――或は情けに報いよ、ブラックホール萌え―― 三、スターバースト
三、スターバースト
電話は彼氏の方からかかってきた。
いつもそうだ。
先ず、今電話しても大丈夫かと、メールがくる。いいよと彼女が返信し、彼氏は電話をかけてきてくれる。
つき合い始めて最初の頃は、電話を出る度に手も声も震えたような気がする。
それ以前も何度か電話はもらったことがある。普通に出られたし、ちゃんと話もできた。
つき合ってからは、全てが変わった。二人の関係が変わっただけで、これ程一本の電話の意味が変わるのだと、少女はあの頃思っていた。
少し日が経つと、震えは出なくなった。だけどそれは心が離れた訳でも、飽きた訳でない。多分自然になっていったのだと少女は思う。
今は少し違う。
やはり今も震えることはない。だが二人の会話はどこか不自然だ。
彼氏は沢山の話題を、少女の為に振ってくれる。少女が喜びそうな、日頃少女自身が彼氏にしている話だ。それを今は彼氏の方からしてくれる。
優しい――
そう思わなくもない。
だがこの優しさに苛立つのは、何故だろうか?
分かっていないと苛立ってしまうのは、何故だろうか?
少女には分からない。
だから不機嫌に応えてしまう。それ程不機嫌になることだろうかと、少女自身も思う。だが感情は正直だ。声にきちんと出る。
それこそ今は、苛立ちに声が震える。
自分でも分かっていないものを分かってもらおうとして、少女は彼氏にあたってしまう。
少女が苛立つ度に、彼氏はなだめようとしてくれる。
優しい――
やはり理性の端では、そう思わなくない。だがそれは少女の求めているものではない。
だから胸中の黒い点は、更に強く少女の心を締めつける。
彼氏は訊く。何をそんなに怒っているのかと。
だが少女は自分が何を求めているのか、やはり自分でもよく分からない。
自分でも分からない苛立ちのままに、少女は電話を切ってしまった。
「今日もブラックホールなの?」
翌水曜日の放課後。科学部の部室で鴻池深雪はふて腐れたように、神崎哲史に振り向いた。
昨日随分と粘ったのに、流星群という割にはろくに流れ星は見えなかった。一つ二つは流れなくはなかったが。だがそんなちまちました流れ星では、願い事を呟く暇もない。
星に願いを託そうにも、一句半『彼氏ができますように、彼氏が――』辺りで流れ切ってしまう。
もっと雨霰と降りなさいよと、深雪は點子に八つ当たりをして帰った。
しばらく星の話はいい。もう飽き飽き。星に願いをだなんてそんな非科学なこと、科学の娘たる私には似合わない。
そう思っていたところに、宇宙の究極の話題の一つ――ブラックホールの話を、またもや哲史が持ちかけてきたからだ。
「おう。よく考えたら、ブラックホールそのものが、よく分からんなと思ってな」
「他に何が分かってるって、言うのよ?」
「いいだろ別に。ブラックホールって、結構無個性なんだって」
哲史は今日もまた、己のやる気のなさを表す為にか、イスを反転させ、背もたれに腕をかけて座っていた。
「そうね…… ブラックホールに落ちると、質量と角運動量と電荷だけの存在になるわ。電荷はすぐに中性になってしまうみたいだけど。なんて言うか、それ以上情報がなくなるのよ。無個性と言えば、無個性ね」
「情報?」
「情報よ。ブラックホールに吸い込まれる前に、それが何であったとしても関係ないの。リンゴ落とそうが、バナナ落とそうが、質量と角運動量と電荷だけの存在になるわ。その他の情報はなくなるの」
「情報ね…… なくなるのか?」
「そうよ。色や形とか、匂い。その他、材質特有の情報がなくなっちゃうのよ」
深雪の足下で、不意に子猫が背伸びをした。
それだけで床と空気を通じて、子猫の背伸びの振動が伝わってくる。そこに子猫がいる質感が深雪には分かる。小動物が側にいて、筋肉を震わせて伸びをしているという情報だ。
子猫は尻尾が長い。
その尻尾の先が、深雪のスカートの下、靴下に隠れていない膝下に当たる。
こそばゆい…… でも気持ちいい――
深雪は哲史と話しながらも、足下に気を取られる。
ふんわりとした体毛がそこにあるのが分かる。覗き込めばそこに、子猫のネズミ色の尻尾があるのも分かるだろう。抱き寄せれば動物特有の匂いも嗅げるだろう。
だがブラックホールに吸い込まれると、この情報が全てなくなるのだという。
