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 今回、現地訓練の実施場所となったのは、学院からもほど近い、『太古の森』と呼ばれる原生林だった。

 巨大な木々が鬱蒼と生い茂り、生息している魔物の種類も数も多い。


 しかし目的地である『寄生の大木』ぐらいまでなら下級な魔物しか現れないので、楽に行って帰って来れるはず。

 というのが、リゲル先生の事前説明だった。

 ところが――。


「いくら出て来る魔物が弱くっても、こう次から次へと現われるんじゃ、ぜんぜん前に進めないのよ!」


 うっとうしいくらいにまとわりついてくる魔物たちに、とうとう怒りを爆発させたアンジェリカは、道端の大きな岩の横に座りこんだ。

 セシルも隣に腰を下ろす。


「でも……アンもミュゼットもとってもうまく攻撃魔法を使うから、私たちの班は他の班よりもずいぶん早いみたいだよ……あっ……もちろんユーディもうまいから!」


 何を見つけたのか――勝手に木に登り始めたミュゼットと、少し離れたところであくまでもこちらに背中を向けているユーディアスの姿に、冷や汗を感じながらも、セシルはアンジェリカに笑いかけた。

 アンジェリカは上目づかいにセシルの顔を見ながら、はあっと大きなため息をつく。


「四人一組なのをうまく活かしているとは、とても言えないけれどね……!」

「ハハハ……」


 ここまでの行程を思い返すと、乾いた笑いを浮かべずにはいられないセシルだった。


 アンジェリカもミュゼットもユーディアスも、呪文を使う能力は同学年の中でもずば抜けて高い。

 しかし三人とも、どうやら連携攻撃にはまるで向いていないようだ。 

 

