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04

 シンと静まり返った私の心を無視して、会話はまだ続いている。

「あの平凡顏でよくもまあって感じだよなぁ」

「私モテてる! って舞い上がっちゃってる、みたいなー?」

「ははは」

 …………うん。

 よし、出よう。荷物を手に持ち、踏み出す。


 冷静だったつもりだが、倉庫の扉は、予想外に大きな音を立てて開いた。


 会話がピタリと止まる。

 どんな顔をしているのかなんて、分からない。見る気も起こらなかった。

 ガララララ、ガシャン。扉、閉めた。カチャッ。鍵、かけた。よし。

「な、菜月ちゃん、今のは違くて」

「何がどう違っていたとしても、関係無いですよね、私。あと、気安く名前呼ばないでください、不快です」

 母でさえ震える笑みを向ける。

「さっきの話は先輩がたのために広めないでおくんで、その代わりに、鍵、戻しといてもらえますか? あとサークル辞めます」


 じゃ、さらば。永久に。

 いくら平凡女子だってね、馬鹿にされりゃあ噛み付くのだよ。よーく脳ミソに刻んでおくがいいさ。


 心の中で付け加え、その場から脱兎の如く逃げ去る。


「──菜月!」


 背後で、私を呼び止める声が聞こえた。菜月、ともう一度。とうとうちゃん付けすらなくなった。なんでバージョンアップしてるの。さっき止めてって言ったのに。

 二度目の声が先程よりも大きく聞こえたので、肩を震わす。首を捻って後ろを見れば、何故かイケメンが走って追い掛けてきていた。構内追いかけっこなんて恥ずかしいから勘弁して欲しいんですけど。

 私は慌てて足を動かすスピードを上げる。足の速さだけなら、彼にも引けを取らないはずだ。


 ようやく大学の入り口まで辿り着く。そこに思い掛けず見知った顔を見つける。


「──雪平(ゆきひら)あああ!」

 何故そこに、我が弟よ! でもとりあえず助けて!


 私は随分と驚いた様子の弟の腕の中に、ヘルプミーの気持ちを存分に込めて、飛び込んだ。

「は、お前なに急に」

 彼は勢い良くぶつかってきた姉を軽々と受け止めた。高校に入りめきめきと伸びた身長は、モデル並みに高い。普段はその身長の十分の一でいいから寄越せよ、と思うところだが。

「菜月!」

「……誰、あんた」

 雪平の顔立ちは、クールビューティーというべきなのか、どこか冷たく尖った雰囲気を持っている。故に、少し眉が寄るだけでもかなりの迫力がある。多分、母や兄も同じなのだが、あの二人は浮かべる表情が柔和なので、気付かれ難いのだ。

「俺は、」

 肩が震えた。止めて、今その声聞きたくない。嘘に(まみ)れている言葉を、軽々しく口にしないで。

 ぴくりと身体が動いたことに、我が(さと)い弟は気付いたらしかった。


「まあ、いいや」

 自分よりも随分と年上であるはずのイケメン最低男を押す勢いで、言葉を遮る。


「──あんたが誰だろうと、どーでもいいし」


 いつになく冷たい声に、流石に驚いて顔を上げると、不機嫌そうに片眉を上げた雪平は「んだよ」と私を一瞥した。


「さっさと帰んぞ、ナツ。つーか、携帯鳴らしたんだから気付けよ。繋がんなかったら携帯の意味ねぇし」

「は──私、雪平ほど暇じゃないし。気付かなくても仕方ないでしょ!」

「あ? 俺より暇人だろ? とにかく携帯見ろよ、定期的に。ここで待たされる俺の身にもなれよ」


 恐らくは、母か兄から強制的に迎えに来させられたのだろう。雪平は不満そうに鼻を鳴らす。別に迎えなんてなくても私は構わないんだけど──今日に限っては、確かに助かったんだけど──それにしたってこの態度はなんだ。ああ、昔はあんなに可愛げがあっ……いや昔からそんな可愛げはなかったな。