「そりゃ、ぺっちゃんこに潰されるんだろ? そんなもんじゃないのか? 相手はブラックホールだぜ。諦めもつくだろ?」
「そうよ。でも量子力学的に考えれば、情報はなくならないはずなのよ」
「ブラックホール相手にか?」
哲史の左の眉が疑わしげに上がる。
「うーん…… 何て言うか、ブラックホール相手では、理論が合わないのよ……」
「宇宙の特異点――ブラックホールだぜ。諦めろよ」
「嫌よ。私は嫌だわ。情報が――情けも報いもない世界。考えられない」
足下の子猫が、お尻を床に着く気配がした。部室には陽光が差し込んでいる。窓から差し込む陽射しが、ちょうど子猫が寝ている辺りに四角い日溜まりを作り出していた。
子猫はこの陽光がもたらす眠気に、その身を任せようとしているのだろう。居眠りしやすい姿勢を探して、体をあちこちに入れ替えている。
可愛い――
見てはいないが、深雪はそう感じる。
「別に情報は、情けと報いで成り立ってるわけじゃねぇよ。そりゃ字面だけだろ?」
「そうだけど…… 愛情をかけて、それに報いてもらって…… それが思い出っていう情報になるんじゃないの?」
子猫は深雪の上靴に腰を預けると、二、三度身を押し込めるように背中をこすりつけた。
それでこの体勢が気に入ったのだろう。一気にごろんと、首まで床に着けて寝転がるのが深雪には気配で分かった。続けて猫の尻尾がパタパタと床を叩く。
可愛い――
哲史など放っておいて、子猫と遊びたい。深雪はそう思わなくもないが、今は我慢した。何と言っても科学部らしい話題の真っ最中なのだ。
「はぁ?」
「逆でもいいわ。愛情をかけてもらって、それに報いようと思う気持ち。それが私達人間の一番の情報――感情じゃないの」
子猫のパタパタは、次第にゆっくりとなっていく。眠気に負けているのだろう。
可愛い――
やはりそう思う。
ブラックホールに吸い込まれると、この子猫の可愛い仕草も、それを可愛いと思う自分の気持ちもなくなるのだろうか?
もちろんなくなるのだろう。だが深雪は納得したくないと思っている。
「随分とロマンチックだな。女の子みたいだぞ」
「女の子ですから! 女子ですから!」
「知らなかったよ」
「何ですって!」
深雪が思わず立ち上がろうとすると、背中を預けていた子猫がビクッと体を震わせた。
「はいはい。で、その情報がブラックホールでは、なくなるって話だよな」
「ふん…… そうよ」
深雪は浮かしかけた腰を、もう一度イスに沈める。哲史への抗議の意味を込めて、乱暴に座ってやった。足下で巻き添えを食らった子猫の体がビクッと揺れた。
「それが量子力学的には、認めたくないと?」
哲史は相手の不機嫌さが気にならないのか、背もたれごとぐっと前に乗り出した。
「そうね…… ブラックホールも量子力学も、とにかく不思議だからね。うまいこと矛盾せずに、量子力学と折り合いがつくのかもしれないし、何らかのアプローチが間違っているのかもしれないわ」
「ふぅん」
「てか、ブラックホールの話なら、點子とすれば?」
「都久井は天敵でね。あのデカ女」
哲史の目がキラリと光る。
「點子もよく、『神崎はアホだ』って言ってるわ」
深雪も対抗するかのように、意地悪げに目を細めて応じる。
「放っとけ! て、言っといてくれ」
哲史はそう言うと、パイプイスから腰を浮かした。
「また、人に話をさせるだけさせて、自分は帰る気ね」
「いや、まだ聞きたいことがあるしな。ちょっと、その前にトイレ」
「あ、そう」
「それも、大きい方」
哲史はニヤリと振り返り、手を振って廊下の向こうに消えた。
「そんな情報…… いらないわよ……」
深雪がふんっと首を振ると、足下で子猫がふわっとあくびをした。
「深雪! 今日もくるの?」
深雪が部室で哲史が帰ってくるのを待っていると、入れ替わるように都久井點子が科学部の部室にやってきた。
「點子、何で今日もいかなきゃならないのよ」
「二日連続できたんだもの。準部員でしょ? てか、暇でしょ?」
點子は先程まで哲史が座っていたパイプイスに、我が物顔で腰を降ろした。
「はっ、お生憎様! 今まさに、部活の真っ最中よ」
「はぁ? 一人で部活とは、寂しい限りね、深雪」
點子は意地悪げに部室を見回す。部員などどんなにマクロに見ても、ミクロな深雪しかいない。何の部活だと、點子は思う。
