幼い日の交換日記
『家をリフォームするので、掃除をしていたらあなたの古いノート等を見つけました。処分していいかわからないので、そっちに送ります』
そう書いたメモがいれられた段ボールが届いたのは、奈々が仕事から帰った夏の日だった。
蒸し暑い空気の中、段ボールからは古い香りがする。
静かに存在を主張する匂いに耐えかねて、奈々は週末に予定を明け、その段ボールの中身を検分と処分することにした。
ベリリとガムテープをはがすと、年期のはいった黄ばみが目に入った。
どれも古く、時間を多く孕んでいて、奈々はそれを一つ一つ取り出した。
卒業文集、授業参観の似顔絵、読書感想文、よくわからない落書きの寄せ集め。
どれも思い出のつまったもので確かに処分するにはためらいがある。かといってそれを本人にやらせるのもどうなのだろうか、と実の母に疑念を感じつつ、ゴミ袋と保管に仕分けていく。
そして段ボールの底に近づいたであろうその時に、一冊のノートがでてきた。
なにかの雑誌の付録であろうA4のノートにはなにかのキャラクターが描いてあって『交換日記』と書かれている。
名前の部分には「カトル」「セット」と、下手なカタカナが綴られていた。
それは古い友達の名前だった。
子供の頃、どこの誰かも知らずに仲良くなった女の子。
思い出の中の彼女は金色の髪をしていて、今思えば外人だったのだろうが、当時の奈々は自分の持っていた人形のような女の子だと思った。
カトルはその女の子名前だ。そしてセットとは奈々のことだった。
『カトルはフランスの言葉で4のこと。私は兄姉が三人いて、四番目の子供だから』
『奈々は、7だから、セットね』
『これは私たちだけの秘密の名前よ』
彼女はそう言って、奈々をずっとセットと呼んでいた。
あの頃の奈々は、学校でもうまく友達ができなくて、彼女を特別な友達として大切に思っていた。
『はじめての日記ですね、セット。あなたとトモダチになれてとてもうれしい。今日は、おとうさんとおかあさんに、なにがあったか聞かれました。(わたしがとてもうれしいかおをしていたから)けれど、セットのことはひみつです。わたしは口がカタイのです』
一日目の日記にはそう綴られていた。
『こんにちはカトル。わたしもトモダチになれてうれしい。わたしもカトルのことはひみつにします。でもわたしの口はカタイのかわかりません。だってひみつをもつのは、はじめてなの』
カトルに対する奈々の返事は、日記と言うよりカトルに対する返事に近い。
『こんにちはセット。今日はお姉さんとお兄さんふたりに、日記をとられそうになりました。わたしがまた、うれしそうなかおをしていたから、イジワルをしてきた。でも、わたしは日記をだきしめて、まもりました。(はしっこがすこし、おれてしまいました。ごめんなさい)』
『こんにちはカトル。日記をまもってくれてありがとう!(花丸)カトルのきょうだいはイジワルなのね。カトルがかわいそうです。なにかあったら、うちににげてきてね。カトルといっしょにくらせたら、とってもうれしいです」
『ありがとう、セット。セットはえがじょうずですね。お姉さんとお兄さんは、ときどきイジワルです。わたしも、カトルとくらせたら、とてもうれしいです。でもわたしは、いつかお姉さんとお兄さんよりも大きくなりたいです』
小さな子供のやり取りは、延々と続くように思われた。
子供用に、1ページに5日分のやり取りができるよう、短く区切られた枠に、小さな文字が隙間無くうめられていた。
奈々は思わず笑った。ああ、こんなことも言っていたと思い出がよみがえった。
奈々は学校帰りにポストをのぞくのが習慣になった。会えなかった日は、カトルはポストに交換日記をいれてくれた。
奈々は週末にカトルと遊び、その時に毎回交換日記を手渡した。
そして、この交換日記は、小さい頃によくある事で、一冊を使い切らずに終わっていた。
だけど違っていたのは飽きたからじゃない。それはよく覚えていた。
『セット、ごめんなさい。日記をおわりにしなくちゃいけません。お父さんのおしごとで、フランスという国(わたしたちの名前のことばをつかう国です)にいくことになりました。とてもかなしいです。セットと会えなくなる。行くのはいやだとお父さんにいいました。でもダメでした。わたしがこどもだからです。早く大きくなりたい』
それは小さい奈々には衝撃だった。
あまりのショックに熱を出し、大好きな週末に眠り込んでしまうほどだった。
そして返事を書けないまま、交換日記は渡す相手を失い、終わってしまった。
あの頃は永遠に続くと思っていたやり取りだったのに、数えてみればそれは二ヶ月半ほどの期間だった。
幼い頃の思い出、だ。
奈々は古くなった表紙をそっと指でなぞった。
カサカサとした長い年月の感触と、ふりつもった埃がハラハラと舞った。
奈々は嬉しくて微笑んだ。
「どうしたの、奈々」
奈々はその声に顔をあげた。
仕事場にこもっていた夫が、不思議そうに奈々を見ている。
「古い思い出がでてきたのよ」
そういって、奈々は交換日記を掲げた。
「quatre? sept?」
夫はかつてのあだ名を、正しい発音で呼んだ。そして「あ」と小さくつぶやいた。
そしてじんわり頬を赤くした。
長く大きな手で、夫は顔をおおった。
熱が引いた幼い日、もう必要の無いはずの行為をついしてしまうのが習慣というもので、はいっていない事を知りながらも無意識にポストを開けた。
入っていたのは一通のエアメール。
初めてもらった外の国の手紙だ。
最初は手紙、次はメール、携帯を買ったらライン、今度はスカイプ。
小さい頃に願ったとおりに、たくましく大きな体と長い手足になった頃には、奈々達は自分たちの力で会えるようになった。
結婚して、日本に住んだのはその二年後だ。結婚式はフランスで挙げた。よく似た兄が二人と姉が一人、みんな祝福してくれた。
さらさらとした金色の髪は、今ではすっかり短く、華奢だった体はもう性別を間違えようがない。
「覚えてる? カトル」
覚えてるよ、と彼は恥ずかしそうに笑った。
フランス語の勉強中で、数字の読みがどうしても覚えられないので、その練習も含めて書きました(笑)
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