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わたしの殺し屋  作者: 大里 トモキ
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 翌日、わたしはいつもどおり登校した。命数が尽きかけている身としては、学校なんかで無為な時間をつぶすより、もっと有意義に残された人生をすごしたいところなのだけど、そんなわたしのささやかな願いは「さっさと起きて、とっとと学校に行きなさい!」と母親に一蹴されてしまった。

 なんて血も涙もない親だろう。娘がこの世に未練を残したまま死んでもいいというのだろうか。

 とはいえ、今の睡眠不足のせいでぼんやりと靄のかかったような頭では、有意義なすごし方なんて言われても、「もう少し寝ていたい……」くらいしか思いつけそうにないけども。

 わたしはあくびを噛み殺しながら二年三組の教室に入っていった。クラスメイトはすでに三分の二ほど登校しており、いくつかのグループに分かれてかしましくおしゃべりに花を咲かせたり、本やマンガの貸し借りをしたり、忘れた宿題を写させてもらっていたりしている。――いつもとなんら変わるところのない、始業前の教室の光景だ。

 もしここで、わたしが殺し屋に命を狙われていると衝撃の告白をしたら、平穏だった教室は一転、蜂の巣を突いたような狂乱状態に陥るに違いない。それはそれで面白そうではあるけど、あいにくとわたしはクラスメイトの退屈な日常にちょっとした刺激を提供してやるほどサービス精神に富んではいないので、自分の命が危険にさらされていることなどおくびにも出さず、いつも通りの行動を心がけることにした。

 わたしは教室後方窓際の自分の席に腰を下ろし、机のフックにカバンをかけた。そこからクラスメイトのところに朝の挨拶をしにいったり、どこかのグループに加わって昨日観たバラエティー番組の話題で盛り上がったりなぞはしない。わたしには言葉を交わすほど親しい相手などこのクラスには、いや、この学校にはいやしないのだから。

 そのことでわたしに蔑み混じりの同情など向けてもらいたくはない。ましてや、死を望む理由が〝孤独ゆえに――〟なんて納得されるのはまったくもって心外だ。わたしがクラスで孤立しているのは、あくまで自ら望んだことであるのだから。

 強がりでもやせ我慢でもなく、自分では案外悪くない生き方だと思っている。人間関係を維持するためにつまらない話題にいちいち愛想笑いを浮かべたり、別に行きたくもないトイレに付き合ったりするような煩わしさがなくて気が楽だ。なにより、授業中じゃなくても誰にも邪魔されることなく睡眠を貪ることができるというのがすばらしいじゃないの。

 というわけで、さっそく孤独ゆえの特権を享受すべく、わたしは机に突っ伏した。

 暗くて深い眠りの淵に沈み込んでいく最中、ふとある考えが脳裏に瞬いた。

 ……わたしが殺し屋の手にかかって死んだら、クラスメイトは泣くだろうか?

 泣くんだろうな、きっと。でもそれは、わたしの死を嘆いてではない。「人の死に涙することのできる私って、なんて心優しい人間なのかしら!」と自己陶酔したいからに決まっている。そうでもなければ、さして親しくもないわたしの死に涙する理由なんてありはしないのだから。

 別にいいけどね。こいつらが人の死をダシに涙と鼻水を垂れ流してスッキリしようが、こっちの知ったことではない。どうせその時には、わたしはすでにこの世の人間ではないのだし。

 ただ、主を失った机に花が満たされた花瓶を置くようなベタな演出だけは勘弁願いたいところだ。あらかじめ遺書にその旨を明記するなり、枕元に立って警告を与えるなりしないとなぁ……。

 なんて愚にもつかぬ思考をぐだぐだ廻らせてまどろんでいたところ、不意に「みんな、おはよう!」という元気な声が寝耳に飛び込んできた。わたしは眠りの淵から強制的に急浮上させられてしまう。

 緩慢な動きで首をよじり、錆びついたシャッターのように硬いまぶたをかすかに開け、いまいましい目覚まし時計を確認する。

 案の定、そいつは田丸佳乃だった。背の順で並ぶと必ず一番前になるほど小柄で、体つきも華奢なくせに、制服の胸のところだけは不自然なまでに膨らんでいる。顔の表面積の大半を占めているんじゃないかというくらい大きい瞳といい、舌っ足らずの甘ったるい声といい、教室の隅でマンガやアニメについて熱く語り合っている男子連中の脳内願望が現実世界に具現化したようなやつだといえる。

 クラスメイトの顔や名前などまったく覚える気のないわたしでも、田丸の存在はしっかり記憶されていた。もっともそれは、あまり愉快とはいえない注釈付きではあるけども。

 田丸のムダにテンションの高い挨拶は、朝の教室にはおなじみの光景だ。大きな瞳をキラキラと輝かせ、せわしなく教室を見渡す。その様子は、かまってほしがっている人なつっこい犬を思わせた。尾骨のあたりにパタパタと元気に振られている尻尾が見えるようだ。

 しかし、そんな田丸に対するクラスメイトの反応は示し合わせたような無視だった。これまで騒々しかった教室が、田丸が入ってきたとたん、嘘のようにぴたりと静まり返る。箸が転んでもおかしく感じられるほどの陽性な空気が、瞬時に寒々しいものへと入れ替わってしまったかのようだ。

 そんな居心地の悪い静寂はほんの一瞬にすぎなかった。次の瞬間には、教室は何事もなかったかのようにさっきまでの賑わいを取り戻していた。田丸がやって来てからの数秒間の出来事は、映画のフィルムをカットしたようになかったものとして処理された。

 そんな冷酷な現実を前にして、田丸の瞳からすーっと光が消えた。見えない尻尾を萎れさせ、とぼとぼとした足取りで教室前方の自分の席へと歩いていく。わたしはその痛々しい背中を静かに見送った。――これもまた、いつもの朝の光景だ。

 どうせ誰からも相手にされないのはわかっているのだから、最初から挨拶なんかしなければいいのに、と思わないでもない。でも田丸としては、「新しい朝が来れば事態が好転しているかもしれない」と一縷の希望を抱きたい心境なのだろう。孤独を楽しんでいるわたしとは違い、田丸にとって今の状況は決して心地よいものではないはずだから。

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