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t多恵さん 旅に出る Ⅴ  作者: 福富 小雪
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紅葉真っ盛りの秋川渓谷でスケッチ旅行の多恵さんが出会った天使のような霊と恨みに固まった幽霊。この二人を加えて何時ものように旅は続きます

 9月になり、社会も学校も又新しい活動に歩みだす時期になった。だが、この世の中、今コロナと言う厄介なウイルスに占領され尽くされ、何もかも歯車が狂ってしまい、何時夏休みに入ったのか、終わったのかさえはっきりしない。

絵描きである多恵さんには関係ないとは言わせない。彼女のパトロン且つ夫である大樹さんは大学の助教授今で云う准教授、教授と交互に週1回の講義をし、それとは別にゼミの学生達が、彼の教室に入れ替わりやって来る。特に今年はコロナの所為で国元に帰れなかったり、反対にアルバイトが無くて家元から離れられない学生がうじゃうじゃいて、大樹さんやみんなが混乱してる状態だから、多恵さんも一緒に混乱してる。それに娘だ、娘は小6だが、これは小学校自体が困惑しきってる。

でも9月だ、まごうこと無き秋の始まり、新学期の始まりだ。でも気温的には真夏の暑さの中で生きとし生ける物、半分茹で上がってる状態でいる。せめて気候だけは秋らしく、も少し涼しかったら助かるのにと、隣の藤井夫人は叶わぬ愚痴をこぼす。

そんなこんなの日常の中で、先日、軽井沢で約束した夫婦の絵が、展示会用の下絵も大体出来上がったのを一つの区切りとし、夫婦用の小さいほうの絵を描き上げて持って行くことにした。

月見駅からイザナギ駅とは反対方向へ2つ目の駅で降りる。バスに乗り換え7分ほどのところに彼らの住むマンションはある。ブザーを押す。今日は平日なので多分彼女一人だと思う。

ドアが開く。にこやかな顔が現れた。でもその後ろから何か赤ん坊の泣き声が!

「お久しぶりです、約束の絵、やっとお渡し出来るようになりました」

「わざわざ持って来て頂いて恐縮です。赤ん坊を預かっていなかったら、私の方から取りに伺いましたのに。急にお隣の赤ん坊を色んな事情で引き受ける事になっててんやわんやしてます。お手数かけます」

「いえいえ、どなたにでも絵は私の方から持って伺うのが普通ですから、全然構いません。でも赤ちゃんを預かっていらしゃるのですか、それは大変でしょう?」

「ええ、まあ。何しろ赤ん坊の面倒なんて初めてですから、シチャカメチャカです。よって部屋も散らかったままですが、兎も角中にお入りください」

中に上がる。居間に入ると5,6ケ月位の赤ん坊がブルー系統のベビー服にくるまれて泣いている。それにその傍に母親らしき女性の霊も見える。

「まあ、可哀そうに、お母さん、亡くなられたのですね?」とっさに口が滑る。

「えっ、何故分かります?」彼女、吃驚して多恵さんに尋ねる。多恵さん、うろたえる。

「あ、はい、何となくそんな感じがして。いろいろ総合してそんな結論に・・・」

「凄い。画家さんて凄いんですね、その観察力」多恵さん心の中で汗をかく。

「どうやらお中が少し減ったのかしら、今何か月?6ケ月、過ぎたところなの。だったらそろそろ離乳食のこと考えなくちゃね。とは言うものの、私は娘の離乳には失敗続きだったけど。隣の奥さんに助けられてやっと乳離れができたの。何しろオール母乳で育てたものだから、本当に苦労させられたわ、離乳以外にもいろいろと。母乳が良いと言われているけど、弊害もあるのよね」

彼女、何やらメモ帳を見ている。

「あ、本当だ。はじめは野菜スープみたいのをスプーンで少しずつね」多恵さんもメモ帳をのぞきこむ。

「まあ、事細かく書いてあるわね、この子のお祖母さんが書いて下さったの?」

「それがこの子のお母さんが亡くなる前にご主人に書き残していった物なんですって」

「ええっそうなの、ご主人にねえ。わあほんとに微に入り細に入り、男親だけを残して死ぬのは辛かったでしょうね」横にいるお母さん霊、多恵さんの言葉に頷いている。

「極めつけはここ、ここがあるからお鉢が私に回ってきたの」

「どれどれ、どうしようもなく成ったら、隣でも誰でもいいから助けを呼ぶこと。成程、お鉢、回って来るわよねえ。でも亡くなったのは分かったけど一体どういう訳で亡くなったの?」

「それが、お隣さん、なかなか子供が出来なくて、やっと不妊治療して子供が出来たって喜んでいたのよ。ところがなんか胸のあたりが痛い、乳首が痛いとか言ってよく調べてもらったら乳癌だって話。それももう手遅れの状態だったの。もちろん手術はしたけれど、どうしようもなくて、それから、奥さんこのメモ帳を旦那さんのために書き残し始めたの、色んな育児書読んでね。亡くなった後、お祖母ちゃんが来てしばらく面倒見てたけど、そのお母さんも体を壊してしまって、後ろ髪引かれる思いで帰って行ってしまったの。旦那さん、育児休暇取ってしばらく頑張っていたんだけど、ついに我が家のドアをたたく決心をしたという訳。軽井沢から帰って間もないころだったわ」

「そう、大変だったのねえ。あら泣きつかれて寝てしまったわ。この間に何か離乳食作りましょうよ」

子育てをしたことのない女と余り得意とは言えない女が二人野菜を刻みそれをお鍋でくつくつ煮る。先ほどの赤ちゃんの母親らしき霊も心配そうに付きっ切りで見ている。でも考えてみれば彼女自身もまだ子育ては本の中だけなのだ。

「何とか出来たみたいね。目が覚めたら少しやってみることにしましょう。あ、ごめんなさい、すっかり忘れてた。絵よ、絵の事すっかり忘れてしまったわ。早く見せて下さいな」

「フフ、そうね。私もすっかり忘れてしまったわ」と言いながら、多恵さん持ってきた荷物の先ずは土産の方を渡し、次に箱を包んだ風呂敷をほどく。

「さあ、あなた自身で開けて下さいな」

彼女が嬉しそうに箱に手を伸ばし、そっと箱の蓋を開ける。

「わあ素敵!息を飲むってこう云う状態に使うのね。素晴らしい、主人が帰って来たら何と言うかしら?この所赤ん坊が来て、彼なりに舞い上がりながらも、とても気を使っていて、少々お疲れ気味だから、良い癒しになるわ」

「で、その赤ちゃん、何時まで預かるの?」多恵さんが尋ねると霊の母親も気になるらしく一緒に耳を傾ける。

「初めはお祖母さんの体が回復するまでとの約束だったけど,段々可愛くなって来て、昼間だけだったら私も暇を持て余してる、ま、パソコンで仕事は一応してるけど、他の人より暇でしょう,この間々ずっと預かっても良いかなって思ってるの。主人も同じ考えよ、多分」

「そうよね、愛情が湧かない訳がないわ。お隣なんだし、託児所に預けるよりずーっと安心だしお父さんも楽だと思うわ」お母さん霊もうなずいている。

絵の代金は銀行振り込みでと云うことになっていたので、赤ん坊の離乳食を見届けてから「失礼します」と彼女のマンションを引き下がった。心の内に彼女夫婦と突如出現した赤ん坊のこれからの幸せを願いつつ。それからこの若いお母さん霊のこれから先の安寧を併せて願った。

 少し暑さも落ち着いて来た日にベランダに出てみる。この所雨が多かったが今日は良く晴れて清々しい。先日買って来た八重咲のピンクのカランコエの蕾がほころび始めているが、前からある黄色い方はまだその蕾さえつけていない。ま、本来はカランコエにとっては、今は花をつける時期ではないのだろう。来年ぐらいは咲く時期が同じになって、寒い時期を華やかに彩ってくれるだろう。

考えれば今は秋の始まりだけど秋は駆け足で通り過ぎていく。取り分け,山々はぼんやりしてたらあっという間に紅葉し、あっという間に枯れ木のオンパレードにになってしまうのだ。

何処か、近場で紅葉を描く所は・・沢山ある。秩父でしょう、名栗周辺も良いし、高尾も御岳山、御岳山ねえ、良いけど思い出が‥そうだ、山には登らず奥に進もう。奥多摩の何処かに・・秋川渓谷なんてどうかしら?少し調べてみよう。

多恵さん、お母上に一応聞いてみるることにした。

「秋川渓谷?1度あなたが1,2歳の頃、パパの同僚、私の友人たちと車で向かった事があったわ。でも途中で同僚の家で長居したり、準備に手間取った挙句、物凄い車の渋滞でたどり着くのをあきらめ、近くの河原でバーベキュウして傍の農家みたいな家を借りて泊まったの。あの時、バーベキュウの火の粉が飛んで目に入り、酷い目に合ったわ。聞いたところによると紅葉はとても素晴らしいわ。でも言ったことがないから、何とも言えないわよ。うーん、ここいらだって紅葉の素敵な所も沢山あるんじゃない?このあたりだったら一番の推しは市民の森ね。昔、あなたが幼稚園の頃、芋ほりしてたあの上の方。今ではすっかり整備されて、綺麗で大きくなって、昔とは大違いよ。色んな設備もあるし」

「そうありがとう、でもやっぱり秋川渓谷にする、今まで近場は散々描いて来たでしょう、だから気分が乗らないの。少しでも離れた所じゃなくては絵を描く意欲が湧かないわ。それに日常の細々した事から少しでも切り離れて絵の事を考える環境が必要なの」

という訳で今度の目的地は秋川渓谷に決定。

「あーら、秋川渓谷。高尾の紅葉も有名だけど、秋川渓谷も評判だわ。私も同行したいけど、今は無理だわ」とお隣の藤井夫人は残念がる。

じゃあ、今回も一人旅(本当は幽霊のお供がぞろぞろだけど)になるのかなと、多恵さんが思っていたところ、画家仲間が聞きつけて「私たちも行くから宜しく」と電話があり、結局女5人旅となった。

「今度の旅は賑やかそうだな」大樹さんから声が上がった。

「そうね、でもみんな描く基準があってバーラバラ。一緒に行くのは旅館代を安くするためよ、キャビンも一人で借りれば高いけど、5人で借りれば安く済むって訳」

「じゃあ、自炊もするのかい?」

「分からない。でも自炊するにしてもバーベキュウ、ちゃんと野菜も肉も準備してある奴を焼くだけって事になるんじゃないの」

「それだったらいいねえ、少しは日常から抜け出られるから」

大樹さんは何でもお見通しだと多恵さんは思う。

一方で「わー、バーベキュウ。真理もやってみたいし、食べたくもあるなあ」と云う娘の声あり。分かっていない人もいるようだ。

でも5人では泊まるのに少し不便かも。と考えなくもなかった所へまた電話。

「私も行かせて。あそこいら結構滝が、描きたい滝が結構沢山あるのよ」と滝を描かせたら誰もがうーんと唸らずには居られない三宅さんからだった。

「わあ、あなたなら大歓迎よ。私もそばで勉強させてもらうわ」

「何を言ってるのよ、あなたもこの頃滝描いてるじゃないの。中々迫力もあれば味わいもあるし、滝なのに何処か静けさも感じられるわ。いつの間にそこまでの境地に到達したのかな?私の方が勉強させて欲しいわよ」

「良い相棒になれそうだね」傍で聞いてた大樹さんが声を挟んだ。

「え、誰?ああ、旦那さんか、噂の美術展であなたの絵とあなたに一目惚れしたとか云う大学の先生ね」

「誰から聞いたの、そんな昔の事」

「誰でも知ってるわよ、まずはそこに居合わせた人たちから始まったんじゃないの、あの時のあなたの旦那さん、あれは我が美術展における語り草なだから」

「ああもう良い、やめて頂戴。じゃあ日程が決まったらまた連絡するわ」と電話を切った。

 紅葉の事を考えると11月の末頃がベストと聞くが、気温の事もあるからここは第1,2週辺りの水曜木曜が良いのじゃないかな?大体みんなの思いも同じだった。紅葉は余りしてなくともそれはそれで良いとしよう、万が一紅葉が過ぎていたら、日本のお家芸、侘び寂びの世界を描けば良いということで決定。

電車で武蔵五日市駅まで行って、そこからすぐには川には向かわず、商店街もある少し広い通りを抜け(おやつや夜の食料を買い出しするのには良いかも)そこからリバーテイオとか云う秋川渓谷一、二の設備の整ったキャンプ場及びコテージ棟のある所から川沿いを歩き、それぞれの気に入った場所を見つけたらそこで一先ず別れて、夕刻までに今夜の宿泊地瀬音の湯に向かうことにする。

宿泊の件だが、6人で丸々コテージ1個を借りることも考えたが、この瀬音の湯と云う宿、コテージに二人ずつ泊まる方が都合良いようで、値段もリーズナブルでこちらに決定。

でも11月に行くとなるとそれまで1ケ月半程時間がある。ここは心を落ち着かせ、それこそ近場を散策して絵になる題材を探そう。

近場、先ずは六色沼。成程小さい秋、見つけた。この公園の片隅にも萩の花が咲き出している。

「うーん、これは秋らしいわね。先ずはこれを入れて、ここいらあたりの風景を描こうかな」

「萩の花も美しいですが、河原崎さんの方がずーと素晴らしい」出た出た、この所やけに大人しくしているなあと感心してた矢先の杉山さんの幽霊。

「まあ、お久しぶりねえ、どうしてたの?ああ、そうか、あなたここいらの幽霊さん達のボスだったわねえ。みんなその後、趣味や勉強するもの見つけたかな?」

「ええ、まあ、ぼちぼちってとこですかねえ何なら2,3人呼びましょうか」

「わあ、止めてよ。あなた一人でも大変なのに、あなた以上に大変な人が出て来たら堪らないわ」

「そそんなあそんな冷たいこと言って河原崎さん、俺たち何時もあなたの事見守っているのに。それに真面目に勉強にも取り組んでいるんですから」

ワイワイガヤガヤ、杉山君の後ろに元暴力団員やら泥棒やら詐欺師達が現れた。

「分かった分かった、まじめに勉強してたのね。勉強面白いでしょう?あなたたちには制限時間がないのだからゆっくり、じっくり勉強して頂戴。でも、冷たいってあなた達の方がずーと冷たいのよ、もう秋なんだからあまり出て欲しくないんだなあ」