 道中でも何度、同じ魔物に同時に攻撃してしまったり、お互いの攻撃が当たりそうになったりしたことか――。

 何事にも真面目なアンジェリカが、なんとかミュゼットとユーディアスをまとめようと奮闘していたが、ここへきてきてついに断念したらしい。


「もう勝手にやってちょうだい……!」


 ぷんぷんと鼻息荒く怒りながら、必死に荷物袋の中をあさっている。


 アンジェリカの頬に血がついていることに気づいたセシルは、自分の荷物の中から小さな軟膏入れをとり出し、そっとさし出した。

 入っているのはセシルが自分で調合した、ごく普通の傷薬。


「……ありがとう、セシル。やっぱりあなたって気がきくわ。補助魔法だってタイミングばっちりだったし、おかげでずいぶん助かったもの……」


 攻撃面ではあまり役に立っていないと自覚しているセシルには、アンジェリカの言葉がうれしかった。

 防御系や能力増強系の魔法を駆使し、援助に徹したことを認められてうれしい。


「うん」


 誇らしさに胸をはった時、はるか頭上からミュゼットの声がした。


「ねえ、見つけた!ここからちょっと進んだ所に水があるよ!」


 セシルもアンジェリカもすぐに空を振り仰ぐ。

 大きな木の枝にすっくと立ったミュゼットは、目の上に手をかざして前方を見ている。


「そう。よかったわ……呪文の唱えすぎて喉がカラカラ……持ってきた飲み水も、もうなくなりそうだったのよ……」

「私も!」


 大岩の横から腰を上げたアンジェリカは、するすると小猿のように木から降りてきたミュゼットと共に、再び歩きだした。

 セシルは少し離れたところにいるユーディアスをふり返り、声をかける。


「ユーディ、行こう。この先に水があるそうだから……」


 いつものようにユーディアスが「ああ」と気のない返事をする前に、ものすごい勢いでアンジェリカとミュゼットがセシルをふり返った。

 うちあわせたわけでもないだろうに、まるでそっくり同じ表情――脳裏にひらめいた何かに興奮して、活き活きと輝く若草色と碧色の瞳。


「な、何……?」


 セシルは我知らず、スカートのポケットを服の上から握りしめた。

 そこにはあの、恋愛魔法薬の入った紫色の小瓶がある。


「チャーンス! チャンスよ、セシル!」


 声をひそめて叫んだアンジェリカが、セシルの手をぎゅっとつかんだ。

 ミュゼットは背中に背負っていた自分の荷物をガランガランと道ばたにひっくり返して、その中からやけに派手な金色の杯を取り上げる。


「あったあった。はい。セシルこれ」

「な、何? これ……?」


 答えはわかっているような気がしたのだが、セシルは思わず確認してしまった。

 心臓が今にも口から飛び出さんばかりに、ドクドクと鳴っている。


「決まっているでしょ? 見つけた水を皮袋いっぱいに汲む前に、ちゃんと飲める物かどうかを確認するのよ」


 実にまともなアンジェリカの返事だったが、瞳があまりにも活き活きと輝いている。

 この現地訓練には、初めて実戦を体験する以外にも、そういえば別の楽しみが含まれていたのだと思い出し、すでにどうしようもなく頬がほころんでしまっている。


「もちろん、男らしく試し飲みをやってくれるわよね、ユーディアス? この班でたった一人の『男』ですものね?」


 皮肉交じりに微笑むアンジェリカに、ユーディアスはあごを少し上向けて、この上なく不機嫌な顔でうなずいた。


「ああ」


(ユーディに、『男らしく』とか強調したらダメなのに……! 怒ってる……昔みたいにすぐに顔には出さないけれど……絶対に怒ってるよ……!)


 泣きたいぐらいの気持ちになったセシルの手に、ミュゼットは金の杯を握らせ、トンと背中を押した。


「じゃ、いってらっしゃい、セシル! とりあえずユーディアスが飲むぶんを汲んで来てね!」


 その言葉のあとに「恋愛魔法薬を入れちゃうのだけは、忘れないでね!」と聞こえたのは、セシルの気のせいだろうか。

 ――いやきっと気のせいではない。


 なんとか勘弁してはもらえないかと、懇願するようにふり返ったセシルの視線を、アンジェリカもミュゼットも無情にはね返す。

 セシルはがっくりと肩を落として、ミュゼットが木の上で見つけたという水場へと向かった。



                      ◇


 いくらも歩かないうちに、その小さな泉はあった。

 立った位置から見下ろしただけでも、水底が見えるくらいに水が澄んでいる。

 中で魚が泳いでいることからも、おそらく飲めるものであるのはまちがいない。

 屈みこんで水面に映る自分の顔を見つめながら、セシルは途方に暮れていた。


(どうしよう……!どうしよう……!)


 スカートのポケットの中に手を入れると、ただそれだけで体が震える。

 小さな瓶が、指先にやけに冷たく感じる。


 『恋愛魔法薬』――その気がない相手にも無理やり恋愛感情を芽生えさせてしまう、恐ろしい秘薬。


 これを杯に汲んだ水に混ぜてしまえば、ユーディアスは自分をふり向いてくれるのだろうか。

 他の人に見せるのと同じような笑顔を、遠い昔のようにまた、セシルにも向けてもらえるのだろうか。

 想像しただけで、ぎゅっと胸が痛くなった。

 しかし――。


(でも……本当にそれでいいのかな……?)


 ドキドキと震える体以上に、セシルの心は震えていた。

 目を閉じると、すぐにユーディアスの顔が浮かんでくる。

 いつも遠くから見ていた――小さな頃の面影を濃く残した綺麗な顔。

 セシルと目があうと、いつだってぷいっと逸らされてばかりだったえんじ色の瞳。

 それが今、妙にありありと心に浮かぶ。


 正義感にあふれた、まっすぐなユーディアス。

 もしここで卑怯な手を使ったなら、たとえこの先彼がセシルを見てくれるようになったとしても、セシルのほうが、彼を堂々と見つめ返せるだろうか。

 ――無理な気がした。


(別に……ユーディが私のことを好きにならなくてもいい……この恋に望みがなくてもいい……! ただ私がユーディを好きなだけだから……ずっと見ていたいだけだから……!)


