旅立ちの日に
やっと旅に出ます!
ひとしきり涙が流れるのに任せ、もはや流れなくなるまで彼は氷水のごとき過去に浸った。
過去に浸ってから大分時間が立ち、ようやく涙が流れなくなったのを確認できたので、彼はベッドから起き上がり始めた。
ベッドから起き、靴を履き立ち上がろうとしたが、ふらついてしまい、壁に手をついてしまった。
そんな自分の有り様にざまぁないな、と毒づき、自らの内にわだかまっている後ろ向きな考えをため息と共に吐き出し、両ひざを叩き、改めてドアに向かって歩き始めた。
ドアを半分ほど開けた辺りで、一度振り返って部屋を見た。
机にもベッドにも何も置かれてはおらず、部屋に案内され使用する前とほぼ同じ状態になっていた。
違う点はベットが少し乱れていることくらいか。
だがすぐに使用人がベッドを整え、部屋を掃除して、彼がいた痕跡を完全に消し去ることだろう。
そうしてこの城の住民達は、石川幸男の事を完全に忘却することだろう。
まるでそんな男ははじめから存在しなかったかのように。
彼は部屋を出て食堂へ向かった。
最後の日ぐらいは、食堂で朝食を食べようと思ったからである。
本来なら、もうとっくにこの城を出て近くの町へ向かっている予定だった。
そしてその向かった町で朝食を食べるつもりだったのだが、あの夢のせいですぐには動けなかった。
そのせいで予定が酷く乱れてしまった。
どんな物を出されるのだろうか?とあまり働かない頭でぼんやりと考えながら食堂に足を運んだ。
そして考えていた以上に人がいる食堂を目の当たりにして、彼は入り口で酷く困惑した。
思っていた以上に人がいたからという事もあるが、何よりも普段ならば部屋にいた時点で気がつけるはずの事に、全く気がつかなかったという事にである。
少しばかりその場で呆けていたが、このままじっとしている訳にもいかない、と頭を振るい小走りで列に並び朝食を受け取った。
そして近くの空いている席に体を押し込み、のそのそと食べ始めた。
のそのそ食べながら彼は思った。そういえば、こんな風に人がいる場所で飯を食べるのは一体いつぶりだろうか?
物思いに浸りながら朝食を食べていたら、「ようあんた、前いいか?」と話しかけられた。
ぎょっとしてその言葉に反応すると、前の席に腰かけた兵士らしき男が、「おいおい、何もとって食おうって訳じゃないんだぜ。座っていいかって聞いてるだけだぜ?」と苦笑いで言った。
「いやあんた、もう座ってるじゃないか」幸男は返答を待たずに席に座ってガツガツと飯を食らっている男に呆れ顔でそう返す。
「へへ、違いねぇ」男は悪びれずそう言った。
まったく・・・、デリカシーがあったもんじゃないな、と幸男は思った。
そう思いながら食事を再開しようとした矢先に、眼前の男が話しかけてきた。
「なぁあんた、ここらじゃ見ない顔だな?どうしてここに?」
そう聞いてきた。
「あぁ・・・旅の者でな、行き倒れてたところを救われたのさ」幸男は肩を竦めながらそう返した。
「あー、そりゃ災難だったな」男は本当にそう思っているかのように労いの言葉をかける。
「こんな世の中だ。よく助けられるまで生きていたもんだ。あんたスゴいな!」
嘘なんだがなぁ・・・、と男からの称賛の言葉に少し胸を痛めながら、つかの間の会話を楽しんだ。
食事の手を止めずに会話を楽しんでいると、勇者達が入ってきたようで、食堂中が色めき立ち、ざわざわと話し声がにわかに増加した。
入ってきた勇者達を確認した幸男は、急いでここを離れなければ!と思い、ほとんど飲むように食事の手を早めた。
まったくなんでこんな量が多いんだ!俺は大食いレスラーじゃないんだぞ!
そんな幸男の心情など露知らず、男は羨望の視線を勇者達に投げ掛けながら、誰に聞かせるわけでもなく言葉を紡ぐ。
「すごいよなぁあの4人・・・まだ点で子供なのに、俺たちを救うためにああやって鍛錬のために朝早くから頑張ってるんだもんなぁ」
男の独り言にうん?、と疑問に思った幸男は、思い切って聞いてみることにした。
「なぁあんた、4人って言ってたけど、確か召喚されたのはもう何人か多くなかったか?」
その疑問を聞き、男は心底軽蔑した顔をしてその疑問に答えた。
「ああそうだな。確かに召喚されたのはもう何人かいたよ。でもあんなやつら含むに値しないね」
そう答えた男に、なぜかは自分でもわからないがつい聞いてしまった。召喚されたのは何人だったっけ、と。
「あん?何人だったってそりゃ」そう言って男は手を使って数え始めた。
「エーとまず勇者様だろ。次に魔法使い様に聖女様。そんで太郎のやつに、いけ好かない3人組・・・うん確かその7人だな」
そうだよな、と隣の席に座っていた別の兵士に男は確認した。
「ああ、そうだ7人だな」何を当たり前なことを言ってるんだ、という隣の兵士の視線を無視し、7人だと念を押すように何度も幸男に言った。
「あぁ、ありがと」そう言ってようやくカラになった皿を持って席を立った。去り際に楽しかったと伝えたが、男は隣の兵士との勇者達についての話に夢中でまったく聞いてなかった。
皿を戻し、急いで城の出口へ向かいながら幸男は思った。
なんてこった!はじめから俺は誰にも見られちゃいなかったんだ!それを知らずになんて馬鹿なことを聞いちまったんだ!そんな事はじめから、わかっていたはずなのに・・・、と。
城から出て、城下町を駆け抜け、城壁を通過し、暫く歩いたところで彼は後ろを振り返った。
城が見える。城下町からの声が聞こえる。笑う声が怒る声が悲しむ声が、たくさんの人たちの平凡な日常の声が。
そんな声を聞いていると、自分がひどく惨めでみすぼらしい存在であると、改めて叩き付けられたような気がした。
暫くたたずんでいたが、やがて前に向き直り、トボトボと町から離れて行った。
いつの間にか太陽は雲に隠れていた。まるで幸男のこれからの運命から目をそらすかのように。