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■わたしの世界にアナタはいりません 上編




 ――アイリスという美しい花の名を付けられたにも関わらず、私は家族から踏み付けられて生きている。




 聖なる力でこの国を守る魔法使い――《聖女》。


 歴代、数多くの《聖女》を輩出してきた名家――モンティファー伯爵家の娘として、私は生まれた。


 銀色の髪に銀色の目は、聖なる力を宿した証拠。


 過去、《聖女》の称号を授かってきたモンティファー家の女性達と同じ特徴が、私にもあった。


 モンティファー家の現当主と、貴族出身の母との間に生まれた私は、両親を始め周囲の期待を一身に受けながら、大切に育てられてきた。


 しかし、5歳の誕生日を迎える頃には目覚めると言われていた魔法の力が、いつまで経っても発揮されない事を切っ掛けに、少しずつ雲行きが怪しくなってきた。


 この国を守る《聖女》となる……その役目を担うため、日々神へ祈りを捧げながら、魔法の目覚めを待っていた。


 しかし、私の体には何の変化も無く、月日はただ闇雲に流れていく。


 やがて、何も無いまま私が6歳の誕生日を迎えた日、父と母はある決断を下した――。


 翌年――私に妹が生まれた。


 美しい銀色の髪に銀色の目。


 私にそっくりの特徴を持った妹だった。


 しかし、彼女が私とは別物なのだということは、その三年後――妹、ガーベラが3歳の誕生日を迎えた年にわかった。


 彼女は若干3歳にして、魔法を使ったのだ。


 使用人の制止も聞かず、屋敷のベランダで遊んでいたガーベラが、バルコニーから庭に落下した。


 しかし、血相を変えて駆け付けた使用人の目に映ったのは、傷一つ無くケラケラと笑うガーベラの姿だった。


《聖女》が授かる聖なる魔法――結界魔法。


 ガーベラは、若干3歳にして魔法を使い、自身の体を結界で守護したのだ。


 この事実に、父と母はとても喜んだ。


『私の姉も、魔法の目覚めはここまで早くなかったと聞く。これほどの才能は歴代でも初めてだ』


 父は大仰に歓喜した。


『流石は、わたくし達の娘ね』


 母は心底嬉しそうだった。


 父とは母は喜んで、ガーベラを代わる代わる抱き締めていた。


 その間、私は――。


 この年、10歳になり、未だ魔法のまの字も使えていなかった私は、その光景を少し離れた場所から見詰めていた。


 喜ぶ父と母、笑う妹、称える使用人達。


 その輪の中に、私は居なかった。


 不意に襲って来た孤独感。


 そして、恐怖感。


 それらの予感は、自分の未来がもう救いようのないものになってしまったのだと、そう実感させるのに十分なものだった。




 そして、私はこの家で――いや、この世界で居場所を失った。




 ◇◇◇◇◇◇




「アイリス! いつまで同じところを掃除しているの!?」

「……申し訳ございません」


 廊下の床を雑巾掛けしていた私の頭上から、高圧的な叱責の言葉が降ってくる。


 見上げると、この屋敷で働く使用人――私が子供の頃から仕えているベテランだ……が、しかめっ面で私を見下ろしていた。


「もう間もなく、お嬢様がお目覚めの時間よ! そのみすぼらしい格好で、お嬢様の視界を汚して良いと思っているのかしら!?」

「……申し訳ございません。すぐに、身支度を調えて参ります」


 床に額が付くほど深々と、私は頭を下げる。


 私を叱責した使用人は、ふんっと鼻を鳴らして「ああ、忙しい忙しい」と去って行った。


 あれから、八年の月日が流れた。


 この八年の間、私――アイリスは、モンティファー家で使用人以下の存在として扱われてきた。


 妹が正式な《聖女》を受け継ぐ者……モンティファー家の娘として認められた事により、魔法の才能の欠片も無い……養う価値も無い私は、この屋敷で生活する事と引き換えに、雑用仕事を任せられた。


