055⚫️禁忌(タブー)を破れば
ふん、何が誓え、だ。
予に命じるとは笑止千万、不届き千万!
だが、動かぬ体を自由にするという条件で、呑んだふりをする。
他国への侵攻を思うのは自由だが、口にすること、文字にすること、
他者へ伝えようとすることは厳に禁じる?
誰にむかっていっておる!
その禁忌を破れば、恐ろしいことになる、だと?
そんな脅しに屈すとでも思うたか。
見くびるではない!
予は予である!
古来、神話や伝承が語り継いできた物語の中には、人間の抗いがたい性が残酷なまでに描き出されている。その最たるものが「禁忌」である。神や超自然的な存在が課す「開けてはいけない」「見てはいけない」「振り返ってはいけない」という命令は、常に人間によって破られるために存在しているかのようである。
まず、ギリシャ神話の「パンドラの箱」は、好奇心という名の誘惑を象徴している。神々から「決して開けてはならない」と渡された器に対し、パンドラはその中身を知りたいという衝動を抑えることができなかった。彼女の手によって蓋が開けられた瞬間、世界にはあらゆる災厄が放たれた。同様のモチーフは日本の「浦島太郎」にも見られる。乙姫から「決して開けてはならない」と渡された玉手箱を、地上で絶望した太郎は開けてしまう。その結果、彼は失われた歳月を一気に引き受け、老い果ててしまうのである。これらは、空間的な封印を解くという行為が、取り返しのつかない変容を招くことを示している。
一方、「振り返ってはいけない」という動作の禁忌は、さらに深い心理的な葛藤を浮き彫りにする。冥界から妻を救い出そうとしたオルフェウスは、あと一歩で地上というところで、不安と情愛に負けて後ろを振り返り、妻を永遠に失った。日本神話のイザナギもまた、亡き妻イザナミとの約束を破ってその腐敗した姿を見てしまい、黄泉の国から逃げ帰ることとなる。さらに他にも、滅びゆく街から逃れる者が、神の命に背いて後ろを振り返ったために塩の柱と化した。これらは、過去への未練や確認したいという欲求が、理性を凌駕する瞬間を捉えている。
これらの物語に共通しているのは、禁忌を課した側が、人間がそれを破るであろうことを予見しているかのような冷徹な構造である。特にパンドラの物語において、神々が彼女に好奇心を与えた事実は、禁忌そのものが「破らせるための罠」であったことを示唆している。
結局のところ、人は「禁止」という壁を突きつけられたとき、その壁の向こう側にある未知なるものに、抗いがたい魅力を感じてしまう生き物なのだ。たとえその先に災厄や死、あるいは絶望的な孤独が待っていると予感していても、境界線を越えようとする衝動を止めることはできない。神話が現代に至るまで私たちを惹きつけるのは、そこに描かれた悲劇が遠い昔の出来事ではなく、今もなお私たちの内側に潜む「禁止されるほど、その禁を破りたくなる」という、逃れようのない人間の本質を突いているからに他ならない。
やっと港に着いたか。
艦隊を引くロープの先は海中だった。
やはり’巨竜’だけではなく、’海の魔物’も使役させているというのだな。
ふん。小賢しい。
予の食事の世話をするものも、眠ったままだった。
情けない者共が。
よし、上陸だ。
「陛下、お帰りなさいませ。みな、眠っておるのでございますか。」
「そうだ。不思議な雨が降りおったわ。だが、無傷だ。一旦、帰国した。」
「それはそれは。兵たちは、このダレオレが配下に命じて診させて構いませんか。」
「大事ない。任せよう。だが、この者たちが目覚めれば、再度、公国を・・討つ・・ことに・・す・・・る・・・」
そこまで言うと、レグナスは深く息をついて眼を閉じ下を向いた。
短い沈黙のあと顔をあげた王は、次のように話したという。
「いや、公国はもとより、もう何処も攻めることはせぬ。軍も兵も不要である。段階的に解散する。その費は国家民衆のために使うとしよう。」
ダレオレも、まわりの群臣も驚愕した。だが、王の本心が他にあると考え表情を読まれないように、深く頭を垂れた。




