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 よく晴れた早朝。

 エルフォンド魔法学院の正門前には、それぞれ変わった荷物を抱えた生徒たちが、百人あまりも集まっていた。


「いいか、三回生……? これからいよいよ戦闘術の現地訓練に出発する! 初めて実際に魔物と戦うわけだが……習った呪文は頭に入っているか? 戦闘で使える道具も、しっかりと準備して来たか? 何かあっても先生は責任なんか取りたくないからな!」


 最後の一言で、それまでしんと静まり返って話を聞いていた生徒達が、ワッと沸く。

 学院で戦闘学を教えるリゲル先生は、大きな体をした、あまり魔法使いらしくない魔法士だ。

 若い頃は魔物討伐で名を馳せた人物だったらしく、今でも最初の威嚇の一声だけで、下級な魔物なら追い払ってしまえることを自慢としている。


「教えられたとおり、なるだけ無駄な戦いをしないで目的地へ行って、帰って来ること。何よりも仲間の安全を最優先すること。それさえ守ってくれれば、他に言うことはない。制限時間は太陽が沈むまで。いいな、くれぐれも無理するんじゃないぞ」

「はいっ!」


 男の子たちは、早く出かけたくて、うずうずしているようだ。

 しかしセシルの心は晴れなかった。

 四人一組になっての現地訓練。

 そこでよりにもよってこんなメンバーになるとは――。


 念入りに荷物袋の中を確認しているアンジェリカと、今にもみんなの先頭をきって走り出しそうなミュゼット。

 そして、かたくなにセシルに背中を向け続ける葡萄色の頭――。


(はああ……)


 今後のことを想像すると、ため息しか出てこない。


「じゃあ、目的地までの大まかな地図を渡すから、係になっている者は取るように」


 リゲル先生はいかにも大ざっぱなわけ方で、手にした紙の束を近くの生徒に渡していく。


 役割分担で地図係になっていたセシルは、前のほうからまわされてくる地図を待ちながら、ひしひしと嫌な予感を感じていた。


(まさか足りなくなったりはしないよね……?)


 残念なことに、その予感は的中した。

 紙の束はすぐ前の女の子のぶんでなくなってしまい、最後尾にいるセシルまではまわってこない。


 細かいことをあまり気にしないリゲル先生の授業では、よくあることだった。

 しかし今日は、学院の外に出ての初めての現地訓練。

 地図なしではあまりに危険だ。


「せ、先生……!」


 声を上げても、がやがやと騒ぎだしたみんなの声にかき消されて、セシルの細い声では、遠く離れた場所にいる先生まではとても届きそうにはない。


「よおーし。しゅっぱーつ!」


 拳を突き上げ、歩き出した先生に続いて、生徒たちもわーっと声を上げ、整然と並んでいた列はいっきに崩れた。


「ま、待ってくだ……」


 焦るセシルの目の前で、葡萄色の頭がすっと動く。

 五年前は見下ろす位置にあったその頭は、いつの間にかセシルのほうが見上げる位置にまで高くなっている。


「先生。地図が足りないです」


 決して大声を張り上げているわけではない。

 けれどよく通る、澄んだ声。

 ざわめきの中を確実にくぐり抜けたその声に、先生はあっさりとふり返った。


「そうか? じゃ俺のぶんをやるから、取りに来い」


 その言葉をそのまま伝えるかのように、ふり返ったえんじ色の瞳が、じっとセシルを見つめる。

 昔とちっとも変わらない、中性的なよく整った綺麗な顔。

 セシルはたまらなくドキドキした。


「あ、ありがとう、ユーディ……」


 せいいっぱいの勇気をふり絞って笑顔を作ったのに、次の瞬間、ふいっと視線をそらされる。


「ああ」


 短く答えるとセシルの体をかわし、ユーディアスは周りの流れにあわせて歩き出した。


 どうにも胸が痛んで、セシルのほうはなかなか一歩を踏み出せなかった。

 無駄になった笑顔を顔に貼り付かせたまま、空を見上げる。

 奇しくもあの日と同じような青空が、頭上には広がっていた――。


 祭りの日から五年。

 十五歳になった今も、セシルはまだユーディアスにきちんとあの時のことを謝れていない。

 なにしろ、会話自体がそもそも成り立たないのだ。


 三年前、ユーディアスが同じ魔法学院に進学すると聞いた時には、これで少しは歩み寄れるのではないかと期待もしたが、それも結局、ぬか喜びに終わった。

 学院で学ぶようになってからも村にいた頃と同じように、ユーディアスはあからさまにセシルを避けてばかりいる。

 それはもう――どうしようもないほどに。


(今さら仲良くなんかなれっこない……そんなことはわかってる。もうあきらめてる……でも……!)