「あ、成程、これは失礼しました」又幽霊の団体さんは六色沼の景色の中に溶けていく。

「やれやれだわ、これから気をつけなくちゃいけないわ。でも今の話から察するとあなたの指導は上手く行ってるみたいね。これからも頑張ってね」

「でも、河原崎さん酷いではないですか、一人で旅行に出かかるなんて」

「え。一人で旅行?6人でスケッチに行くことは行くけど」

「だから俺たちの入る隙間がない。六人ですよ、六人。このコロナで騒がれている現世でですよ、その中、6人で出かけるなんて」

「どこからその情報を仕入れたか知らないけど、今ね、政府がゴーツートラベルやってるくらいなの、

だからスケッチ旅行なんてただ絵を描いて、あとは歩くだけの旅なの。でもこのゴーツートラベル、きっと後でコロナの大爆発を引き起こすと思うわ」

「そう思いますよね、今まで以上の大きな波がやって来ますよ、みんな浮かれて特典を享受してますが、どうなるんでしょうねえ。ま、俺たち死んだ者には関係ないけど」

「あなたのお嬢さんや幸恵さんは心配ないの?時々は顔出してるの」

「あなたにそう言われるのじゃないかとこの間行って来ましたよ。二人とも元気でした」

「幸恵さんの恋の行くえはどうなったの、進展あって?」

「娘によると中々進まないらしい、何しろお母さんはお父さんの事をまだ愛しているらしいからと抜かすですよ、へへへ」

杉山君の嬉しそうな顔。

「ああ、困った幸恵さんねえ。早くこんな人の事忘れて、心底自分を愛してくれる人と結婚、いえせめて付き合いを深めて行ってくれたら嬉しいのに」

「へへへ、でも嬉しいもんですね、死んでも思ってくれてるなんて」

「喜んでる場合じゃないわ、もっともっと感謝すべきことよ。娘さんもそう言ってたでしょう?どうしてあんなひどいお父さんを今も思い続けているのかなって」

「そりゃあ、生きてる時、、賭け事はしてましたけど、それなりに二人の為に尽くしましたから」

「それで尽くしていなかったら、私はあなたを許さないわ」

「はい、すみません。で、旅行なんですが、今度は秋川渓谷の紅葉狩りですって」

「はー、良く知ってるじゃないの、一体誰が家の中に潜り込んでいるのかしら?杉山さん自身が1番怪しいわね、そう、そうなの、あんなにここからは入って来ては駄目って言ってあるのに。秘かに私に見つからないように忍び込んでどこかに隠れて聞き耳たてていたのね」

杉山君、下を向いて暫くもじもじ。

「だってこんな近くにいるのに、全然会えないなんて切ないですよ,もう2ヶ月近く。先日出かけて行くなあと思っていたら、ここには寄らず月見駅から電車に乗って行ってしまうし・・・」

「あれはお客さんに絵を届けに行ったんじゃないの。それに夏は暑いしなるべくン家に居た方が体には負担がかからないわ」

「それで秋になったから6人で紅葉狩りですか?」

「紅葉は描くけど、紅葉狩りではないの。石や岩が好きな人はそれを主体にして描くだろうし、川の流れが好きな人もいれば、滝のような豪快なものが好きな人もいる。てなわけで行く所は大体同じだけど、自分の好きな所を探して分かれてかくのよ。まあ宿泊先は同じだけど、それまでは自由行動。ご理解いただけたかしら」

「ふーんそうか、成程ねえ・・」

「あなた、何か良からぬことを考えているんじゃないでしょうね」

「ヘヘヘ、いやあそれなら俺たちの入り込む隙間がありそうだと思いましてね」

「6人もいるのよ、お願いだからみんなに気づかれないようにして頂戴」

「大丈夫、俺たちみんなに築かれないように付いていくよ。勿論何か事が起これば話は別ですが」

「なあに、事が起きればッて、何が起きるというのあの渓谷で」

「いや、だから万が一の話ですよ」

大体のスケッチが完成し水彩で色を付けていく。又この六色沼にも人が戻って来ていたので、多恵さんの周りにも人だかりが出来始めていた。

「大分人が集まって来たので俺消えます。あとはみんなでどうするか相談したいと思います。まとまったらまた現れます」

「言っとくけど、もう我が家には2度と忍び込まないでね」小さな声で多恵さん、慌てて付け足した。

次の日は春山公園だ。でも何だか少し紅葉しかかっている木々もあるようだ。遠目に眺めてもあっちこっちの木々がうっすら赤みを帯びているではないか。

「11月の10日頃にしたけども大丈夫かな」不安が過る。その時はその時と皆行ってたじゃないか、と思い直し日陰を選んでスケッチブックを広げる。

「ハイハイ、今日は春山公園ですか。俺たちもそうだろうと睨んでいましたがね」

日陰に入った途端に何時もの幽霊仲間が現れた。鬱の彼女はもう一人立ちしたらしい。もち、その気になれば何時でも合流オーケイだ。

「何ですか、我々に内緒で団体旅行に出かけらるとか聞きましたよ。それも紅葉狩りに」

先ずは石森氏だ

「私たちだって一緒に紅葉を楽しみたいわ」輝美さん。

「世田谷だって、長野だって素晴らしい紅葉は沢山ありますが、河原崎さんとみる紅葉は格別なんです、取り分けこの杉山さんには」と良介君。

「みんなに話したら怒ってましたよ、我々に内緒で行くなんてと」杉山君が見方を得て威勢が良い。

「別に内緒も何もないわ、単に画家仲間で紅葉に染まった秋川渓谷描きたいという話が出て何となくまとまっただけなのよ。それを杉山君が私の家に私に見つからないように忍び込み、私が友人と電話で話すのを盗み聞きした、それだけなの」

「だからそれは、河原崎さんがあんまり俺を無視するから、堪らなくなって忍び込んだんですよ。河原崎さんが時々俺に、何時も六色沼にいるんだから声かけてくれれば、そんな無作法な真似はしないのに」

「はいはい、これから気を付けます。でも私、今度のスケッチ旅行では一人にならないかもしれない。だって滝を描かせたら右に出る人は数えるくらいしかいない人と言われてる人と行動を一緒にするかも知れないから」ここはきっぱりと言い放つ。

「えー、みんな思い思いの場所で描くんでしょ、だったら河原崎さんも自分が一番描きたい所を描くべきだと思います」輝美さんも負けずにきっぱり断言する。

「そうですとも、人の後についてその人が良いと思うとこを一緒に描くなんて河原崎さんらしくない」

「幾ら相手が名手でも、俺達にはあんたの描く絵が一番だし、きっとあんたの旦那だってそう言うに違いない」石森氏は大樹さんまで引っ張り出す。

「でも、私は彼女の力強いタッチが大好きなの。どうせ行くなら学ばせてもらいたいと思っているのよ」

「残念ですが、俺調べてみたんですけど1日目のコースには滝らしい滝はないようですよ。確かに滝と言う名前が付くのは存在しますが、名手が描くような滝じゃないですよ。まあ、2日目のコースはどうなってるかは不明ですが,払沢の滝を始めそこからなら滝らしい滝が幾つか存在しますがね」杉山君が自分のメモを見ながら意見を述べた。

「「そうね、参りました。あなたの言う通りよ、じゃあ、1日目はわたしと友人たちの隙間を見つけて時々割り込んできても構わないわ。でもあくまでも気づかれないようにね」

多恵さん、しぶしぶ承知するしかないようだ。

「やったー、良かったね杉山さん。私たちも彼女から少し離れて紅葉、楽しみましょう」

輝美さんの言葉に頷く仲間たち。多恵さんは一人心の中で大きなため息をつく。

そうか、2日目ね、と多恵さん気が付いた。1日目の宿泊にだけ気を取られて、2日目の事などみんなそれぞれ、それぞれの計画に従って行動するだろう、多恵さん自身は払沢の滝とその近くの滝を描いたら、バスがあったらバスで帰るし、無かったら徒歩で五日市駅まで歩く。そのあとの事はみんなに任せれば良いと思うのだが、みんなはどう思っているのだろう。一応電話で聞いてみた。答えは多恵さんの思っている通りだった。三宅さんなんかは「それからが本番よ。桧原村には舌なめずりするような恰好の滝が一杯あるのよ、あと2,3日、連泊するわ。あなたはどうするのよ」と聞かれた。多恵さんもそうしたいのは山々だが今の自分には払沢の滝辺りで引き返すのが関の山だと答えるしかなかった。

11月に近づくと段々周りの木々が目に見えて色づき始めるものが増え、11月にして良かったのか益々不安が心を過る。きっとみんなもそう思っているに違いない.何故なら行く所はここいらよりも絶対に高度も高いし、気温も低いのだから。「少し位過ぎててもそれはそれで風情があって良いんじゃない」と言う友もいるが、出来たら丁度見頃の時に行きたいのが人情と云うものだ。

 その日がやっと来た。晴れてる。ま、大体11月というのは晴れの日が多いものだ。それもかなりあったかいようだ.でも侮るなかれ、けして山へ登るのではないが、冬は滝も凍ると言う桧原村の方へ向かうのだから、それなりの服装の準備は必要だ。

「明日の朝早く出かけるから、声かけずに出て行くわね」と昨晩言ってある。

「もし、気に入った所があったら遠慮せずに、連絡してくれれば、後2,3日くらい向こうに滞在しても構わないよ」大樹さんは相変わらず優しかった。

「ありがとう、クマに襲われる前に帰って来るわ」多恵さんは笑って答えた。

もう小六になる娘真理はそんな夫と、それにお隣の藤井家の人達に任せて出発だ。

待ち合わせは東京駅。中央線で先ず立川駅へ。自動車で向かえば秋川渓谷まで60分とか書いてあったけど、電車だと立川まで何と90分もかかってしまうし、それから青梅線に乗り換え、再び拝島駅で乗り換え、それでやっと武蔵五日市駅に辿り着くのだ。私たちはその長い立川江駅に着く間にサンドイッチやお結びなどの朝食を摂ることに。

「今日、晴れてて本当に良かったわ、雨や曇りだと紅葉、台無しだもの」

「ほんとほんと、去年なんか日光に2泊3日で紅葉描きに行ったけど、1日目は曇り、次の日を期待したけども冷たい雨に打たれて散々だったわ」

「それはそれは、お気の毒さまだったわね」

「そうよ、安い宿探して行ったけど、何しろ紅葉シーズンの日光でしょう、安い所から予約が入って埋まって行くから。去年までは外国人の観光旅行者が一杯でしょう、そんな人たちで溢れかえっているのよ。だから私たちの宿代はとばっちり受けて、結構高かったの。ほんとに泣きっ面に蜂とはあんなことを言うのね」

「もしかして今コロナがなくって外国の観光旅行者が一杯だったら、もっと宿代高く取られたかもねえ」

「それは言えるかもね。我々みたいに貧乏絵描きには、もしかしたらコロナって恵みの神だったりして」

「それはどうかしら、こんな不景気じゃ、今まで買ってくれてたホテルやレストランなんか,潰れたり、絵なんかにお金かけれなくなって、私たちも干上がちゃうわ」

「絵描きだけじゃないわ、ミュージシャンも大変らしいわ。画家ではとても食べていけないとピアニストに転向した奥山さん、今大変らしいわ、演奏する所が無くって」

「画家も音楽家も平和でみんあが豊かであってこそ、求められるものなのね」

ここで一同大きなため息をつく。もうすぐ立川だ。

ぞろぞろ降りて青梅線に乗り換える。大分山が迫ってきている。懐かしさに川西さんの面影がふっと甦る。多恵さん、心の中で大きく首を振る。いけない、いけない、あれは幻だったんだ。その幻でどれだけの人を苦しませたことか。あれは春の山の精が私に仕掛けた悪戯だったんだ。彼がこの電車の中で話したこともほとんど忘れてしまったけど、その眼差しや息遣いは何故か未だに多恵さんの胸に残っているのだ。懐かしい、とても懐かしい。でも、どうかきれいさっぱりと忘れさせてくれ。多恵さんは祈る。

「どうかしたの?」と三宅さんが多恵さんに尋ねる。

「前、若いころ、学生時代に御岳山に上った時、一緒にこの電車で帰った友達の事をふと思い出して」

「分かった、ハンサムな・・そうねあなたよりも若くって・・」

「えっ、え、どうして、どうして知ってるの?」

「バカねえ、当てずっぽうよ。でも大当たりーてとこねえ。辛い恋だったの?」

「さあ、それが良く分からないのよ、所謂悲恋じゃ決してないのよ。でも彼がはっきり俺を待っててくれと言ったら、私はきっと待っていたと思う。彼は彼で私がそれを了承したと思っていたのかもしれない」

「日本の男って中々本心と言うか、肝心なこと言わないのよねえ。自分に自信があればあるほど」

「そう思うわ、女性は女性で男性が持てそうな風貌をしてたら、彼は他の誰かを好きになってるかも知れないとと勝手に思い込む。今みたいに携帯が発達してないころは相手の家に電話するのも憚れるし」

「であなたは他の男性と付き合いだす、彼は初めての職場で必死で頑張っている。すれ違う心。そしてあなたは今の旦那に出会ってしまった。という具合ね」

「まあそんな単純な話ではないけど、大体合ってるわ。でも三宅さん、恋話にやけに詳しいと云うことはあなたにも悲恋の思い出でもあるんでしょう・」

「そうね、こんな私でも恋の話の一つや二つ、あることはあるわよ。あなたみたいに凄く持てたと云うんじゃないけど、、若いころはそれなりに持てたし、恋もした。いや、持てたんじゃなく、恋をして、相手を困惑させたと云うのが当たっているのかな」

「そんなあ、受けようとして自虐ネタ?ですか」

「いえいえ、ほんとの事よ。好い男が居たのよ、ハンサムの上、家は名家でお金持ち、スポーツマンだし優しいし、言うことなしだったわ。でもねえ、芸儒家と言うのは大半が情熱家でもある。彼は私の遊び相手から、知り合いだったからね、色々聞き出して、一方的によ。そしてその話は終わりを迎えたのよ。その遊び友達については私なりに言うこともあったわ。でもそんなことで別れたいのならこっちから分かれてやろうじゃないかと、綺麗さっぱり分かれたわ。だけどそれが大正解だったの。だってその家は歴史のある家柄で、とてもとても私のような者が嫁いで務まるようなところではなかったのよ。それを知ってた人達は私のためには良かったと言ってくれたんだけど、それ以来私はずーっと独身。彼以上の男は現れないんだもの。ま、滝を相手に情熱をぶつけていれば、男なんてどうでも良くなるわ」

「そうですか、情熱を滝にぶつけて描いていらしゃるのですね。三宅さんの滝の素晴らしさが少し分かったような気がします」

「ハハハ、私にはそれしかないの、他は何にも。ちょっと寂しいかな、猫でも飼うとしようか・」

「あ、今度は猫にはまりますよ、猫の魅力は画家を底なし沼に引きずり込むものがありますから」

「猫、飼ってるの?」

「いえ、ただ実家には今、家の内と外に2匹ずつ居ます。私が住んでいる時はいなっかったんですが、その魅力は画家には直ぐ分かります」

「ふうむ、分かる分かる、前から気づいていたわ。それに猫を描く画家が凄く多いってことも。滝の三宅、変じて猫の三宅となる。これ良いんじゃないの、滝ばかりじゃねえ、何か他のものも描かなくちゃ、この人滝しか描けないのって思われるかも知れない。今度チャンスがあれば猫飼おう」

電車は江島駅に着き、また乗り換えて今度は本当に目的地五日市駅を目指す。と言っても五日市駅は乗り換えてあっという間に到着した。

女6人、駅に降り立つ。ここから秋川は直ぐだが、はやる心をぐっと抑えてあえて川の方にjは向かわず、広い賑やかな?通りの方へ足を向ける。少し歩くと秋川リバーテイオとおいしい料理で有名な黒茶屋に辿り着く。そこからが私らのスケッチ旅行の本番の始まりだ。今までの電車からの景色から、ここいらあたりが、今紅葉の真っ盛りだと云うのは十分に感じていたが、こうして直に見る景色の素晴らしさは何と言いようもない。早く描きたいと云う衝動を抑えきれないくらいだ。

