俺にだけ「好き」の練習をする後輩アイドルさま。
「……先輩のことが、好きです」
旧校舎の踊り場で、俺は固まっていた。
目の前に女の子が立ってる。西日の逆光で顔がよく見えない。黒髪。細い肩。制服のリボンがほどけかけてる。こんなに可愛い顔で……まるでSNSでしか見かけないくらいあざとく整った顔で。
その子が今、「好きです」と言った。どこか聞き覚えのある声で。
ドキドキが止まらない。
……あれ、でも、どうしてこうなったんだっけ?
どうして俺はいま、こんなに可愛い子に告られてるんだ!?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
少し話を巻き戻す。
桐島凛音は俺の一個下、高校一年生だ。超有名アイドルグループ「Primel」のセンターで、ちょっと前に雑誌の表紙を飾ったとかで、クラスの女子がざわついてたのをなんとなく覚えてる。廊下ですれ違ったことは、何度かあった。キラキラしてて、近寄りがたい感じの子だと思ってた。
だからまず、彼女から声をかけてきたこと自体が意外だった。
今日の放課後、旧校舎の踊り場で一人で本を読んでたら、突然現れて、俺の目の前に立った。「少しよろしいですか」なんて言うから、よろしいも何もこちとら読んでた本の内容が全部飛んだ。
話を聞いてみると、こういうことだった。
凛音の新曲のミュージックビデオに、告白シーンが入ることになったらしい。セリフは短い。「好きです、先輩」——それだけ。なのに何十回練習してもマネージャーさんに「棒読みすぎる」と言われ続けているらしく、じっさいにだれかに向かって言ってみれば変わるかもしれない、と考えたらしい。
問題は、その相手に俺が選ばれたことだ。
「なんで俺なんですか」と聞いたら、「三日間観察しました」と即答された。こわい。
「先輩が条件に当てはまったので」と続けた。
「条件……待ってくれ、条件ってなんだ?」
「芸能のお仕事に興味がなさそう。告白されてもさわがなさそう。話しかけやすそう」
褒めてるのか貶してるのかよくわからない。でも、否定できないのが悲しい。俺はたしかに地味だし、落ち着いてて、人畜無害系の高校生だ。
「もちろん、口外はしないでいただけますか。芸能活動のことも含めて」
「うん、それはまあ……」
「よかった。では……始めますね」
そう言って凛音は俺の正面に立って、一拍置いて——今に至る。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……先輩のことが、好きです」
逆光で凛音の顔がよく見えない。でも声は聞こえた。思ったより、真剣な声だった。
俺の心臓がまた余分にドキドキして——そこで、ようやく俺は気づいた。
あ、これ……さっき話してた『練習』のやつだ。
「あの……えっと……」
「どうしたんですか、先輩。『練習』ですよ、アイドル活動の」
凜音がいたずらっぽく上目遣いで、ひょこっと覗き込んできた。
ああもう、いちいちドキドキするな。こんな時、俺はなんていったらいいんだ?
「……なるほど」
ようやく絞り出した返事がそれだった。我ながら情けない。でもほかに何も出てこなかったんだ。
「もう一度言いますが……告白の練習に先輩を選んだのは、あなたが条件に当てはまったからですよ」
「分かってる。条件だろ、条件」
「芸能のお仕事に興味がなさそう。告白されてもさわがなさそう。話しかけやすそう」
「言わなくても、分かってるって」
「ふふっ……じゃあまた、明日もよろしくお願いしますね。……先輩」
俺が返事する前に凛音は踵を返して、踊り場を降りていった。
残されて、俺は夕陽を見てた。
鏡を見なくても、顔が赤くなってるのが分かる。
夕陽のせいということにしておこう、うん。
……それにしても、あの声。
どこかで、聞いた覚えがある気がするんだけどな……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日も、凛音は来た。
放課後の旧校舎は部活でも使われていないから、踊り場には俺たち以外だれもいない。凛音は鞄を床に置いて、俺の正面に立って、それだけで「始めます」という顔をする。
「きゅ、急にやるのか? その……なんか、前振りみたいなものは」
「ありませんよ。今日もまた――練習、です」
凛音はにっと口角を崩した。俺の顔色を窺うように、両手を後ろで組んで、前かがみになって。
そうしてコホンと姿勢を正すと、凛音は今日の『練習』を始めた。
「わたし……ずっと前から、先輩のことが――」
一拍の間を置いてから、
「好きです」
三秒ほど沈黙が続いた。俺は感想を求められてる気がして、でも何も言えなくて。
こんなの、なんて顔をしたらいいんだ?