「別に、一人じゃないわよ。神崎の奴と、科学談義に花を咲かせていたところよ」
今日も一方的に話をしていただけのような気もするが、深雪は胸を張ってそう言った。
「え…… 神崎…… きてるの? 今日……」
「そうよ。すれ違わなかった?」
「ううん」
「あっ、そ。ま、今トイレにいってるから、すぐに戻ってくるけど」
「そ…」
點子は何の前触れもなく、パイプイスから腰を浮かせた。
「何よ、ゆっくりしていきなさいよ。ちょうどブラックホールの話をしていたところなのよ。點子がいれば、話が弾むわ」
「はは、ゴメン。ちょっと用事が……」
「何言ってんのよ。用事があって、何で他人の部室にわざわざくるのよ?」
「今、思い出したのよ」
「何よそれ? いいじゃない。一緒に物理と宇宙の両方から質問攻めにして、神崎の無知を笑ってあげようよ」
「誰が無知だ――」
話が聞こえていたのか、哲史は不満顔ながらも笑いながら部室に戻ってくる。だがその言葉は、途中で止まってしまう。
「點子……」
「哲史……」
二人は互いの名を呼び合って、かち合った入り口で固まってしまう。似たような背丈の二人は、お互いの顔を真正面で見ながら動きを止めてしまう。
「あ、神崎。帰ってきたわね。覚悟しなさい。今から點子と二人で――」
深雪はそこまで言って、はたと押し黙る。
何かがおかしい。深雪はそう思う。
何だろう? 今何かに引っかかったはずだ。
そう何かに――
「えっ? 點子? 哲史?」
そう、聞き捨てならない台詞を聞いたからだ。だから引っかかったのだ。
深雪は思わぬ二人の言葉に、頭の中を疑問符だらけにする。
おかしい――
二人は神崎、都久井と呼び合っていたはずだ。つい先程聞いたばかりだ。少なくとも、自分の前ではそう呼んでいたはずだ。
自分の前?
そう、それは深雪の前。つまり、他人の前。
では、二人だけの時は――
二人だけの時? 何で? 何でこの二人が、二人きり?
何故そんなことを想像するのか、深雪は一瞬自分の思考が分からない。
「あんたら、名前で呼んでたっけ?」
思わず漏れた深雪のその一言に、
「……」
「……」
二人は同時に互いから目をそらせてしまう。二人とも少し顔が赤い。
何よあれ――
と、深雪の中で驚きの声が、超新星爆発のように弾けた。
「ええっ! あんたらそんなに、仲良かったっけ?」
「……」
「……」
二人はやはり目を合わせない。
「てか、ひょっとして――」
深雪の疑念が深まるのに合わせるかのように、點子と哲史の首の角度は互いに目を合わせまいと離れていく。
怪しい。どう考えても怪しい。
片やクラスメートで、友人でもある點子。
片や同じくクラスメートで、クラブ仲間でもある哲史。
つまり一番身近にいたはずの二人だ。そんな二人の意外な秘密に、
「あ、あんたらつき合ってたの?」
深雪は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「……」
「……」
二人は答えない。
「えっ、どうなのよ? つき合ってんの?」
人知れず名前で呼び合う仲だから、つき合っている。そう考えるのは単純だろうか?
深雪にはよく分からない。だが違うのなら、二人はすぐにムキになって否定するだろう。二人は天敵同士なはずなのだ。常日頃からそれこそスターバーストよろしく、ぶつかっては火花を散らしていた二人なのだ。質問を投げかけること自体は無駄ではないはずだ。
「……」
「……」
しかし二人は押し黙ってしまう。
「ちょ、ちょっと。どっちなのよ」
「……何よ…… 男でしょ? はっきり言ってよ…… 」
點子はホオズキの実の様に、頬を一瞬で赤く染めて膨らませる。そのまま哲史の方を軽く上目遣いで睨みつけた。
もちろん背の高い點子は、元より哲史を上に見ることはない。ほぼ同じ背丈だからだ。點子は甘えと怯えが混じり合った、子供のような視線をアゴと腰を引いて哲史に送った。
「お、おう……」
「――ッ! おうって… い、いつ…… から?」
深雪は動画を逆再生させるかの様に、二人の姿を思い出そうとした。そんなそぶりは見せなかったと思う。
それとも自分が疎いだけだろうか? 自らの『自慢じゃないが何もない』恋愛経験では、そういうことにも気づけないのだろうか? 世の中はこんなにも不思議なのだろうか?
