表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/10

――或は情けに報いよ、ブラックホール萌え―― 一、暗黒物質

――或は情けに報いよ、ブラックホール萌え――


誰がそんなものを注文したんだい――


イジドール・イザーク・ラービ(1944年ノーベル物理学賞受賞者)。予想外に発見された素粒子ミューオンを聞いての、レストランで言ったとされる感想。


一、暗黒物質


 少女は高ぶる気持ちのままに、右手を大きく振りかぶった。

 ――パンッ!

 濡れたタオルを虚空に打ちつけたような音に、道ゆく人々が足を止めて振り返る。

 夏の陽射しがそろそろ厳しい街路に、一組の男女が立ち尽くしていた。

 その一方の女子――私服の少女が、肩を震わせてしばし立ち尽くす。

 男子は打たれた頬に手をやり、そんな少女をジッと見つめた。

「……」

 少女は何も言わずに男子に背を向けた。駅前の商店街を一人駆け出す。

 右手がジンジンと痛む。胸がチクチクと痛む。

 どうして分かってくれないのかと、少女は涙ぐみながら走り出す。

 追いかけてきてもくれない。そのことが更に少女の脚に力を込めさせる。

 デートに選んだ商店街。二人ともまだ高校生。お金の余裕などない。だから、ただただお気に入りのお店を冷やかすだけの今日一日。

 二人でお店のガラスを覗くだけで、幸せだった――そのはずだった。

 その商店街が、見る見る後ろに流れていく。

 少女は一人駆ける。相手はやはり追いかけてこない。

 何故追いかけてこないのか? 何故叩かれたままなのか? 何故言い返してこないのか?

 少女に追いかける価値がないからか? 叩かれてこれで終わりだとでも思っているからか? もうかける言葉もないからか?

 考えれば考える程、少女の胸は針に刺されたように痛む。

 墨を流したように黒くなっていく。

 いや、胸中に浮かんだ黒い点に、


 呑み込まれていく――


 黒い点は少女の悪い考えを呑み込み、吸い込んでいくかのようだ。少女の悪い――黒い考えを、内に取り込む度に、その黒い点は大きくなる。

 そんな風に少女は感じる。

 自分が悪かったのか? 相手が悪かったのか? 自分達は初めから、上手くいくはずがなかったのか?

 少女には分からない。ただただ胸が締めつけられる。

 心臓が小さく小さくなろうとしているかのようだ。

 このまま内側に、心臓が潰れてしまえばいいのに――

 街を駆けながら少女はそう思う。

 心臓が内に潰れて、そして肺も胸も、その中の思いも情も全部呑み込まれて――

 心に浮かんだ黒い点。それが全てを呑み込むのだ。


 そう、まるで宇宙に浮かぶ特異点――ブラックホールのように……

 

