02
──とは、いったものの。である。
同じサークルにいる以上、残念ながら接点はある。ある、というより、作ろうと思えば作れてしまう、がより正確か。
一年生ということもあり、雑用が続々と回ってくる。これは交代制で順番が来る。
シフト表は当然、先輩の手元にもある。
つまり、私が確実にいる時間など、いくらでも調べることができるのだ。……そこまでして欲しい情報でもないはずなのに。
しかし、現に目の前の彼──篠原先輩は、その情報をわざわざ手に入れてやって来ているようだ。
「今日は暇ー? 遊び行こうよ」
今日も今日とて、邪魔をしてくる篠原先輩のお誘いを「生憎、用事がありますので」と丁重にお断りする。
「いっつも用事あるんだね?」
「割と忙しいんですよ」
「予約は?」
「受け付けてないんです」
顔には牽制用の笑顔を浮かべながら、素っ気なく返す。この人に下手に愛想を振りまいても仕方がない。メリットが皆無な上に、デメリットが多数あるのだ。
周りは、この篠原先輩の“お遊び”に慣れているらしく、「大変だねー」と私に声を掛けてくる。しかし年上女性に至っては「まあこんなちんちくりんの小娘を本気で構うはずが無いし」という余裕と見下す心が見え隠れしている。本気で不憫がってはいない。平凡顏を侮辱しているとしか思えない。畜生め。そういえば私に『丁寧な説明』をしくれた女性集団も、同じような表情をしていたな。
(どうしてこうなった……)
私は今度こそ平穏な日常を手に入れるはずだったのに。
地元高校に通っていた頃は、そりゃあもうすごかった。小中学校も大変だったが、その比ではなかった。日々訪れるは、兄か弟目当てのキラキラ女子。
『紹介してよ。いいじゃん、トモダチでしょ?』
フザケンナって話だ。私がいつ貴方と友達になったの? 友達だったら、私は兄弟を紹介しなきゃ駄目なの?
中には、『冴えない貴方に、綺麗な私が友達になってあげてるんだから、そのくらいしなさいよ』とあけっぴろげに主張してくる子もいて、ほとほと辟易した。“なってあげてる”? 生憎、間に合ってますから。
イケメンの付属品、あるいは梯子として認識されていた私の周りには常に人が溢れ、反面、頑なに紹介をしようとはしないことを、陰で相当ボロクソに言われた。
中には、兄弟間での仲を邪推する者もいたくらいだ。曰く、私が禁断の恋心を抱いているのではないか、と。身の程知らずよねー、と嗤う彼女たちを、どれだけ殴りたかったことか!
繰り返すが、フザケンナ、である。
この環境に嫌気が差していた私は、高校卒業と同時に一人暮らしを始め、地元から離れた大学に通うことにした。
そんなわけだから、できれば私は“イケメン”なるものと関係を深めたくは無いし、そもそも浅い縁すら築いていたくはない。イケメンなんて鑑賞する程度で十分!──ただ単に鑑賞するだけなら、それこそ兄弟で事足りるってもんだ。
「でも菜月ちゃんって、あんまり誰かと遊ぶことって無いよね」
突如、篠原先輩の声に意識を引き戻される。
なんの話だったか。目を白黒させながら、「そう、ですか?」と返した。そうだという自覚はあった。生まれた時から、警戒せずに自分らしく在れるのは、家の中だけだった。だから外ではしゃぐこと自体、苦手だ。というよりもやり方がよくわからない。
結局大学に入ってこのかた、月に二、三回は週末に実家に帰っている。母と兄が心配性なので帰らないとそれはそれで大騒動になるのだけれど、その事情を差っ引いても、私は家族が好きだと思う。いくらそれで苦労したって、好きなものは好きだ。第一、苦労した出来事を挙げ連ねて顔のことを恨むのだとしても、恨む相手が違う。
いや、そんなことよりも。
「あの、先輩、名前呼び止めてもらえませんか。苗字で……相田が良いです」
「えー、可愛いのに。菜月ちゃんの名前」
「そうじゃなくて」
私は視線を泳がせた。どうしたらいいか、と考えた末に、つい嘘が溢れた。
「か、彼氏に、怒られるので」
篠原先輩の目が微かに開く。
「彼氏いるんだね」
「はい」
ここまで来たら意地だ。彼氏なんて、生まれてこの方、できたこともない──あんな状況下では当然できるとも思えないし、そうでなくてもできたかどうかは非常に怪しい──。だがしかしここまできたら、いる体でいくしかない。
「毎日用事があるってのも、その所為かー」
「そうです。仮に無くても、ほんと、遊びに行けないんで」
ふうん、と篠原先輩が呟く。
「随分自分に自信が無いんだね、その彼」
自信ですか、と復唱する。予想外の返答に、目を瞬く。
「だって自信が無いから、そうやって菜月ちゃんの行動を制限するわけでしょ?」
「え、普通に好きだからじゃないんです? だって好きな人が異性と出掛けたら、嫌じゃないですか」
それは至って普通のことではないか。どうして自信の有無に繋がるのか。
理解できない。
これが踏んできた場の数の差なのか。恋愛経験に関していうなら、明らかに篠原先輩の方が上だろう。
まさかこの程度の発言で怪しまれたのか、と冷や汗を垂らす。普通のカップルってそこで嫉妬とかしないの!?
