01
好き。嫌い。
どこかの誰かは、その二つは非常に重い言葉だというけれど、俺はそうは思わない。
好きだと言うことなんて簡単だ。逆もまた然り。
だってほら、見てみろよ、俺に好きだと言い寄ってきた女の子はいつだって、数ヶ月後には別の男の隣にいる。
『ゲーム』が終われば、ハイさよなら。泣いた子だって、結局のところ、心の奥底ではゲームを楽しんでいる。カワイソウなエンディング。カワイソウな自分。それを含めて、だ。
俺の『好き』は軽い。彼女たちの『好き』と同じように。
軽い好きをくれる女の子は可愛い。それでいいじゃん。何が悪い? フツーだろ。誰も重っ苦しい好きなんか、求めちゃいないんだ。
「今日の夜だっけ、新歓」
「今年は何人落とすつもりなんだよ、篠原」
名を呼ばれ、ん、と反応する。そうだなーと顎に手をやりながら「今の時点じゃわかんねぇよ。新しいコ、何人いんの?」と首を傾げる。
「うわっ、コンプリートする気だよ、こいつ」
「悪いやっちゃなー」
コンプリート。なんだか、称号みたいだ。
けらけらと腹を抱えて笑う仲間たちと共に、指定された店に向かう。
新人、割といるな。
──さて、誰からいくか。
「もうさ、美人でも平凡でもブスでも、結局落ちるんだから、誰からでもよくね」
仲間の一人が、そう言って笑う。それもそうだな、と便乗した。
「ならこうしねぇ? 明日以降、初めて会ったヤツが最初のターゲット!」
ゲーム感が増しておもしろいだろ? ニヤリと笑って言えば、「篠原クンったら、わーるーいーこー」と茶化された。
「そうと決まりゃ、顔憶えておかなきゃな」
「できんの? 人数割といんぜ?」
「俺の記憶力なめんなよ」
ふんと胸を張る。「出た〜、才能の無駄遣い〜!」「別のとこで使えよー!」と野次が飛ぶ中で、新人の顔を順番に見ていく。
──それでも次の日に会った、相田菜月がサークルの新人だと認識できたのは、奇跡に近かった。たまたま記憶の片隅にあり、試しに話し掛けてみたら当たった。それだけだ。
特別美人なわけでもない。強いて言うなら癒し系か。垂れた目が何かに似ている。ああ、あれだ、アライグマだ。
──アライグマ菜月(命名)が、一番目のターゲット。
こいつならもう、一発で落ちんじゃないか。
そう思って甘く誘ってみたのに、何故か彼女は勢い良く走り去って行った。なんだよあれ、人間に遭遇した野生のアライグマか。
「ま、初回は楽勝だな。圧勝、圧勝」
仲間は、ターゲットが相田菜月だと知ると、にやにや笑った。
──その予想を裏切って、アライグマは粘りに粘った。
俺に落ちないとか、なんなの。もはや人間は恋愛対象ではないのだろうか。それとも本当はもうとっくに落ちているけど、気を引くためにわざとフリをしているのだろうか。
(……の、割に反応が冷たいんだよなぁ)
特に誘いを掛けるような視線や態度を取ると、目が一気に冷たくなる。本気でなんなんだ、あれ。理解不能。
「まだかよー」
「もう一ヶ月は余裕で経つぜー?」
まさかの展開に、仲間たちも困惑気味だ。
「だーいじょうぶだって!」
俺も余裕を見せつけるように笑いながら、内心では焦っていた。なんで落ちないの!?