 もう、私はモンティファー家の娘ではない。


 ただ《聖女》になるために繰り返してきた祈りも、魔法の修練も、全てが無駄。


 それ以外に身に付けた技能も教養も無い私には、それくらいしかここに居座る価値が無い。


 今まで私を主の娘として扱ってきた使用人達もあっさり手の平を返し、無能な私を下っ端の更に下の存在として扱き使うようになった。


 そうやって……八年。


 私は今年、18歳になった。


「おはよう」


 大急ぎで廊下の掃除を済ませ、埃で汚れた服を着替えてこなければと、屋敷の外の物置小屋(現在、私に与えられた住処だ)に向かう最中だった。


 起床し、身支度を調え終わったガーベラが、朝食のため食堂へと向かっているところに出会した。


 まずい――と、私は汚れた姿を彼女に見せぬ為、廊下の隅に寄って深く腰を曲げた。


 前掛けも丸めて、両手で抱え込むようにする。


 これならば、彼女には私の頭と背中しか見えない。


「あら」


 私の前で、気配が立ち止まった。


「なぁに、これ?」


 鈴を転がすような美しい声音が聞こえた。


 心臓が高鳴り、全身から汗が滲む。


「お嬢様、如何されましたか?」

「廊下の隅に、大きな埃が転がっているわよ?」


 お付きのメイドが焦り気味に問い掛けると、美しい声は、謳うように残酷な言葉を投げ掛けてくる。


「汚い、灰色」

「………」


 最後に、髪の毛をまともに手入れしたのはいつだろう。


 かつて、美しい銀色だった私の髪は、今やボサボサの上薄汚れ、濁った色をしている。


「も、申し訳ございません!」


 お付きのメイドが、前屈みになっている私の頭に手を乗せ、力いっぱい下へと押す。


 私は膝を折り、まるで芋虫のように体を丸め、そのまま床に体を落とした。


「お目覚めしたばかりのお嬢様の目を、このような汚らしいもので穢してしまい!」

「ええ、本当に不愉快」


 後頭部を押さえ付けられ、私は額を何度も浅く床に打ち付けられる。


 痛みと苦しみの中で、私の視界に彼女の姿が映った。


 最高級の絹糸のような銀色の髪に、金剛石の如き銀色の瞳。


 今年11歳を迎えたばかりとは思えない、美貌とオーラに満ち溢れた彼女――ガーベラは、まるで虫を見下ろすような視線を私に向け、口の端を吊り上げていた。




 ◇◇◇◇◇◇




 今年11歳となったガーベラは、その類い希なる魔法の才能を発揮し、既に次期《聖女》に相応しい存在として、王侯貴族の間に名を知らしめていた。


 父と母はガーベラを溺愛し、自慢の娘として扱っている。


 一方、ガーベラのように虐げる事はしないが、私に関しては最初から存在しないものとしているようで、無視している。


 家族ではなくなった。


 私はもう、モンティファーの家では暮らしていない。


 屋敷の敷地内……庭の端に作られた掘っ立ての物置小屋が、今の私の家だ。


 一日の仕事を終え、私は小屋の窓から空を見上げている。


 苦痛に満ちた心境とは裏腹に、今夜は雲一つ無い夜空。


 満月の光が、世界を薄らと照らしている。


「………」


 家族に捨てられてから最初の数年、それでも私は毎夜、神へ祈りを捧げていた。


 まだ手遅れじゃ無い。


 私にも、魔法の才能があるはずだ。


 ただ、その力が目覚めるのが少し遅れているだけなのだ。


 こうして祈りを捧げ続けていれば、いつか私も力を授かる。


 そうすれば、お父様もお母様も、私も再び家族として迎え入れてくれるはずだ。


 ……けれど、一年経っても二年経っても……私に魔法は目覚めなかった。


 その内、辛く苦しい日々の中で心が折れ、いつしか祈ることを止めてしまった。


 虚しいからだ。


 18歳。


 もう立派な大人だ。


 この歳になって目覚めないのなら、私の中には、本当にこれっぽっちも魔法の才能が無いのだろう。


 魔法の力が無いとなれば、モンティファーの血を繋げるための子を宿す価値も無い。


 私の価値は、下働きの奴隷であること。


 奴隷としての日々が、これからも続いていく。


 かつて、温かな愛情を注いでくれたはずの父からも母からも無視され、妹や使用人達に蔑まれ……。


 眦に涙が浮かび、ツゥ……と頬を撫でるように流れ落ちる。