「俺だったら笑顔で送り出すね。よそ見なんて最初からさせないし」
「はぁ……」
随分と自信満々だ。さり気なく顎を触るあたり、相当顔に自信がおありなようで。
どうやら不信感を抱かれたわけではないらしい、と胸を撫で下ろす。
「確かに篠原先輩より顔は良くないですけど」
安堵したら、ふつりと意地悪心が湧き上がった。篠原先輩の言動に、彼を少し刺したくなった私を、誰も責めないと思う。少なくとも、篠原先輩ファン以外なら。
「優しくて、私のことをちゃんと見てくれて、気にしてくれて、同じことで笑ってくれる人が──」いいです、と続けそうになって、慌てて止める。気付いたら、自分の願望になっていた。「──そんな人だから、好きです」
しばらく黙り込んだ篠原先輩は、ぽつりと呟いた。
「本当に好きなんだね」
──よし、騙せた!
達成感で浮かべた満面の笑みで「はい!」と元気良く答えた。
あまりにも元気良くし過ぎた所為か、篠原先輩は目を丸くしていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
以降、無理に誘われるようなことはなくなった。何故か雑用中に乱入してくることは変わらなかったけれど。
おそらく、引っ込みがつかなくなったのだと思われる。
周囲からの侮蔑混じりの視線は相変わらずだけれど、高校時代の時を思えばマシだ。
私の精神的な救いとなっていたのは、あの時に咄嗟に吐いた嘘だった。変な駆け引きがなくなった分、篠原先輩と一緒にいることは、意外と苦ではなかった。
なんというか……非常にわかりやすい性格をしていらっしゃるので、とりあえず煽てておけばいい。場が丸く収まる。ギラギラに晒されない日々は、心穏やかだ。
今日も今日とて掃き掃除をしながら、篠原先輩のお喋りをこなす──これも仕事の一環だ、と自分に信じ込ませる──。
それまでいつも通り言いたいことを言いたいだけ言っていた篠原先輩が「それにしてもさ」と首を傾げた。
「菜月ちゃんの彼氏って、迎えとか全然来ないよね」
「え、と……そう、ですね?」
来れるはずがない。いないんだから。
「好きなら迎えくらい来るじゃん」
バレるか、と焦り、私は慌てて、しかし慌てたようには聞こえない声を取り繕って、反論する。
「篠原先輩は、放置してても平気派じゃなかったですっけ? よそ見なんてさせない、って」
後輩に揶揄されたことが悔しかったのか、篠原先輩は尖った声を出した。
「俺なら良いけど、その男は違うだろ。するかもしれないし、よそ見!」
「えー、しませんよ」
この期に及んで自分のスタンスだけは崩さない姿勢に、思わず笑ってしまう。俺なら良いけど、って。ほんとどれだけ自信あるんだろう、この人。
「ご心配ありがとうございます。でも大丈夫ですよ、円満ですから」
それはよかった、とぼそぼそ言いながらも、ムッとした顔をする篠原先輩。笑われたからって、不機嫌になるとか。考えていることが正直に顔に出るな。子供か。
口元を押さえながら──自分と違って、思っていることを素直に伝えられる篠原先輩が、ほんの少しだけ、羨ましかった。