連絡し、簡潔に用件を伝える。

「おお? お前がそんなお願いをしてくるなんて、初めてじゃないか?」

「そうかな?」

 疑問に疑問で返しながら、そうだろうな、と自分の過去を振り返る。まあいいじゃんよろしくー、となるべく軽く──いつもの自分と同じに見えるように振る舞う。


 サークルのことを任せると、大学を後にする。軽い言葉と重い言葉、どこに自分の意思を落とせばいいのかわからず、口を閉ざす。必要最低限の会話を交わしながら、ひたすら歩く。

 歩きながら、考えていた。

 これまで認めることができなかった、自分の気持ちのことを。


「……ここ、なので。ありがとうございます」


 彼女の言葉で、ああ、と足を止める。綺麗なマンションだ。一人暮らしを心配した両親が用意したのだろうか。軽く頭を下げて背中を向けた彼女を見送る。

 ──もし彼氏なら、その背中に手を添え、中に入ることができたのか。

 その権利を持つ男は、ここに現れもしないのに?


 それなら。



「俺でいいのに」



 へ、と彼女が不思議そうな顔を俺に向ける。

「優しくて、菜月ちゃんのことをちゃんと見て、同じことで笑ってくれる人、でしょ? なら俺でもいいよね。大変な時に来れないような奴より、俺の方がいい」

 一歩ずつ、前に。指先を今度こそ、彼女に向けて伸ばしたかった。

 ……伸ばせなかった。

 彼女が怯えたような顔で俺を見て、後ろへ下がったところを、()の当たりにしたら。



 自分の存在が、彼女にとってなんであるか。

 わかりたくないくらいに、わかった。



「──ごめん、変なこと言った。忘れて」

 無理やり、笑顔を浮かべた。戸惑いながら立ち去る彼女を見送る。その姿が視界から消えると、辛うじて浮かべていた笑みが消え去った。

 ……(もと)を正せば。

 彼女が苦しむことになった原因は、自分にあるのだ。

 誰彼構わずに軽い『好き』を携えてアタックし、ゲーム感覚で楽しんだ『恋愛』。

 自分は楽しかったけれど、相手はどうだっただろう。自分には決して靡かない相手を、それでも好きになってしまったら。


「は、……すっげぇ辛いわ」


 息苦しさを覚えて、胸元のシャツを握り締める。皺が寄りそうだ。いっそ盛大についてしまえばいいとさえ思う。


 彼女に水をかけた相手を責める権利が、自分にあるか。

 あの子の彼氏よりも、自分の方が良いだなんて、どうして言える。



 ──あんな顔しか、させることができないのに。



 自分の隣で、笑って欲しかった。

 別の男の隣ではなくて。

 こっちを見てくれないか、と。


 温かな眼差しが絶対に俺に向かないというのなら、その笑顔を崩さないように。

 それがせめてもの、誠意のような気がした。



 なら、どうするか。



 今回の一件、発端は自分だ。きっと──俺が彼女に執着しすぎたからだ。

 それなら話は単純で、単に原因がなくなればいいだけの話だろう。つまり、──俺が、彼女と距離を置けば良い。

 ツキリと痛んだ胸に蓋をして、思考を続ける。ただ離れるだけでは駄目だ。もっと決定的に、いつも通りだと、何も特別ではなく、気にする要素など何もないのだと。わからせなければ。


 例えば、落としたことにしてしまうとか。

 そうしてフッたことにしてしまうとか。

 その後は、“いつも通り”別の女の子に愛を囁いて──


「………………   」


 ──そう、それで元通りだ。



 協力を求めてもいいかもしれない。彼女に。

 また落ち着いたら話をしよう。彼女だって、自分に付き纏う男の所為で、こんな目に遭うだなんて、金輪際ごめんだろう。協力してくれるはずだ。


 これで安心して彼氏と遊べます、と。

 彼女は笑うだろうか。



「……────嫌だ」



 溢れた言葉は、自分の耳にすら届かない程に小さかった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 チャンスは、予想外に早く来てしまった。


「つーか、長過ぎんじゃん」

 何が、と聞く前に「半年も経って収穫ゼロとか、ありえなくねー?」と同意を得るように、なあ、なあ、と周りを見る仲間の発言に、意図するところを悟る。

 無意識に言葉を探してから、これは自分が求めていたチャンスだろう、と言い聞かせる。先に彼女に協力を要請する予定だったが──そこにはおそらく、この期に及んで“彼女にこれ以上悪く思われたくない”という意思もあったが──仕方がない。素早く唇を湿らせてから、笑顔を作る。至って自然な笑顔だ。これまで浮かべてきた、それそのもの。

