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「あの、ありがとうございました」
タリアはペコッと頭を下げた。
結局、彼は、公務員宿舎にあるタリアの部屋までマデリーンを背負って運んできてくれた。昼寝ばかりしてるという話だったから勝手にひ弱なイメージを持っていたが、存外体力があるようだ。
マデリーンはタリアのベッドに寝かせてある。幸せそうに口をもごもごしていたので、まだ食べ物の夢を見ているのかもしれない。
不本意だが今夜はソファで寝るしかないだろう。
昼間のアクシデントのせいもあって、いつもの何倍にも疲れた気がする。シャワーは明日の朝に浴びよう。
「どういたしまして。いい部屋だねここ、落ち着くよ」
ルドランが物珍しげに部屋の中を見回しながら言った。
そう、ルドランは今タリアの部屋に上がっていた。
マデリーンをベッドまで運ぶためとはいえ、男子禁制の宿舎に招き入れるのはずいぶん勇気が要った。
できれば宿舎の入口で解散したかった。しかし、具合の悪いことに、タリアの部屋は宿舎の二階にあるのだ。マデリーンを引きずって階段を昇る訳にはいかないし、自分が背負ったとして階段で転びでもしたら笑えない。
緊急措置だ。仕方がない。仕方がないが、落ち着かない。女子専用の宿舎に男性を招き入れるのはもちろん規約違反だ。即日追い出されてもおかしくない。
タリアは遠い目をしながら思った。管理人にバレたら大変だ。大変だからできれば早く帰って欲しい。
しかし、当の本人はソファに座り込んで動く気配がない。彼にはマデリーンを運んでもらった恩があるから、無碍にするわけにもいかない。
困ったタリアはとりあえずお茶を出すことにした。飲み終わったら解散すればいいのだ。
「お、お茶でもどうぞ」
「ありがとう」
嬉しそうにティーカップに手を伸ばすルドラン。その所作が綺麗で一瞬見惚れた。こんなナリさえしていなければ、いいとこのお坊ちゃまと言われてもおかしくない気がする。
「いえ、本当に助かりました」
「君の助けになったなら嬉しいね。こんなことでいいならいつでも頼って欲しい」
いや、できれば頼るのは今回限りにしたい。
「何かお礼をするように、マデリーンに言っておきますね」
「お礼っ?!」
「あっ、えっとその……お礼はマデリーンが……」
「タリアさんにお礼をしてもらえるなんて嬉しいね」
「いや、だからマデリーンがね……」
「明日休みだよね?」
「…………」
人の話を聞け!
そして、確かに明日は休みを取ったが、それを何故彼が知っているのだろうか。タリアが課長に有休の申請書を出したのは帰り際だ。現時点でタリアの休暇を知るのは、申請書を受け取った課長と、一緒にいたマデリーンだけのはずだった──この人怖い。
(この人まさかストー……)
「別にストーカーとかじゃない。さっき居酒屋で君が友人に話すのが聞こえただけだから」
まるで心の中を読んだかのように、ルドランはストーカー説を否定した。
「それで、今日のお礼の件なんだけど、明日は僕も休みなんだ。一日僕の買い物に付き合って欲しい」
「マデリーンが?」
「タリアさんが、だよ。頼んだのはタリアさんだしな。大体、マデリーンさんは明日休みじゃないだろ?」
「う……それはそうですけど……」
言い淀むタリア。
だが、たった一日だ。しかも部屋に一人でいたら、どうせまた悶々とするに違いない。
「はぁ……わかりました」
「──約束だからな」
音も出さずにティーカップを置くと、ルドランは立ち上がった。
やっと帰ってくれるらしい。
疲れ果てていたタリアは、ほっとした。これでやっと寝られる。
玄関まで送ると、ルドランが振り返って言った。
「明日の昼頃、この宿舎前に迎えに来るから待ってて」
「あ、ええ、わかりました」
「ああそうだ。敬語じゃなくていいよ。僕のこともルドランって呼び捨てにして欲しい」
「わかりまし……わかったから」
「僕もタリアって呼び捨てにしてもいいかな?」
「好きに呼んでくれていいから」
早く帰って欲しい。
もう、身体が泥のように重い。
気を抜くとその場で眠り込んでしまいそうだった。
とりあえず、何もかも全部明日の自分に丸投げしよう。返却は不可だ。
ルドランが帰った直後、タリアはソファに倒れ込むようにして眠った。
──────────
「ああぁぁぁぁぁぁ」
(何してくれてるのよ、昨日の私ぃ?!)
