命題「私はあなたが好きである」の証明。
(proof)
傾きつつある日の光が射し込む。
体育館では運動部が今日も声を上げながら、練習に励んでいる。バスケットボールの跳ねる音、バレーボールのスパイクが決まり、バシンという大きな音。キュッキュと鳴るシューズ。
外からは吹奏楽部の音色が微かに聞こえていた。同じフレーズを繰り返しては、止まる。きっと、そこの部分が苦手なのだろう。
その音に混ざって、今度は人の歌う声。ピアノの音と声が重なって、風に運ばれる。
2つの音色は不思議と喧嘩をしていなかった。
美術部は一体どんな音がしているのだろうと、考える。筆をキャンバスに滑らせる音。チューブから絵の具を出す音。それとも、色使いが上手く行かず、唸る声がするのだろうか。
鮮明に聞こえてくるのはグラウンドで活動している、サッカー部と野球部。
パスを呼ぶ声、キンと鳴る金属バッド、グラウンドを蹴る音。
それらが、聞こえてくる。
そんな、放課後のオレンジ色に染まっている教室にいるのが、2人の女子生徒。
「……解らない。解けない!」
そう叫びながら机に突っ伏したのは、ロングの黒髪をした生徒。
その反動でころころと転がったシャープペンシルはコツンと音を立てて床に落ちた。
「シャーペン落ちたよ」
呆れながらボブで茶髪の生徒がシャープペンシルを拾って机の上に戻した。
その生徒はその後、黒髪の生徒が突っ伏している席の隣の机の上に座った。
ちょうど、窓の方を向いて座っているので少しだけ、オレンジ色が眩しいと感じていた。
「何、円どーしたの?」
黒髪の女子生徒、円は伏せたままだった。
「……恋の定理って何かな」
「ハイ出た円の数学脳!」
ぼそっと呟いた声に茶髪の女子生徒はすぐに反応した。
円はガバッと起き上がり、髪がくしゃくしゃになっているにもかかわらずシャープペンシルを手に取った。そして、それをビッシッと向ける。
「何よ、数学脳って」
「円みたいな人を言うのよ。どうせ、結婚するならは3月14日が良い!、とかね」
「小町。私なら7月22日がいいわ」
円は残念でした、と言わんばかりの表情で、茶髪の女子生徒、小町に言った。
小町はポカンとなった。
「7分の22は約3.142、つまり円周率3.1415の小数点以下4桁目を四捨五入した数なの。でね! これを計算したのが、かの有名なギリシャの数学者アルキメデス様! だから、同じ円周率でも3月14日より7月22日の方がいいに決まってるじゃない!」
興奮したように話す、円の目はきらきらと輝いていた。それをみた小町は、適当に頷いて円の話を聞いていた。
「……それで、恋の定理はどうした」
「それがさ、何かある特定の人を見るとドキドキするんだよね……それで、これが何なのか知りたくて」
先程まで興奮していたが、今度は打って変わって神妙な顔つきになった円に小町は笑いそうになった。
数学関係のことになるとハキハキと話し出すが、どうも、こういう事は苦手らしい。
「ついに、円が数学以外に恋したか。で、相手は?」
「……これ、恋って言っていいのかな。分かんないけど、その人は関くん」
円が名前を言うと小町は机から滑り落ちそうになった。
「関って……それ、恋か? あいつの凄い数学の成績に数学脳が反応してるだけじゃない?」
「やっぱり……?」
へなへなと机に伏せると、円はうーん、と唸った。
関くんこと関和孝は数学の成績が飛び抜けている男子生徒だった。毎回テストで数学トップなのだ。他の生徒からの噂では数学で95点以下を取ったことがないとか。
「数学好きだけど、成績は良くないから羨ましいだけかなぁ」
「その線あるかもね。円らしい」
日がだいぶ傾き、オレンジ色はいつしか黒に近づいてきていた。
小町は机からぴょんと降りて、荷物をまとめ始めた。そんな動いている小町とは対照的に円はまだ机の上に伏せていた。
「分かんないならずっと一緒にいてみたら?」
「アイはしつこいとマイナスだよ」
「……複素数とは違うから。アイはアイでも愛だからね?」
「おさるさん」
「もう、帰る」