「本当に素晴らしい紅葉、何処を描こうか目移りしちゃうけど、未だ出発地点にいるのよね私達」

「さあ、みんなのお好きな場所を陣取って日が暮れる前までじっくり描いて下さい。お宿は瀬音の湯、だけは忘れないようにね」

「はあい隊長、胃袋に命じて忘れません」

「それから出来たら2名づつぐらいチームになって互いに見える位置に居た方が安全だけど‥ま、河原崎さんみたいに痴漢だか暴漢だか反対に捕まえるくらい腕に自信があれば別の話だけど」

「結構紅葉狩りの人も多いから,余ほど奥の方に入り込まなければ大丈夫とは思うけど、注意することに越したことはないわね。夫々外での絵描きは、元々腕には自信はある方が多いけど」

「ま、描きたい所が決まったら、そこの近くを描きたい人とコンビを組みましょう」

夏は川遊びやバーベキューで大賑わいの広い川辺を、みんなキョロキョロ良い場所を探しながら歩く。次の戸倉キャンプ場に着いたとき一人が手を挙げる。

「私、ちょっとここいら惹かれるものがあるわ。でもここいらは人も多いし私も痴漢ぐらい追い払える準備はしているの、お相手は要らないわ」と言って離れて行った。

そういった感じで次々分かれて行くパーテイ。多恵さんもその内の一人。

紅葉と水の色、それに巨石との具合が多恵さんを呼んでいる。どうしても描きたくなった。

「あ、あの岩、素晴らしいわよねえ。私も描きたいけど先を越されてしまったわ」三宅さんが悔しそうに言う。

「大丈夫、岩ならまだまだ沢山あるわ、この先」他のメンバーが笑いながら口をはさむ。

「分かっているわよ、でもあの石と風景の取り合わせが心を惹くのよ」

「じゃ、一緒に描いたら」

「それは駄目よ、この広い川で隣り合って描くなんて。広い所は広々とした気持ちで描かなくちゃ。せせこっましい状態で描いては、せせこましくなちうわ」

「それは言える、じゃあ、他の処で三宅さんの心をわしづかみする所を探しましょう」

「あんた、良いこと言うわね。そういう訳で河原崎さん、良い絵を描いてね。でも十分気を付けてね、自然は魔物よ、山も海もそして川もね」

「ありがとう、気を付けるわ、あなた方も気を付けてね、秋だから熊も出没するかも知れないし」

「あ、そうね、クマよけの鈴持って来てたんだ.早速ここで付けよう」

鈴をつけ終わると彼女らは離れていった。

確かに景色は良いが足場が悪い。小石や落ちた枯れ木などを組み合わせて何とか安定した足場を確保すると、携帯用のイーゼルを立ててスケッチ用紙をセットする。

「やっと一人になれましたね」

「何時になったらあの人達から離れられるんだろうと気をもみましたよ」

「さっきだって危なかったですよ、同じところを二人で描くなんて提案して」

「石森さんなんか、彼女を凍らせてしまおうなんて言ってるんですよ」

「止めて頂戴、そんなこと。一人静かに描きたいのは本当よ。ほんとはあなた達とも離れてね」

「またまた、そんな冷たいこと言って」

「冷たいのはあなた方でしょう。兎も角暫くは私を一人にして、絵の構想を練るんだから」

幽霊君たちは仕方なく多恵さんから離れて後ろの河原で遊び始めた。この間の石投げの続きをやりたいらしいが、ここはこの間の川よりも川幅が狭くて上手く行かないようだ。

構想は決まった。青い空を少し、覆いかぶさるような赤や黄の濃淡混じる紅葉と奥深い森の暗黒食。小岩巨石の入り乱れる中を白く、または淡青色に深緑色に変化しながら流れ行く水。先ずは鉛筆で大体の位置を決めてから下絵を描く。

「今度は石がテーマですね」何時の間にやら杉山君が絵を覗き込んでいる。

「そう、ここは凄く石が多いし、変化に富んでいるんですもの、描かないではいられないわ。だから今から私は心が男になるのよ、邪魔しないでね」

「ああ、分かりました。男性的なものを描くときは男になって描く。北海道の時に聞きましたよ。でも、河原崎さんは今でも十分男らしい。言え、外観ではなくて心がですよ」

「でも、男になりきって岩を描かないとあの岩が女性っぽい岩になってしまうの。それはそれで良いのかも知れないけど、私は雄々しい岩を描きたいの」

「では、そのこと十分に承知しました、みんなにも早速知らせます。うん、俺たちこれから何して過ごそうかな・」

「ああそれならちょっと戻るけど、ここの川に降りる起点になったリバーテイオの直ぐ傍にある黒茶屋に行ってみたら。美味しいものやこの地方でしか食べられないものが沢山あるらしいわよ。私らみたいな貧乏絵描きには縁がなさそうなのでパスしたけど、あなた達には値段なんて全く関係ないんだから」

「ああ、そういえばそんな店ありましたね、河原崎さんも少々未練たっぷりでしたよ」

「うーん、そんな所まで見ていたんだ。これから気をつけねば」

「で、では、みんなを引き連れてその黒茶屋とか言う所に早速行って来ます」

杉山君、叱られると思い、慌てて退散を決め込んだ。

また静寂さが戻った。しばし絵に打ち込む。でも何か感じる。

誰かいる、彼らではない誰か。

「誰、誰なの?」現れたのはまだ年若い男。

「あなた、どうしたの?別に悪いこともこの世ではしてないし、この世に恨みもない、自殺をした訳でもないのに、何故、浮遊霊なんかになってるの?」

「ぼ、僕が見えるんですか。僕は飯島誠と言います。宜しく」

随分礼儀正しい浮遊霊さんだ。

「あ、私は河原崎多恵、もしくは島田多恵と言うの。私は何故か知らないけど霊が見えるのよ、困ったことに。煩わしいけど仕方がない。でどうして浮遊霊になっているのかしら?」

「僕この川でおぼれそうな子供を助けようとして、反対に僕が心臓麻痺を起こして死んじゃったんです」

「まあお気の毒に。でもそれなら即天国でしょうが」

「で、でも、親は泣くし、その助けようとした子の両親も申し訳ないと心を痛めているし、そんな彼らをほっといて自分一人、天国に行くわけには行かないじゃないですか」

「はあ、まあそれはそうだけど、でもあなたが浮遊霊になったからってどうなるもんでもないわ」

若者は悲しそうに多恵さんの顔を見つめた。

「本当に何も出来ないんです。溺れる子供を助けることも出来ないし、勿論大人の人を助けることも出来ない。役立たずだけど、でも救いたいと云う思いが強くて、こうして今日もここに居るんです」

「なんて優しい人なんでしょう、あなたのために、いえ、あなたの願いの為に何か出来ないかしら。生きてる人間がそうしなければいけないのよねえ」

何処かでけたたましい鳥の声が聞こえる。ふと気が付くと多恵さんの絵を見ようと紅葉狩りの人達が集まって来ている。

「ここいらで少し前、若い男の人が幼い子供が溺れそうになっているのを助けようとして、亡くなってしまったことが有ったそうですね?」と傍にいる年配の夫婦に(多分)尋ねた。

「ええ、2,3年前だったかしら、ね、あなた。可哀そうでしたよ、その親御さんが。大学に入って初めての夏休みに、家がこの近くなもんで、泳ぎに来てて事故にあったのよ。実は私らの近くの家の子で、とても良い子だったわ」

「ああ、挨拶の出来る、落ち着いた良い子だった。幼い子が目の前で溺れたから、吃驚して飛び込んだんだろう。あそこが急に深くなって流れも速いってこの近くの者なら知ってるはずだろうからな」

「そうですか、何とかしてその霊、、いえ魂を慰めて死を無駄にしない方法はないでしょうかねえ」

「ええ、今親御さんや向こうの、幼児の両親が中心になってこの辺りに地蔵菩薩を設置しようと云う話が今、持ち上がっているんですよ」

「まあそれは良い話ですわね、それを見れば幼児を連れた人たちも注意するでしょうから。私は今、スケッチ旅行中の貧乏画家なもので、持ち合わせのものがないのですが、少しだけ寄付させて下さい」

多恵さんは持ち合わせの紙にお金を包んで渡した。

周りにいた人たちもざわめきが起こり「今はこれしかないけど」と寄付金が集まって行った。

「どこでその話をお聞きになったのかは知りませんけど、あなたのような旅のお方に気を使ってもらって、きっと誠君の、彼の名前は飯島誠と言うですが、その両親も喜んでいると思います」周りの見物人も大きく頷いた。

「でも、素晴らしい絵ですよねえ、私に金があったら1枚欲しいですよ」と別の方から声が上がる。

「ほんと、ほんと。紅葉も岩も迫力あるし、流れる水が何とも言えず美しい」

「こんな絵描きさんを貧乏絵描きさんにしとくとは日本も情けないな、と言って俺にも金がないけどさ」

周囲から笑い声が沸き起こる。

その場所のスケッチは大体描き終えた。それにお中も大分空いたようだ。腹ごしらえをして次の場所に進もう。

「ねえ、誠さん。あなたのご両親もむこうのご両親も、あなたの気持ちを汲み取っていらしゃるわ、もう安心して天国へ旅立って良いんじゃない?」

「はい、少し安心しました。あっ、あの人たち、さっきも見かけましたが、あの人達もお知りあいですか?」

杉山君たちが戻って来ている。

「ええ、腐れ縁みたいなものよ。みんな訳ありで天国の門は閉ざされている人ばかり」

「ハイハイ、俺たち、天国行きそびれ群でーす。でも楽しくやってます。美味しいもの食べ放題、お酒飲み放題、あ君まだ未成年、でも永遠に未成年か、これどう考えたら良いんでしょうね河原崎さん。女性だったらおしゃれし放題。それに空も飛べるし壁も通り抜けられる。コンサートだって美術館だってフリーパス。どう、羨ましくないかな」

「は、はー、羨ましいようなそうでないような」

「ちょっとみんな待って。彼は今やっと自分の抱える悩みから抜け出られたのよ、あなた達のすこーしばっかり、現世欲にまみれた話はしないで頂戴」

「え、一体この若さでどんな悩みを抱えて死んじゃったの?」輝美さんが尋ねる。

「溺れかけた幼児を助けようとして自分が心臓麻痺で死んじゃったんだって」

「そう、それは気の毒ね。でもそれなら天国直行便じゃないの。何故悩むの?ははーん好きな人でもいて彼女の事が心配で行きあぐねていた。図星でしょう」

「彼はご両親が嘆き悲しんだり、幼児のご両親が苦しんでいるのが居た堪れなくて天国に行くのを躊躇したのよ。それにこの川でおぼれる人がいなくなるのを願い、力を注いだけれど、自分が何の役にも立たないことを悲しんでいたのよ」

「それが、今この人のお陰で両親も立ち直り、向こうの両親と力を合わせて、ここに地蔵菩薩を建立して

水難事故を少しでも減らすことに取り組んでいることを聞きまして、これで天国に旅立てるのかなと、思っているところだったのです」

「あなたって優し過ぎ!好きになりそう、て冗談だけどどう、これから暫くの間私たちと一緒に行動を共にしない、天国に行く前に」

「そうですね、両親の事も気になりますし、向こうの家庭も気になります。それに他の事も気になります。何しろここにずーっと居たものですから、世の中の事忘れていました」

「ああ、君は優し過ぎる上に一つの事に執着しすぎるよ、2,3年の間ずーとこから離れていないなんて信じられないよ」と石森氏がうなる。

「ようし、初めに食事にしよう。2,3年間何も食べてはいないんだろう?」

初めて出来た年下の仲間に良介君声を弾ませる。

「ええ、僕食べても良いんですか?霊になればお中も空かないし、眠くもならないから、すっかり食べるのなんか忘れてました。そうか、食べる・・ここではみんながバーベキューをやるんですが、楽しそうに美味しそう食べていましたっけ。誰も僕に食べて良いよって言ってくれないから、傍でニコニコしながら見ているだけです。ほら、今日もやってますよ、向こうの方で。夏みたいに多くはないでですが。でも、お弁当も美味しそうですね、バーベキュウは、あんまり匂いを嗅ぎ過ぎて、少々うんざり気味なんです」

「そうよねえ、毎日毎日我も我もとやってるのを見てたんじゃ飽きてしまうわよねえ。兎も角、上に上がって、何か食べましょう」輝美さんが優しく言葉をかける。

「みんなは彼を連れて、前の黒茶屋に戻って食べたいものを食べさせて頂戴。わたしも川から上がって何処か適当な所で腹ごしらえするから」

多恵さん、荷物をまとめると立ち上がった。

「僕、大学の入学祝に黒茶屋に家族で行って、懐石料理を食べました」

「ああ、だったらそれをと言いたい所なんだけど、残念ながら我々幽霊はその時あるものか、人が食べてるものしか味合うことが許されないんだ、今お昼を少し過ぎた時刻だから、食事してる人は多いだろうけれど、昼間から懐石料理を食べてる奇特な人はいないだろうな」石森氏。

「行ってみないと分からないけどね、行ってみようか、もう一度」良介君。

「ぼ、僕、そんな豪華なものでなくて良いんです。お握りでもサンドイッチでも」

「でも、思い出の食事でしょう?食べさせてあげたいわ」輝美さんは優しい。

「分かった、じゃあ黒茶屋は夜にして、今は私の行く喫茶店辺りで何か食べましょう?」

「あ、あのう、実は僕、お金、全然持っていないんですが・・」

皆、どどっと笑う。

「幽霊に元々お金なんてないよ。それにお金は要らないんだ、その品物をもらう訳ではなくて、味とか匂いとか喉越し、口当たりを楽しむだけ、勿論目でもね」杉山君が説明する。

分かったような分からないようなこの良心の塊みたいな誠君を引き連れ、河原から一般道に上がる。

「ほら、直ぐそこに感じの良い店がありますよ、ここにしましょうよ」杉山君の指し示す方向に小さいけれど小ぎれいな喫茶店があった。

「ああほんとう、空いてるかな?」多恵さんドアを押して中に入る。

「いらしゃい、おひとり様ですか」オーナーらしき婦人が尋ねる。

多恵さんちょっと躊躇するが、直ぐ「ええ、はい」と答えた。

「じゃあ窓際のカウンター席の方で宜しいでしょうか」

「はい構いません。外が見えて嬉しいです」

カレーの匂いがする。後ろの客人の誰かが頼んだものらしい。

「ぼ、僕、、カレー食べたいです。カレー大好きです。もう長いこと食べていなかったので、それすら忘れていました」誠君が叫ぶ。

「分かったわ、それにする」思わず多恵さんがそう口にしたものだから、注文を聞きに来ていた婦人はいぶかしげに首をひねる。

「はい、と言いますと・・」

「あっ、ご免なさい。カレーの良い匂いがしてたもんだからつい」

「ああ、そうでしたか、カレーですね」

「それから紅茶と‥ケーキもらおうかな、シフォンケーキが好いかな、あります?」

「ええありますよ、勿論」

「良かった、それを一つね」

「では少々お待ち下さい」婦人はそう言うと引き取って行った。

「ああ、もう少しで変な客人だと思われる所だったわ、気をつけなくちゃ。特に新入りさんが出来た時にはね」多恵さん、冷や汗をかく。

カレーが来る。幽霊さんたちは別の席でそのカレーと思い思いのケーキとコーヒー、紅茶、コーラを並べている。遠慮気味の誠君に色々説明しているようだ。

さて私はこれからどうするか、と多恵さんは考える。

兎も角十里木ランドの周りが紅葉では最高だと云う評判らしい。そこにかかるつり橋を渡れば、今宵のお宿、瀬音の湯がある。つり橋を描くも良し、まずはそこに行く前に紅葉降り注ぐ渓谷を描いてから登るも良し。うーん、まずは渓谷よね。橋を入れても絵が描けるし、紅葉に埋め尽くされた断崖絶壁を描くも良きかな。時間はある、描けるだけ描こう。