「さて……今日の『好き』はどうでしたか、先輩?」
俺はそこで我に返った。
落ち着け落ち着け、相手は確かにアイドルさまだけど、同じ学校の後輩だ。
こんなことで取り乱してるようじゃ、先輩の沽券にかかわる。冷静に、冷静に……。
「ま、ままままあ……ちょっと照れるけど、今日のは、普通に聞こえた……かな」
「普通……?」
「うん、まあ……」
「逆に、どこが自然じゃなかったですか?」
こいつ意外とストイックだな、と思った。
逆に、どこが自然じゃないか。
凜音は確かに可愛いし、好きですの声も可愛いし、心臓もドキドキさせられるけど――でも。
それで「好きになるか」って言われたら、俺はちょっと違う気がしたら。なぜなら、
「なんか……俺のことを、見てない感じがした。目は合ってるけど、視線がどこか遠くにあるみたいな。まるで……そう。まるで、遠くの壁に向かって言ってる……みたいなさ」
「……分かりました」
凜音は真剣な顔になって、ただ一言。
「もう一度、お願いします」
「えっ、もう一度!? 一日、一回って話じゃ――」
「そんな約束はしていません。――もう一度、いいですよね……先輩?」
否定なんてできるわけもなかった。俺は情けなく「はい……」と承諾し、凜音が満足げに頷く。
今度こそは凜音は、じっと俺の目を見つめながら、
「わたし……ずっと、先輩のことが――」
凜音の目が変わった。さっきより、確実に気持ちを乗せて――
「好きです」
しん、と踊り場が静まる。
ごくり、と俺の唾を呑む音だけが聞こえた。……凜音には聞かれていないと思いたい。
いまのは……前よりも良かった、と思う。
「……いま、ちょっとよかった」
「どこが変わりましたか?」
「ちゃんと俺を見てた。俺、ていう……個人に向かって言ってる感じがした」
そう言ってから、俺は慌てて壮大な勘違いを口にしていることに気づいて、
「いや、違うんだ! 俺個人っていうのは、その……凜音が俺をそう思ってるってことじゃなくて、演技として個人に感情を乗せているとか、上手く言葉に気持ちを伝えられるとか、そういうことを言いたくてだな――!」
「分かりました」
「……え?」
凛音はメモをとった。メモ帳を出すなり、素早くなにかを書いている。
そして、パタンとメモ帳を閉じた。
「今日は、ありがとうございました。……また明日、よろしくお願いしますね……先輩」
明日まで、俺の心臓が持つだろうか。
なんて冗談は、もちろん心の中だけに留めておいた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
三回目の練習のとき、凛音は差し入れを持ってきた。
コンビニの袋には缶コーヒーが二本。どっちも苦くない、甘いコーヒーだ。
その内の一本を、俺に差し出した。
「先輩、これ……あまったので」
「あまったって……二本、あるけど?」
凜音は、ごまかすように視線を逸らして、
「と、ところで……っ! 先輩は甘いのと苦いの、どちらがよかったですか……」
「いや、甘いのしかないじゃん」
「だっ、だから聞いてるんです! 甘いコーヒーが、嫌いじゃないかな……とか」
凛音の耳がほんの少し赤くなった。気のせいかもしれないけど。
「次から、聞いてから買います」
「いやいや、買わなくていいよ。なんか、奢らせてる感じがするし」
「構いません。これはあくまでも、協力者としての報酬……なのですから」
凛音はそっぽを向いた。俺は苦笑いしながら缶コーヒーを受け取った。
微糖だった。好みど真ん中で、おいしかった。
それから俺たちはしばらく、踊り場の窓枠に並んで座って、グラウンドを見ていた。練習の前なのか後なのかわからない、妙にゆったりとした時間だった。
「先輩って、ここで何してるんですか、いつも」
「本を読んでる」
「えっ……どうして、旧校舎で?」
「静かだから」
「静か、だから……」
凛音はそうですかと言って、また黙った。