「はぁ……」

 月曜日のお昼休み。週の初めの一番楽しみな時間から、『科学の娘』鴻池深雪は大きく溜め息を吐いた。

 予想が的中したのだ。可愛い一年生の後輩が、部活に顔を出さなくなった。

 まるで彼氏にふられたみたい――

 つき合ったことはないので、もちろん深雪は彼氏にふられたこともない。

 だが深雪はそう思う。いや、本当にそう思った訳ではない。とりあえず一番の悲しいことと言えばそれだろう。そう考えただけの感傷だ。

 酔いたかったのだ、自分に。耽りたかったのだ、悲劇に。

 何と言うか自分だって女の子。

 そう、ちょっと彼氏云々と思ってみたかったのだ、たまには。

 クラスメート数人とお弁当を囲む昼食。深雪は一口二口食べて、皆に聞こえるように溜め息を吐いた。

 窓際の席に陣取り、皆と旺盛にお弁当を口に運ぶ。夏の陽射しに照らされたお弁当はとても艶やかで、キラキラと輝いておいしそうだ。

 食欲がそそられる。

 舌が踊る。喉が猛る。胃が弾む。

 感傷や溜め息など、本気では浸れないし吐けはしない。

 そんな充実した、お箸が進む至福のひと時だ。

 それでも――

「科学への探究心は、たった一人の異性の出現で脆くも崩れ去るのね。マリー・キュリー先生は偉大だわ」

 夫とともに研究に励み、ノーベル物理学賞と同化学賞まで取った偉大な同性。

 その名を思い出しながら、深雪はもう一度大きく溜め息を吐く。わざとらしい溜め息だ。いかにも話を聞いて欲しと、言わんばかりの溜め息だ。

「何落ち込んでのよ?」

 長い黒髪のクラスメートが、そんな深雪に意地悪げに声をかける。日頃は大きく人目を引く黒目を、わざとらしく挑発的に細めていた。

 友人がへばって、弱気になっている。おもしろそうだ。何か弱みを見せようものなら、一気にいじり倒そう――そういう気だろう。深雪はこの友人の日頃の態度にそう思う。

都久井點子とくいくろこ……」

「ほら、お姉さんに言ってみな。何をそんなに悩んでんのよ」

 深雪に點子と呼ばれたクラスメートは胸を張る。

 點子は背が高い。深雪は正面に座る點子の視線を、見上げるように受け止める。イスに座っていてもこの身長差。點子は深雪より、頭一つ分以上高い。

 だからか點子は深雪に対しては、殊更お姉さんぶろうとする。

「あんたに言っても、しょうがないわよ」

 聞いてもらいたかったくせに、深雪はツンと鼻を鳴らす。

 點子はガサツの友人代表だ。意地悪のクラスチャンピオンだ。ひねくれの見本市だ。

 もっと親身になってくれる人に話を聞いてもらいたい。そう、聞いてもらうだけでいいのだ。言い返したり、混ぜっ返したりする友人はご免だった。

 だが席を囲んだ他の友人達は、それぞれに別の話題に夢中のようだ。深雪達に目もくれず、一人が取り出した携帯の画面を覗き込んでいた。

「聞こえるように、溜め息吐いたくせに」

 だがやはり點子は混ぜっ返してくる。本当に意地悪だ。深雪はそう思う。

 しかし他の友人達はお弁当もそっちのけで、携帯の画面に夢中のようだ。額を突きつけ合わせて喚声を上げている。

 悩み深い深雪の相手は、

「ほら! いじめてあげるから、教えなさい」

 残念ながらこの意地悪な友人しか、してくれそうにないようだった。


「ぐ…… 相変わらず黒いわね、あんたは……」

 深雪は他の友人達をあきらめ、點子と向き合うことにする。

「點子の名はだてじゃないわよ」

「はいはい……」

 深雪は母が作ってくれた卵焼きを口に運ぶ。ささくれた気持ちを紛らわせてくれるのは、どうやらこのあまいおかずだけのようだ。

「はぁ、この悩みを、能天気なあんたの額に、ペタッと押しつけたいわ」

「何よ、暗いわね。クラスに何人も暗い顔して人がいると、こっちまで陰気くさくなるでしょ」

「何人も? 他に誰よ、點子?」

「ほら、今日子よ。見てみなよ、暗いだろ? 朝からあんな感じよ」

 點子が身を乗り出して、深雪の耳元で囁く。そのまま教室の後ろを振り返った。

 背の高い點子は、それだけで派手に人目を引いた。

 本人が出したいであろう秘密めいた雰囲気。その期待した雰囲気とは裏腹に、大きな衣擦れの音をさせて點子は目立つ我が身を捻る。

「ふぅん。どったの?」

「ふられたんだって。彼氏に」

「へぇ…… て、彼氏いたんだ……」

「えっ? 知らなかったの?」

 點子は体を席に戻しながら、大げさに驚いてみせる。

「知らないわよ。いつの間に」

「疎いわね、深雪は。そんなんだから、男子の視界に届かないのよ」

「む…… うるさいわね…… あんたがでか過ぎるのよ」

 深雪は頬を膨らませて、點子を見上げる。そう、お互いにイスに座っているというのに、點子の顔は見上げないと深雪には見えない。

 點子が大き過ぎるのか? 自分が小さ過ぎるのか?

