第1話 美しき殺意
新連載です。
夜が明ける頃。
藍原澄奈は、こんな時間だというのに、ポテトチップスをボリボリと頬張っていた。
独身アラサー。彼氏いない歴=年齢。ブラック企業のリストラ候補。
社会の荒波にもまれ、負け組続きで、すべてがどうでもよくなっていた。
薄暗い部屋の中、乱雑に散らばったお菓子の袋や飲みかけのペットボトル。
新卒から1人暮らしをしていたので、部屋がぐちゃぐちゃだ。仕事が忙しすぎて、片付ける暇もない。
しかし、アニメを見る時間は無理やりでも作る。今週もリアタイするからだ。
視力が悪いことも忘れ、澄奈はただぼんやりと、テレビ画面を見つめていた。
彼女が見ているのは、深夜アニメ『生まれ変わったら世界を救う勇者になっていたので、ハーレムパーティーを作って無双しようと思います』という、ライトノベル原作の作品。
男性向け作品であるものの、澄奈はこのアニメの大ファンだった。最近では、この作品が生きがいとなっている。
『ハーレム』とタイトルに記載されているため、もちろん胸の大きい女キャラクターたちが、主人公の周りを囲んでいる。
勇者・レオン、聖女・マリア、魔法使い・カスミ、武闘家・コユキ——そして、剣士・トウマ。
男1に女4のパーティー構成。だが、澄奈の推しは当然レオンではない。
ハーレムパーティーといいながら、実はもう1人、男性キャラが登場する。
そのキャラこそが、澄奈の最推しキャラだった。
レオンを含む6人は、元々現実世界に存在していたキャラクターという設定で、苗字+名前が付けられている。
6人は王様によってランダムに選ばれた選ばれしメンバーらしい。ちなみに、トウマの本名は「柊透真」。
ファンタジーの舞台だから、きっと名前だけカタカナにされたのだろう。
トウマは黒髪を長く伸ばし、後ろでポニーテールに結っている。
身長は女性キャラより少し高い程度で、男性キャラにしてはやや小柄。
必要最低限の言葉しか発さず、基本的に仲間の後ろを無言でついて歩くタイプだ。
いつもどこか遠くを見つめるような、虚ろな瞳。
その目は澄んだ紫色で、まるで現実とは別の次元を見ているかのようだった。
——でも、彼はスイッチが入ると、別人になる。
敵を前にしたとき、トウマは静かに、冷酷に覚醒する。
鋭い目つき、風で靡く長い髪。
腰を低く落とし、一気に剣士らしい構えを見せる。
この作品には『ゾーン状態』という特殊なシステムがある。
キャラクターが感じる怒りや憎しみなどの感情が頂点に達した時、個性的なオーラを放ち、通常の5倍の攻撃力で敵を倒すことができる。
トウマは他のキャラよりも、このゾーンを感じる瞬間が少ない。
『ねえ…君さ、これ以上僕の仲間を傷つけないでくれる?
このセリフは、マリアが中ボスのゴブリンに喰われかけた時、彼が放ったものだった。
ゴブリンはマリアに向かって、異常な唾液の量を出し、口を近づける。鋭い牙が見えた。
『嫌っ…!! 嫌ぁぁぁぁぁぁ!』
彼女の悲鳴に、トウマはピクリと反応する。
マリアの大きな胸が、たぷん、と揺れた。必死に抵抗しているため、衝動で胸も動くのだろう。
『聞いてんのかよ……生きる価値もないカスが。』
その瞬間、彼の体から、紫がかったオーラが音もなく立ち上る。
瞳が細められ、鋭く光を反射する。
スッと剣を抜いた彼は、刹那、空間を切り裂くようなスピードで駆け出した。
剣を素早く抜き取ると、尋常ではない速さでゴブリンへと駆け出した。
『紫閃流____。 虚滅封刃…!!! 』
そして、ゴブリンの身体ごと真っ二つに割った。
この技は、『存在を滅ぼす』という意味が込められている。
彼が素早く抹殺し、ゴブリンは激しく苦しがった。
『…案外弱いんだね。さようなら。』
トウマはため息混じりに呟き、血飛沫を浴びた剣を軽く振るって納める。
そして、ゴブリンの痛々しい顔を見て、ニヤリと笑った。
「気持ちよさそう…。」
それをテレビ越しで見ていた澄奈は、思わずポテトチップスを床に落とす。
トウマの剣には、ゴブリンを斬った血がポタ、ポタと垂れていた。
その様子に、思わず生唾を飲み込む。
「このゴブリン、前世なにしたんだろう…。羨ましい。 」
柊透真こと、トウマ。 それは澄奈の中でもっとも愛おしい存在、そして、最も殺されたい相手でもあった。
毎話観るたびに思う。
彼の“殺し”は、本当に、美しい。
決して余計なことはしない。
感情を見せることもない。ただ、淡々と、静かに、一撃で滅ぼす。
狙いはぶれず、構えも崩れない。無駄のない一閃で、敵を葬る。
——その剣術の潔さに、心がときめく。
まるで、“自分が殺される側だったら”と想像してしまうほどに。
きっと、痛みすら心地よく感じてしまうだろう。
あの瞳に見つめられて、冷たく吐き捨てられて、容赦なく斬られる——
それを少しでも想像しただけで、心臓の鼓動が早くなり、顔が熱い。息が苦しくなってくる。
澄奈は、胸を抱きしめながら、うっとりとテレビ画面を見つめた。
そして、空想の世界に入っていて時間を忘れていたが、耳を澄ますと、雀の鳴き声が聞こえてきた。
澄奈は、その現実にハッとする。また、違う意味で動悸がした。
夜明けだ。
明日も平日。また、地獄の拷問が始まる。
労働時間12時間の時間が。
正直、身体が限界だ。全身身体が痛く、腰も動かない。視界もぼやけていく。
「明日も仕事…。 行きたくない…。」
その呟きを最後に、澄奈はソファに崩れるように倒れた。
魂が抜けた感覚で、意識もない。
——この時、彼女はまだ知らない。
まさかこの瞬間、静かに“過労死”していたなんて。
そして、このあと、自分がまさか、
『推しに殺される夢のセカンドライフ』が待っているだなんて、彼女は知りもしなかった。