俺はコーヒーを飲んで、凜音も同じコーヒーを飲んでいる。どっちも何も言わない、でも不思議と居心地は悪くなかった。
「アイドルって、やっぱり大変なのか?」
ふとそんな疑問を口にしたけど、聞いてからちょっと失礼だったかなと思った。
でも、凛音は特に嫌そうにはしなかった。
「大変かどうかわからないです。これしかやってないので」
「中学から、だっけ?」
「はい……中一のはじめから」
「じゃあ、もう三年か」
「今年で四年目です」
純粋に、すごいな、と思った。俺が中一のとき何やってたか思い出せもしないのに、この子はもうその頃から自分の仕事を持ってたんだ。
「好きなんだ、アイドル」
凛音は、少し考えてから言った。
「好きかどうか……わからなくなることもあります。でも、やめたいと思ったことはないです」
「そうか。……頑張れよ、なんて軽い言葉しか言えないけど、頑張ってくれ」
「はい……ありがとうございます」
コーヒーを飲んでいる最中、凜音はたまにじっと俺の顔を見ることがある。
睨まれているのか……なにか地雷を踏んだのか……。
とにかくアイドルの話題については、あまり深掘りしないことにした。
凜音はなぜか、ちょっと不満そうに口をすぼめていたけど。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
五回目の練習で、事件が起きた。
「先輩のことが……ずっと、前から……す、す……すすっ……」
噛んだ。
凛音が、台詞を噛みまくっていた。
「好き」の入り口で、「す」まで言ってそこで詰まって、言葉に出来なくなっている。
俺は……何も言えなかった。凛音も何も言わなかった。五秒くらいそのままで、凛音がゆっくりそっぽを向いた。耳が赤い。今度は絶対、気のせいじゃない。
「すみません……気を取り直して、もう一回やります」
「うん」
この後は意外なほど、あっさりいった。普通にやり直して、普通に終わった。
凜音は、この前よりも険しい目つきで、俺の顔を見つめて……睨んでいた。
「なあ……どうしたんだ?」
「別に……何でもありませんから」
女の子の地雷はこわい。いつ、どこで踏んでいるのか分からないからな。
俺は余計なことを言わず、踊り場の階段に座った。すると、凜音も俺の隣に座った。
二人してなんとなく窓の外を見て、練習終わりにしては早い時間に解散した。
「それでは……また明日」
「ああ、また明日な!」
家に帰りながら、俺はなぜかずっとあの「す……」を思い出してた。
べつに、なんとも思わない。思わないけど。
なんか、頭から離れない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
七回目の練習が終わったあと、なんとなく話が弾んで、俺は昔のことを話した。
「むかし……すごく励ましてもらったことがあってさ」
「それは……だれに、ですか」
「うーんと……知らない子に。場所もちょっと変なんだけど、ライブ会場の裏口みたいなとこで」
「……」
「中一のときにさ、たまたま迷い込んで。そしたら、泣いてる女の子がいて」
「…………」
「何があったのか聞いたら、うまくいかなかったんだって。何のことかはよくわかんなかったけど、ひとまず俺が思ってることを言ったら、泣きやんでくれた」
「その子には……何て、言ったんですか」
「うまくならなくていいから、好きにやればいいんだよ、って」
「うまくならなくていいから、好きにやればいい――」
「ああ……だって、好きでやってることなんだ。技術とかスキルとか、そういうのはやってる内に身についていくだろうし、いま気にしたって仕方ない。好きなことを続けていれば、絶対にいつか成功する。絶対にいつか上手くいく。だから君には、その『好きでいられる才能』がある限り、成功する。だから君は絶対に大丈夫だって、言ったんだ」
……沈黙が続いた。
ちょっと、昔話が長すぎただろうか。
俺はふと凜音の顔を見た。余計なことをベラベラと……なんて思われてたら嫌だな、なんて考えながら。