 そこで。


 ピィ、と、甲高い鳴き声。


 そして、羽ばたきの音が聞こえた。


 一羽の小鳥が、窓の縁に降り立った。


「ピオ……」


 緑色の羽を生やした、小さな鳥。


 この子の名前は、ピオ。


 私が名付けた。


 少し前、庭の茂みの中で怪我をしているところを発見したのだ。


 折れた翼をパタパタと辛そうにバタつかせている姿を見て、この小屋へと連れ帰り治療をしたのだ。


 幸いにも、翼の怪我はすぐに良くなり、私は元いた茂みへとこの子を帰した。


 しかし、ピオは自然へ帰る事無く、私の小屋に居着いてしまったのだ。


 ピオは、窓の縁から飛び降りると、私の膝の上に乗る。


「ピオ、アナタは良いわね。自由に飛べる、綺麗な翼があって」


 私は、ピオの頭に指を伸ばす。


 ピオは私の指先に頭を擦り付け、気持ち良さそうに両目を閉じる。


 すると、ピオは私の指に飛び乗り、トットットッと、腕を伝って体を上ってくる。


「あ……ピオ?」


 ピオは私の肩にとまると、私の頬に体を擦り付けた。


 柔らかい羽が、私の頬に流れた涙を拭ってくれた。


「……慰めてくれてるの? ピオ」


 私は微笑む。


 今の私にとって唯一の……大切な友人の、優しさに。


「ピオ、私も鳥になりたいわ。そうすれば、ピオと一緒にどこまでも飛んでいけるのに……」


 ピオの羽の心地良さ。


 小さな、けれど確実にそこにある命の暖かさを伝えられながら、私はゆっくり両目を閉じた。




 ◇◇◇◇◇◇




 ……夢の中で、私は野原を駆けていた。


 この七年間、屋敷の敷地内から外へ出た事など一度も無い。


 幼少の頃の……本当に小さい頃の記憶の中にだけ存在する原っぱを、私は走っている。


 心地良い風と、草木の香りに包まれて。


 私の少し先を、ピオが飛んでいる。


 広げた両の翼で風を切り、とても心地良さそうに、どこまでも自由に。


 待って――ピオ。


 その姿を羨ましく思いながら、私は後を追う。


 すると、不意に体がふわりと浮かんだ。


 足が地面を離れ、飛んでいるのがわかる。


 体に翼が生えたわけでも無いし、鳥になったわけでも無い。


 魔法の力?


 私も、遂に魔法の力が目覚めたのだ!


《聖女》が扱うような結界の魔法ではない。


 望まれた力とは、掛け離れたもの。


 けれど、それでいい。


 私は、ピオの横を飛ぶ。


 ここが、夢の世界だということはわかっている。


 全て、私の幼稚な幻想だということもわかっている。


 でもこの世界なら、全てから解放されて、自由で。


 生きていて幸せだって、そう思えた。




 ◇◇◇◇◇◇




 ――それから、数日後の事だった。




 私は、バケツを片手に庭の草むしりに勤しんでいた。


 何分、この家の庭は広大である。


 しかし、一切の手抜きは許されない。


 私は全身から汗を流し、草の溜まったバケツを持って、刈った雑草を集めてある場所へと向かう。


 その途中、庭の一角――屋敷のテラスの当たりで、何やら人が集まり騒ぎになっている事に気付く。


「お嬢様! お嬢様、どうかお怒りをお治め下さい!」


 使用人達が騒いでいる。


 ふと見ると、その使用人達の中心でガーベラが、足下の何かにホウキを叩き付けているのが見えた。


 嫌な予感がした。


 直感に誘われ、私はその場に駆け付ける。


「この! この、薄汚い獣め!」


 テラスの石造りの床の上に落ちている何かを、ガーベラは一心不乱にホウキで叩き続ける。


 ガーベラがホウキを叩き付ける度、緑色の羽が宙に舞う。


 私は悲鳴を上げて、ガーベラが手に持つホウキと、それの間に割り込んだ。


 ピオだった。


 ピオの小さな体が、石の床の上で潰れていた。


 飛び散った血と、抜けた羽が散乱している。


「やめてぇっ!」


 背中に、ガーベラの振るったホウキがぶつけられた。


 そんな中、私は声を荒げて叫んでいた。


「なんで!? 何でこんな事をするの!?」

「なによ、アンタ! 邪魔よ!」


 ガーベラが、顔を醜く歪ませて叫ぶ。


「その鳥が私の指を噛んだのよ! 薄汚い嘴で、私の肌を! まだ叩き足りないわ! どきなさい!」


 噛んだ?


