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1月5日

1月5日午後10時


 ……一体羊はどれだけ食うのだろうか。奴が殆ど料理をしないのは、蹄のせいで包丁がもてないからなので今夜は俺がしごく簡単に包丁をふるい、鍋にしてみたのだが……

 食うわ食うわ、スーパーで売られている鍋セットを羊が2つ買おうと言い出した時に俺はものすごく凍り付いたような顔をして羊に

「やだぁアキラ君ったら、変な顔~~でもカ・ワ・イ・イ~~!」

 などとデカイ声で笑われたのだが、それにしても羊は最果て無く食べている。既に鍋セット2つ分の野菜と1キロの豚肉をほぼ平らげかけているが、そのあとで雑炊に行くつもりがあるらしく、今台所では元彼女が放置していった炊飯器から煙が上がっている。あの炊飯器の限界値である3カップもの米を、全て雑炊にした上で食いきるつもりか、羊。

 この鍋にかかった費用はざっと4千円。昨日コスプレ衣装なども買われていることを思うと俺には痛い出費だ。

 だが、未来の投資に金の糸目などつけん。この羊をどうにかして追い出すならばこの鍋は奴を歓待するのには悪くないのだ。

「あれ~、アキラ君もう食べないのぉ? 美味しいのにー」

 羊は俺の手元の小皿をのぞき込んでそんなことを言った。補足するなら俺はもう十分に食べた。食道の一番下まで何が入っている気がするくらいまで食べた。俺が金を出して開催した鍋を、俺が2割も食えないのはしゃくだからだ。

 だがそれ以上に羊は食べている。スーパーに買い物に行く時に羊からどうにか取り戻した財布を覗いたら、異様に減っていたのは気のせいじゃない。こいつは買い物と称して外に行くたびにあの下らないコスプレ衣装の他にも大量の食料品を買い込んではどこかで食っていたのだろう。

「いや、俺はもういいよ……」

 このまま大の字になって眠ってしまいたい気分だが、今眠ってしまうわけにはいかない。このあと、俺のスーパーミラクル大逆転劇の予定だからだ。

 だから俺は羊に酒を勧める。ああ、去年の暮れに実家から送ってもらった日本酒の一升瓶、殆ど飲んでなかったのにな……

 羊はものすごい勢いで鍋を食い、酒を飲み、雑炊を啜り込んでいる。そういや羊は草食動物なので、この時点でやっぱなかに人がいるのだと俺は確信できた。

「むふ~、酔っぱらって来ちゃったぁ……アキラ君あたしを酔わせてどうする気~~いや~~~~エッチーぃ!」

 お前のラブアタックで腰がまだ軋んでるんだと怒鳴りかけて俺は慌ててソレを飲み込んだ。そんなことを言おうものなら、

「ぬふ~、じゃあぁ、メリーがちゃんとしてあげるぅ!」

 などと言われてのしかかられる……そして奪われるのが分かるのは、俺も少しは対羊スキルが上がったということなのだろう。……こんなスキル、要らないが。

 だから俺は全然別のことを言った。おもむろに一升瓶を掴んで羊のコップに傾ける。

「まー、とりあえず今夜が最後の晩だからな。飲むだけ飲んで寝ちまえ、羊。お前に散々振り回されるのはごめんだ」

「え~~、メリー、愛の伝道師なのにぃ、ふむむほほほほ」

 機嫌良さそうに笑う羊の目が全く平静であるのはいつ見ても怖い。

 俺はふん、と鼻を鳴らした。変に迎合して気付かれたら俺の完全な計画が台無しだ。

「俺がいつお前に愛が欲しいって言った。俺は明日でお前を返品できるのが嬉しくて送別会をしてやってんだよ。ああ、淋しくなんかないから二度と戻ってこなくていいぞ」

 羊は俺の言葉にいつものようにむほむほ笑う。こんな羊スマイルを見るのも今夜限りだ。いつもは眺めるたびに切なくなる日曜夜のサザエさんも、ちっとも切なくなかった。

 明日になれば解放される! 俺はそればかり考えてこの5日間を過ごしてきたが、今夜の俺はひと味違う。羊をぎゃふんといわせ、俺に対するこの5日間の振る舞いを土下座させ、参りましたと言わせ、そして明日の朝にはN食品にご返送だ。

