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俺にだけ「好き」の練習をする後輩アイドルさま。

掲載日:2026/03/27


「……先輩のことが、好きです」


 旧校舎の踊り場で、俺は固まっていた。


 目の前に女の子が立ってる。西日の逆光で顔がよく見えない。黒髪。細い肩。制服のリボンがほどけかけてる。こんなに可愛い顔で……まるでSNSでしか見かけないくらいあざとく整った顔で。


 その子が今、「好きです」と言った。どこか聞き覚えのある声で。


 ドキドキが止まらない。


 ……あれ、でも、どうしてこうなったんだっけ?


 どうして俺はいま、こんなに可愛い子に告られてるんだ!?



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 少し話を巻き戻す。


 桐島(きりしま)凛音(りおん)は俺の一個下、高校一年生だ。超有名アイドルグループ「Primel」のセンターで、ちょっと前に雑誌の表紙を飾ったとかで、クラスの女子がざわついてたのをなんとなく覚えてる。廊下ですれ違ったことは、何度かあった。キラキラしてて、近寄りがたい感じの子だと思ってた。


 だからまず、彼女から声をかけてきたこと自体が意外だった。


 今日の放課後、旧校舎の踊り場で一人で本を読んでたら、突然現れて、俺の目の前に立った。「少しよろしいですか」なんて言うから、よろしいも何もこちとら読んでた本の内容が全部飛んだ。


 話を聞いてみると、こういうことだった。


 凛音の新曲のミュージックビデオに、告白シーンが入ることになったらしい。セリフは短い。「好きです、先輩」——それだけ。なのに何十回練習してもマネージャーさんに「棒読みすぎる」と言われ続けているらしく、じっさいにだれかに向かって言ってみれば変わるかもしれない、と考えたらしい。


 問題は、その相手に俺が選ばれたことだ。



「なんで俺なんですか」と聞いたら、「三日間観察しました」と即答された。こわい。


「先輩が条件に当てはまったので」と続けた。


「条件……待ってくれ、条件ってなんだ?」


「芸能のお仕事に興味がなさそう。告白されてもさわがなさそう。話しかけやすそう」



 褒めてるのか貶してるのかよくわからない。でも、否定できないのが悲しい。俺はたしかに地味だし、落ち着いてて、人畜無害系の高校生だ。



「もちろん、口外はしないでいただけますか。芸能活動のことも含めて」


「うん、それはまあ……」


「よかった。では……始めますね」


 そう言って凛音は俺の正面に立って、一拍置いて——今に至る。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「……先輩のことが、好きです」


 逆光で凛音の顔がよく見えない。でも声は聞こえた。思ったより、真剣な声だった。


 俺の心臓がまた余分にドキドキして——そこで、ようやく俺は気づいた。


 あ、これ……さっき話してた『練習』のやつだ。


「あの……えっと……」


「どうしたんですか、先輩。『練習』ですよ、アイドル活動の」


 凜音がいたずらっぽく上目遣いで、ひょこっと覗き込んできた。


 ああもう、いちいちドキドキするな。こんな時、俺はなんていったらいいんだ?


「……なるほど」


 ようやく絞り出した返事がそれだった。我ながら情けない。でもほかに何も出てこなかったんだ。



「もう一度言いますが……告白の練習に先輩を選んだのは、あなたが条件に当てはまったからですよ」


「分かってる。条件だろ、条件」


「芸能のお仕事に興味がなさそう。告白されてもさわがなさそう。話しかけやすそう」


「言わなくても、分かってるって」


「ふふっ……じゃあまた、明日もよろしくお願いしますね。……先輩」


 俺が返事する前に凛音は踵を返して、踊り場を降りていった。


 残されて、俺は夕陽を見てた。


 鏡を見なくても、顔が赤くなってるのが分かる。


 夕陽のせいということにしておこう、うん。


 ……それにしても、あの声。


 どこかで、聞いた覚えがある気がするんだけどな……。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 翌日も、凛音は来た。


 放課後の旧校舎は部活でも使われていないから、踊り場には俺たち以外だれもいない。凛音は鞄を床に置いて、俺の正面に立って、それだけで「始めます」という顔をする。


「きゅ、急にやるのか? その……なんか、前振りみたいなものは」


「ありませんよ。今日もまた――練習、です」


 凛音はにっと口角を崩した。俺の顔色を窺うように、両手を後ろで組んで、前かがみになって。


 そうしてコホンと姿勢を正すと、凛音は今日の『練習』を始めた。


「わたし……ずっと前から、先輩のことが――」


 一拍の間を置いてから、


「好きです」



 三秒ほど沈黙が続いた。俺は感想を求められてる気がして、でも何も言えなくて。


 こんなの、なんて顔をしたらいいんだ?



