04
サークルが終わるまで待つと言う彼女に、準備が終わったらすぐに行こうと提案する。元々今日は参加する気がなかったし、その意見を翻して参加したとしても、身が入るとは思えなかった。
渋る彼女を、半ば強引に押し切る。
余裕が無い俺に、彼女は口元を引き攣らせていた。しょうがない、本心なのだから。それに今更本心を偽り、オトナを装ったところで、手遅れだ。なんのメリットも無い。
可能な限り手早く準備をして、彼女の前に立つ。
「お待たせ! さあ行こう!」
大学を出る。決して横に並んで歩くことはなく、彼女は俺の後ろにいる。
やっぱり行くの止めます、と言われる前に、さっさとどこかに入ってしまおう。
思いついたのは、先日行くことを諦めた喫茶店だった。恐がらせないようにと内心ビクビクしながら同意を得て、煩い心臓を宥めて歩く。
「ここだよ!」
「ここ、ですか?」
困惑の正体はわかっている。この店は、店というにはあまりに家庭的な見た目をしている、というか、実際一般の住居だ。一階に喫茶店やキッチンがあり、二階に私室がある。
ドアを開けて、スリッパに履き替える。靴の数からして、今日の客は俺たちだけのようだ。
こんな小さな店だが、いや、こんな小さな店だからか、コアな常連さんは何人かいる。かくいう俺もその一人なのだけど。
「店長、いるー?」
キッチンの方向へ大きく声を出せば、すぐに返事があった。
「当たり前でしょう、店を開けてるんだから」
「店開けてても、偶にいないじゃん」
質問した俺がオカシイと言わんばかりの態度にムッとして反論すれば、「今はいるでしょう」と開き直ったような対応。俺もいい加減な方だけれど、この店長もよっぽどだ。本職だという珈琲豆のネット販売での顧客対応は評判が良いらしいので、ひょっとしたら、多少雑な扱いをしてもいい客だと認識されているのかもしれない。
不意に、店長の目が俺の顔から横にスライドした。
「おや珍しい、晃が女の子連れてる」
「はー、俺は元々モテモテなのー」
ムッとして答えると、店長は途端に意地悪そうに口元ににんまりと弧を描いてみせた。
「じゃあその子も“群衆”の一人?」
群衆。いつも、周りに群れている女の子たちを、冗談交じりでそう呼んでいた。これもまた自業自得とはいえ、余計なことを言わないで欲しい。
「ちがっ……そ、そうじゃ、なくて」どもりながら、否定の言葉を吐く。店長が指先で、こっそり彼女を指し示す。『僕に言い訳されてもねえ? 相手違うよねー』とでも言いたげだ。その通りだった。慌てて彼女へと向き直る。「ごめん、違う、別に俺、モテてもなくて」
──どんな言い訳だ。いくらなんでも下手すぎる。
口にしてから、余計にサアッと血の気が引いた。やることなすこと、悪い方向にばかり向かっている気がする。視界の端で、店主が含み笑いしている様子が見えた。どいつもこいつも、他人事だからって……!
「篠原先輩が女の子から人気があるのは、知ってますよ」
不特定多数の女の子の好意より、きみの気持ちが欲しいんだ。とはとても言えない。半年前の自分なら、鼻で笑う発言だろう。
「……あの、やっぱり私、」
その続きが、『帰ります』だということは明らかだった。何が気に障ったのか。不特定多数の女の子の一人としてカウントされかけたことか?
ここまで来て何も話せずに帰すなんて、彼女には申し訳ないけど、無理だ。無理やりに発言を妨害し、腕を掴んで、奥の方にある席へと連れて行く。
店主のシックな私室と違い、喫茶店スペースは、白い生地に薄緑のリーフをあしらった壁紙に、木目調のフローリングの組み合わせ。開放感と安心感を与えるような内装になっている。奥の席は、中庭が見える窓の近くにある。常連の中では人気だ。とはいえ、今日は庭を見ている余裕は無い。
「何になさいますか?」
店長がメニューを差し出す。彼女はちらりと一瞥し、けれど内容を見ないまま、オススメの珈琲を、と注文する。かしこまりました、と店長が恭しく頭を下げた。俺にはそんな態度、一回もしたことないのに。
「晃はいつものですよね」
ほら、雑な確認。しかも“いつもの”って。俺がいつも頼むのは……ココアだ。しかし飲めない珈琲に注文を変更したところで、確実に笑われる。かつ、後で格好付けたことをバラされる。
(っていうか、今の時点で既に絶対楽しんでるだろ、お前!)