「まあなー。でも、もうすぐで落ちると思うよ」

 嘘だ。彼女が俺に落ちることはない。……どれだけ望んでも。

「あの平凡顔でよくもまあって感じだよなぁ」

「私モテてる! って舞い上がっちゃってる、みたいなー?」

 彼女を嗤う顔に、ははは、と乾いた笑いを返す。同調すればもっとそれらしくなったはずなのに、できなかった。何も知らないくせに。苛立ちを覚える反面で、俺だけが知っていればいいのだ、という独占欲も蔓延(はびこ)る。


 ああ、でも、それでも。

 やっぱり腹が立つ。

 こいつらにも、自分にも。


 反応がなくなった俺の様子に、さすがに仲間の一人が気付いたようだ。「篠原?」と俺の顔を覗き込む。睨み付けたい気持ちを押し殺す。


 なんだよ、とまた笑顔を繕おうとして──



 倉庫から、彼女が姿を現した。



 表情が凍り付く。言い訳なんてしなくていいのに、口からは勝手に弁明の言葉が飛び出した。

「今のは違くて」違う? 馬鹿言え。何も違わない。わかっていて言っていたじゃないか。それに──


「何がどう違っていたとしても、関係無いですよね、私」


 ──その通りだ。無関係で、なくてはならない。今だって、“無関係”に近い関係性だけれど。でも、少しくらい、いや、駄目だ。

 その言葉に傷付く権利は、俺には無い。


 そんな人じゃないって信じてたのに、と。罵られた方がマシだったかもしれない。信じるも何も、これまで何度も同じことをしているし、それが噂として出回ってもいる。信じられる要素なんてひとつも無い。ましてや初めから俺に興味なんて無かった彼女が、わざわざ俺を信じるなど。有り得るはずがない。当然だ。なのに。


「あと、気安く名前呼ばないでください、不快です」


 ああ、今俺と彼女の間には、決定的な溝ができたのだ。

 平気な顔を繕う彼女が、傷付いていることがわかる。信じるに値しない俺の言葉に、それでも彼女は傷付いている。傷すら見せる価値が無いと思われている。


 それでもこれが、俺が望んだことだ。


 だから、潔く受け入れて、飛び出すように走り去る彼女の背中をただ、



 ────放っておくことはできなかった。



「菜月!」

 咄嗟に飛び出したのは、自分が呼びたかった名前だった。きっと彼氏なら、そうやって気軽に呼ぶんだろうと思ったもの。

 逃げる彼女を、必死に追う。


 追い掛けてどうするというのか。

 なんと言うのか。


 何も決めていないくせに。


 間も無く校門に差し掛かろうという時、彼女は突然「雪平!」と叫び、門に寄り掛かっていた男に抱き着いた。

「ぇ」

 戸惑ってから、反射的に名を呼ぶ。そうせずにはいられなかった。

 俺の声に反応した彼女は、もう逃げない。彼が現れて、逃げる必要性がなくなったのか。


「誰、あんた」

 男が眉を顰める。随分と顔の整ったやつだった。俺を見据える冷たい目。

「俺は、」

 俺は誰だ。彼女の──なんだろうか。

 答えられなかった。男の眼光はますます鋭くなる。「まあ、いいや。あんたが誰だろうと、どーでもいいし」低い声は、妙な真似をするな、それ以上彼女に近寄るな、と俺を牽制していた。

 俺が何も言えず、進むことも戻ることもできずに立ち竦んでいると、男は俺の存在などないかのように「さっさと帰んぞ、ナツ」と腕の中にいる彼女の肩を無造作に叩く。

 間違っても俺には許されない距離で、二人は気負いなど全くなく言い合っている。そうあることが当然で、自然で、それ以外などあるわけがないと言わんばかりに。


 なんでもない話をしながら、二人は極々自然に俺に背を向け、離れていく。

「ちょ……」呼び止めて、どうする。答えが出る前に、声が漏れる。律儀に反応した彼女が、振り向く。俺に引導を渡すために。


「とにかく、さっきの件、あれ以上に話すことなんて何もないですから。ご安心を、裏切られたともなんとも思ってないですよ。最初からなーんの感情も無かったですから」



 ──ざっくりと斬られた。

 自業自得なのに、血が流れ出ることを、苦しいと感じた。



「ナツ、早くしろよ」

 男が彼女を急かす。俺がいるからではない。俺のことなど、最初から眼中にない。

 ──話はそれで終わりだろう。ほら、さっさと行こうぜ。

 精々がその程度。



 行かないでくれ、とはとても言えなかった。



 俺はまた彼女の背中を見送る。

 ただただ、立ち尽くすがままに。




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