多恵さんのこれからの日程は決まった。では愚図愚図してはいられない。ご馳走さまとまだごたごたしている幽霊さんたちを残して店を出る。

再び渓谷の旅人に戻った多恵さん、目を凝らし、画材に相応しいものは何一つ見落とさないぞと心に決して歩くことにする。しかし、見るもの悉く描きたいものばかりなのだ。

「うーん、何もかも美し過ぎるのよ、一体何に的を絞れば良いのかしら?」

「え、私、そんなに美しいかしら?」

やーな予感。会いたくないものに会ってしまったかも知れない。

や、やっぱり。正真正銘の幽霊だ。

「あ・な・た・わ・た・し・が・み・え・る・の・ね」

「ええ、見たくもないのに残念ながら見えるのよ」

「私、綺麗かしら」

「もう少し、明るくて陽気な方が私は素敵と思うわ」

「大好きな人にもうお前なんか飽きたよ、別れようと言われて、明るく陽気に振る舞えまして。誰だって暗く鬱になるわ」

「そう、でも私の友人は彼が理想の男性だったにもかかわらず、私の良い所の分からない人は、こっちから願い下げよって分かれてさばさばしてるわよ」

「そ、それは・・でも普通の人は、まして散々遊ばれた挙句、ある日突如の別れ話よ、ショックを受けて鬱になるわ」

「鬱になってそれで自殺しちゃったって訳ね」

「ええ、そうよ、この河原でね。鬱で病院行くでしょ、そしたら薬沢山もらえるの。初めは真面目に飲んでたけど、全然気分は良くならないから、薬も強くなるし、飲みたくもなくって、その薬がどんどん貯まって行くの。それである日、春だったわ、この薬をいっぺんに飲んだら死ねるかもと思って、電車やバスを乗り継いでここまで来たのよ。この近くの温泉に彼と来たことが有ったから、ここで死ぬのがベストだと思ったの。夜になるのを待ってミルクコーヒーで薬を次々飲んでいったわ」

「そうだったの。ご両親は悲しまれたことでしょうね、きっと」

「ええ、、でもその時は彼への恨み事で頭がいっぱいで両親の事など思い浮かばなかったわ。私って親不孝者なのね」

「今はどうなの?ご両親の事は心配しないの」

「そうね、少しは。でも私は彼が憎い。それにここに来るカップルも憎い」

「あなた、ここに来るカップルにはあなたとは何の関係もないのよ、とんだとばっちりだわ」

「そうね、でも、妬ましいのよ、幸せそうな彼らが」

「だからここから離れられないのね。もう一度よーく考えてみなさいよ、ここに来る人達はここの美しい景色を楽しむために来てるのよ、あなたとは無関係。それにあなたがどんなに妬みの眼差しを向けようが

全く無変化、何か少しばかり寒気がする、気分が悪いような、それだけよ。早くここを切り上げて、ご両親の処に戻って、親不孝したお詫に守護霊になる修行を積んだら。ここに居るのも飽きたでしょう」

「はあ、そう言われれば飽き飽きしたような、ちょっぴり惨めなような。それにあなたのような人に今まで会えなかったんで、すっごく寂しかったわ」

「後ろを見てごらんなさい。あなたと同じ幽霊さん達が5人ばかりいるわ。少し彼等から幽霊と云うものはどうあるべきか、どうすべきか習うと良いわ。ただ一人は直ぐにでも天国に行けるのに、優しい心の塊のような人で、この川で溺れる人がいないかずーと見守っていてここから離れられなっかた人がいるわ。言って見ればあなたとは正反対の人かしら」

その彼等が近づいて来た。

「やあ、又誰かを釣り上げたんですね」杉山君がにやにやしながら近づいてきた。

「まあ、あなた、男の人に酷い目に合わされたのね、可哀そうに」輝美さんは自分の事で思う所あって同情的である。

「ぼ、僕は反対に女の人に酷い目に合わされましたが…」良介君。

「同じく、と言いたい所ですが、実は女房にです。と言っても3人とも自殺はしていませんがね」

「ハハハ、この中で自殺したのは俺様一人。て威張れることではないですが、巨額の借金地獄に落ちてしまって、死ぬしかないと。それに鬱でもありましたが」杉山君が明るく話す。

「ぼ、僕は新入りの飯島誠です。僕は川の深い所に落ちた幼児を助けようとして心臓麻痺で死んでしまったんです。ここで何とか川の事故を無くせないかと今まで頑張ったんですが、僕一人では何にも出来なくて、この、河原崎多恵さんのお陰でここに地蔵菩薩が出来る話を聞いて安心しました。直ぐにでも天国に旅立とうとも思いましたが、親の顔も見たいし、可愛がっていた猫達の頭も撫でてやりたいし、色々あって先ずはこの方達の中に入って、幽霊修行をしようと言う話になったんです。何しろこの河原から2,3年も上には出ていないのですっかり浦島太郎ですよ」最後に誠君が締めくくる。

「みんな明るく話してるけど悲惨な目に合ってるのよ、初めであったときは杉山君、あこの人、私の学生時代の友達だから今も杉山君、この人を除いてみんな真っ黒けの顔色、勿論心がね。それが今ではすっかり明るくなったわ」

「はい。河原崎さんのお陰で楽しく幽霊稼業を続けています。勿論目指せ、守護霊です」石森氏がそれを受ける。

「しゅ、守護霊?誰の守護霊ですか」

「「僕らの愛する人の守護霊に決まっているじゃありませんか」良介君。

「愛する人、愛する人って・・・」

「あなたのご両親とか兄弟、誰でも良いのよ。私は二人の子供よ」

「そう、そうよねえ、両親か・・きょうだい、妹がいるわ。今年でもう直ぐ23になるのねえ、私が自殺したのが23歳であの子が18だったの。あれからもう5年たったんだ.あの子も私と同じ性格の子だから男に尽くしまくって、辛い目に合わないようにしてやらなくちゃあいけないわ」

「そりゃ危ないねえ、早く妹さんの様子を見に行った方が良いかも知れないな」石森氏が提案する。

「それじゃ、早くみんなで押しかけましょう。あなたの家を教えて頂戴」

輝美さんの提案で話はまとまったようだ。

「じゃあ、これから俺たち彼女の妹さんの様子を見に行ってくるから、少しばかり寂しいだろうけど、頑張って良い絵を描いてて頂戴な」

そう言って彼らは慌ただしく、多恵さんの目の前から飛び立とうとしたが、この女性、長いことここから動いていないので、飛び方が分からない。そこで仕方なく先ずは飛び方の講習会から幽霊修行は始まった。

やれやれとそんな彼等に背を向けてスケッチを始める。こんな素晴らしい景色の中でとんだものに出会ってしまったものだと思いつつ。

やがて飛び方講習も終わったらしく後ろの方の霊気が消えて行った。その代わりこの近くの温泉場の宿泊客らしい人達が紅葉見物にちらほらと訪れていた。

良しここに決めた。丸々橋が見えるのでなく、半分は紅葉に隠れて見えず、その残りの橋には日が当たり入り口から奥の方は暗くなっていて、そこに何か人を引き付けるものがある。勿論橋の赤い色が圧倒的存在感があって、周りを埋め尽く紅葉軍に負けてはいない。

どちらかと言うと悪霊じみた、でも哀れな幽霊さん騒動で時間を少々費やしたけど、一生懸命に描けば何とかなるだろう。それに宿は目の前にある(多分)

だが一方で橋のない、橋の見えない所も是が非でも描きたいと云う欲望も湧く。画家だもの、それは当たり前の欲望だ、いや絶対描くぞ。描いて見せる、待ってろ紅葉達。

やはり橋を書き入れた方が長時間を要したが、何とか書き上げ、次の絵に取り掛かる。ここも前の処と同じで巨岩奇岩がごろごろしてる。石マニアの画家には堪らないとこだ。多恵さんはマニアと言う所までは行ってないが、どうしても”石”と云うものに心は引き付けられる。日本人だからなのか、でも、きっと誰だって石に心を惹かれてしまうと思う。

やったー2枚目の絵も描き上げた。さあ、上に登って今日の宿瀬音の湯に向かおう、と画材をまとめ画材入れのバックへしまうと、旅行用の荷物と一緒に肩に担ぐとすたすたと歩いて、上へと続く細い山道を登って行った。

舟橋と名付けられた例のつり橋を渡る。温泉宿は直ぐ見つかった。先ずは荷物を宿へ預けて、この近くにある茶房へ行き、何かお仲に入れよう。生きてる人間はお仲が空くのだ。

大荷物を預け小さな手提げ一つになると、さすがの多恵さんもやれやれ解放されたなあと、感じないわけには行かない。

平地に上がってもここいらは紅葉した木々で一杯。その道を散策気分で行くと、あったあったお目当ての茶房だ。早速頂くことにしよう、と中に入る。

「今終わったの、私達30分前にここに来たのよ」

入るなり声がかかった。仲間が4人、手を振っている。

「この下で描いていたのよ、ちょっとイザコザに巻き込まれそうになって」

「まあ、大丈夫、因縁つけるような人でも居たの」

彼女らの横に椅子を動かして腰かけた。

「因縁じゃないけど、少しばかり意固地になってここにしがみ付いてる女の人が居て、言い含めてそこから上に行かせたからもう大丈夫」

「変なの、まるで地縛霊みたいな人だわね」

「そ、そうよねえ、も少ししたら地縛霊になっちゃう所よねえ」多恵さん、内心ぎょっとしながら答えた。

「フフフ、多恵さんてそんなこと本気になって答えるなんて」みんなが笑う。

甘いものが欲しくなって、ココアと名物のおやきを注文。アンと湯沢菜の2種類。小腹が満ちてやっと落ち着く。

「三宅さんはもう帰ったかしら」少し薄暗くなってきた外を見て、ここに居ないメンバーを心配する声があがる。

「ここいらには滝らしい滝は無いはずよ」

「そうよね、滝は明日よ、桧原村の周りには描きたくなる滝が一杯あるんだから」

「まあ、一応、小腹の飢えも収まったし、宿に帰ってみれば分かることだわ」

「帰っていなかったら‥これは・・うーん、事件なのかしら」

「厭なこと言わないで。大丈夫、今まで幾つもの修羅場を潜り抜けて来た彼女だもの、私たちが心配してたこと、話したら腹を抱えて笑うわよ」

「え、彼女、修羅場を幾つもくぐって来たんですか?」多恵さん、驚いて尋ねた。

「そうらしいわ、何しろ滝を相手に描くんですもの、人のいない所がほとんどだから事件は起こらずしてや」みんな頷く。多恵さんも先日の件があるから大きく頷いた。

「じゃあ、早く宿へ戻りましょう、部屋割りもあることだし」

茶房を後にした。宿へ足早に引き返す。

彼女は帰っていなかった。

みんな青ざめたがもう少し待つことにした。その前に部屋割りをと云うことでくじで決めることにする。

多恵さんの部屋は3号室で今ここに居るメンバーで3を惹いた者はいなかった。と云うことは三宅女史と同室と云うことだ.

6時を過ぎたが彼女は戻らない。さすがに皆ソワソワ。どうすべきか考えねばならない時が迫って来たようだ。

「みんな、こんな所で固まってどうしたの?」三宅さんの声だ。

振り返ると荷物は相変わらずだが、服はすっかりリラックスな物に着替え、髪も顔も湯上り状態の三宅さんが立っている。

「どうしたもこうしたもないわよ、あなたが宿に着いていないので心配してたんじゃないの」

「ええ、そうよ、もう少しで捜索願を警察に提出する所だったんじゃない」

「ああ、ここではないけど、向こうの温泉場にはとっくに着いて、明日の為にゆっくりお湯につかっていたんじゃない。好いお湯だったわよ、みんなも夕ご飯食べたら早く入ると良いわ」

「はー」と皆気が抜けた思いだ。

まあこれで三宅さん騒動は収まった。みんな部屋割りに従って移動。と言ってもコテージに分かれると言ってもすぐお隣同士だ。そこで自分達で料理するもよし、大食堂に入って食べるのもよし。でも皆の意見では疲れもある、毎日自炊の我々としては旅に出た時くらいは、少しくらいは贅沢をしたい、たとえどんなに貧乏してても。という訳で荷物を部屋に放り込んだ後はまた大食堂に集まることと相成った。

その晩餐はここでの定番焼肉にするか、その他の各々の好きなものを選ぶかここも迷う所だ。これも団体旅行の煩わしい所であり、楽しい所である。

「少し、我々には贅沢ではあるけれど、ここは画家が、有名画家あり無名画家あり、まあ殆どが無名画家だけど、その画家が顔を合わせたことを祝って、焼き肉パーテイと行きましょう」

わーと言う歓声と拍手の音が響いて、皆の意見はまとまった。

このあたりの冬は早い、外はか冷えて来たようだが、もう中年と言ってもおかしくない年頃の婦人達は心だけはまだ若々しく燃えていて、その語らいは近づく冬も躊躇するほどに姦しく、にぎやかだった。

よってお開きになったのが9時を過ぎていて、本来はパーテイが終わったら、お隣の温泉の大浴場に繰り出す予定だったが、それをあきらめ各々のコテージに備えられている内風呂に入ることに相成った。

「あなた方はどうだか知らないけど、私は明日が本番よ。宿は6時出発と言いたい所だけど、夜明けの関係上6時30分から7時の間には出発するわよ。お互いに絵の描き方、向き合い方、さっきのパーテイの時だけでは語り尽くせなかったとは思うけど、時間は待っててくれないから、早く寝て、早く起きる。それが画家の生きる道なのよ。分かった」

やや、アルコールの量が過ぎたのか、勢いは良いがちょっとばかりろれつの回らぬ口調で三宅さんが部屋に戻るみんなに釘をさす。

みんなも「はーい」と返事を返すとそれぞれのコテージに引き返していった。

「さあ我々も巣穴に戻るか」三宅さんが多恵さんを促す。

「見て、あんなに星がきれい」多恵さんは空を指示した。

「どれどれ、ほんとだ」ここで三宅さんかけていた眼鏡をはずして、もう1度空を見上げる。

「なぜ眼鏡をはずして空を見直しているか、不思議だと思うでしょう」

「ええ、、どうしてですか?」

「フフフ、それはねえ、眼鏡をはずして見た方が星が何倍も大きく見えるからよ。ここみたいに星が鮮明に見えるところでは少しぐらいぼけてても十分に形が残るから、眼鏡をはずした方が星が大きく見えてそりゃあ綺麗と云うものよ。近眼はとても不便なものだけど、こう云うご褒美も本のちょぴりあるのよ」

