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06

「何になさいますか?」

 メニューを差し出されたが、じっくり見る気分にはなれない。

「珈琲を。オススメのもので」

「かしこまりました。……晃はいつものですよね」

「……ん」

 篠原先輩はまるで睨むように、店長を見上げた。どうしたというのか。


 店長が珈琲を入れるために退室すると、互いに黙り込む。沈黙。居た堪れなくなり、口火を切った。

「ここにはよく来るんですか」

「うん。でも誰かと来るのは初めて」

「そうなんですか」

 正直あまり信用はしていない。常套句なのかもしれない。何を信じればいいのか。──私だって、嘘を吐いているのに。


「金曜のこと」

 ドクン、と心臓が波打った。

「信じてもらえないだろうけど、……護ろうと思っただけなんだ」

「プライドを?」

 思わずストレートに口にしてしまう。自嘲するように笑った篠原先輩は、そうじゃなくて、と否定した。


「きみを」


 私を?

 話が繋がらない。だってあれは、私を貶める内容だった。

 困惑する私に、「その前日に水掛けられたって件ってさ、あれ、元を辿れば俺の所為だよね」と顔を歪めながら話す。



「あの後でさ、思ったんだ。俺なら駆け付けるのに、って俺は言ったけど、自分で引き起こしておいて、そんなこと言う資格無いよな。……女の子が水被るなんてこれまで無かったんだ。多分──」言葉を選ぶように、ゆっくり紡いでいく。これまでの篠原先輩には無いことだった。「きみが俺に落ちなくて、それでも俺がきみを諦められなかった所為。──俺より立派な、大事な彼氏いるんだから、当然なんだけど」

 ちがいます、それ、嘘なんです。

 言わなくてはいけないのに、言葉にならない。自分が、恥ずかしかった。

「いつも通りじゃないから、いつも通りじゃないことが起こった。それできみがあんな目に遭うなら、“落とした”ことにして、距離を置けばいいんだって思った。一時(いっとき)、きみを傷付けることになっても、もうあんな目に遭わないのなら。……それなら、いつも通りだから」


 きみ、と、篠原先輩は私のことを呼ぶ。

 そこに壁を感じて、私は勝手に寂しくなる。

 それともそれが、彼の作戦なのだろうか。


「本当は、彼氏と別れて、俺を選べば良いのにって思ったけど、それはきみの幸せとは違うだろうから。せめて、俺が原因できみがこれ以上傷付くことがないように、て思った」

「え……?」

「だって、そうだろ」彼はやっぱり傷付いたように笑う。「どんな最低彼氏だよって、思ってたのに。実際会ったら、見るからにきみのこと大事に想ってて、俺、ほんとカッコ悪ぃよな」


 実際、会った?

 いないはずの彼氏に? いつ、どこで!?

 いやそもそも、──その言葉は、どこまで本当? これはまだ、恋愛ゲームの最中?


 目を見開く私に、話はもうおしまい、とばかりに彼は目を伏せる。

 待って、待って。私はまだ何も話してない、何も謝ってない。まだ終わらせないで!



「──お待たせしました。どうぞ」



 目の前に、コトリと置かれた珈琲に、勢いを削がれた。

「あ、あ……ありがとうございます」

「いえ。ごゆっくり。晃はこっち」

 篠原先輩の前に差し出されたのは、甘い香りの漂う──「ココアですか?」

「悪いデスカ?」

 ムスッとした顔に、別に悪くないですけど、と首を小刻みに左右に振る。「あの馬鹿店長、ほんとに入れてきた……」小さく文句を漏らしている姿を、なんだか可愛らしいなと思う。そういうことを、これからも──