「さて……今日の『好き』はどうでしたか、先輩?」


 俺はそこで我に返った。


 落ち着け落ち着け、相手は確かにアイドルさまだけど、同じ学校の後輩だ。


 こんなことで取り乱してるようじゃ、先輩の沽券にかかわる。冷静に、冷静に……。



「ま、ままままあ……ちょっと照れるけど、今日のは、普通に聞こえた……かな」


「普通……?」


「うん、まあ……」


「逆に、どこが自然じゃなかったですか?」



 こいつ意外とストイックだな、と思った。


 逆に、どこが自然じゃないか。


 凜音は確かに可愛いし、好きですの声も可愛いし、心臓もドキドキさせられるけど――でも。


 それで「好きになるか」って言われたら、俺はちょっと違う気がしたら。なぜなら、



「なんか……俺のことを、見てない感じがした。目は合ってるけど、視線がどこか遠くにあるみたいな。まるで……そう。まるで、遠くの壁に向かって言ってる……みたいなさ」


「……分かりました」


 凜音は真剣な顔になって、ただ一言。


「もう一度、お願いします」


「えっ、もう一度!? 一日、一回って話じゃ――」


「そんな約束はしていません。――もう一度、いいですよね……先輩?」


 否定なんてできるわけもなかった。俺は情けなく「はい……」と承諾し、凜音が満足げに頷く。


 今度こそは凜音は、じっと俺の目を見つめながら、


「わたし……ずっと、先輩のことが――」


 凜音の目が変わった。さっきより、確実に気持ちを乗せて――


「好きです」


 しん、と踊り場が静まる。


 ごくり、と俺の唾を呑む音だけが聞こえた。……凜音には聞かれていないと思いたい。


 いまのは……前よりも良かった、と思う。



「……いま、ちょっとよかった」


「どこが変わりましたか?」


「ちゃんと俺を見てた。俺、ていう……個人に向かって言ってる感じがした」


 そう言ってから、俺は慌てて壮大な勘違いを口にしていることに気づいて、



「いや、違うんだ! 俺個人っていうのは、その……凜音が俺をそう思ってるってことじゃなくて、演技として個人に感情を乗せているとか、上手く言葉に気持ちを伝えられるとか、そういうことを言いたくてだな――!」


「分かりました」


「……え?」


 凛音はメモをとった。メモ帳を出すなり、素早くなにかを書いている。


 そして、パタンとメモ帳を閉じた。



「今日は、ありがとうございました。……また明日、よろしくお願いしますね……先輩」


 明日まで、俺の心臓が持つだろうか。


 なんて冗談は、もちろん心の中だけに留めておいた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 三回目の練習のとき、凛音は差し入れを持ってきた。