 深雪は前者だと思うことにしている。

「いいじゃない! 大は小より金になるってね! 言うでしょ?」

「言わないわよ。全くもって間違ってるわ。それより今日子の奴、どうしたのよ?」

「何だか上手くいかなくって、昨日別れたらしいよ」

「へぇ…… 贅沢な…… てか、誰なのよ、彼氏って?」

「さあ、そこまでは……」

「はっ! 疎いわね、點子は!」

「全く知らなかった人に、言われたくないわよ」

「ふん。まぁ、いいわ。でも、気になるわね。誰だったんだろうね、彼氏って?」

 そう言って深雪はクラスを見回す。クラスメートだと確信した訳ではない。ただそこ以外に目を向ける場所がなかっただけだ。

「クラスの誰かだと思うの、深雪? うちのクラスの男子に、そんな彼氏にしたいような奴いないって! ないない! あり得ないわ! そんな可能性、無よ、無!」

「それも、そうね!」

 二人はそう言い合って弾けたように笑い出す。

 クラスの男子は頼りない。彼氏に選ぶような可能性なんてない。それがこのクラスの女子の総論だ。

「ま、そんなに落ち込む親友の為に、私がいいものを紹介してあげよう」

「何よ、點子?」

「ジャーン! 天文部主催、ペガスス座流星群観賞会のお知らせ!」

 點子は懐から一枚のプリントを取り出した。プリントには手書きの天体図に、これでもかと大きな流れ星が描かれている。いやこの大きさでは、もはや流れ星には見えない。

「流星群? その大きさじゃ彗星じゃないの?」

「ムッ! ちょっと大きく描いただけよ」

「描いたのは、あんたね? ホントガサツね、點子は」

「ムムッ! 本質はそこじゃないの! 天体観測会を催しますってところよ! なんと、三日連夜開催。今日がその初日よ!」

「天体観測会? こいっての?、学校に? 夜の夜中に?」

「そうよ」

 點子はそう言ってプリントをぬっと前に突き出すと、

「彼氏もいないし、どうせ暇でしょ?」

 やはり意地悪げに笑いながら、深雪の額にペタッと押しつけた。


「ちょっと。たまには部室に顔を出しなさいよ」

 その日の放課後。深雪は教室の出口で、一人の男子生徒をつかまえた。一目散に帰るつもりだったらしい。駆け足で出口に向かっていたところを、深雪はとっさに手を伸ばした。

 深雪は相手の制服の裾を、がっちりと掴んでやる。

神崎哲史かんざきさとし――」

「おうっ!」

 威勢だけはいい返事をした男子生徒は、それでも前を向いたままだった。

「『おう』じゃないわよ! あんたいつまで、科学の幽霊部員する気?」

「別にいいだろ」

 興味がなさそうに耳をほじりながら、哲史と呼ばれた男子はやっと振り返る。

「よくないわよ。あんただけでもこないと、私が只の暇人に見られるのよ」

 そう言って深雪は教室の中を振り返る。案の定、クラスの男子と話していた點子が、わざわざ話を中断してこちらを見ていた。

 教室の出口で一騒動。また話題を提供することになりそうだと、深雪は思う。

「何だよ。かわいい後輩がいるんだろ? クラスメートの科学部員はお呼びでないだろ?」

「ぐ…… 最近…… あの娘、こないのよ……」

 深雪はそう呟いて足を踏み出す。哲史の制服の裾を掴んで放さず、その脇から教室のドアをくぐり抜けた。帰り支度は済んでいたのか、深雪はカバンを肩にかけて教室を出て行く。