ギッと睨み付ければ、にっこりと笑顔が向けられた。「ごゆっくり」言いながら退室していく。白々しいにも程がある。
今更ながら、別の店にすれば良かったのではないか、と思えてくる。
「ここにはよく来るんですか」
話し掛けられたことに驚き、ぱちりと瞬きする。慌てて、頷く。
「でも誰かと来るのは初めて」
きみだったから一緒に来たかったんだ、と。そんな意味を込めて。思わず漏れた一言は、余計なものだっただろうか。彼女は、そうですか、と興味無さそうに視線を落とす。
直後に訪れた静寂を、今度こそ自分で打ち破る。
「金曜のこと、信じてもらえないだろうけど、護ろうと思っただけなんだ」
「プライドを?」
即座に返ってきた反応に、顔を歪める。そう捉えられて、当たり前だ。無理に笑顔を張り付けて、「そうじゃなくて」と否定する。
「きみを」
きみのことを、護りたかった。
……今更過ぎるし、勝手過ぎる。何より、
「その前日に水掛けられたって件ってさ、あれ、本を正せば俺の所為だよね」
自分が引き起こしたことなのに、恩着せがましい。
「あの後でさ、思ったんだ。俺なら駆け付けるのに、って俺は言ったけど、自分で引き起こしておいて、そんなこと言う資格無いよな。女の子が水被るなんてこれまで無かったんだ。多分──」菜月ちゃんが、と言おうとして、名前で呼ばないでと言われたことを思い出す。今の自分には、確かに彼女を名前で呼ぶ権利は無い気がした。「きみが俺に落ちなくて、それでも俺がきみを諦められなかった所為」
金曜日の出来事が、頭を過ぎった。隣にいることが自然だった二人。俺はただの、部外者。
「俺より立派な、大事な彼氏いるんだから、当然なんだけど」
彼女は、居心地が悪そうに俯いていた。無理もない。こんな話をされても、困らせるだけだ。それなのに話しているのは、ただの自己弁護だ。自己満足だ。あわよくば友人関係に、なんて。それでいつかまた話せたらいい、なんて。未練たらしいったらない。
「いつも通りじゃないから、いつも通りじゃないことが起こった。それできみがあんな目に遭うなら、“落とした”ことにして、距離を置けばいいんだって思った。一時、きみを傷付けることになっても、もうあんな目に遭わないのなら。それなら、いつも通りだから」
彼女は何も言わない。それを良いことに、俺は心からの本心を、言葉にする。
唇を湿らせ、「本当は」と話し始める。
「彼氏と別れて、俺を選べば良いのにって思ったけど、それはきみの幸せとは違うだろうから。せめて、俺が原因できみがこれ以上傷付くことがないように、て思った」
それまでとは毛色の違う話に、彼女は戸惑った顔をして、俺を見た。その顔に、笑い掛ける。なんでもないことのように、上手く笑えているだろうか。自分ではわからない。
「だって、そうだろ。どんな最低彼氏だよって、思ってたのに。実際会ったら、見るからにきみのこと大事に想ってて、俺、ほんとカッコ悪ぃよな」
この言葉をいっそ、彼女が軽い気持ちで受け止めてくれたらいいのに。それでいて、想いはわかってほしい、だなんて。矛盾している。
ほんと、何がしたいんだか。
自分でもさっぱり理解できない。
なんのために話しているのか。何が伝わってほしいと思っているのか。
ぐだぐだだ。格好悪いなあ、俺。
──ひょっとしたら、格好悪い俺を見て欲しかったのかもしれない。いっそ指をさして笑って欲しかったのかもしれない。
俺を口を閉じ、窓の外を眺めた。