そんなそぶりを見せていただろうかという疑問と、そんなことがあり得るだろうかという疑問が、大きな流れとなって深雪の頭の中で渦を巻く。
そしてこの二つの渦はぶつかり合い、更なる疑問符をまき散らす。
まるで疑問符のスターバーストだ。何の天体ショーだと深雪は思う。
深雪は混乱する頭で、しばし己の中の疑問符と格闘した。
「その…… 二年に上がってから…… かな……」
「かなって、何よ……」
點子のホオズキは更に膨らんだ。抗議の膨らみだ。
「何だよ。何でそんなどうでもいいことに、食いつくんだよ」
哲史は頬を掻く。無意識の動きなのだろう。哲史は掻いてから、慌ててその手を引っ込めた。
「どうでもよくないわよ……」
「はぁ、知らんかった…… てか、よくも、黙ってたわね。あんたら」
「べべべ、別に。つき合ってるって言ったって、一緒にだって滅多に帰らないし…… 二人で外で会うのも、いつもは二週間おきぐらいだし……」
點子はそう言って、赤い頬を向けながら深雪の視線を避けようとそっぽを向く。
「でも、つき合ってるんでしょ?」
むしろ深雪の方を向いてしまった點子の真っ赤な頬。もはや聞くまでもない。その赤い頬が答えを言っているようなものだ。だが深雪は声に出して訊いてしまう。
「……」
哲史は答えない。
「もう何でそこで黙っちゃうのよ、哲史!」
點子は苛立たしげに拳を握る。
「いや、だってさ、點子……」
「だってじゃないでしょ! 何なのよ?」
「いや、今ひとつ、現実感がなくて……」
「何よ、その弱気は!」
「えっ、だって點子も今、『一緒にだって滅多に帰らない』とか、言ったじゃないか? ホントにつき合ってんのかって、からかわれてんのかって、思うこともあるんだよ!」
「もう! 何で私がからかうのよ! ホント、何にも分かってない!」
「何だよ? 何で怒られてんだよ、俺!」
點子と哲史は互いに苛立つように顔を突きつけ合わせた。
「とにかく――」
深雪は机の向こうでいがみ合う友人二人に向かって、わざとらしく溜め息を吐いてみせる。
「あんたら、つき合ってたのね」
「どうかな? こいつ自信ないらしいし」
點子は腕組み、横目で哲史を睨んだ。
「なっ! 何言ってんだよ! 現実感がないって、言っただけだって!」
「何が違うのよ!」
「だって、つき合う前とあんま変わんないし……」
「なっ! あんまり変わらないのは、誰のせいよ……」
「俺のせいかよ。何でだよ!」
「自分の胸に訊いたら!」
「ちょっと…… あんたら、人の部室で……」
机を挟んだ向こうで、點子と哲史が言い争う。深雪にすればいい迷惑だった。
「俺の部室だ」
「こら、神崎! 都合のいい時だけ、科学部員の顔すんな!」
「何かおかしいか?」
哲史が點子から目を離して深雪に振り向く。
「あのね」
「ぐぐぐ――」
哲史が深雪に気を取られたと見るや點子は、肩を怒らせて唸り、
「ふん! 帰る!」
更に真っ赤になりながら顔を背けた。
「お、おい…… 點子」
點子は戸惑う哲史の脇を押し退けるように抜け、
「私、部活の用意があるの!」
苛立ちに震える声でそう言って出ていった。
「腹立つ! 哲史の奴!」
點子は望遠鏡から顔を上げると、開口一番そう叫び上げた。
天体観測会の三日目。夜中の学校の屋上。
やはり満天とは言いがたい、都会の星空の下だ。
「ちょっと…… せっかくの星空のロマンが、台無しじゃない」
「ふん!」
深雪は結局、天体観測会に三夜連続で参加することになった。
昨日、一昨日と、深雪が叫び上げた相手に、今度は點子が怒りをぶつけている。その苛立たしげな様子に、こなきゃよかったかと深雪は一瞬思ってしまう。
しかしズカズカと科学部の部室から帰ってしまった點子は、やはり深雪には心配だった。
電話もしてみたが、『知らない! 知らない! 知らない!』と、まるで星に願いが通じそうな早口でまくしたてるだけだった。