「あっそう言われれば同じようなことを母から聞いたことが有るわ。母が台湾旅行に行った時、高雄の高い山に登ってそこから見える日本名ニイタカヤマから登る日の出を見るために、3時の起きて、と言うか殆ど寝てない状態で叩き出されて外に出た。夜空を見上げたら、星が、大きな星が空一面にひしめいていて、母は中学生だったころ社会科の先生から聞いた砂漠で見た星の話を思い出したんですって。『そりゃあそりゃあ大きな星が、コブシぐらいある星があっちにもこっちにも光っていて、手を伸ばせば届くくらいだった。今も思い出すけどそりゃあ綺麗だったんだ』母はその話を聞いてからと云うもの砂漠に1度は行って見たいものだと、秘かなる憧れを抱いていたの、その星空を見るために。その星空が今目の前にある、心躍らせて良く見ようとコンタクトをして見たら、その大きな星は消え失せ、普通の星が瞬いているだけだった。それが母の少し悲しく、少し残念な思い出。私もこの所視力が落ちて来たから、これからそんな風に星が見えるかしら」

「さあ?あなたのお母さんも私も酷い近眼だからそんな風に見えるのかも知れないわ。でも目は良いに越したことはないわ、ほんとに不便よ、特に画家にとっては」

「そうでしょうね、、近眼でさえ不便なんですもの増して目の不自由な人はどんなにか理不尽な思いをしていることか・・」

多恵さんは母を思う。母は今度生まれ変わったら何とか目の不自由な人を、その不自由から解放する医薬と云うものにに挑戦するという野望を抱いている。そのために今英語をせっせとやって来世に役立たせようと頑張っているのだ。日本は豊かになっても中々研究費は増えない、何処も彼処も青息吐息。その点、米国ではこれはと思うような研究に対して潤沢な費用がもたらされるのだ。英語が得意でなかった母が今度こそ米国に渡り、来世こそ研究者として全うするぞと云う心意気なのだ。

「ああ、ここ寒いわねえ、お陰ですっかり酔いがさめちゃったわ。早く部屋に戻りましょう。私、あなたがお風呂入ったあともう1度入ってあったまり直すわ」三宅さんそう言うと急いでコテージの中へ戻って行った。勿論多恵さんもそれに続いた。

その翌日、多恵さんは5時半ごろ三宅さんに起こされた。まあ、前日は10時少し過ぎに寝たから、睡眠時間は十分だ。

「今日も好い天気になりそうよ。野口さんから聞いたけど、あなた晴れ女だそうね。それもあってあなたと同行することにしたの」

「ああ野口さんねえ、今年春に紀伊半島一緒したんだけど、、私別に晴れ女と言われるほどあっちこっち行ってないからそう思われると困るな。11月も3月の上旬も雨が少ないし私が雨を避けてるだけで、雨が私を避けてる分けじゃないの」

「本当はそうだろうけど、やはり、これを10月下旬にしてたら雨に祟られてたわよ」

祟られるで思い出したけどと、多恵さんは別行動になってしまった幽霊御一行様はどうなったろうと思いを巡らす。あのもう少しの所で祟りの権化、地縛霊になってたかもしれない、ええっと、彼女の名前は何て言ったけ?思い出さない。そうだ、まだ聞いていないのだ。多恵さん苦笑い。

「さあ、早く出発しましょう。うん、待て待て、その前にまずは朝食か、良し、食堂に行こう。みんなきっと待ってるわ」三宅さんの言葉にはっと気が付いて荷物をしょい、一応忘れ物がないか部屋を点検してコテージを出る。

大食堂には我々が1番乗りで、直ぐに2,3組の見知らぬ同宿の人達が続く。

洋定食と和定食があるが、和定食にする。ご飯の方が腹持ちが良いからだ。それだけの理由しかないが、この肌寒い気温、和定食の方が体を温めてくれそうな気もするのだ。

その後やっと仲間が現れた。

「遅い!早く食事済ませてよ、滝が私を待ってるわ。もう、気分が高揚してうずうずしてるの。あ、そうだ、私ら早めに出て昨日あなたらが行った茶房によって、小腹が空いた時用にそのおやきとかを買って行こうかしら」

「でも、まだやっていないんじゃないの。7時前じゃ幾ら早くても無理だと思うわ」

「そうよ、ここのパンだって未だ入荷していないようだし」

「慌てる乞食はもらいが少ない、急がば回れともいう言うわ」

「滝は逃げはしないわよ、どんと構えてさあ、、良い絵を描いてあげるからいい子で待ってるのよ、て三宅さんみたいな大家だったら言えるわよ」

「何を言ってるのよ、時間は待っててくれないのよ。時間と共に光線の加減に大きな差が生じるのよ。絵にとって光と影は命だわ。1番いい時とその前後の微妙な光の射し方によって、その絵が生きるか死ぬかが決まるんじゃないの。絵描きならそのくらい解るでしょう。早起きは三文の得。善は急げ。チャンスの神様前髪つかめ.早い者勝ち、あれこれは諺じゃなかったかしら」

「ハイハイ、三宅画伯のため、急いで食べ終わりましたよ。胃のためにはすごく悪いけど絵と胃のどっちが大切なのと聞かれたら、私ら絵描き、絵と答えざるを得ないじゃないの。さっさと支払いを済ませて出発しましょう」

「そうしましょう、お焼きやパンは他でも売ってるわ、もう少ししたら」

多恵さん一行、瀬音の湯を出発する。

この先に中山の滝と云うのがあるけど滝と云うほどの者じゃないわ、でも結構風光明媚な場所だから描きたい人は描けばいいわ。私も少しだけスケッチしていくわ。写真もね」

全員三宅さんに倣って簡単なスケッチを描き写真を撮る。成程落差は殆どないがその流れは豪快で、周りの岩との絡み具合いが滝を連想させる。

そこを終えると、又みんな揃ってぞろぞろ三宅さんの後に従う。まるで小学校の遠足のようだが、払沢の滝までは三宅さんの指示に従おうと、誰云うことなく後ろを付いて行く。

途中で見つけた小店で三宅さん待望のお焼きを仕入れる。それはそこの店主、少々年季の入ったレデイだが彼女自ら作って焼いているとの事。焼き立てをほおばる。三宅さんが「美味しい」と目を細めた。

どれどれと多恵さんたちもほうばる。昨日とはちょっと違っているけども、素朴で懐かしい味がして、その点ではこちらの方が勝っているのかもしれない。お握りもあったのでそれも購入。

幸せな気分になった所でまた払沢の滝を目指す。時々河原の方に降りてみた。こちらの方が気温が低いのか、紅葉も大分散っていて、河原も川自身も赤や黄色、茶色の葉で埋め尽くされかかっている。

「もう直ぐよ、払沢の滝は」スケッチする童らに三宅さんの檄が飛ぶ。

「払沢の滝を描いたら、もう一、二か所滝を描いて、それからは今日帰るものはそこでお別れ。わたしはもう2泊するから・・今日泊まる人は私と同行しても良いわよ。まあお好きに行動して」

多恵さんとしては昨日別れ別れになった幽霊御一行さんが気になって仕方がない。

「私、少しここいらを描いてみたいから滝2つ描いたら、離脱するわ」

「あっ、私も用があるからバスが有ったらそれで帰るわ」

「私たちもバスに乗ってかえるわ」

「私は三宅画伯にしがみついていくわ」みんなのこれからの予定が提出された。

多恵さんは三宅さんに付いて行きたいのは山々だったが、ぐっと我慢した。

「でもさ、ほらあそこに貸自転車屋さんがあるわ。あそこで交渉して、払沢の滝から降りて来るまで画材や貴重品以外の荷物はあそこに預け、そのあとの茅倉の滝や不動の滝まで自転車に乗りましょう。そしたらこれからの道中、すっごく楽になるわ」

三宅さんの妙案にみんな大喜びで賛成した。

勿論、自転車屋さんもただ預かるだけならばと快く引き受けてくれた。これで煩わしい旅行荷物から半分解放されてやれやれと云ったところ。

「滝に行く前に、さっき買ったおやきの残りを少し食べて行かない?」

さっき食べたばかりだったが、これからの山歩きと食欲旺盛な中年の婦人の胃袋にとって、さっきのお焼きはとても魅力的な存在だった。

「そうね、お焼き美味しいわよねえ、食べましょう、食べましょう」

「うん、これからのエネルギー消費を考えると、プラスマイナスゼロと云うことにしましょうか」」

「賛成、大賛成!」全員先ほどのお店で購入したおやきにかぶりつく。

満足した胃袋を少し撫でて今日の第一目標、払沢の滝へ足取りも軽やかとまでは行かないが、どしどしと歩き出す。

「天気は良いけど、ここは木が多くて日差しが射さず少し肌寒いくらいね」

「でも歩き出すと熱くなるから、この位が丁度良いんじゃない」

「そうよ、私なんかは太っているから、もうすでに熱いわ」

滝からの流れに沿って山道が続く。

「木道が作ってあるけど、前の台風で大分壊れて今修復の途中なのね。ここは冬凍る滝として有名だから何としてもその前に修理しておかなくちゃならないのか・・」

「誰がやって下さるのかしら、とてもありがたいことだわ」

「ほんとよね、木道を使わせてもらう度、感謝してるのよ」

「私、凍った滝も描いてみたいな、今度冬に来てみない?」

「だめだめ、わたしはパス」

「私もパス。私寒さに弱いのよ」

「私もどちらかと云うと寒さは苦手。河原崎さんはどう?」

「わたしはそんなに寒さには弱くはないわ。只、凍っている世界よりそうでない世界が好きなの。でも凍ってる滝、とっても描いてみたいわ、時間と余裕があれば。三宅さん自身はどうなの?」

「わたしはどちらも好きよ。凍っていようが、いまいが。それにそれを描くためだったら、寒くても平気よ。北極だって南極だって行くわ。勿論お金と時間が有ったらの話だけどね。ハハハ」

水音が強くなり、足元の岩の苔も深くなる。

「ほら!」三宅さんが指さす。白いしぶきが上がっている。

「これからどんどん、岩にぶつかる水量が増してくるから、こういったのが描きたい人は準備することね滝はもっと先の方だけど」

「ええッと、私はこういった景色が好きなんだ、岩が苔むして飛び散る白い水。でも今日はもう少し本命の滝を入れて描きたいな」

「そうよ、折角払沢の滝に来たのに、滝を描かずにその末端だけを描くなんて余程のへそ曲がりのすることよ」

「でもでも、どうして払沢の滝って名が付いているのかしら?」

「ああ、なんだかややこしいんだけど、兎も角、お坊さんが使う払子に落ちる滝の流れが似てることから回り回って払沢の滝になったらしいわ」

「ふうん、これから行く滝にもそれぞれ名前が付けられ、それにまつわる話があるんでしょうね」

「そうよねえ、これが滝って思えるようなちっぽけな水の流れにだって、結構立派な名前が付けられていて笑ってしまう時もあるし、え、何故って思う事もあるわ」

増々岩場にぶつかる水量が上がり、これはこれで立派な滝と言えそうだ。と思いを巡らす前に満々と水をたたえてたゆとう滝壺の揺らめき、舞い落ちる水、水しぶき、轟音、払沢の滝が全容を濡れた岩間と生い茂る木々の間から現わした。

しばし,皆見とれる。

「さあ皆さん、見とれてる時間は終わりです。思い思いの場所を決めて、さっさと描き上げましょう。時は金なり、描いたらさっき買ったお握りも待ってますよ」三宅さんの声がかかる。

皆それぞれ、好きな構図がある、得意とする角度を決めて描く人が殆どだが、新しい領域を求めて、いつもとは違った場所や角度で描こうとする者もいる。

多恵さんも考えた。那智の滝や軽井沢の千ケ滝を描いた経験から、今度はもっと変わった視点から描きたいと思いを巡らす。

確かに美しい、迫力もある。そして何よりここまでの景色も素晴らしかった。そういったものをひっくるめて描くのは邪道だろうか?

そう思いつつ,何時もの角度から払沢の滝を描きこむ。そうか、この上に淡く今まで通って来た第2第3の滝や苔むした岩場をうっすらと描き入れてみよう。

「ああ、狡い。そういう手があるんだ」多恵さんの絵を覗き込んだ一人が叫ぶ。

「え、どれどれ。なあるほど、そいう手法もあるわよねえ。河原崎さんの絵にはぴったりの手法かも知れないわ」三宅さんも頷いた。

「誰もかれもが採用できる画法ではないわね、残念だけど」

「うーんわたしも何時もと変わらない手法、何時もと変わらぬ切る口で描くことしか思い浮かばないわ」

「でもそれで好いんじゃない、私、この間も滝を描いたから、ここの特徴は何だろうと考えを巡らしてついこう云った感じになってしまったのよ」

「ああ、あの殺人犯を捕まえた時ねえ」

「あの武勇伝、聞きたかったわ。刑事さんも驚く、いや驚いた武勇伝ね」話は飛んでもない方向に行ってしまいそうだ。

「私の武勇伝なんて、今は関係ないでしょう。それより三宅画伯の払沢の滝、見せていただきましょう」

そうだそうだとやっと多恵さんは皆の関心から抜け出られた。

三宅画伯の絵はスケッチとは言えやはり大迫力に富み、その上に近づく冬の足音さえ描き込まれていて

見る者の心に、この奥多摩の早い冬の気配を呼び覚まさないではいなかった。

「やっぱり、三宅画伯には2歩も3歩も先に行ってる、って感じだわ」

「でも勉強になるわ、この筆使いや枯れ枝の描き込み何か、私なんかつい省いちゃうけど、これがあるのとないのでは大違いだもの。どれを省略するか省略すべきでないか、もう一度よおく考えなくちゃいけないわ」

「そうそう、それにこの真っ赤な紅葉が一枚、この一枚だけを描いてるのが何とも言えず日本人好みで味合い深いなあ、大抵の人がええいッとてんこ盛りに紅葉や黄色くなった葉っぱを滝の迫力に負けないように描き込むけれど、枯れ枝や少なくなった赤や黄色の僅かな枚数で、行き過ぎる秋を感じさせる、なんて心憎いわ」

他の人の絵も大体が描き終わり、皆で批評しあう。彼女らは絵描き集団なのだ。

「さて、これからここを降りて茅倉の滝と近くにある不動の滝に向かうわ。その前にお結びを食べて、すぐ下にあるお蕎麦も頂きましょう。太るの気にする方や胃の収容量のない人は、お結びは少しだけにして下さーい」

「はーい、と言っても食べちゃうかもね」周りから笑いが上がる。

お結びも美味しく頂き、この別天地を後にした。

下に降りると、まずは貸自転屋さんに行き三宅さんと明日も彼女に同行するメンバーを除いて、帰りまでそのまま荷物は預かってもらい、それぞれ好きな自転車を選んで飛び乗った。