 コンビニの袋には缶コーヒーが二本。どっちも苦くない、甘いコーヒーだ。

 その内の一本を、俺に差し出した。



「先輩、これ……あまったので」


「あまったって……二本、あるけど?」


 凜音は、ごまかすように視線を逸らして、


「と、ところで……っ! 先輩は甘いのと苦いの、どちらがよかったですか……」


「いや、甘いのしかないじゃん」


「だっ、だから聞いてるんです! 甘いコーヒーが、嫌いじゃないかな……とか」


 凛音の耳がほんの少し赤くなった。気のせいかもしれないけど。



「次から、聞いてから買います」


「いやいや、買わなくていいよ。なんか、奢らせてる感じがするし」


「構いません。これはあくまでも、協力者としての報酬……なのですから」


 凛音はそっぽを向いた。俺は苦笑いしながら缶コーヒーを受け取った。

 微糖だった。好みど真ん中で、おいしかった。



 それから俺たちはしばらく、踊り場の窓枠に並んで座って、グラウンドを見ていた。練習の前なのか後なのかわからない、妙にゆったりとした時間だった。



「先輩って、ここで何してるんですか、いつも」


「本を読んでる」


「えっ……どうして、旧校舎で?」


「静かだから」


「静か、だから……」


 凛音はそうですかと言って、また黙った。

 俺はコーヒーを飲んで、凜音も同じコーヒーを飲んでいる。どっちも何も言わない、でも不思議と居心地は悪くなかった。



「アイドルって、やっぱり大変なのか?」


 ふとそんな疑問を口にしたけど、聞いてからちょっと失礼だったかなと思った。

 でも、凛音は特に嫌そうにはしなかった。



「大変かどうかわからないです。これしかやってないので」


「中学から、だっけ?」


「はい……中一のはじめから」


「じゃあ、もう三年か」


「今年で四年目です」


 純粋に、すごいな、と思った。俺が中一のとき何やってたか思い出せもしないのに、この子はもうその頃から自分の仕事を持ってたんだ。


「好きなんだ、アイドル」


 凛音は、少し考えてから言った。


「好きかどうか……わからなくなることもあります。でも、やめたいと思ったことはないです」


「そうか。……頑張れよ、なんて軽い言葉しか言えないけど、頑張ってくれ」


「はい……ありがとうございます」


 コーヒーを飲んでいる最中、凜音はたまにじっと俺の顔を見ることがある。


 睨まれているのか……なにか地雷を踏んだのか……。 


 とにかくアイドルの話題については、あまり深掘りしないことにした。


 凜音はなぜか、ちょっと不満そうに口をすぼめていたけど。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 五回目の練習で、事件が起きた。


「先輩のことが……ずっと、前から……す、す……すすっ……」


 噛んだ。


 凛音が、台詞を噛みまくっていた。


「好き」の入り口で、「す」まで言ってそこで詰まって、言葉に出来なくなっている。



 俺は……何も言えなかった。凛音も何も言わなかった。五秒くらいそのままで、凛音がゆっくりそっぽを向いた。耳が赤い。今度は絶対、気のせいじゃない。


「すみません……気を取り直して、もう一回やります」


「うん」



 この後は意外なほど、あっさりいった。普通にやり直して、普通に終わった。

 

 凜音は、この前よりも険しい目つきで、俺の顔を見つめて……睨んでいた。



「なあ……どうしたんだ?」


「別に……何でもありませんから」


 女の子の地雷はこわい。いつ、どこで踏んでいるのか分からないからな。


 俺は余計なことを言わず、踊り場の階段に座った。すると、凜音も俺の隣に座った。

 

 二人してなんとなく窓の外を見て、練習終わりにしては早い時間に解散した。


「それでは……また明日」


「ああ、また明日な!」


 家に帰りながら、俺はなぜかずっとあの「す……」を思い出してた。


 べつに、なんとも思わない。思わないけど。


 なんか、頭から離れない。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 七回目の練習が終わったあと、なんとなく話が弾んで、俺は昔のことを話した。


「むかし……すごく励ましてもらったことがあってさ」


「それは……だれに、ですか」


「うーんと……知らない子に。場所もちょっと変なんだけど、ライブ会場の裏口みたいなとこで」


「……」


「中一のときにさ、たまたま迷い込んで。そしたら、泣いてる女の子がいて」


「…………」


「何があったのか聞いたら、うまくいかなかったんだって。何のことかはよくわかんなかったけど、ひとまず俺が思ってることを言ったら、泣きやんでくれた」


「その子には……何て、言ったんですか」


「うまくならなくていいから、好きにやればいいんだよ、って」


「うまくならなくていいから、好きにやればいい――」


「ああ……だって、好きでやってることなんだ。技術とかスキルとか、そういうのはやってる内に身についていくだろうし、いま気にしたって仕方ない。好きなことを続けていれば、絶対にいつか成功する。絶対にいつか上手くいく。だから君には、その『好きでいられる才能』がある限り、成功する。だから君は絶対に大丈夫だって、言ったんだ」



 ……沈黙が続いた。



 ちょっと、昔話が長すぎただろうか。


 俺はふと凜音の顔を見た。余計なことをベラベラと……なんて思われてたら嫌だな、なんて考えながら。



 でも……違った。


 凛音の目が、いつもと違う。練習する時の目でも、アイドルとしての目でもない。


 まるで……なにか確信を得た時のような、大きな目が……。



「なあ、どうしたんだ?」


「い、いえ……っ! なんでも……ないです」


「いや、それにしては顔が――」


「なんでもないです! ……忘れてください」



 凛音はそう言って、メモ帳を鞄にしまった。今日はここまでにします、と言って立ち上がる。


 でも出口の前で、一瞬だけ振り返った。


「先輩は……その女の子のことを、覚えていますか」


「んー……いや、覚えてないな。暗くて、顔もよく見えなかったし」


 凛音はそうですか、と小さく言って、踊り場を出ていった。


 俺は一人になって、なんかやらかしたかな、と思った。


 でも、何をやらかしたのかわからなかった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 次の日の練習で、凛音がちょっとだけ変だった。