今日こそは星に願いを託す為に、深雪は元より天体観測会に参加する気だったような気もする。だが、點子の様子を何より確かめる為に、今晩も深雪は夜の学校にやってきた。
もちろん三日連続で参加している酔狂な部外者は、どこをどう観測しても深雪一人だった。
「神崎の奴、あれから何て?」
「な・ん・に・も!」
「はい?」
「何にもないわよ! フォローする気も、何もないんじゃない、哲史の奴! 何か言ってきなさいよ!」
哲史はあの後、『帰る』とだけ深雪に言って帰ってしまった。點子のこの様子を見るに、哲史は彼女を追いかけなかったようだ。
「電話も?」
「ないわよ!」
「メールも?」
「こないわよ!」
「待ってるのにね?」
「待ってなんかいないわよ!」
點子は調整し終わった望遠鏡から手を離すことも忘れて、深雪の質問に威勢よく首を振って答えていく。
「どっちなのよ?」
「し・ら・な・い!」
點子は周りの視線もおかまいなしに、一語一語噛み切るように力強く言い切った。
「もう少し、落ち着きなさいよ」
「ふん!」
「そもそも、何であんたら喧嘩しんてのよ?」
あれ? いつも通りかと思わなくもないが、深雪はやはりそこが気にかかる。
少なくとも一年の時は、いつも二人はやり合っていた。
クラス委員の選出。文化祭の出し物。体育祭の出場選手選定――
男女で意見の別れることは多々あった。
女子の言い分、男子の都合。それぞれが何か言いたいことは、この二人がまるで代表選手のようにやり合っていた。
二人はやはり、女子と男子の典型のような存在だったからだ。
てっきり仲が悪いと思っていたら――
「てか、いつの間に…… あんたらそんなことに、なってたのよ?」
そう、喧嘩云々よりは、深雪は先ずそこから聞きたい。
「別に。何だかんだと、言い合ってるうちによ」
「何よ、それ? 喧嘩する程仲がいい――を地でいった訳?」
「悪かったわね! でも、もういいの! もう別れてやる!」
「もう、いいの?」
「もう、いいの!」
點子は迷いなどないかのように、きっぱりと言い切った。
「あのね…… 少しは考えて、ものを言いなさいよ」
「いいのよ! どうせちょうど、何にもなかったし。事故だと思って、諦めるわ!」
「何にもなし?」
「そうよ、今時! 何ヶ月つき合ってると、思ってんのよ!」
「ふうん……」
「何よ?」
「それが不満なんだ」
「なーっ!」
真っ赤になった火鉢棒のように、長身を怒らせて點子は顔を赤らめる。
「図星?」
この星が三日連続で参加した天体観測会での、一番の発見かと深雪は一瞬思う。
「違うわよ!」
だが目の前の天文部員は、その星を否定した。
「あ、そう。あっ、電話」
ちょうどその時、深雪の携帯が着信を告げた。いつもの『ラララ』のフレーズが、深雪の胸元から鳴り響く。
何か言い返そうと、喉に力を溜めているらしき點子を余所に、深雪は携帯をポケットから取り出した。そのまま深雪は電話の相手を確かめると、意地悪げにチラリと横目で點子を見た。
「しかも、神崎の奴だ」
そして誰からの電話かを、わざと口に出して言ってやる。
「何ですって!」
「もしもし。ちょっと、何で私に電話してくんのよ? 相手が違うでしょ。何? 點子? 怒ってたかって? 何言ってんのよ――」
深雪はそこで一度言葉を区切り、本来電話を欲しがっていた少女を見る。聞こえないようにと口元を押さえながら、それでいて點子に聞こえるように深雪は声に出してやる。
「今まさに、手がつけられないわよ」
「うるさい!」
「あはは。いい、神崎? ちゃんと話した方がいいわよ? 點子も、連絡待ってるみたいだし。うん、うん。分かった。じゃあ伝えとくわ」
深雪はそう言って携帯を切った。そのまま意地悪げに目を細め、苛立たしげにつま先を上げ下げして足を踏み鳴らし始めていた點子を見る。
點子は複雑な顔をしていた。何を伝えると言っていたのかを早く聞きたいのだろう。