 そのカバンに描かれた物理的ファンシーキャラが、深雪が歩くのに合わせて上下に揺れた。

「こないのか?」

「こないのよ……」

 深雪は物理的騒動を起こした後輩の顔を思い出す。

 あれ以来、彼女はすっかり部活に顔を出さない。最近の深雪はいつも一人で、趣味の文庫本を読んで時間を潰している。

「はっ。ふられたか?」

「何を!」

 哲史は深雪に引っ張られながら、大して抗おうともせずにドアから引きはがされた。二人はドアを折り返し、教室の前の廊下をいく。

「お忙しそうね、深雪!」

 その様子に點子が、嬉しそうにちゃかしてくる。

 窓から二人を見送った點子は、話をしていた男子の隣りで、意地悪げに歯を光らせて笑っていた。

 その點子の顔に浮かぶ嗜虐的な笑みに、深雪はおざなりに手を振り、

「そうよ、暇じゃないの! バカの相手しないといけないからね!」

 そう応えて教室の前を横切っていく。

「あはは! 尻に敷かれてるわね、神崎!」

「うるせぇ! 都久井! このデカ女!」

「あはは、深雪! そんなバカ放っといて、天体観測会はきなさいよ!」

 點子の笑い声はそのガサツさ故に大きく、

「あはは!」

 教室を離れ階段へと折れ曲がるまで深雪の耳に響いてきた。


「神崎。あんたホント、點子と仲悪いわね」

 深雪は廊下を部室棟へと向かいながら、點子と哲史のいがみ合いの歴史を思い出す。深雪も含めて三人は、一年生の時も同じクラスだった。二人は何かと睨み合っていた。

「都久井は天敵なんだよ――」

 そう、言ってみれば二人は天敵だ。

「あのデカ女。デカイのは、体だけにしとけってんだ」

 目立つ點子に、軽い哲史。

 大人びた生意気な女子に、子供っぽいアホな男子――そう言い換えてもいいだろう。それぞれ典型的な女子と男子の、代表のような二人だったからだ。

 女子と男子で意見が分かれれば、いつもこの二人が、お約束のように口火を切って言い争っていた。

「あれがデカイのは、私も認めるわ」

 話をしながら廊下を歩いていくと、深雪が手を緩めても哲史はついてくる。観念したようだ。

「そうだろ?」

「少しは遠慮して伸びなさいよ、って感じよね」

「あはは。まあ、かといって鴻池の身長が、普通という訳でもないけどな」

「何ですって!」

 だがまだ深雪は手は離さない。根が軽い哲史は、今は観念していても、次の瞬間に気が変わっているかもしれないからだ。

「バカよりはマシでしょ?」

「バカとは何だ。失礼だな」

「ふん、そっちこそ失礼でしょ。私がふられたんじゃないの。あんたみたいに先輩が頼りにならないから、後輩が寄りつかないの。そうでしょ?」

「お前みたいに、毎日部室にべったりなのも、考えものだけどな。愛想つかされたんじゃねぇの?」

 そう、部活は毎週水曜日と金曜日とに決まっている。それ以外の日も部室は空いているが、毎日通っていたのは深雪とその後輩だけだった。

 そんな状況が馴れ合いを作り出し、水と金の部活動の時間も有名無実化していた。そして今となっては、その部室にくるのも深雪だけとなっていた。

「キーッ! 腹立つ! あの子は関係ないの。あんたは科学の幽霊部員し過ぎよ!」

「そうか?」

「そうよ。少しは部活に顔を出しなさいよ。先生がそろそろ除名にするか? とか言い出してんのよ」

「そうかよ。でも、お前ら物理の話ばっかしてるからな、俺どっちかと言うと、『ばけがく』の化学の方が好きだしな」

 話すうちに部室棟に着いた。深雪は器用に片手で番号式の鍵を開け、ドアを勢いよく開く。

「あんたがこないから、私達は物理的談義に花咲かせてんの」

「私達――」

 哲史は手を額にかざし、わざとらしげに部室を見回す。もちろん見回す程部室が広い訳でも、誰かがいる訳でもない。

 いるのは子猫だけだ――

 廊下から窓越しに見える棚の上に、毛布が敷いてある。そこを寝床にした子猫が、気持ちよさそうに丸まっていた。

 子猫は今まで昼寝をしていたようだ。物音に驚いて目を覚まして、顔だけ上げて深雪達の方を向いた。

 子猫は二人に興味がないのか、それともまだまだ眠いのか、ふぁっとあくびをすると、おもむろにごろんと横になる。やはり深雪の他は、この小さな子猫しかしない。

「一人だろ?」

「ムカつく!」

 深雪は哲史を怒りに任せて部室に引きずり込んだ。

 