叫び(唸り?)声を上げたのは、丸投げされた翌日のタリアである。
後悔しているのは昨日の夜のこと全てである。
不可抗力とはいえマデリーンにお酒を飲ませてしまったこと。
ルドランに頼んで彼女を運んでもらったこと。
その対価にデートを要求されて承諾してしまったこと。
何もかも放り投げて眠ってしまったこと──全てだ。
ちなみにマデリーンは、朝一で飛び起きると平謝りして帰っていった。
朝ごはんくらい食べていけばいいのにと誘ったが、仕事前にシャワーを浴びて服も着替えたいとにべもなく断られてしまった。
「服なんか普段通りでいいのよ、普段通りで! 来ないかもしれないんだし!」
そして現在、タリアは鏡の前で何かと戦っていた。
「いや、あれは本気だった! あの男は絶対来る! 服どうしよう~」
デートなんて久しぶりだ──そう思ったけど、そういえば別に久しぶりじゃなかった。
あの悪夢の建国祭の日も、一応デートの約束だったのだ。タリアの星花はあの日バラバラに砕け散ってしまったけれど。
リュシーは『ザ・お嬢様』みたいな格好が好きだった。だから、タリアのワードローブは可愛らしいワンピースでいっぱいだった。
(本物のお嬢様と付き合えてよかったわね、リュシー)
ビリビリ──ッ!
「はっ! いけない!」
気がついたら、手にしたワンピースの裾を引き裂いていた。
タリアは破れたワンピースを皮切りに、ワードローブの中のワンピースを片っ端から袋の中に詰めていった。
「これは、去年の建国祭で着たの」
あの時は赤い星花をお互いにつけて一晩中一緒に踊った。
「これは、デカランシーにピクニックに出かけた時の」
春が訪れて間もない郊外の丘へ行ったら、薄手のワンピースが思いのほか寒くて、リュシーが上着を貸してくれたんだっけ。
「これは、一緒に迷い猫を拾った時の」
デート中に怪我をした仔猫を見かけて、放っておけなかったタリアは、リュシーと二人でその仔猫を何とか保護した。リュシーはとにかく引っかかれて傷だらけになってたっけ。ああ見えて意外と面倒見張はいいのだ。
「これは……初めてキスした時の……」
知らず涙が込み上げてくる。
わかってはいるけれど。
自分から手放したのだけれど。
これを着てももう、あの頃の幸せな気持ちには戻れない。
そう思うと、自分の中の感傷的な部分がか細い悲鳴をあげるのだ。
タリアは思い出に蓋をして、ワンピースを袋に詰める作業に意識を戻した。
「ふう……こんなものかしら? って、何やってるのよ私ぃ──っ!? 早く着替えなきゃ!」
重い思い出の詰まったワンピースの消えたワードローブは、随分とがらんとしていた。
とりあえず奥の方から引っ張りだしたセットアップに着替えた。職場の制服とあまり代わり映えしないが、仕方がない。
(これはデートじゃないの。買い物に付き合うだけ。それだけなんだからね)
ウキウキしてる訳ではないが、何だか気持ちが浮ついているのは否めない。
(うわぁ……何か緊張してきた……)
結局いつもと代わり映えのない服に、髪だけ下ろしていくことにした。
デートだと意識してしまうと、途端にドキドキする。自分でもどうかと思う。長年の恋人に振られた──じゃなくて振ったばかりなのに。
落ち込んでる自分の半身が心の奥底から、『私はまだこんなに悲しんでるのに』とでも言いたげに、浮かれたタリアをじっと見つめている。
(違うから!そんなんじゃないから!)
絶対に、楽しみになんかしてないんだから!
「悪い、待たせた?」
「ひゃっ!?」
心の中のもう1人の自分に必死で弁解していたら、突然声をかけられて驚いて飛び上がる。
「まままま……待ってないわよ?」
「そう、よかった」
(あら?)
どうやら急いできたらしい。待ち合わせ場所に現れたルドランは少し息切れをしていた。
それにしても、何だか昨日とは印象が違う気がする。
顔を覆い尽くすようなボサボサの髪の毛はそのままだが、シャツには清潔感がありパリッとしている。綺麗なマネキンの上に大きな毛玉が乗っているような違和感はあるが。
それにしても、首から下だけを見れば昨日マデリーンにさんざっぱら悪口を言われていた同一人物とは思えない。
「デートだからね、顔はどうにもならないから服装だけ」
すると、またこちらの心を覗いたかのような発言をされる。
「普段からそういう格好してればいいのに」
この格好ならば変なあだ名も付けられないだろうに……と思ったが、そういやあだ名の大半が職務態度についてのものだった。
つい思ったことが口に出てしまった。大して彼のことを知りもしないのに大きなお世話だった──タリアはそう後悔したが、彼は全く気にしないようで。
「朝弱いんだよな」
大きな欠伸をしながらそう返した。
誤字報告など本当にありがとうございます。
次回デートでただのイチャコラ(してないかも)回。
明日の夜に投稿の予定。
2~3万字程度とあらすじに書いたものの、このままでは超えそうな感じがひしひし……。