 帰ったらそうはっきりと、アンジェリカとミュゼットにも言おうと決意しながら、セシルはポケットの中で握りしめていた小瓶から手を放した。

 薬を入れずに、ただ水だけを汲んで三人が待つ場所へ帰ろうと、水面に体を乗り出す。

 その瞬間――。


 ザアアアアアアアッツ


 大きな音をたてて、水面が急激に盛り上がった。


「きゃああああああっ!」


 悲鳴を上げてうしろにのけぞったセシルの横に、アンジェリカとミュゼットが飛び出してくる。


「ア、アン? ミュゼット……?」


 悲鳴を聞きつけて走ってきたにしては、あまりにも早すぎはしないだろうか。

 どうやら二人は、セシルが本当に杯に恋愛魔法薬を入れるかどうか、見届けようとこっそりついてきていたようだ。


 しかし今はそんなことはどうでもいい。


「天空より来たりて、打ち貫け光の刃!」


 いつもの飄々とした雰囲気からは想像もつかない威厳に満ちた声で、ミュゼットが得意の閃光系の魔法を詠唱し始める。

 しかしそこにアンジェリカの鋭い声が飛ぶ。


「バカじゃないの、ミュゼット! あれに閃光系を当ててどうするのよっ!」


 滝のように流れ落ちる水幕の中から姿を現わしたのは、皮膚で発電した電気を空気中にビリビリと放電している大きななまずだった。


「うっ、お化け電気なまずっ!」


 勢いをそがれたミュゼットは、助けを求めるようにアンジェリカに目を向ける。


「ど、どうしよう……?」

「知らないわよっ!!」


 アンジェリカが得意としているのもまた、水流系の魔法だった。

 水に住むなまずには、やはり効果があるとは思えない。


「ルーシーがいたら、地石系の魔法をかけてくれるんだけど、今日は別行動だもの!」


 アンジェリカの叫びを聞きながら、セシルは首を振った。


(ルーシーはいない……魔道具が入っている荷物袋も、さっきの場所に置いてきてしまった……だったら!)


 セシルは立ち上がり、顔の前で両手を組んだ。


「出でよ、女神の加護の力、魔法の盾!」


 攻撃が得意ではないセシルが、自分と仲間の身を守るために積極的に学んでいる防御魔法。

 ここに来るまでにこれほど大きな敵には出会わなかったし、果たしてどれほどの効果があるのかもわからないが、何もしないでこのままやられるよりはずっといい。


 三人の前に作り出された半透明の丸い魔力の板は、なまずが放った電気をギリギリのところで防いだ。

 しかし板を魔力で支えるセシルが受けた衝撃は、あまりにも大きい。

 崩れ落ちそうになった体を、アンジェリカとミュゼットが両側から支える。


「「セシル!」」


 継続的な魔法を使うには、膨大な魔力を消費する。

 セシルが使った防御魔法は、まだまだひよっこの学生が長い時間使えるようなものではない。


「ちょっと大丈夫?」

「無理しないで!」

「だって……そんなこと言ったって……!」


 盾が消えた瞬間、なまずの電流に三人が感電することは目に見えている。

 セシルは自分が持つ魔力の全てを注ぎこむほどに集中して、自分たちの前に盾を張り続けた。

 しかし、それでも、そう長くはもたない。


(ダメだっ! もうダメ!)


 ブルブルと震える腕も足も感覚がなくなり、なし崩しに倒れてしまいそうになった時、背後から鋭い声がした。


「お前ら、とりあえず伏せろっ!」


 声に従って三人がその場に突っ伏すのと同時に、真っ赤な炎のかたまりが頭上を駆け抜ける。

 水際まで来たところで、いったん勢いを失いそうになったが、


「くっそう! 形あるものは全て塵に帰す、燃やし尽くせ火炎の刃!」


呪文の詠唱で火勢を増し、飛び散る水しぶきを蒸発させながら、無理やりお化け電気なまずまで到達してしまった。


 ひげの先と皮膚の一部を焼かれたなまずは大きく体をくねらせて、出てきた時と同じように水幕に包まれ、水の中へと帰って行った。


 バシャーン


 最後に尾びれを水面に打ちつけた音があたりに響き渡り、それが消えて、もとの平穏な静けさが戻ってから、ようやくセシルはつめていた息を吐き出した。

 恐る恐るふり返って、自分たちを救ってくれた声の主を確認する。


 思ったとおり、肩で大きく息をしながら立ち尽くすユーディアスの姿が、はるか後方にあった。

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