 軽い言い争いをしながら、私はようやく雪平の腕から身を引いて、二人で肩を並べて大学に背を向ける。


「ちょ……」


 呼び止める声に、ああ、と思い出したように振り向いた。そういや、この人、まだいたんだった、と。

「とにかく、さっきの件、あれ以上に話すことなんて何もないですから。ご安心を、裏切られたともなんとも思ってないですよ。最初からなーんの感情も無かったですから」

「──ナツ、早くしろよ」

 雪平が乱暴に私の腕を掴んで、さっさと歩き始める。


 篠原先輩はもう追って来なかった。

 それでいい。いいはずなのに、何故だかとても悔しくて、私はつい縋るように、自分を引っ張って歩く雪平の服を握り締めた。



 ああ、なんだ。

 全部嘘か。踊らされてただけか。


 ──踊ってたのか、私。



 どうしようもなくなってから、どうしようもないことに、気付く。

 踊らされる程度に、私は多分、篠原先輩のことが好きだった。


 私の嘘に騙されて、嘘の話にまで真剣に耳を傾けてくれたところも。

 下手くそな煽てに笑ってくれたところも。

 小さな話まで面白おかしく、話してくれるところも。


 それが全部嘘だって言うなら、私が好きになった彼も、きっと全部偽物だ。

 この世にはいないものを好きになるって、どんだけ不毛なの、私。


 ほんと、笑い者だ。笑われたって仕方がない。そりゃあ笑うよね。

『でも、もう少しで落ちると思うよ』

 私が自覚するよりも早くバレてるって、何。


 っく、と泣き声を殺す。

 隣を歩いていた雪平が、仕方なさそうに私の頭をポンと叩き、「帰るぞ」とだけ言った。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「きゃああああ! なっちゃああああん!」

「ナツーーー!!! お兄ちゃん待ってたぞー!!!」


 で、帰ったらこれである。

 込み上げて来たもんも引っ込むというもんだ。


 伸びてくる手を避けながら「ただいまー」と挨拶をする。玄関付近、リビングに続くドアが開き、ひょっこりと父の福顏が覗く。

「ただいま、菜月。さ、中であったまりなさい」

 何を察したのか、にこにこの父は、おいでおいでと手で招く。

「外はそんなに寒くないのに」

「それでもあったかいのは素敵なもんだ」

 騒がしく華やかな母に対して、父はほんわかした雰囲気を纏っている。私は似たような顔のはずなのに、ほんわかはしていない。かといって母のように華やかなわけでもない。

 勧められるがままに、ブーツを脱いで、コートを掛けると、ソファーにぽすりと座る。


「はい、どうぞ」

 湯気の上る茶が人数分出てくる。母は早々に身を翻し、自分の席に座ると、目を輝かせている。

「お母さん、相変わらずお父さん大好きだよねー」

「そんなの当たり前じゃない!」

 即答だった。そうか、当たり前か。……。


「いつか私にも、お互い当たり前に好きって言える人ができるのかなぁ」


 なんとはなしに呟いた言葉に、空気が凍った。

「な、なっちゃん……何か、何かあったの?」

「男か? 悪い男なのか!?」

 喚き始める母と兄。急に何!? しかしある程度的を射ていることが恐ろしい。

 何か言ったの、と雪平に視線を送る。なんで俺がそんな面倒なことすんだよ、と雪平。ですよね。


「誰なんだその男は! 連れて来い! 見定めてやる!」

「なっちゃん、なっちゃん! 結婚式は洋式? 和式?」

「……うるっせぇなぁ」


 相変わらず騒がしい家の中で、ふくふくと笑う父が、気付いたらお茶を啜っている。

「それはね、お互いが大事に想うだけでは、上手くいかないことも多いものだから」

「……じゃあ、成功のためには、あとは何が必要なの?」

 机に頬杖をつき、ムスッと口を尖らせる。耳は大きくして、父の言葉をひとつ残らず聞き逃さないように気を付けているけれど。

「何って、そりゃあ、失敗だよ。失敗は成功の母と言うからね」

「失敗したくないなぁ〜」

「それは無理な話だねえ、人生に失敗はつきものだから」

 優しげな雰囲気と口調の割に、物言いはハッキリしている。だから一部では狸だなんだと言われるのだ。現に家族相手ならまだしも、それ以外の相手となると、まさにその通りの食わせ者だ。

 むー、と口を結びながら、項垂れると、父はにっこり笑いながら締め括った。


「いくつ失敗してでも、どうにかして一緒にいたいと思えたら、上手くいくよ。そうして後で気付くんだ、ああこれが僕らの成功の形だ、ってね」


 そんなもんだろうか。……まあ、そもそも私は、それ以前の問題なわけだけれど。

 首を捻る私に、父は「土日はゆっくり英気を養って、また来週、後悔のないように頑張るんだよ」と告げると、湯のみを持って立ち上がり、リビングを後にした。

「あ! 待って待って」

 その後ろをパタパタと母がついていくのを見送った。


「ナツ、ナツ、どうなのナツ! お兄ちゃんに話してごらん!」

「うん、わかった。まあ、頑張る」

「僕の話を聞いてない! 何を!?」

「空から降ってくる水を避ける技術を向上させるとか」

「雨を避けるとか無理じゃね。ナツ頭沸いたの?」

「は、違うよ! 雪平、失礼!」


 あとは兄弟水入らず、騒がしく──騒がしいのは兄一人だけだが──団欒を楽しんだ。




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