理由がわかったのは、そのすぐ後のことだった。
「──彼氏に怒られるので」
答えることが恥ずかしいと言わんばかりにおどおどしながら、彼女はハッキリと口にした。
ああ、略奪コースですか。下手したら相手の男に恨まれるかなあ。殴られるのは勘弁してほしいな。
この時、俺はまだ悠長にもそんな構えでいた。
──すこーし不安感を煽って、彼氏との関係にヒビ入れて、すこぶる優しく振る舞って、その隙間に潜り込む。
これまでにも使ったことがある手だ。どうやら彼氏の存在があった所為でなかなか落ちなかったらしい。まあ、ネタが分かりさえすれば、ゲームクリアに大きな障害は無い。
初心っぽい反応をする彼女を、揶揄い半分で攻める。軽くジョブを入れるつもりで、彼氏は自信が無いんだね、と投げ掛けた。
さて、勝手なことを言わないで怒るか、俺に同調するか。前者の怒りは、不安や不満の表れ。後者なら、もう彼氏の存在は薄いので、後は楽だ。
──彼女が見せたのは、困惑、だった。
嫉妬をするのは、当たり前だ、と言う。
陳腐でお綺麗な意見。
嫉妬? それだって、一時的なもんだ。なんで彼女は、そんなものを大事にするのだろう。
「確かに篠原先輩より顔は良くないですけど」
俺の疑問を察知したように、彼女は続けた。
「優しくて、私のことをちゃんと見てくれて、気にしてくれて、同じことで笑ってくれる人が──そんな人だから、好きです」
何も特別性を感じない言葉。ありふれた、よくある言葉。なのに一瞬、言葉が奪われた。彼女から、目を逸らせなかった。
普段から垂れた目が、更に細まって柔らかくなる。その瞳に、本当に愛おしいものを想うような温かさが灯る。
これまで見たことがないくらい、優しい顔。
「本当に好きなんだね」
思わず、唸るように呟いていた。
はい! と満面の笑みで答える顔は、眩しくて。重たい『好き』は、もっと苦しく辛く、ちっとも羨ましくなんかないものだと思っていたのに。
──何故だか。
思ってしまった。その表情が、自分に向けられるものであったら、と。
いや、そんなものは、気の迷いだ。あってはならないことだ。
否定するために更に彼女の元に通い詰めた。不用意に誘い出すことはできなかった。冷たい目に晒されたら、あの温かい眼差しとの落差にひどく苦しむような気がして。そうなったらもう“言い訳”など一切効かない。
他愛もない話をした。そんなことしても仕方が無いだろう。そう思い込もうとしているのに──早く切り上げちまえばいい、とちゃんと思っているのに、ゲームとは無関係な会話が楽しくて。
彼女は、話すことが特別得意ではないようだった。たどたどしい相槌。初々しい反応。彼女にとって未知のものを語れば、垂れた目を精一杯丸くして驚き、好奇心で目を輝かせる。素直すぎる感情表現。
その全てに、どうしようもなく揺さぶられる。
でもどれも、あの時の彼女の微笑みを超えるものではないことが、悔しかった。
──根底に潜む自分の気持ちを、自覚してはいけない。
働いたのは、自己防衛本能か。
しかし彼女と過ごす時間が、俺の本心を擽る。
笑いながら箒を片付けに行く彼女の背中に指先が伸びる。寸でのところで我に返り、引っ込めた。
「それにしてもさ」
無理に余裕を浮かべる。内心どれだけ余裕が無いか、なんて相手に伝わるわけがない。伝わってはならない。
「菜月ちゃんの彼氏って、迎えとか全然来ないよね」
来なくて良かった。自分が興味を引かれる表情を、別の男が引き出すなんて、それはとても……否、それ以上深く考えるな。自分を制する。
「篠原先輩は、放置してても平気派じゃなかったですっけ? よそ見なんてさせない、って」
なのに、そんなことを気にするんですか?
表情が凍り付いた自覚があった。
それは確かに自分のスタンスだったはずだ。
“放置していても、大丈夫”。
『会える時間は限られているけど、きみは俺の傍を離れていったりしないよね? 会えない時間は切ないけど、その分、会えた時がこんなに嬉しいんだからさ』──恋愛ゲームが生む、ただの選択肢。興味があるなら戻ってくる。無いなら戻ってこないが、それでも構わない。軽い言葉。
それで良かったはずだった。
浮かんだ考えを振り払うように、反論する。
「俺なら良いけど、その男は違うだろ。するかもしれないし、よそ見!」
彼女は俺の言葉を吹き飛ばすように笑った。
「ご心配ありがとうございます。でも大丈夫ですよ、円満ですから」
それはよかった。返しながら、唇を噛み締める。幸せそうな彼女。それは良いことのはずだ。それなのに、どうしようもなく苛立つ。
──すればいいのに。
少しくらい、俺を見ればいいんだ。