荷物をまとめ終え、リュックを背負うと、小町はそそくさと教室を出て行ってしまった。
置いて行かれたことに焦り、円は急いで小町の後を追った。
その間も円は頭の中で考えていた。
「じゃ、テスト返すぞー」
その言葉に待ってました、と言う人もあれば、返ってくるなと言う人もいた。
円はどちらかと言えば後者だった。
数学担当の毛利先生が1人1人の名前を呼んでテストを返していく。
円も呼ばれ受け取った。点数は良くはない。しかし、それほど悪くもなかった。それが、また悔しい。
「関」
後ろの席の梶井の肩に手を置き、関は立ち上がって答案用紙を受け取りにいった。
名前に反応してしまい、円は関をちらりと見た。その時梶井も見えたのだが、あまりにも暗い梶井に、見なかったことにしてあげようと円は思った。
「今回もさすがだな」
「先生のご指導のおかげです」
「みえみえのお世辞はいい。次、園田」
先生と関のやり取りをみる限り、どうやら、満点を取ったようだった。
クラスもざわざわとする。相変わらずの事であるのだが、やはりすごいものはすごい。
(関くん、すごいなぁ)
円は心の中でそう思った。その時、またしてもドキドキしたので、恋なのか数学脳の反応なのか、分からなかった。
「関今回満点っぽいよね。さっすが」
休み時間になると、小町が先ほど返されたテストの答案用紙えを持って、円のところまで来た。
小町は中の上ぐらいの点数だった。
「数学、教えてほしいくらい」
「じゃ、教えるけど?」
円が何気なく言った言葉に予想外の人物から返答が届いた。
「せ、関くん!?」
「いきなりごめんな。でも、梶井に数学教えるし、だったら一緒にした方が良いかなって思って」
関の言葉が嬉しくて、またしても円はドキドキしていた。数学の3強とも言われる中の1人に数学を教えてもらえるとは、円にとってとても嬉しいことだったからだ。
「ぜ、ぜひ!」
「OK。小野田は?」
「パス」
小町は適当な理由を言って断ったが、その言い訳の後、円を意味ありげに見ていたので、円はハッとなった。
「じゃ、放課後教室で」
それだけ言うとひらひらと手を振りながら関はまだ落ち込んでいる梶井のところへ行った。
「がんばんなよっ」
「うん、数学頑張ってくる!」
「え、そっち……!?」
円は拳を握りしめた。
オレンジ色の教室。
「もう、帰りたい」
円の隣にいる梶井はため息をつきながらぽつりと言った。その声が聞こえているはずだが、関は聞こえないフリをして話を進めていったのだ。
放課後教室には3人しかおらず、テストで間違えた問題を関が丁寧に解説していった。解説が終わると、復習のため用意された問題を解く。
それを繰り返していた。
円は関の解説に感心したり、分かり易くて驚いたりしていて、充実した時間を過ごしていたのだが、梶井はそうではないらしい。
確かに、文系の方が出来ると本人が言っていた。
「梶井、赤点なんだから、頑張れよ」
「あーーー! 言うなよ、それを! もう、トイレ、トイレ行ってくる!」
そして、梶井は走り去っていった。
「あーあ、一宮さんの方が真面目とかあいつ危機感感じてんのか……?」
「さあ……?」
円が梶井が出て行った方を見ていると関がひょいと机の上の問題が並んだ紙を見た。
関が円を上から覗かれている形になった。
「お、出来てるね」
関が胸ポケットに入れていた赤ペンを取り出して、反対側から丸をつけていく。
その様子を円は緊張しながら見ていた。
全部丸がつき終わると、最後に100点と関が書いた。そしてそれを関は円に手渡した。
「よくできました」
「ありがとう。関くんのおかげ」
円は思い切って顔を上げて、関を見ながら言う。
「どういたしまして」
夕日に照らされ、微笑みながら言う関にドクンと大きく円の心臓が跳ねた。
(ああ、やっぱり)
教室はオレンジ色に染まっているけれど、その命題は定理を用いずとも、明白だった。
(q.e.d)
命題「私はあなたが好きである」の証明。
>Do you like orange?
命題の真偽。
中学生の頃やりました。懐かしいです。
2015/5 秋桜空