 いつもは「始めます」という顔ですっと台詞に入るのに、その日は立ったまましばらく俺の顔を見つめていた。



「凛音?」


「あ……いま、名前で呼びましたね」


「あっ、ごめん! 次からは、桐島さんって」


「そうじゃなくて……べつに、いいです。名前でも……わたしは……」


「えっ?」


「だから、その……」


 凛音は小さく息を吸って、正面を向いた。


 俺を見た。


「今日の練習を、始めます」


 そう宣言した凜音は、いつもより何かが近い気がした。距離は、昨日と変わってないのに。



「わたし……ずっと前から、先輩のことが……」


 ――今日は、声がちがった。


 ちがう、ていう言い方が正しいかどうかわからない。うまいとか下手とか、そういう話じゃなくて。


 でもなんだか、今日の凜音の声は、温度が違う気がしていて。



「好き……です」


 そこで、言葉は止まった。


 時間も止まったんじゃないかって、そう錯覚した。


 だって今日は、凜音が頬を赤くしていたから。胸の辺りを、手できゅって抑えてたから。



「その……今の、どうでしたか」


 色々と思うところはあったけど、俺は率直に感じたことを言った。


「……なんか、違った」


「どこが、ですか?」


「全部。今日のは、今までのと全部違った」


「全部って……具体的には」


「……分からない。今までの告白と、今日の告白。何が違ったのか、俺にはそこまで分からないんだけど――」


 凜音はくるりと振り返った。


 あんまり、満足のいく言葉じゃなかった……のかな。


 凜音の背中は、ちょっぴり怒ってるみたいに見えて、


「……帰ります」


 凛音は荷物をつかんで、いつもより早足で階段を降りていった。


「あ、」


 引き止めようとして、でも声が出なかった。


 俺は……しばらく、一人で夕陽を見てた。


 ぜんぶ違った、なんて言い方をしてしまったけど、正確には、こういうことだ。


 あの台詞に、()()()()()()()()()()


 ()()()()()()。ちゃんと……俺に。



 ――いや、そんなことはあり得ないだろ。あり得ない、俺の妄想だ。



 条件反射的にそう思ってみても、一概に否定できない記憶がある。



「もしかしてだけど……まさか、あの時の子は……」



 本当にもしかしてなんだけど……でも、俺は思い出さなくちゃいけないことがあった。



 あの時……ライブ会場の裏口で泣いていた、女の子のことを。



『うまく、できなかったんです! わたし、いっぱい練習もして、だけど……歌も、ダンスも、ぜんぜんダメで……もう、どうしたらいいんだろって、わたしわかんなくて……だから、だからわたしは……!』



 あの時、俺が声を掛けて、俺が励ました女の子は――おそらく、桐島凜音だ。



 どこか聞き覚えのある声だと思ったけど、間違いない。



 だからこれは偶然じゃなくて……だから凜音は、俺を『練習』相手として……。



 でもさ……そんなの、信じられねえよ。


 俺と凜音の間に、なにか縁があったとして……そんなの、勘違いもいいとこだろ。


 相手は、超有名グループのアイデアさまだぞ。


 その桐島凜音が……俺に、告白?


 いくらなんでも、そう受け止めるには……勘違いが過ぎるだろって。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 凛音のグループのミュージックビデオが公開されたのは、それから二週間後だった。


 タイトルを検索したら一発で出てきた。俺はイヤホンを挿して、スマホを持ったまま再生した。


 曲は知らなかった。でも、ダンスはきれいだった。凛音がセンターで踊ってる姿は、踊り場で俺の前に立ってる凛音と、なんか別人みたいで……でも、ちゃんと同じ人で。


 告白シーンは、終盤だった。


 凛音が画面を向いて、一歩踏み出す。



『好きです……先輩』



 ファンのコメント欄には、こう書かれてた。


『好き……が上手すぎないか?』


『分かる。一発でもってかれた』


『なにをだよ』


『心だろ』


『確かに演技が上手かったけど……あの好きは、絶対に俺らに向けたものじゃないよな』


『いやいや、あれは俺たちへの好きの目だろ』


『相当練習したんだろうな、一気に引き寄せられたわ』


『凜音ちゃんの目線の先に何があるのか気になって、三十回見た』




 俺はコメントを閉じて、もう一回再生した。


 今度は、あの目線の話だけを考えながら見た。


 凜音は……俺のことを見てるときと、同じ目をしてた。


 スマホを伏せて、天井を見た。



 なんか……全部、わかった気がした。


 全部俺の勘違いで、気持ち悪いお門違いで、下らない妄想かもしれないけど。


 でも……もしそれが、俺の勘違いじゃないのなら。


 ちゃんと向き合わないといけない、って思った。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 翌日の放課後、旧校舎の踊り場に凛音がいた。