 どこにいても何をしていても、セシルの目は勝手にユーディアスの姿を探してしまうのだ。


 他の人と談笑している姿を遠目に見る。

 ただそれだけのことが、本当に嬉しい。


 あの笑顔が自分にだけは向けられないと思うと、胸を締めつけられるくらい切ないのに、どうしてもやめられない。

 無意識に向かってしまう視線は、意志の力などではとても止められない。


(せめてあの時のことをちゃんと謝れたらな……無理だよね……ユーディは本当は、もう私の顔だって見たくないんだろうし……)


 考えていると、どうしようもなく胸が痛くなってきた。

 じんわりと浮かんだ涙がこぼれないように、セシルはしばらく目を閉じ、もう一度ゆっくりと開く。


 その瞬間――。


「使っちゃいなよ。例のもの」


 ぬっと突然目の前にミュゼットの顔が現われ、とてつもなく驚いた。


「きゃああっ!」


 橙色の長い髪を今日は耳の上で二つのお団子に丸めたミュゼットは、せいいっぱい背伸びをして、ずずいとセシルに顔を近づける。


「早くしないと使用期限が切れちゃうよ。だって恋愛魔法薬は……」

「な、何の話をしてるのかしらっ? そんなに大声で!」


 猛烈な勢いで二人の間に割って入ったアンジェリカは、飛びつくようにしてミュゼットの口をふさいだ。


「誰が聞いているかもわからないのに、そのものズバリの名前を出さないでっ! アレを作ったことは秘密! あくまでも私達だけの秘密だったでしょう!」


 大量に怒気を含んだひそひそ声に、ミュゼットはああそうかと、四人で誓った約束をたった今思い出したようだった。


「使用期限は七日程度って、本に書いてあったわ。あの日からもう三日が過ぎたから、残りは四日というところね……ふふっ」


 今日は別行動のルーシーメイが、金茶色の長い髪を耳にかけながらふんわりと微笑む。


「う、うん。使用期限ね。わかってる……わかってはいるんだよ……?」


 自分を見つめる三対の目から、あきらかに急かされているような雰囲気を感じて、セシルは一歩、二歩と後ずさった。


「でも、今日は持って来てないの……寮に忘れて来ちゃったみたい。私って本当にドジだから……ハハハ。ごめんね」


 乾いた笑いを浮かべるセシルの目の前に、ミュゼットはすっと紫色の小瓶をさし出した。


「うん。そうみたいだから、持って来た。はい」


 できることならうやむやにしてしまいたくて、薬品棚の一番奥にしまいこんでいた小瓶と、こんな場所で再会することになってしまい、セシルはもう笑うしかなかった。


「あ、ありがとうミュゼット……助かったわ……ハハハ……」


 力なく小さくなっていく声に、アンジェリカは、はあっと大きなため息をつく。


「ねえセシル……五年もしつこく思っているのに満足に会話もできないなんて、これってもうぜんぜん可能性ないわよ。いいかげん諦めたら? って……いつ言おういつ言おうって、私ずっと思っていたの……!」


 あまりにも真正面から痛いところを突かれ、セシルはうっと胸を押さえた。


「そ、そう……アンったらそんなふうに思ってたんだ……うん。やっぱりそうだよね……私だってそう思うよ……」

「だからこれは、いいきっかけなのよ。きっとそうなのよ。私達の作ったそれがもし本当に効いたなら、セシルは絶対になれないはずだった両思いになれる! もし効かなくっても、これを機に新しい一歩を踏みだせる! こんなにいいことはないじゃない? そうでしょ?」


 セシルの目には到底見えない輝かしい未来を、しっかと見据えるかのように、アンジェリカの表情は実に生き生きとしている。

 どうして彼女はいつも、こんなに活力に満ちているのだろう。

 セシルはうらやましく感じずにはいられない。


「そうかな……そう……なのかな……?」


 迫力と勢いに押されて、ついつい思ってもいなかった言葉が口から出てしまった。

 途端、セシルの細い二の腕を、アンジェリカとミュゼットががっしりとつかむ。


「それじゃ、現地訓練の間に、なんとかするわよっ」

「よおーし! しゅっぱーつ!」

「…………え?」


 セシルを引きずるようにしながら、アンジェリカとミュゼットは、もう見えなくなろうとしているユーディアスの背中を追って歩き始めた。


「うまくいくといいわね。がんばってね……ふふっ」


ルーシーメイは健闘を祈るようにひらひらと手を振って三人を見送る。


「こ、この訓練の間にっ? ちょ、ちょっと待って!」


 のっぴきならない状況に気付いたセシルが、あわてて逃げようとしても、もう遅い。


 エルフォンド魔法学院創立以来の優等生と言われているアンジェリカ。

 自由人だが、実は桁外れに大きな魔力を内に秘めていると噂されるミュゼット。

 学院で学ぶ以上の呪文を、すでに知っているらしい知識の宝庫ルーシーメイ。


 同じように魔法学院に通い、魔法を学んでいるとは言っても、ごくごく平凡で一般的な生徒のセシルが、そんな三人を相手にしてかなうわけがない。


「ええええっ! そんなああああ!」


 悲鳴もむなしく、セシルは現地訓練以上に辛い苦境へと、二人に無理やりひぱっていかれた。

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