しかし點子は興味ないわよとでも言いたげに、奥歯に力を入れながら口元を歪めている。それでいて、じれるように目元が僅かに震えていた。
鼻が大きく膨らんでいるのは、一字一句聞き漏らすまいと、神経を集中する為に、酸素を無意識に沢山取り入れようしているのかもしれない。
そして大きな音をさせながら足を踏み鳴らしているのは、深雪への催促と、その場に意識して踏み止まる為だろう。
素直じゃないと深雪は思う。
「ふう…… 神崎の奴、何で私に……」
そしてあえてすぐには伝えずに、どうでもいいことを呟いて、深雪はじらしてやることにする。流れてもいない額の汗を、わざとらしく拭うような仕草をしてやった。
いかにも誰かさん達のせいで大変。思わず息が漏れる、堪らず一休み――といった感じだ。
「何よ…… 哲史の奴、何て言ってたのよ……」
案の定、點子はすぐにじれてきた。
「メールするってさ」
「は、はん! 直接電話する勇気はないんだ」
「何、言ってんのよ。嬉しいくせに」
『はん』と鼻を上手く鳴らせなかった點子に、深雪はその胸の内の複雑な心理をかいま見た気がした。
「ふん……」
「さて、私は神崎からメールがくるまで、流れ星でも見させてもらいますか」
深雪がそう言って望遠鏡に近づくと、
「おお、やっときた。今日はサービスいいわね」
流星群が立て続けに夜空を横切る。
「ほら、あんたもお願いすれば?」
「別に……」
「これだけ立て続けに、流れてくれるんだもの。どんな願い事だって、祈る時間あるわよ。彼氏と仲直りできますよう。彼氏と仲直りできますよう。彼氏と仲直りできますよう――てね」
「ふん…… 何でそんなこと、祈らないといけないのよ……」
「素直じゃないわね。ほら、またきた!」
深雪は夜空に現れた流星群に、慌てて手を組んで星に願いを託そうとする。
彼氏ができますように――
と、深雪が内心自分の為に祈り始めると、
「バカ! バカ! バカ!」
點子が三回、星に願いを言い切った。
「で、何で人の部室の裏なのよ、點子?」
「ここなら、人こないし。科学部のちょうど裏なら、誰も覗いたりしないでしょ」
翌日の放課後、深雪は部室棟裏の小道に點子に連れてこられていた。科学部の部室のちょうど裏手にあたる場所だ。
深雪が窓から部室を覗くと、陽光を浴びて子猫が暢気に昼寝をしていた。
あの平和な顔が羨ましい。深雪は心底そう思う。何だかんだで立ち合う形になってしまった深雪は、机の上で丸くなる子猫に何やら助けを求めたい気分だった。
この日の授業中、點子と哲史の二人は、険悪な雰囲気を教室にまき散らしていた。だがそれは、ある程度事情を知っている深雪にしか分からない。
二人は目を合わせまいと意識しながらも、それでいて気になるのか、始終目が合ってしまっては睨み合っていた。
哲史が送ると言っていたメールは、謝ったり折れたりする為のものではなかったらしい。
とりあえず放課後、二人で話し合う為だけのものだったようだ。
一日中険悪な雰囲気につき合わされ、今また修羅場に立ち合わされている。
損な役回りだと、深雪は思った。
「きたわね」
仁王立ちするかのような點子の前に、校舎の陰から哲史がゆっくりと歩いてきた。
「おう」
「いい度胸ね、哲史!」
「当たり前だ!」
「ちょっと…… 二人とも、話し合いにきたんでしょ? 何よそのけんか腰は? 果たし合いにでもきたみたいよ」
「てか、何で鴻池がいんだよ?」
少し離れた位置で哲史は立ち止まった。
「証人よ。立会人よ」
點子は腕を組んで答える。まるで異議は認めないと、その腕で心の閂でもかけているかのようだ。
「はぁ、恥ずかしいだろ。身内の話に」
「へぇ」
點子の左の眉が、挑発的に上がる。
「何だよ……」
「叩かれて平気なくせに、そんな体裁を気にするだ?」
「何を!」
「ちょっと…… 落ち着きなさいよ、二人とも」
深雪は點子の前に出て、なだめるように両手を上げた。
「ふん!」