 いつも俺が先に来てて凛音を待ってるのに、その日は逆だった。凛音が窓枠に座って、外を見てた。


 俺が来たのに気づいて、凛音は立ち上がった。



「……MV、見ましたか」


「見たよ」


「どうでしたか」


「きれいだったよ、すごく。歌も踊りも、本当に上手かった」


 凛音の耳が、少し赤くなった。


「練習……まだ、必要ですね」


「いや、MVはもう撮ったじゃん」


「それは……次の曲の分です」


「次の曲って、告白シーンあるのか?」


 意味深な沈黙。


「……わかりません。でも、必要なので……」


「そっか」



 俺は踊り場の中に入って、いつもの位置に立った。凛音が向かいに立つ。夕陽がさしてくる。逆光で、また凛音の顔がよく見えない。


 でも最初のときと違って、今は見えなくてもわかる。


 凛音が、どんな顔をしているのか。


「……じゃあ、始めますか」


 俺はうなずいた。


「わたし……ずっと前から、先輩のことが」


 一拍。


 その時に――俺は思った。


 次の曲に告白シーンがあるかどうかなんて、凛音が一番知ってるはずだ。


 でもそれを聞くのは野暮ってもんだろう。


「好き……です」


 凛音の声が、いつもより明らかに震えていた気がした。



 俺はしばらく黙ってた。凛音も黙ってた。



 そして……俺は、ずっと聞けなかったことを、口にした。



「なあ、凛音」


「……なんですか、先輩」


「あの……さ。その、難しい質問かもしれないんだけど」


「いえ……ちゃんと、聞きます」


 俺は一度、深く息を吐いた。



「この……『練習』の告白って。もしかして……俺に向けた、本物だったりするか?」



 踊り場が、しんと静まり返った。


 凛音は……固まっていた。


 いつもなら即答が来るのに、今日は返事が来ない。西日の逆光で、凛音の表情が見えない。でも肩が、かすかに震えているのは分かった。



「……ち、違います」


 やっと出てきた言葉が、それだった。


「『練習』です。アイドルの……『練習』、なんです。だから、先輩の勘違いです……それは」


 声が、震えてた。


 ここから見ても分かるくらい……凛音の目が、ちょっと赤かった。



「そうか……ごめん、変なこと聞いて」


「謝らないでください。わたしこそ……迷惑を、かけてしまって」


「迷惑じゃないよ、全然」


 少しの間を置いてから、凜音は顔を上げた。



「……先輩」


「ん?」


「『練習』、続けてもらえますか。次の曲で、また……必要に、なるかもしれないので」


 俺が出す答えは決まっていた。


「もちろん、凜音が満足するまで続けようぜ」


「……ありがとう、ございます」


 凛音はほっとしたように、小さく息を吐いた。そして、また正面を向く。夕陽の中で、いつもの練習の顔になろうとしてる。


 なろうとしてる……でも、目だけは、まだちょっと赤かった。


 俺はわかってた。


 凛音の「違います」は、本当じゃない。


 きっと……この『練習』を、終わらせたくなかった……のかもしれない。


 でもまあ……なんだっていい。


 俺もまだ、ちゃんと言えてないから。


「じゃあ……もう一回、やるか」


「はい」


「先輩のことが――」


 凛音が、また台詞の冒頭を言う。


 その声を聞きながら、俺は思った。


 いつか、俺が先に言えたなら……その時は、『練習』じゃなくなるんだろう。


 だからきっと――それも含めて、凜音は『練習』したいのかもしれない。


 その時のために、その時を待って。


「好き、です」


 凛音が笑った。ほんの少し、照れたみたいに。


 俺も笑った。ちょっと心臓の音がうるさくて、ごまかすように。


 明日からも凜音との『練習』は、しばらく続きそうだ。


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