 普通に考えれば、鳥が何もしていないのに人間を攻撃するはずが無い。


 何か、理由があったはずだ。


 しかし、その理由を問い質したい私に対し、ガーベラは怒りを鎮める気配が無い。


 むしろ、私が邪魔をしに現れた事で、更に火に薪をくべてしまったようだ。


「もういい! お前達! 私の代わりに、このゴミを立ち上がれなくなるまで痛めつけなさい!」


 叫んで、手にしたホウキを投げ捨て、ガーベラはその場を去って行く。


 残された使用人達は命令に従い、手にした掃除用具で私の背中を殴り続ける。


 その間、私は無残な姿になったピオの体がこれ以上壊されないように、背中を丸めて守っていた。




 ◇◇◇◇◇◇




「………」


 私をしばらく殴り続けた後、疲れて息を乱した使用人達は去って行った。


 その際に聞こえてきた愚痴混じりの会話から、どうしてこんな事になってしまったのか、なんとなく予測ができた。


 偶然、テラスでお茶をしていたガーベラの目に、庭を飛び回っていたピオの姿が映ったそうだ。


 緑色の羽を生やした美しく珍しい鳥である事に気付き、興味を惹かれたガーベラは使用人達に命令し、ピオを捕まえようとした。


 捕獲されたピオはガーベラの手に渡ったが、鳥の適切な愛で方などわからないガーベラは、ピオを自分勝手に撫で回したのだろう。


 逃れようとしたピオは、ガーベラの手に嘴を突き立てた。


 怒り狂ったガーベラはピオを床に叩き付け、使用人の掃除道具を奪い……という事だったようだ。


 夜。


 私は小屋の庭にピオのお墓を作った。


 地中に埋め、小さな石塊を上に置いただけの、簡素なお墓。


 手を合わせ、祈りを捧げ……気付くと、私は泣き崩れていた。


 嗚咽は留まる事無く、喉の奥から吐き出される。


 辛い、苦しい……日々の中のそんな想いは、ピオがいてくれたから薄まっていた。


 でも今は、ただただ辛く、苦しく、悲しい。


 泣いて、喚いて、やがて体が泣くことにも疲れて動かなくなった時……。


「……死にたい」


 私の心の中で、別の感情が膨れ上がっていた。


 もう、この世界から消えて無くなってしまいたい。


 どうして、こんな思いをするためだけに生きていなくちゃいけないのだろう。


 死んでしまって、何も感じない世界に行きたい。


「………」


 だが、そこで同時にも思う。


 どうして自分が消えなくてはいけないのか。


 むしろ、消えてしまえばいいのは――。


 自分を無いもののように扱う両親。


 見下し虐げる使用人達。


 大切なものを奪う妹。


 消えてしまえばいい。


 その姿を、もう見たくない。


 その声を、もう聞きたくない。


 こんな苦難に満ちた人生でも……それでも、誠実に、真面目に、頑張って生きていれば……いつか、報われる。


 今まで私が信じていた、何の確証もない信念なんて消え失せて。


 私は心からそう思った。




『S級結界魔法《ブロック》と《ミュート》に目覚めました』




「……え?」


 不意に。


 頭の中に、そんな文字が浮かんだ。


 不思議な感覚だった。


 目の前には、ピオのお墓がある。


 それが、実際に肉眼で見ている光景だ。


 それとは別に、まるで目がもう二つ、頭の中に増えたかのように――もう一つの視界が生まれたのだ。


 頭の中に浮かび上がった文字が、先程のようなものだった。




『S級結界魔法《ブロック》と《ミュート》に目覚めました』




「………」


 ああ、もしかしたら、私は遂に頭がおかしくなってしまったのかもしれない。


 魔法の力を得られず、奴隷のような日々を送り、唯一の友達を殺され。


 夢の中で見ていたような妄想と、現実の区別が付かなくなってしまったのかもしれない。


「ぶろっく、と……みゅーと?」


 私は、掠れた声で文字を読む。


「ええと、みゅーとって何?」


 試しに、私はそう呟いてみた。


 すると、頭の中の光景が変化する。




『《ミュート》――アナタが指定した対象がアナタに与える視覚情報・聴覚情報・味覚情報・嗅覚情報・触覚情報を、選択し遮断することができます』




「………」


 つまり、例えば。


 私がガーベラを指定して、彼女の《視覚情報》を遮断する事を選べば……私の目には、彼女の姿が映らなくなる、ということだろうか?


 私は苦笑する。


 正に私の理想通りだ、都合が良いほどに。


 やはり、妄想の類……。


 いや、もしかしたら、気付かぬ内に私は寝ていて、ここはもう夢の中なのかもしれない。


「じゃあ――」


 でも、それでいい。


 私は、この自身の浅はかな妄想に身を任せる。


「《ミュート》するわ」


 私は試しに、ガーベラ、屋敷の使用人達、父と母の《聴覚情報》を遮断した。


 あの不愉快な声をもう聞かずに済むならば、それ以上は無い――そう思って。



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