ほんの少し行くとお目当てのお蕎麦屋さんに着く。

「ザルソバを頂きたい所だけど、体がすっかり冷え切ってしまったから、うんとあったかいソバを食べさせてもらいたいわ」

「私も同じ、天婦羅ソバの熱いのが欲しい」

「私も暖かい山菜ソバ」

「私は同じく山かけソバ」と云った具合に皆温かいものになった。

ふと多恵さんはあのビーナスラインでの石森氏の元奥さんがやり始めた店のエピソードを思い出していた。幽霊たちに冷やされた観光客がつい、あったかいソバを食べたくなってやって来る、あのエピソードだ。一体今頃幽霊軍団は何処で何をしているのだろうか?それとも多恵さんの周りに賑やかな友人たちが居て、現われたくてもそれが出来ずやきもきしているのかしらん。

「あ、おじさん、この山菜、美味しいわねえ。初めて食べたわ」

「このキノコもすっごく美味しい。香りも味も良いし、この滑らかな舌触り、病みつきになりそうよ」「私、このとろろ、すっごく粘り気が強いので驚いているのよ。スーパーで買って来た山芋ではこんな粘りは全然出ないもの。この蕎麦との相性、ぴったりよ」

「入山権て云うのかしら?こっそり入って黙って取っていく人が後を絶たないって聞いたわ、困ったものね」

「そういったこと知らない人が多いのかしら」

「そう思って山の入り口に立て札立ててるんですが、なかなか難しいですよ」店の主人は弱り切った顔で答えた。

「ごちそうさま。美味しかったし、体も温まったわ。さあみんな、これから、昼業に立ち向かうわよ」三宅さんの檄が又飛ぶ。

「昼業って何ですか?」店主が尋ねる。

「私達、画家なんです。だから腹ごしらえが出来たらこの先の茅倉の滝と不動の滝を描きに行くんです。

朝は払沢の滝を描いてきましたから、これから描くのは、昼仕事で昼業と云う事になります」

「ハハ、成程。では気を付けて良い絵を書いて下さい」

蕎麦屋を後にした。蕎麦屋なのにあの石森氏が姿を現さないとは少しおかしい。多恵さんの胸に一抹の不安が沸き起こる。

「あれがとうげん橋で、あの渡った所にあるのが安らぎの悟って言う所らしいけど、何をする所か調べてないから全く無知、知らないわ」

「私の住むところにある安らぎの里は立派な設備の整った大きな葬儀場とお墓の分譲地もある所だけど、もし違っていたら悪いわねえ」

そう言ってる間に茅倉の滝に着いたらしい。

「ほら、ここからでもこの滝は見えるのよ」自転車から降りた三宅さんが大きな声で叫ぶ。

みんなも自転車から降りた。確かにここからでもその滝は良く見える。

「でも私たち画家は、滝は見ました、はいさようならと言う訳には行かないわよねえ。さあて、向こうの空き地に自転車止めて、降りて行きましょうか」

自転車を止めカギをしっかりかけて滝への降りる階段を見つけて下って行く。

「あ、待って。ここから見る滝、すっごくきれいで素敵だわ」多恵さんが叫ぶ。

「ええ、成程。これは河原崎画伯、お目がお高い。角度も構図も言うことなしね」

「うん、うん、紅葉の入り加減も素晴らしいわ」

「うーん残念、さっき私もここ、良いなあて脳裏を掠めたんだけど、言いそびれちゃったんだ」

「そうよね、あなたは私という存在に言いそびれたのよ。これからは自分が良いと思ったら、遠慮せずに言うのよ。画家としてあなたと私はヒフテイヒフテイなんだから。それが画家としての心構えの第一歩なんだから」三宅さんの優しいアドバイスの声が彼女にかかる。

「はい、今度から直ぐに言います。と言ってもあまり自身はなかったんです、正直。みんながここは素晴らしいと言うから、私もさっきそう思ったんだ、矢張りここは素晴らしい所で,描くに値する所だったんだと。三宅さんの画家なら下に降りるべしと言う言葉にも多少影響されましたが」

「じゃ、河原崎さんはここから描くから一人残して、私たちは他のぐっと来る場所を探しましょう」

多恵さんを残し、彼女らは滝底目指して降りて行った。

多恵さんは簡易イーゼルを組み立て、画紙をセットして早速描き始める。上から眺め下す滝もその長さと細さに負けぬ迫力を感じさせ、下の滝壺への迫力を、もしかしたら下で感じるより強く感じるかも知れない。上から見ると、水の色が全体的に見え、白からブルーへ変わり、グリーン、深い緑色に代わって行くのが良ーくわかる,これは下からでは中々捉え切れないのではないだろうか?

「やっと、一人になったんですね、待ちくたびれました」杉山君の声だ。

「そろそろお出ましかとは思っていたわよ。さっきの蕎麦屋さんでも石森さんさえ現れなかったし、少し心配してたくらいよ」

「はあ、あなた方の女流画家集団の迫力に圧倒されて幾ら石森さんでも遠慮しますよ」

「ヘヘヘ、でもあなた方の出た後十分お蕎麦頂きましたよ。うん、中々腰があって、蕎麦の香りが素晴らしかったですよ」石森氏も姿を現した。と次々に幽霊諸君が狭い石段の処にひしめき現れた。

「私は天婦羅ソバを頂いたわ。山菜の香りも良く揚がっていたし、アユの天婦羅も絶品だったわ」と輝美ちゃん。

「僕も天婦羅ソバを一緒に食べました」良介君が続ける。

「なんかこの二人この頃やけに仲好いんですよ」杉山君がぼやく。

「僕もお蕎麦の良い匂いに負けまして、山菜ソバを頂きました。山で採れたとか言うキノコは、矢張り天然もの、味も匂いも、そして噛み応えさえも普段食べていたものとは全然違っていて感動しました」

これはこれは誠君、こんな贅沢三昧の幽霊軍団に交じって、しかも同じようなことを言ってて良いのだろうか?

「私、もう長いことバーベキュウの匂いだけで過ごしてきたから、もう夢中で天婦羅も山菜も、山掛け、ついでにざるソバも他の客が食べていたから頂いちゃった。美味しかったあ、食べるってことは幽霊でも感動するんですね」地縛霊になりそこなった彼女が締めくくった。

「あのう、あなたの名前を聞いていなかったようだけど、お名前は何て言うの」多恵さんが尋ねる。

「あ、言ってなかったけ、私、日野美咲と言います。初めて会った時は色々驚くようなことばかりで失礼な事しました。あれから、ここに居るみんなから話を聞いて、もしかしたら私にも心の安らぎが得られるんじゃないかと、藁をも掴む思いで仲間に入れさしてもらいました。どうか今後とも宜しくお願いいたします」

「日野美咲さん、素敵な名前だわねえ。綺麗な名前、まるで芸能人の名前見たい」

「良く言われました。完全なる名前負けです」

「そんなことないわよ、もっと前向きに自分を捕らえ、人を許して自分を許せば、心も明るくなって行き顔色も明るくなって行くわ。そしたら、今の十倍は綺麗になれるわよ。これ本当よ」

「それは本当ですよ、ここに居る連中、誠君を除いてね、初めは顔色悪くて、互いに嫌な顔いろしてるなあ、まあ、幽霊なんだから仕方ないやと思っていたんですよ。それが今ではバラ色と行かないまでも、ずいぶんきれいな顔色の幽霊になりましたよ、ねえみんな!」杉山君の呼びかけに「おう」と皆が答える。

「私も彼女と知り合う前は病気と夫への恨みでそりゃあ酷いものだったわ。あれが今ではまあ見られる顔までになったのよ」

「いえいえ飛んでもない、とても美しくなりましたよ、穏やかで観音様みたいだ」良介君が褒める。

「増々二人は怪しい。が、それ本当です。あなたも頑張りましょう」杉山君。

「それで妹さんの方はどうなったの?」多恵さんが今一番気がかりなことだ。

「ああそれがですね、妹さんはお姉さんの事がショックで今の所、恋どころか男性そのものに恐怖や、嫌悪感を抱くようになって‥これはこれで心配ですが」

「私がいけなかったんです、ちょうど傷つきやすい年頃だったんです、私が自殺した頃」美咲さん泣く。

「もう過ぎ去った事は変えられないわ。徐々に男の人はそんな人ばかりじゃないってことを何とか分からせてあげなくちゃあね。美咲さん自身は余り妹さんに近づけないから、ここは面倒見の良い誠さんに力を貸してもらいましょう。良いでしょう誠さん」

「ええ、人の為になるんだったら僕、喜んでします。何でも言ってください」

「それからみんなも手伝ってくれる」みんな頷く。

「まずは初めに、性格が良くって、あ彼女、イケメンが好きなのよねえ、うーん性格が良くってイケメンで、まあまあの生活力のある人を彼女の周りから探し出す。彼女を少し気にかけていればもっと良いけどね、それは欲張りと言うものかな」

多恵さん、滝を見つめる。

「ここからの滝、違ったアングルで、また格別の味合いがありますね」杉山君が唸る。

「何時も何時も感心するけど、滝も水の色も素敵な色あいだし、崖と紅葉がごてごてしていなくてすっと心に入って行くわ」輝美さんが感心する。

「画家さんだったんですね、プロの」

「そうだよ、結構この頃絵も売れ出して画伯に近づいてきつつあるんだ」

「杉山さん嬉しそう」輝美さんが冷やかす。

「元恋人とか伺いましたが・・」美咲さんが聞く

「飛んでもない、只の知り合い、だよな」石森氏。

「そりゃ、あんまり可哀想ですよ、昔の片思いの人かな。彼女を何時までも待つと言いながら、他の女性と結婚しちゃった薄情な男でもあります」良介君。

「そそれは、事情があって、結婚せざるを得なかったんだよ」

「で、今は彼女の傍にいるわけですか?」美咲さん。

「私は早く奥さんの処に帰って欲しいのだけど、彼中々帰らないのよね。幸恵さん、奥さんの名前、の処にも1日でも早く守護霊の昇格して守ってやって欲しいわ、生前、散々苦労させたんだから」

「今、幸恵は再婚活動真っ最中なもんで、俺は用なしなんです」

「そうじゃない時も、河原崎さん、河原崎さんってずっと言ってたんじゃなかったなかったけ?」石森氏

「そうですよ、ちょっとした幽霊のストーカーみたいなもんですよ」良介君。

「でも彼は彼女がずっとずっと好きで、見ていて切なくなるほどよ。ストーカーは相手の事を考えていないけど、彼は真剣に彼女に事を考えて行動してるわ。度が過ぎて無視されると鬱になっちゃうくらい」

輝美さんは優しく言葉を添える。

「片思いのまま、他の人と結婚し、死んじゃってそれが復活したってことですね」美咲さんが納得。

「いや、彼は復活したんじゃなく、心の中ではずーと思い続けていたんじゃないかな」石森氏。

「別の人と結婚したからと言って、そんなに好きな人を忘れる事なんて出来ませんよ、本とに」良介君

「あなた、良介君と言ったかしら、あなたも確か失恋の痛手から死んじゃったんだっけ?」

「ぼ、僕は酔っぱらって歩いているところを自動車に惹かれたんですよ。まあ、酔っぱらった原因は失恋ですがね」

「それも酷い失恋で、結婚式直前、招待状は勿論、新婚旅行の予約もバッチリ決めて、あと4,5日と言う所を、実は好きな人はこの人で、ご免なさいと言われ、これが飲まずにいられましょうか。飲んで飲んでふらふらになって表をさ迷い歩いている所を跳ねられて、一貫の終わり」

「そそれは酷いわ。もしかしたら私の場合よりも酷いかも知れない」

「そうでしょう。だからあなたも私は世界一、不幸な女と決め込まないで、本当はああ、だまされちゃった、今度は誠実な人を探そうと前向きに生きて欲しかったなあ。まあ過ぎてしまったことは仕方ないとして、今、と言うかこれからの事を考えよう」

「そう、そうね。残された人、特に私の事でショックを受けている妹を何とかしないとね。ああそうだ、妹はイケメンが好きと言ってたけど、それはほどほどで良いの。あんまり酷い人相じゃなければ、構わないと思うわ、彼女の幼馴染を見ても格別良い男がいるわけじゃなし、クラスメートにも好い男はいなかったから、実の所を言うと妹の方が私より、身の程をわきまえていたのかも知れない。姉の話に合わせて、良い男が好きと言ってる可能性があるわ」

「そうかもね。それにその幼馴染やクラスメートも調査してみた方が良いかも。気心知れてるし、受け入れやすいかも知れない」

「そいつが性質の良い奴と分かれば、何とか二人が会えるようにするんですね」

「慌てちゃだめよ、ごく自然に。まあ兎も角誠実で働き者を探し出すことが先決。みんなで協力すればきッといい人が見つかると思うわ、じゃあ頑張って」

「駄目ですよう、ここは妹さんの話しは後にして,暫くここで滝を眺めたり、紅葉を愛でたり。それにここいらの情報もお伝えしたいことが有りますよ」杉山君が慌てて多恵さんを遮る。

「なあに、ここいらの情報って?」

「ここいらの山菜で、と言うかお店で売ってるから、特産品かなあ、姫ゴウゾとかルバーグなんて知ってます?」

「はあ、全然知らないわ、何なのそれ」

「俺も実はよく知らないんですが、ルバーグとか云うのはジャムにするとか言ってましたよ、さっき通りすがりの野菜売り場で小耳にしたんですが‥兎も角ここいらの野菜売り場には聞いたこともないような野菜が沢山あるみたいですよ」

「へええ、本と。後から一人で帰るときにちょこっと除いてみよう」

滝の絵は描き終えた。写真も3,4枚年の為に映しておこう。

下を除くと皆も描き終えたらしく手を振ってる。

「みんなが来るわ、又みんなでここいらを散策してて頂戴」

彼らが戻ってくる。

「良い絵掛けた?私はまあまあだわ」

「私もよ、ここはこの所から見下ろした方が構図的にも良かったのかもねえ」

「さすが河原崎画伯は目の付け所が違うと話していたのよ」

「あ、見せて、ほら、素晴らしいじゃないの、この水の変化はしたからじゃ良く見えないもの。うーん悔しいけど、ここは河原崎さんに1本取られたなあ」

「さっきも1本取られたから2本じゃないの」

どっと笑い声が上がる。

「さあ早く次の目的地に向かおう、日が高いうちに。この頃ほんとに日暮れが速いから」

三宅さんの声に急き立てられて、上に戻って、自転車の人となる。

「ここが不動の滝のある所よ。ここは下に降りないと滝は良く拝めないかもよ」

「不動の滝っていうから不動明王に関係あるのかしら?」

「ご明察。昔この近くに不動明王が祭られていたみたいよ。でもなんか水害か何かでその像はなくなったとか。もしかしたらこの村を守るため身代わりになったのかもねえ。これ私の妄想」