でも……違った。
凛音の目が、いつもと違う。練習する時の目でも、アイドルとしての目でもない。
まるで……なにか確信を得た時のような、大きな目が……。
「なあ、どうしたんだ?」
「い、いえ……っ! なんでも……ないです」
「いや、それにしては顔が――」
「なんでもないです! ……忘れてください」
凛音はそう言って、メモ帳を鞄にしまった。今日はここまでにします、と言って立ち上がる。
でも出口の前で、一瞬だけ振り返った。
「先輩は……その女の子のことを、覚えていますか」
「んー……いや、覚えてないな。暗くて、顔もよく見えなかったし」
凛音はそうですか、と小さく言って、踊り場を出ていった。
俺は一人になって、なんかやらかしたかな、と思った。
でも、何をやらかしたのかわからなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
次の日の練習で、凛音がちょっとだけ変だった。
いつもは「始めます」という顔ですっと台詞に入るのに、その日は立ったまましばらく俺の顔を見つめていた。
「凛音?」
「あ……いま、名前で呼びましたね」
「あっ、ごめん! 次からは、桐島さんって」
「そうじゃなくて……べつに、いいです。名前でも……わたしは……」
「えっ?」
「だから、その……」
凛音は小さく息を吸って、正面を向いた。
俺を見た。
「今日の練習を、始めます」
そう宣言した凜音は、いつもより何かが近い気がした。距離は、昨日と変わってないのに。
「わたし……ずっと前から、先輩のことが……」
――今日は、声がちがった。
ちがう、ていう言い方が正しいかどうかわからない。うまいとか下手とか、そういう話じゃなくて。
でもなんだか、今日の凜音の声は、温度が違う気がしていて。
「好き……です」
そこで、言葉は止まった。
時間も止まったんじゃないかって、そう錯覚した。
だって今日は、凜音が頬を赤くしていたから。胸の辺りを、手できゅって抑えてたから。
「その……今の、どうでしたか」
色々と思うところはあったけど、俺は率直に感じたことを言った。
「……なんか、違った」
「どこが、ですか?」
「全部。今日のは、今までのと全部違った」
「全部って……具体的には」
「……分からない。今までの告白と、今日の告白。何が違ったのか、俺にはそこまで分からないんだけど――」
凜音はくるりと振り返った。
あんまり、満足のいく言葉じゃなかった……のかな。
凜音の背中は、ちょっぴり怒ってるみたいに見えて、
「……帰ります」
凛音は荷物をつかんで、いつもより早足で階段を降りていった。
「あ、」
引き止めようとして、でも声が出なかった。
俺は……しばらく、一人で夕陽を見てた。
ぜんぶ違った、なんて言い方をしてしまったけど、正確には、こういうことだ。
あの台詞に、練習の感じがなかった。
俺に、向いてた。ちゃんと……俺に。
――いや、そんなことはあり得ないだろ。あり得ない、俺の妄想だ。
条件反射的にそう思ってみても、一概に否定できない記憶がある。
「もしかしてだけど……まさか、あの時の子は……」
本当にもしかしてなんだけど……でも、俺は思い出さなくちゃいけないことがあった。
あの時……ライブ会場の裏口で泣いていた、女の子のことを。
『うまく、できなかったんです! わたし、いっぱい練習もして、だけど……歌も、ダンスも、ぜんぜんダメで……もう、どうしたらいいんだろって、わたしわかんなくて……だから、だからわたしは……!』
あの時、俺が声を掛けて、俺が励ました女の子は――おそらく、桐島凜音だ。
どこか聞き覚えのある声だと思ったけど、間違いない。
だからこれは偶然じゃなくて……だから凜音は、俺を『練習』相手として……。
でもさ……そんなの、信じられねえよ。
俺と凜音の間に、なにか縁があったとして……そんなの、勘違いもいいとこだろ。
相手は、超有名グループのアイデアさまだぞ。
その桐島凜音が……俺に、告白?