「あっ。そうそう、そう言えば聞きたかったことがあるんだけど、鴻池」

「何よ?」

 とりあえず部室に顔を出したという既成事実を作った深雪は、やっと哲史から手を離す。

 深雪は部室の入り口で子猫をひと撫ですると、奥の窓際の席に座った。

「暗黒物質って何だ?」

 哲史も子猫の頭をこねくり回すように撫でると、子猫は迷惑げに顎を上げた。

 子猫を撫で終えると哲史は、パイプイスを引いてきて深雪の正面に座る。背もたれを前にした、あまり真剣味が感じられない座り方だった。

「何よ、それ。化学の領分じゃないでしょ? 何? 急に素粒子学にでも目覚めたの?」

「お、おう。素粒子学だったよな、暗黒物質って」

 哲史はイスの位置を変える為か、少し腰を浮かせて前に出てきた。哲史の視線が一瞬深雪から外れ、床の方を向いた。

 深雪には何となくそれが、哲史が目をそらす為にやったように見えた。

「だったよな――って何よ」

「いいだろ別に。暗黒って言うぐらいだから、暗いんだよな?」

 顔を上げた哲史は、普通にしている。

 深雪も特に哲史に目をそらされる理由がないので、気にしないことにした。

「暗いっていうか、全く見えないのよ。光は元よりダメだし、電波からX線、ガンマ線――あらゆる波長の電磁波を通さないの。全く見えないのよ。計算上あるだろうって話なのよ」

「ふぅん。何だろうな、暗黒物質? 物理の『科学の娘』としてはどう思う?」

「そうね…… 私じゃ何とも言えないわよ。仮説でしかないけど、超対称粒子ではないかとも言われているわ。その意味では素粒子学――物理学の分野ね。でも実際は、う――」

「超対称粒子? 何だったっけ? 反粒子のことか?」

 何か言いかけた深雪の言葉に割って入り、哲史はイスごと一歩前に出る。

「もう、違うわよ。あの娘なら丁々発止に応えてくれるのに……」

「いない後輩に頼るなよ」

「何を偉そうに、ムカつく! 超対称粒子ってのはあくまで、超対称理論で仮定されている粒子で、反粒子は陽電子のように実在する粒子よ。粒子と反粒子は、電子と陽電子のように、電荷などが通常の粒子と反対になっているやつよ。だからお互いが出会ったら、消滅するの」

「対消滅ってやつか?」

「そうよ。この世を満たしているのが物質で、その元が粒子。この物質と出会ったら消滅してしまうのが、反物質。それと、それを構成する反粒子ね。この世界ができた時は、この粒子と反粒子が同数できたはずなんだけど、『CP対称性の破れ』のお陰で、物質だけが――粒子だけが生き残ったの」

「俺らの勝ちか?」

 哲史が無駄にガッツポーズをとる。

「何の勝ち負けよ?」

「いや何となく」

「たく…… それでね、これに対して超対称粒子ってのは、理論上考えられている粒子よ」

「理論上?」

「そうよ。超対称粒子ってのは、通常の粒子と比べてスピンが二分の一だけずれているの。いいえ、ずれていると思われているの。物質の素粒子であるクォークやレプトンのフェルミ粒子――フェルミオン。それに力の粒子であるグルーオンのなどのボゾン粒子。それらの二分一だけスピンがずれた粒子。スフェルミオンとか、グルイーノとかね」

「ふぅん。それが暗黒物質なのか?」

「分からないわ。実験待ちよ。ニュートリノの超対称粒子――ニュトラリーノとかが、候補の一つって程度じゃない? 後、物質に質量をもたらすヒッグス粒子が、その正体だという人もいるわね。それにそもそも素粒子学から考えるよりは、暗黒物質はダ――」

「そうか! 分かった、あんがとな!」

 またもや深雪の話を最後まで聞かず、哲史はイスから腰を浮かす。

「分かったって何がよ?」

 席を立った哲史を見て、深雪が眉をひそめる。

 今きたばかりで、もう席を立つ。本人の軽さを表しているかのようだ。

「考えても、分からんってのが分かった!」

「自慢になんないわよ! てっ! 帰る気?」

 ――バンッ!

 と、机に手を叩きつけて深雪は立ち上がるが、

「おっ先に!」

 哲史は口調も軽くそう言って受け流すと、驚く子猫に手を振りながら、やはり軽やかにドアから出ていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