「いや、私もそう思うわ」

「そう考えるとこの滝が一層神々しく見えるわ」

「ありがたい、ありがたい。早く降りて行こう」心はまだまだ乙女のままの女達は、にぎやかに喋りながらがやがやと画材道具を背に負い、目的の滝を目指して足早に降りて行く。

「少し日が陰って来たわ。ほんとに急いで画かないと、夜になっちゃうわ」

「ほんと、まだ2時を過ぎたばかりなのに」

やっと谷底に着く。上流に位置する水の流れは一層清らかで、飲めと言われたら、きっと喜んで飲むだろう。紅葉は殆ど終わりを告げ、もう冬の気配が漂っている。しかしその為に視界を遮るものがないため、小さいけれどその勇壮な姿がダイレクトに感じられる。

「ここも冬には氷結するのよねえ?」もうみんな夫々描く場所を決め、イーゼルを立て描き始めた。

「もちろんそうでしょう、寒さは変わらないのだから」

「秩父の滝も吹割の滝もみんな、氷結することで有名だけど,この頃は地球温暖化で中々完全には氷結しないから、ここいらもどうかしら」

「地球温暖化かあ、あちらこちらに影響が出てるわねえ。私ら人間の利便さの為に、関係のない自然界に迷惑かけるのは本当に申し訳ないことだわ」

「北極当たりの温度も上昇して氷山は溶け出すし、冬になっても海が中々凍らなくて白熊が餌を取りに行けなくて餓死してしまうなんて、堪らないわ」

お喋りはしてても、目はしっかりと滝に向かい、手の方はせっせと動かす。

勇壮ではあるが長さはないので、キャンバスに収まりやすい。黒っぽい岩肌、かすかに残る紅葉、まだ十分緑なす苔やシダ類も滝を飾る。

多恵さんもこの滝の勇壮さと、流れ落ちる水の清麗さと身を切るような冷たさを何とか表現したい、描き込みたいとさっきから必死にあがいていた。滝は何とか描き込めたようだが、水の清麗さと冷涼さが中々上手く行かない。少し筆を止める。

「どうしたの、もう描き終えたの?」隣で描いていた三宅さんが尋ねた。

「ううん、まだよ。この水の冷たさや他にもいや増す透明感や清らかさを、何とか描き留める事は出来ないかなあと、あれこれ考えているのよ」

「そりゃあとっても難しい事を。でも河原崎さんならきっと描けるわよ。時間がないけどね」

「ええそうね、時間がない・・」多恵さん絵を見つめる。そうだこの絵の手前に落ちている葉っぱ、これを書き入れよう。この真っ赤な葉が水の清らかさも、水の冷たさも、両方とも知らせてくれてるじゃないか。多恵さんその濡れそぼろいて今にも流れ行き去りかねない葉を描き込む。そうすることで水底に沈んだ石や枯れ枝の存在がより透明感と冷たさを際立ててくれる。

「あ、良いわねえ。さすが河原崎さんだ」三宅さんが唸った。

「さあ暗くならない内に上に帰って、自転車の方に戻り、今日帰るものは自転車屋さんに戻ってちょうだい。私と彼女は今夜の宿に向かうわ」三宅さんに急かされて慌ててみな帰り支度、上に戻る。

自転車置き場に戻るとお名残り惜しいがこれで三宅さん達とはお別れだ。多恵さん達は少し暗くなった道を戻ろう。そこでふと多恵さんの脳裏にお土産と言う文字が浮かび上がる。

「うーん、どこかで土産を買わねばなるまいて」

良く見ると目の前にかなり大きな土産物屋が鎮座してるじゃありませんか。

「ここでお土産を買わなくちゃあいけないわ」自転車を又止めて降りる。

他の仲間も同じ思いらしく皆自転車から飛び降りた。

「もう少しで忘れるとこだったわ。私には待つ家族はないけど飼ってる猫をお隣に預けて来たから、お礼代わりのお土産を買って行かなくちゃ」

「右に同じ!」

「私は今は金魚しかいないけど、ここの柚子ワインはとてもおいしいと聞いてるから、自分用に2、3本買って行くわ」

「そうなの、柚子ワインねえ。うんお隣の藤井さんとこには柚子ワインに決まり。ああそうだ、教授にも大樹さんにもそれにしようかな。送ってもらうから各2本ずつね、いや、私も飲みたいなあ、私用にも2本、3本にしようかな」」

「そんなところで立ち止まらないで中に入ろうよ」4人の元乙女たちは店内の人となる。

「えーと、幽霊じゃなかった友人の杉山君が言ってたル、ル、ル何とか」

「ルバーグですね、ジャムになってるのしかありませんが、酸味が効いて美味しいですよ。それからこれも珍しいナツハゼのジャムもありますよ」幽霊と言う言葉に皆、一瞬氷ついたようだったが、店の人の発言で「それは何」と言う疑問詞で彼女らの脳は直ぐに一杯になった。

「ルバーグはタデ科の植物で茎が真っ赤なんですよ、梅の代用になるくらい酸味があって、体にも良いとか。ほら、ジャムの色、ルビー色でしょう」

ふむふむと皆一同頷く。

「ル、ルバーグは分かったわ、。ではナツハゼは、ハゼの仲間でしょう?かぶれたりしないの」

「いえいえ、これは日本のブルーベリーと言われて、これもブルーベリーの仲間なんです。花も実がなるのも大体ブルーベリーと同じころですかねえ。それに紅葉もきれいですよ、ま、これもブルーベリーと一緒ですよね」皆感心して聞いている。

「私たちの知らないことや、知らないものが一杯だわ」

「素敵な木工品もあるのねえ。うんこれ私気に入ったわ。これ買って行こう」

「じゃがも特産品なのね、あ、これ美味しそう、じゃがのお菓子」

「じゃがのアイスクリームもあるんですよ」店主が勧める。

「あ、それここで頂こう。考えてみればお昼近くにお蕎麦を食べて以来,殆ど食事らしい食事してないんだ」

「あ、あなた、さっき菓子パン食べてたんじゃないの?」

「アンナの食べた内に入らないわ、もっとボリュームのあるモノ食べたい」

「右同じ」

「じゃあ、早くお土産決めて、自転車屋さんの近くの食事処で何か食べて行きましょうよ」

「そうしましょう、そうしましょう」皆急いで土産を選び、宅急便の手配を頼む。

勿論、少し寒いとは思わないでもなかったが、甘い誘惑には勝てずそのじゃがアイスクリームを食べながらの作業となった。

「あ、もし、良かったら、その自転車屋さんの直ぐ傍に豆腐屋さんがあって、そこの豆腐もですが、おからで作ったドーナッツを作っているんです。ちょっと珍しいし、健康にも良いと評判ですよ」店主が帰り際に教えてくれた。

成程、客が2,3人たむろしてる。多恵さん達も仲間に加わることにした。

「お隣の武志君と内の娘にも良いお土産が出来たわ、じゃがのお菓子だけでなく。勿論私も食べるけど」

「私も自分用とお隣用、がっぽり買うわ」

「私は自分用だけ、あまりおから、好きでないからそんなに要らないわ。でも柚子ワインと一緒に飲めば結構行けちゃうかもねえ」

「行ける行ける。私もお隣用と私用。同じくガッポリ派でお願いします」

自転車を返し、お礼を述べてから預けてあった荷物を受け取る。

次は夕食だ。イタリアレストランが目に入る。

「ここにしようか?」お互いの恰好を眺める。うーんどう見てもレストランなんて恰好じゃない。だがイタリア料理を食べたいのは皆同じ。ここは駄目元であったって砕けろ精神で、突進あるのみ。

「あのう、私達、画家なもので、こんな格好してるんですが、入店しても宜しいでしょうか」

「もし駄目なら、少々寒いですが、外でちょっくら着替えさせて下さい」

「暗くなって来ましたし、人目もあまりないようなので‥」

店員さんか女主人か分からないが目をぱちくり。

「そうそうですねえ、画家さんですか・・うーん、構いません、ご婦人に外で着替えさせる訳にはいきませんし、今、お客さんもいませんのでどうぞお入りください」女主人に違いない、彼女は優しく笑って椅子を進めてくれる。

「わー、嬉しい、もうお仲が空いて空いて、ピザなら2,3枚、スパゲッテイなら3人分は行けそうな感じ」一人が叫ぶ。

「うーん、時間があればね。バスの時間があるからそんなにゆっくり出来ないわ」

「そうよ、バスを逃したら私達野宿よ」皆急いで単品料理を頼むことに。

多恵さんはピザとエビグラタン、ココアを頼む。皆も似たり寄ったりだ。

女主人に勧められここの特産品、柚子ワインも飲むことに。口当たりが良くてすいすい行ける。これは帰ってからの食卓が楽しみだと多恵さんは思う。

何やら店内がにぎやかだが・・・?確かに女主人は他に客はいないと言ったはず、でも向こうのテーブルには6人ずれの客がいる。

男4人と女二人。年齢はバラバラ、着ている物も一向に調和が取れていない。一番若い青年、まだ少年の面影のある者は、なんとこの寒空に半袖を着ている。

うぬぬぬ、彼らの顔に見覚えがあるぞ。

「あ、私、彼ら知ってる」酔いの勢いで多恵さん思わず口走る。

「え、何?何を知ってるの」皆が多恵さんにたずねる。

「いえ、勘違いだわ。どうも酔っぱらってしまったらしいわ」

「まあ大丈夫ですか?少し飲み過ぎられたみたいですね」女主人が心配そうに多恵さんを窺う。

「はい、口当たりが良いもので、つい飲み過ぎたみたいです。お世話様です、沢山頂いてるようで」

「はあ、こちらは沢山頂いた方がありがたいですよ」

いけないいけない、これ以上話すと大ボロが出てしまう、お口にチャックを掛けなくちゃ。

彼等、幽霊御一行様を残して店を出る。丁度最終のバスの時刻だ。

愛でたく最終バスの乗客となった4人。お腹は一杯、紅葉も満喫、本業の絵のスケッチも大大収穫、とあって幸せ状態で寝る人勃発。多恵さんもうとうと。

「河原崎さん、河原崎さん」この気持ちの良い眠りを妨げるものがいる。うーむ、この声の主は杉山君。

目を片方だけ開けてみる。やはり杉山君だ。両方の目を開ける。

「折角良い気持で寝てたのを起こすなんて酷い人」

「すみません、でも他の人達が寝た時にしか話せないではありませんか」

「そりゃそうだけど、今私、何にも話すことなんかないわ」

「そりゃ冷たいですよ、ルバーブの事やここの名産が結構あることを教えて上げたじゃないですか」

「ええッと、リバーブね。そのジャムを買ったわよ。後ナツハゼとか言うブルーベリーのジャムも買ったような。今無性に眠いの、駅に着いたら起こして頂だい」

「ああ、その前に俺たちどうすれば良いんですか、これから先」

「それは・・ここに残って先ずは・・えーっと誰だっけひ、日野なんとかさん」

「日野美咲です」

「あ、あなたも居たの」

「みんないます」

「分かったわよ、少しだけ起きるとしようか、電車の中で寝るしかないのか」

「そうですね、そうして下さい」

「美咲さんの妹さんの周りの男性を調べるのよ、その中から一番彼女にあった人が見つかったら、私に知らせて頂戴。それから全てが始まるの、そしたら次にやるべきことを考えましょう」

「中々大変ですが手分けしてやってみます」

「あ、それから、その妹さんには、特に美咲さんは極力近づかないように注意してね。勿論ご両親にも。近づきたいのは分かるけど、今は絶対ダメ!あなたは地縛霊に近い存在だったんだから」

「わ、分かりました」

「私だってあなたが傍にいると凄い冷気を感じるんだから。ここは暖房が入っているけど、それでも寒いのよ。普通の人、特にお年寄りにはこの冷気は体にとても悪いんだから、気を付けてね」

「はい分かりました。でも今夜は何年ぶりで楽しい楽しいひと時を過ごせました。皆あなたのお陰です」

「いえ、それはあの店のお陰だと思うけどなあ」

「でもあの時、私を地縛霊の道から救って下さらなっかったら、楽しい宴もなかったし、まだあの川べりでやって来る観光客を恨みの眼差しで見つめたり、寒空に毒づいていたんだと思います」

「そうですよ、あの店も河原崎さんがあってこそなんですから」

そうだそうだと幽霊諸君が頷く。でも幽霊諸君に褒められてもなあと多恵さんはこっそり考えた。

電車の人となった。

「バスでは良く寝たようだけど、疲れがあるのかしらん、まだまだ寝たりないわ」

「うん、何かあのバス暖房じゃなく、冷房が入ってるみたいに寒くって、何か風邪引いたみたい」

「この頃はコロナの所為でバスも窓開けて走るから、結構寒いわよ。気を付けなくちゃ、コロナでなくて風邪をこじらして寝込んじゃうわよ」

多恵さん、この時ほどコロナの所為で窓が解放されているのをありがたいと思ったことはない。

乗り継ぎが多いので中々居眠りが出来ないが、やっと立川で乗り換えてここで一息、新宿まで一寝入りするのにありついた。多恵さんは新宿からの方が最寄りの駅は近いので、そこでみんなとはお別れなのだ。

「じゃ、今度の美術展までこの絵を仕上げるわね、それまでさようなら。でも今度の美術展はやるのよねえ?勾玉県の県展は2年続けて中止だけど」

「1年中止でも大変なのに2年も中止だなんて、酷いわよね、画家の事なんてだーれも念頭にないんだからさ」

「ほんとほんと。画家何て趣味の延長としか考えていないのよ、この世の中の人達」

「その絵に命を削ってるって、他の人達から見れば馬鹿みたいに思えるんでしょうね」

その言葉を最後に彼女らと別れ、そこから中月見駅に向かう電車に乗り換えた。

たった2日間だけど月見区に着いてとても懐かしい気がする。大樹さんも真理ちゃんも、それにお隣の藤井さん一家さえもとても愛おしい。それから住む町全体が、目を瞑ってさえ歩けるようなそんな安心感に溢れている。

「ただいまー」ドアを開ける。

「お帰り、疲れたろう」と大樹さん。

「おかえりなさい、夕ご飯、カレーライス。パパが作ったんだよ、食べる?」真理ちゃん。

「そう、美味しそうな匂い。少し食べて来たんだけど、お相伴しようかな」

「食べよう、食べよう。真理も又お相伴しようかな」

「じゃあ、パパもついでにお相伴しよう」

「肥満の島田一家になっちゃうかな?でも今はみんなでカレーを食べたい気分」

幸せな幸せな夜は更けていく。

 思った通り、柚子ワインの評判もルバーグジャムもナツハゼジャムも、ついでにおからのドーナッツも大好評で、教授婦人なんかは柚子ワインの病みつきになり、追加注文するらしい。

勿論多恵さんも我が家用に多めに買っては来たが、直ぐ底を突き、矢張り追加注文することになった。

さてさて、幽霊さんたちはどうしたかしら?厄払いのつもりもあって、ここに残って妹さんの結婚相手に邁進せよと言い残し、分かれては来たもののやはり気になる多恵さんだった。仕方がない、ここは六色沼に杉山君を呼び出して聞き出そうとするか。