 これから、なんて。

 馬鹿馬鹿しい。


 でも……もし、私が、望んだなら。

 たとえ彼にとって、今日のこれが、まだ恋愛ゲームの途中でも。


 ──店長が退室する。今日は他に客は来ないのか。

 いや、今はそれは関係ない。

 もっと大事なことがあるのだから。


「……か」

「か?」

 喉を珈琲が通り抜ける。心地良い苦味が伝わる。ゆっくり吐き出すように出した声は、思っていたより、平静を装えていた気がする。

「彼氏って、誰ですか」

「へ? あの金曜の」

 合点がいった。金曜の、彼は、つまり、

「あれは弟です!」

「弟!? だって、顔あんまり似てない……」

 言いたいことはわかる。神妙な顔を作る。

「正真正銘、血の繋がった兄弟です」

「でも……仲、良いんだね」

 でも、と後続の言葉は繋がっていないような気がするのだが。首を傾げてから、自分が肝心なことを伝えていなかったことを思い出す。


「そもそもですね! 私、……実のところ、あの、ごめんなさい、私、い、いないんです、……彼氏」


「……………………いない?」


 目を丸くしている。カッと頬が熱くなる。はい、と零した返事は、あまりにも小さくて、今にも消えてしまいそうだった。


「え、マジ?」

「…………はい」

「ほんと?」

「……はい」

「実は金曜の彼とこの土日で別れたとか」

「あれは弟ですってば! なんなら確認しますか!?」


 戸惑い顔の彼は、一拍置き、やけに真剣な顔で口を開く。


「それって、家に行っても良いってこと?」

「へっ? や、普通に写真とか……ですけど」

「ああ、だよねー」


 がっくりと項垂れる。なに。私の知る篠原先輩と同じで、感情は表に出ているはずなのに、意図が読めない。


「そっか、でも、そうか。いないのか。うん。いないのかー」

 あんまりにも、いない、いない、と繰り返されるので、上擦った声で「連呼しないでください」と非難する。顔が熱い。真っ赤になっているかもしれない。


 非難されるべきは、私の方かもしれないのに。

 嘘吐き、なのに。


「ごめん。有り得ない程嬉しくて、つい」


 篠原先輩は、耳まで赤くて、鏡でチェックしたら、私とお揃いなのかもしれないと思う。徐々に、期待感が募る。


「じゃ、あの彼氏の話って」

「全部理想、です」

「ふうん、理想、ねー。……ね、それを教えてくれるってことは、俺にもまだチャンスがあるって、思っていい?」


 選択肢が、自分の目の前にいくつもあった。

 その中でどれを選べば良いのか。

 口を開き、閉じ──開く。


「チャンス、じゃなくて。そうじゃなくて」

 もし許されるなら。

「貴方ともっと、お喋りをしたい、です。──篠原先輩と私が過ごした時間が、先輩にとってゲームでなかったのなら」

 もっと明確なものをください。



 どうかこれが、後々、あの判断は正しかったね、と笑い合えますようにと願いを込めた。



「ゲームじゃないよ。ぶっちゃければ、最初はそうだったけど……今は違う。全く違う。きみが……菜月ちゃんが好きだよ。この気持ちの深さをどうやってきみに伝えたらわからないくらい、自分でもどうかしてるなって思うくらい、好きだ」


「私も、──あの、念の為もう一度確認ですけど、ここで私が好きだって返したらゲームオーバーとか、ありませんよね?」

「な、無いから!」


 机の反対側から伸びてきた手が、私の手を力強く包み込む。まるで逃さないと言わんばかりに。

 ……巧妙な嘘かもしれない。

 それでもいいかなと思った。




「私も、好きです」




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「お母さん、ただいまぁ! お腹空いたー!」

「はいはーい! 先に手を洗ってね〜」


 台所から叫ぶと、はあーい、と元気の良い返事があった。トタトタトタ、と可愛らしい音がする。

 遅れて、彼の「ただいまー、疲れたー!」が聞こえてくる。彼はそのまま洗面所に向かったようだ。


 夕飯を食卓に並べ、さて二階の長男、次男を呼ぼうかと思った時、ふと、やけに二人が遅いことに気付く。

 不思議に思いながら、洗面所に近寄ると、どうやら彼と娘は楽しそうに話している。



「ふうーん。じゃあお母さんの素敵なところは顔と料理の腕と笑顔と頭が良いところだけじゃない、と」

 それだけでもかなり盛っているような気がするが。娘の嗜好は、どこか私の兄を彷彿とさせる。

 娘の行く末を心配していると、それに拍車をかけたような彼の高揚した声が響き渡った。

「そう。恋の話をする時にね、うっとりした、本当に柔らかい顔をするんだよ。お父さんはそこにやられたわけだ!」



 ──って。



「ちょっ、何を小っ恥ずかしいこと言ってるんですか!」



 咎めれば、本当のこと言ってるだけだよ、と走り寄った私の肩を引き寄せて、けらけら笑う。頰に口付けを落とし、そのままぎゅうぎゅうと抱き締めてくる彼を、決してちょっと鬱陶しいなどとは、思っていない。はず。鬱陶しい、なんて口にした日には、弟経由で、『彼と兄が泣きながら酒を交わしていて煩わしい』──あろうことか、あの二人は波長が合うらしく、仲がすこぶる良いのだ──とかいう情報が回ってくる。勘弁して欲しい。

 半眼のまま、離せ離せと首に回る腕をぱたぱた叩く。隣では娘がきゃあきゃあ叫んでいる。騒ぎを聞きつけてか、息子二人も二階から降りてきた。


「あ、またやってるよ」

「母さん大変そうだねえ」


 息子二人はひどく冷静である。

 私まで引っくるめてひとつの騒動のように言われ、不本意な気持ちになる。

「晃さん! いい加減にしてください!」

「まあまあまあまあ」


 ──全然、気にしてない!


 んもう、と文句を上げる。それでも「あー、俺、今すげえ幸せー」という惚気全開の発言に口元が緩む。

 なんだかんだ言ったって、私も幸せだ。

 自分の両親にも、負けないくらい。



『いくつ失敗してでも、どうにかして一緒にいたいと思えたら、上手くいくよ。そうして後で気付くんだ、ああこれは成功の形だ、ってね』



 付き合ってからもいろいろあった。言葉足らずですれ違ったこともあった──大体、考えてみて欲しい。付き合うキッカケとなったあの事件だって、言葉がどれ程足らなかったことか! 今でも二人で「あれは特に突っ走った一件だった」と振り返り、苦笑してしまう──。些細なことによる喧嘩なんて、数え切れないくらい。

 それら全てを乗り越えて、今、幸せだと胸を張れる。


 この先も、私たちはきっと失敗を繰り返す。

 でも最後には自信満々に口にするだろう。



 ──これが、私と彼の成功の形。



最後までお付き合い頂き、ありがとうございます!

明日2月3日に、篠原先輩視点の全5話公開いたしますので、もう少しだけお付き合いくださる方は、よろしくお願い致しますm(_ _)m



【オマケ】

喫茶店でのその後。


「じゃあ明日から一緒に帰ろ」

「え……いや、結構です」

「なんでー!?」

「逆に、なんで、です? だって自信あるって、」

「……自信はあるけど、余裕が無いの」

「へっ?」


(この人、あくまで意見は翻さない……!?)

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