「はん!」
點子と哲史は話し合いにきたにもかかわらず、互いに鼻を鳴らして顔を背ける。
「まあ、立会人として言わせてもらえば、そうね…… そもそもあんた達は、結局何で喧嘩してるのよ?」
深雪は何よりそこが聞きたい。理由が分からなければ、仲裁のしようもない。
「それは…… ほら、あれよ…… 深雪……」
「何よ、點子。はっきり言いなさいよ。何? ひどいこと言われたの?」
「……」
點子は答えない。顔をそらす。
「叩かれたの?」
「……」
「おい。俺がそんなこと、する訳ないだろ」
「黙ってなさいよ、神崎。今は點子に訊いてるの。で、別れるとか言われたり、素っ気なくされたりとかしたの?」
「そういうんじゃ…… ないわよ……」
點子は顔をそらしたまま、唇を尖らせながら呟く。
「ほらな」
「ふーん。じゃあ、神崎はどうなのよ? 喧嘩の原因に心当たりあるの? てか、ちゃんと好きでつき合ってんでしょうね? きちんとしてるんでしょうね?」
「なっ? 何言ってんだよ。ちゃんと俺から告ったって! きちんとしてるって!」
「……」
點子が少し顔を赤らめた。それでも口は開かない。
「じゃあ何で、點子を怒らせてるのよ? 神崎のことだから、心ないことを自分の彼女に言ってんじゃないの? いつもみたいにデカ女とか」
「そ、そりゃ人目のある時は、そう言ったりもするけどよ……」
「……」
「それが嫌なの點子?」
「……」
點子はやはり答えない。
「俺、かなり彼氏として、きちんとしている方だと思うけど」
「本当に? あんた本当に點子のこと、可愛いとか思ってんの?」
「なっ! 何言ってんだよ」
「本当に?」
「お、おう…… 思ってるって! 點子は可愛いって。何かクールだけど、本当は甘えただし。背高いから女の子っぽいの苦手かと思ったら、ロマンチックなこと口走るし。何て言うか、そう! そういうギャップがいいんだよ。ほら、ギャップ萌えって、やつだよ! 目も大きいしさ! 黒目も奇麗だしさ!」
「ふぅん……」
點子は少し頬を緩めた。だが視線は合わせない。
「何よ、點子。べた褒めじゃない。何が不満なのよ」
「だって、そりゃ言われて悪い気はしないけど。結構この調子が続くのよ。それに、その何て言うか、らしくないじゃない……」
「贅沢ね。まぁ、確かに神崎らしくないわね。それが嫌なの、點子?」
「……ま、有り体に言えば……」
點子はいかにも渋々といった感じに、唇を尖らし首を背ける。
「何でだよ? 何で二人きりになってまで、いつもの調子でいないといけないんだよ?」
「だってらしくないじゃない! 哲史らしくない! もっといつもは、ちゃらんぽらんじゃない!」
「何でちゃらんぽらんがいいんだよ? それに、ほら。普段は俺、軽いけどさ。彼女には真摯でいたいんだよ! せっかくつき合ってんだしさ! 彼氏としての懐の深さを見せたいんだよ!」
「そういう作った態度が、嫌なのよ!」
點子は両の手で拳を握り、体を上下に揺すって訴える。
「作ってなんかねぇよ! そう思ってるって!」
哲史も苛立たしげだ。手を横にふるって、相手の意見を振り払うかのように力説する。
「それでも、らしくないの! 嫌なの!」
「何でだよ? 彼氏が彼女を褒めて、何が悪いんだよ。可愛いと思ってるって」
「それが嫌なの! あなたは私を褒めたいんじゃないでしょ! 自分の彼女を褒めたいだけでしょ!」
「何言ってんだよ! 一緒だろ? 訳分かんねぇよ!」
「ちょっと…… 落ち着きなさいよ二人とも。神崎も」
深雪は今にも詰め寄ってきそうな哲史を押さえようと、點子の下を離れる。
「神崎、落ち着いて。頭に血が昇ってちゃ、うまくいく話も台無しよ」
「だってよ……」
「いいから」
深雪は哲史の下に歩み寄り、少し後ろに下がらせた。実際に距離を保つことで、二人の間に冷静な間を保とうとする。
その深雪の背中で、
――ゴウッ!
と突然風が唸りを上げた。