いくらなんでも、そう受け止めるには……勘違いが過ぎるだろって。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
凛音のグループのミュージックビデオが公開されたのは、それから二週間後だった。
タイトルを検索したら一発で出てきた。俺はイヤホンを挿して、スマホを持ったまま再生した。
曲は知らなかった。でも、ダンスはきれいだった。凛音がセンターで踊ってる姿は、踊り場で俺の前に立ってる凛音と、なんか別人みたいで……でも、ちゃんと同じ人で。
告白シーンは、終盤だった。
凛音が画面を向いて、一歩踏み出す。
『好きです……先輩』
ファンのコメント欄には、こう書かれてた。
『好き……が上手すぎないか?』
『分かる。一発でもってかれた』
『なにをだよ』
『心だろ』
『確かに演技が上手かったけど……あの好きは、絶対に俺らに向けたものじゃないよな』
『いやいや、あれは俺たちへの好きの目だろ』
『相当練習したんだろうな、一気に引き寄せられたわ』
『凜音ちゃんの目線の先に何があるのか気になって、三十回見た』
俺はコメントを閉じて、もう一回再生した。
今度は、あの目線の話だけを考えながら見た。
凜音は……俺のことを見てるときと、同じ目をしてた。
スマホを伏せて、天井を見た。
なんか……全部、わかった気がした。
全部俺の勘違いで、気持ち悪いお門違いで、下らない妄想かもしれないけど。
でも……もしそれが、俺の勘違いじゃないのなら。
ちゃんと向き合わないといけない、って思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日の放課後、旧校舎の踊り場に凛音がいた。
いつも俺が先に来てて凛音を待ってるのに、その日は逆だった。凛音が窓枠に座って、外を見てた。
俺が来たのに気づいて、凛音は立ち上がった。
「……MV、見ましたか」
「見たよ」
「どうでしたか」
「きれいだったよ、すごく。歌も踊りも、本当に上手かった」
凛音の耳が、少し赤くなった。
「練習……まだ、必要ですね」
「いや、MVはもう撮ったじゃん」
「それは……次の曲の分です」
「次の曲って、告白シーンあるのか?」
意味深な沈黙。
「……わかりません。でも、必要なので……」
「そっか」
俺は踊り場の中に入って、いつもの位置に立った。凛音が向かいに立つ。夕陽がさしてくる。逆光で、また凛音の顔がよく見えない。
でも最初のときと違って、今は見えなくてもわかる。
凛音が、どんな顔をしているのか。
「……じゃあ、始めますか」
俺はうなずいた。
「わたし……ずっと前から、先輩のことが」
一拍。
その時に――俺は思った。
次の曲に告白シーンがあるかどうかなんて、凛音が一番知ってるはずだ。
でもそれを聞くのは野暮ってもんだろう。
「好き……です」
凛音の声が、いつもより明らかに震えていた気がした。
俺はしばらく黙ってた。凛音も黙ってた。
そして……俺は、ずっと聞けなかったことを、口にした。
「なあ、凛音」
「……なんですか、先輩」
「あの……さ。その、難しい質問かもしれないんだけど」
「いえ……ちゃんと、聞きます」
俺は一度、深く息を吐いた。
「この……『練習』の告白って。もしかして……俺に向けた、本物だったりするか?」
踊り場が、しんと静まり返った。
凛音は……固まっていた。
いつもなら即答が来るのに、今日は返事が来ない。西日の逆光で、凛音の表情が見えない。でも肩が、かすかに震えているのは分かった。
「……ち、違います」
やっと出てきた言葉が、それだった。
「『練習』です。アイドルの……『練習』、なんです。だから、先輩の勘違いです……それは」
声が、震えてた。
ここから見ても分かるくらい……凛音の目が、ちょっと赤かった。
「そうか……ごめん、変なこと聞いて」
「謝らないでください。わたしこそ……迷惑を、かけてしまって」
「迷惑じゃないよ、全然」
少しの間を置いてから、凜音は顔を上げた。
「……先輩」
「ん?」
「『練習』、続けてもらえますか。次の曲で、また……必要に、なるかもしれないので」
俺が出す答えは決まっていた。
「もちろん、凜音が満足するまで続けようぜ」
「……ありがとう、ございます」
凛音はほっとしたように、小さく息を吐いた。そして、また正面を向く。夕陽の中で、いつもの練習の顔になろうとしてる。
なろうとしてる……でも、目だけは、まだちょっと赤かった。
俺はわかってた。
凛音の「違います」は、本当じゃない。
きっと……この『練習』を、終わらせたくなかった……のかもしれない。
でもまあ……なんだっていい。
俺もまだ、ちゃんと言えてないから。
「じゃあ……もう一回、やるか」
「はい」
「先輩のことが――」
凛音が、また台詞の冒頭を言う。
その声を聞きながら、俺は思った。
いつか、俺が先に言えたなら……その時は、『練習』じゃなくなるんだろう。
だからきっと――それも含めて、凜音は『練習』したいのかもしれない。
その時のために、その時を待って。
「好き、です」
凛音が笑った。ほんの少し、照れたみたいに。
俺も笑った。ちょっと心臓の音がうるさくて、ごまかすように。
明日からも凜音との『練習』は、しばらく続きそうだ。