 なんと素晴らしく、胸のすく計画だろうか。

 俺はふっと唇で笑い、羊を油断させる為に水でかなり薄めた自分の酒をちびちびと舐めた。

 羊はそれからも順調に飲み食いを続けていた。何しろ大量に食っているから酒も大量に飲むのだ。こんな生き物1ヶ月飼ったら俺はマジで破産するだろう。いっそ奴の酒に目薬でも混ぜてやろうかと思うのだが、こんな古典的な手が羊の破壊力の前に通用するかどうか、よく分からない。

 3カップ分の米で作った雑炊を羊が綺麗に平らげていくのを、俺がぼんやり見ていると俺の携帯が鳴った。非通知の表示でぴんときた。

「もしもし」

 俺が携帯に出ると、電話の向こうで一瞬の間があった。多分間違いないだろうと思って俺はあのさあ、と不機嫌に言った。

「俺が連絡欲しいってみんなに頼んでから、結構経ってるんだけど?」

 元彼女であるミホも俺に負けず劣らず不機嫌な声を出した。

「しょうがないじゃない、彼の実家に行っててなかなか電話するチャンスがなかったのよ」

 今の男の実家ということは、結婚するのだろうか。羊の一件でこの女に対する愛情もクソも吹っ飛んだのでそれには別に感慨はなかったのだが、例えば同級生が結婚していく時のようなぼんやりしたものはあった。

「ふーん。結婚すんの」

「まぁね、あたしも来年で27だしさ」

「おー、おめでとう。結婚祝いにお前の欲しかったモンやるよ」

 ちらっと横目で羊を見ると口の中に一升瓶を突っ込んみ、ぐびぐびと音を立ててラッパ飲みしている。げふぅとゲップを吹いている様子は確かによっているのだが、やはり着ぐるみ、少しも顔色に現れないのでどれくらいよっているのかは確かめようがない。

「そのことなんだけどさ……」

 元彼女が電話の向こうで少し言いづらそうにした。

「要らないとかじゃねぇだろうな」

 俺はドスを効かせて言った。彼女はびっくりしたように違うわよ、と答えた。

「ただね、新居を今彼の実家の離れに建てて貰ってるわけ。それが完成するのが今年の3月だからさ、それまで持っててくれないかなあって思って。今ほら彼のアパートに同棲してるんだけどね、等身大メリーちゃん、置く場所がないの」

「……お前、メリーがなんだか知らないのか?」

「え? 羊でしょ? ゴシックロリータ服着た、可愛い羊ちゃん」

 そうか、と俺は不敵に笑った。そもそもから俺は全くこの羊のキャラクターというか焼きそばの懸賞には参加したが商品には興味がなかった。等身大メリーさんというキャラがどんなキャラかも全く知らないまま『焼きそばとっても美味しいです! メリーちゃんが俺の部屋にいたら嬉しいなあ』などと書いて送っていたわけだが、まさかその特賞の等身大メリーとやらがこんなクソ羊だとは思っていなかった。

 だがそれはどうやらこの女の方でも同じらしい。俺は受け渡したのちにしっちゃかめっちゃかかき回されるこの女の新婚家庭のことを思ってなんだか楽しくなってきたが、しかし3月までというのは長すぎる。

「つーかさぁ、俺の新しい彼女がさあ、この羊嫌いなんだってよ。だから俺もなるべく部屋に置いときたくないわけよ。もうこっちに戻ってきたんだろ、だったら今夜にでも引き取ってくれねーかな」