すっかり黄褐色になったメタセコイア、桜の葉も赤や茶色に色づき、ここも冬の訪れが間近であることを告げていた。

「杉山くーん、今どこにいるの?あれからどうなったか、少し教えてくれないかな」

秋風か幽霊風かは分からぬが、冷たい風がぴゅうと吹き、杉山君が現れた。

「はーい杉山で-す。河原崎さんが呼んでくれるのを、今か今かと首を長くして待っていました。うわ、ちょと見ぬ間にこの六色沼、すっかり秋の佇まいだ。懐かしいけど、一方で知らないとこに来たような」

すると彼の後ろにざわざわと例の幽霊の小者集団が現れた。

「そりゃないですよ、懐かしいまでは良いですよ、でも知らないとこに来たようだなんて」

「そうそう、俺たちをほっぽり出して一体どこに居たんです。それが帰って来るなり、ここを知らない所だなんて」

「俺、なんだか会えて嬉しいのと、知らないとこなんて言われて悲しくなって泣きたくなちゃうよ」

そう言うと小者集団全員が泣き出した。

「おいおい、泣くんじゃない、知らないとこに来たようなと言ったのは、この公園がすっかり秋色に染まっているから、そう言ったまでだよ。ここに居なくてもお前たちの事を忘れていないよ,、コータは勉強、どのくらい進んだかなとか、タイチはピアノ上手くなったのかなとかさ、一人一人思い出しては心配したり、楽しみにしたりしてさ」

「じゃあ俺の事はどうです」

「ああ、山さんか、勿論だよ。酒は控えられるようになったかなとか、将棋の趣味を楽しんでいるのかななんて、心配してたんだよ」

「そ、そうですか、心配かけて済みません。アルコールの方は大分量が減りましたよ。それよか将棋をやり始めたら、何処からともなく仲間が増えて、幽霊の将棋道場みたいのが出来ちゃて、そりゃ大賑わいでして、楽しくて仕方ありません。生きてる時に誰か教えてくれる人が居たら良かったのになあ、てしみじみ思いますよ。過ぎてしまったことは仕方ないですね、まして俺達、もう死んでしまっているんだし」

杉山君と幽霊集団の話しは暫く続いた。

「杉山君、あなた素晴らしいわ。こんなにみんなに慕われて、しかもみんな夫々、それなりに成長してるなんて凄いことだわ」

「ヘヘヘ、これもみんな河原崎さんの入れ知恵、アイデアのお陰ですよ。あ、みんなとは後から話すからさ、今はこの大先生と話さなきゃならないんだ、暫く消えていてくれないか?」

「必ずですよ」と言いながら集団は空気の中に溶け込んでいった。

「はい、改めて河原崎画伯、途中経過の報告ですね。ええと、そうですね、まだ全部と言う訳ではないですが、会社よりも、と云うのは妹さんは努めた時から、男性と言うものに壁を作っていましたから、交流どころか余り良い印象を持たれていないみたいで、期待薄ですね、それに比べて昔の学友や幼馴染と云うのは有難いですね、みんな深い同情や思いやりを持って彼女の事を見ているというか、見守っていてくれてます。今はその中で脈のありそうなやつを探している最中です。ただ、今の若いのは余り恋愛とか結婚とかに興味が無くて、好意は持っていても結婚となるとこれは難しいと思います」

「成程、それは言える。私の弟もそうだもの、結婚なんて眼中にない、今のままが一番天国なんだから。

兎も角、結婚はさて置いて、その男性恐怖症を治してあげましょうよ。それが治れば後は本人次第、自分で相手を探して結婚したければすれば良いわ。私達はそれを温かく見守るだけで良いのよ」

「どうして直しましょうか、その男性恐怖症。薬でもあれば良いんですがねえ」

「母に聞けば・・昔聞いたことが有るような、確か男性嫌いの娘さんを心配したお母さんから相談を受けて、ある薬を飲ませた所、結婚もして子供も産まれたとか聞いたことが有るけど」

「漢方薬ですよね、漢方薬ではそんなものまで治るんだ」

「でも、私達の力だけで直してあげたいよね、ぼちぼちでも良いからさ」

「調べてみたんだけど12月にクリスマス兼ねたクラス会を開くんですよ、彼女の昔の同窓生。でも彼女、

出席しないみたいですよ」

「それよ、それ。誠君を呼んで今すぐ」

誠君が呼び出された。突然呼び出されてびっくり眼の誠君!

「御免なさい、突然呼び出したりして」

「いえ、それは構いませんがここは何処でしょうか、秋川渓谷とは丸っきり違いますが、ここも綺麗な所ですね」誠君、キョロキョロと周りを見回す。

「ありがとう、ここはあなたの住む所の隣にある勾玉県の一角にある六色沼と云う公園なの。私はこの近くに住んでいるの。自分の持ち物ではないけれど褒められると無性に嬉しいわ」

「そうですか、ここにお住まいなんですね。画家さんが好きそうな所ですね」

「そうなんだよ、旦那になる人が東京の家を捨てて、彼女の為にこのマンションを買ったんだって」

「ちょっとばかり話が大げさだけど、まあ大体そんなとこかな」多恵さんあえて否定しない。

「所でどんなごようですか?」

「あなたにしか出来ないというか、頼めないことよ。あなたが居てくれて本とに良かった」

「僕にしか出来ない仕事ですか、嬉しいな。どんな事でもします、言って下さい」誠君の顔が輝く。

「美咲さんの妹さんの事なんだけど、まず手始めに彼女を同窓会を兼ねたクリスマス会に出席させて欲しいの」

「え、僕が。どうすれば良いんですか、妹さん頑として行かないと言ってますよ」

「そう、それは分かっているのよ、だからあなたの出番なの。その開かれる場所や日にち、時間をみんなで先ず調べる。そしてその時間になったら、誠君が彼女の手を引っ張ってそこへ向かわせるの。今までこの杉山君たちの行動を見て来た結論から言うと、あなたにはその力が十分あるの。大丈夫、あなたの手は

とても暖かいし心地いいから彼女も抵抗しないわ」

「そうだよ、誠君なら妹さんも少しは変だなあとは思うだろうけど、君の行かせたい所へ難なく移動させられるさ」杉山君も太鼓判を押す。

「僕、自信ないけどやってみます」

「そこに連れて行って、彼女の手を握っているだけで良いの。後は成り行き任せ。会が終わったらあとは帰ってくれば良いのだから」

「それだけで良いんですか」

「今回はそれだけ、それ以上望んではいけないわ」

「分かりました」

彼は喜びをたたえた表情で消えて行った。

「あいつ、やっと出番が回って来て今まで死んでいたような状態だったのがまるで生き返ったようにぴんぴんして来た。あ、待てよ。もうあいつ、とっくに死んでいたんだっけ」杉山君が笑う。

「彼には人の為に役に立つことをしていないと居た堪れないのよ、あなた方のように食べたり飲んだりすることはもう殆ど興味を失っているんだから」

「うーん、俺にはさっぱり分からない。こりゃまだまだ守護霊への道は遠いやと言うより、食べたり飲んだりすることが何より楽しいもんな、これが地獄と云うものならば、今は地獄に居るしかない哀れな迷い人だよ、俺とその仲間たち」

「それが時々死んでなお迷ってる人を救うこともあるけどね」多恵さんが慰める。

「じゃあまた進展が有ったらしらせてね、あなたの愛しい仲間の幽霊さん達が待ってるわ、私はここまでね、さようなら」

名残惜しそうな杉山君を後にして多恵さんは自分のマンションに帰って行った。

 12月が来た。1年が経つのって早いわねえと顔を合わせる人ごとに言いながら、散らかり放題の家の中を溜息交じりに少しだけ片付ける。仕事もちで散らかすことにかけては天才の子供は要るわ、ただでさえ 整理整頓の苦手な多恵さんだもの、これだけ片付いただけでも上等としよう。後は稚樹さんが何とかするだろう。このコロナの世界、お客様も来るまいて。

六色沼をベランダ越しに除いて見る。公園の木は殆ど肌カンボウで寒々としている、いやしていない、

クリスマスとお正月を祝って、多分そうだろう、豆電球が一杯くっつけられているのだ。見る人によっては、いやいや多恵さんみたいなへそ曲がりな者を除いて、わあー綺麗、素敵、ロマンチックねえと思うだろう。多恵さんは自然が一番、こんな電球なんて自然とは一番かけ離れたもので、それを冒涜するようで頂けない。そうあの払沢の滝も氷結したらライトアップをするとか聞いたぞ。あー、ヤダヤダ私は絶対に見に行かないぞ。頼まれたってライトアップした滝だろうがツララだろうが、そんな絵は描きたくない、と多恵さんは考える。ライトアップは何故行われるのか・その答えは簡単だ、人を呼び込むためだ。決してそこに生えてる植物を育てたり、元気づける為のものではない。とは言ううもののやはり人の子、豆電球に明かりが灯され赤や青、黄色の光が当てられれば綺麗だ、美しいと思う。デコレーションされたクリスマスツリーに胸を高鳴らせるし、飾る方も今年はどんな趣向にしようかなと考えを巡らせる。もしかしたら六色沼だって時にはおしゃれして、電飾なるものを楽しんでいるかも知れない。そんなバカな・・・

そうゆうバカげた思いに囚われている内にもうお正月が来てしまった。神社にお参りし、お隣と挨拶を交わし、教授の家に家族3人で押しかける。前まではそんなことは考えも出来ないことだったが、去年からは何かあると押しかけて、お祝いしたり騒いだり、時には悲しんだりする場所になった。

勿論大樹さんの実家にも多恵さんの実家にも行く。そうこうしてるとあっという間に1週間が過ぎてしまう。1週間が過ぎれば真理ちゃんの学校が始まり、本格的な1年もスタートすると云う事だ。でも寒さはこの日を待っていたかのようにグッと増して来る。

夕べ冷えると思ったらやはり六色沼の上にうっすらと雪が降り積もっている。雪の積もった公園も又格別の美しさがあると、多恵さんはベランダからうっとりと眺め入った。

おんや、見たことのある顔。杉山君が蝶ネクタイなんぞして手を振っている。彼奴、又霊界賭け事にでも夢中になって、カジノなんかにいってきたんじゃないだろうな?と多恵さん少々心配しながらコートをひっかけ、公園に行くことにした。

「どうしたの、タキシードなんて来て、まさか霊界で好きな人が出来て結婚式挙げるんじゃないでしょうね。それともカジノに入りびたりなんてことじゃないわよね」

「ハハハ、そのどちらも外れ。お正月でしょう、時には幽霊もおしゃれをしなくちゃあと思いましてね。俺さ、以前からタキシード来てみたかったですよ。結婚式のときはモーニングでしたから」

「ふーん、そう。中々似合うわよ。見せてあげたいな幸恵さんに」

「ああ幸恵ね、結婚話、駄目になったみたいです。娘が怒っていましたよ、相手の男、単なる遊びだったらしいです」

「まあ、酷い。でも、人の事は責められないけど・・」

「またそうやって自分の過去を責めるんですね。でも河原崎さんのとはちょっと違うみたいで」

「え、なに?もしかして結婚詐欺みたいな話なの」

「そんな感じです。被害は殆ど無かったみたいですが」

「あー良かった。でも精神的にダメージ受けたでしょうね。もう男はこりごりだとか」

「そうみたいです、私は何て男運がないのかしらとか言ってるらしい。ま、しばらく様子を見てみましょうというか、娘に母さんを励ますように言って置きました」

多恵さん、大きなため息を一つ。

「で美咲さんの妹さんはどうしてるかしら、勿論進展はないでしょうけど」

「ええ、そうですよね。でもクリスマス会は楽しかったみたいで、彼女の親も秘かに喜んでいました。でもだからって、男性恐怖症が消え去ったわけではありません」

「だからこれから女の子の集まりがあれば、誠君にご足労願ってドンドン連れ出して欲しいの。その内、長い時間がかかるだろうけど、彼女が男ってそんなに怖がらなくても良いんじゃないかって、自分から集まりに出て行くようになるまで頑張って欲しいの。そう伝えて欲しいわ」

「はい、そのように伝えておきます。でもこれで用が済んだ、サッサと家に戻ろうと考えているんじゃないですよね、河原崎さん」

「ええそうよ。早く家に帰りたいわ」

「それじゃあんまり冷たいじゃありませんか、ほら、ここ雪が積もってとても綺麗ですよ、一回りしてみませrンか、折角俺さあ、おめかしして来たんだからさ」

「あなたはね、幽霊だからこの寒さが分からないのよ。見てごらんなさい何時もは人が結構いる所よ。でも今日は誰もいない。もし人が私を見たら酔狂な女だな、この寒空に一人で突っ立ってぶつくさ独り言言ってるとね」

「ハハハ、そうですね、そう見えるかも。でもお正月でしょう、特別サービスで1周とは言いません、半周だけでもお願いします」

その時にわかに騒がしくなった。どおおんと底冷えのする冷気が押し寄せる。うーん、彼奴らが、彼を師と仰ぐ奴らが現れたのだ。多恵さん驚く、皆タキシードありモーニングあり、決めているんだ。馬子にも衣装とはよく言ったものだ、誰もが一門の紳士に見える。

「河原崎先生、どうかこの杉山先生のお願いを聞いてやって下さい、俺達からも頼みます」

「ええーあんた達まで決めているのね」

「はい、お正月ですから、皆でおしゃれしてみました、似合っていますか?」

「ええ、まあ似合っていますよ」

「気のない返事ですねえ。でも良いや、女の幽霊たちには結構評判良くて、毎日おしゃれしろとうるさいんですよ。おしゃれをするのはとても面倒臭くて、何しろ小者にも気を使わなくちゃなりませんからね、

カラーコーデネイトて言うんですか、色合わせにも気を使わなくちゃならないし、靴やハンカチにも新品が必要で、髪だって整えなくちゃいけない。やはりおしゃれするのは俺達には向いていないと、つくづく思い知らされましたよ」皆ぶつぶつ言いだした。

「分かったわ、半周だけ六色沼を歩きましょう。早くあなた達が消えてくれないと私の体がもたないわ」

多恵さんの悲鳴に近い返事に、取り囲んでいた幽霊集団がやっと消え去って行った。

「ヘヘヘ、あいつらも時には役に立つんだ、今度みんなで野球大会でもやろうかな、お礼の代わりに」

「さあ、さっさと行くわよ、寒いんだから」多恵さん、一人にやけている杉山君を残してすたすた歩きだす。

「あ、待ってくださいよ。も少しゆっくり歩きませんか、昔川西君と歩いていた時みたいに」

「何を言ってるのよ、青春は遥か彼方、もう帰って来ないわ、残念だけど。でもそれで好いのよ、思い出の中で笑い、苦しみ、泣き、そして又笑う。罪深く相手を傷つけ、自分も深く傷つく。それが青春よ、少なくとも私に取っては」

「河原崎さんは楽しく青春を過ごしていたように思っていたのに」

「表面だけはね。心の中は誰も分からないし、別に分かってもらおうなんて思ちゃいないわよ」

多恵さんの周りを北風がぴゅうぴゅう吹いて行く。今年の冬はどのくらいの寒さだろうかと、すっかり冷え切った体をさすりながら六色沼の灰色を呈した水面を見ながら考える多恵さんだった。

            続く   お楽しみに







           





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