 うーん、と電話の向こうで彼女は唸っていたが、ちょっと待ってねと言うと何事かを相談し始めた。そばに結婚相手の婚約者サマでもいるのだろう。

 待つ間、俺は羊を眺める。羊はカッと目を見開いたまま頭をゆっくり上下に振っていた。……なるほど、眠たくなってきた、と……

 俺は小さく頷く。眠り込んでしまえばこちらのものだ。縛り上げて元彼女に引き渡すなり、正体を暴くなり、どこかに捨てて来るなり思うままだろう。俺が沸々と湧いてくる勝利の予感を噛みしめていると、おまたせ、と電話の向こうから返答があった。

「前のアパートにいるんだったよね、じゃあ今から車で取りに行くから。割と近いところに住んでるのよ、だから30分もあれば着くと思う。アパートの下まで来たら電話するから持って来て」

 分かったと俺は答えた。羊は既にいい気持ちで居眠りをこいているらしい。かぱっと空いた口から微かないびきが聞こえた。

 電話を切って俺は鍋とカセットガスコンロを台所に運んだ。縛る過程で暴れられたときに割れ物があると流石に危険だ。用心深い俺。計画的な俺。羊が俺にもたらしたものがあると無理矢理思うならば、その二つだろう、ふふふ。

 俺は丁寧に危険物を羊の周辺から取り除き、用意しておいた洗濯ロープを取り出した。そっと羊を転がして、うつぶせにさせる。羊はよく眠っているのか起きる気配がない。

 俺はまず足を、そして手首を縛った。着ぐるみで断触されるから分からないんだろうな。

 羊を縛りおえて俺はやっと満面の笑みになった。とにかくこの先は俺の優位だ。もう二度と羊のやりたい放題を味あわなくても済むうえ、あと30分もすれば元彼女がおそらく新しい男と共に羊を持っていってくれる。

 だがその前に俺のうっぷんと興味をはらす方が先だ。注意深く羊の後頭部の毛をかき分けていくと、……あった、チャック!

 俺は一瞬エンドウに深く感謝する。チャックという単語を思い出せなければ俺は今でも羊にやられたい放題にふるまわれた挙げ句、今頃は食われていたかもしれんのだ。

 俺はエンドウに今度会ったらラーメンの一杯でもおごってやろうと思い、そして羊のチャックに手をかけた。じりじりと下ろしていく。

 まず目に入ったのは……髪だ。黒髪。

 それがぷーんとにおった。

 俺は悶絶しそうになった。何日も風呂に入っていない奴特有の匂いがする。

 あまりの強烈さに俺は思わずチャックを閉めた。中にいるのが何であれ、ろくな生き物じゃないということだけ分かれば十分だ。大体、中身の奴がろくでもないことくらい、俺は知ってる。

 中身を確認することを止めて、俺は次に羊の荷物の中を覗いた。奴がいつも肩かけにしている、服とお揃いのぶりぶりのレース付きの変な布鞄だ。

 その中を見て、俺はさっきよりも悶絶しそうになった。

 中から出るわ出るわ、クリスマスにハワイで挙式した友人からの土産であるハンティングワールドの財布、全世界限定1000個のシリアルナンバー入りジッポ、日本未発売のスウォッチ、俺の宝物のGショックコレクション、最後に一番奥……奥のポケットから、俺の、俺の預金通帳と印鑑!

 俺は叫び出しそうになった。

 羊、殺す! 絶対に殺す!!

 俺は勢いで唸りながら台所へ走った。包丁を取り出そうとしていると、俺の携帯が鳴った。元彼女だ。

 ドアを開けて俺がアパートの外を覗くと、下に白いシボレーカマロがいた。あれか、羊回収車は!

 俺は羊の鞄から俺の持ち物を全て抜き、縛ったままの羊をずるずると引っ張って外へ出した。

「これ、羊! お前の欲しかった羊、さっさと持ってけよ!」

 元彼女は俺と羊を交互に見ていたが、俺が怒りでふうふう唸っているのを見てとって、彼氏と一緒に羊をカマロの後部座席に押し込んで去っていった。

「ははははは! ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい!!」

 俺はアパートの前で、遠くなるシボレーカマロに向かって万歳をした。二度と戻ってくるな、羊。

 俺は万歳を叫びながら、部屋に戻ってチェーンをかけた。

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