新たなる始まり
『よう寝坊助』どこからか・・・・声が聞こえる。
ゆっくりと目を開けると真っ黒な闇が見えた。どこを見ても黒黒黒。黒一色の世界で彼は目覚めた。
彼は怪訝そうにあたりを見回したが、やがてそれすらも億劫になり止めた。
しばらくは何をするまでもなく、ただ水面に浮かぶ葉のように彼は闇の中を漂っていた。
【おいおい、いつまでそうやって現実逃避してるつもりだ?起きろよ】とまたしても声が聞こえた。さっきとは比較にならないほどはっきりと。
だがそれでも彼は聞こえないふりをした。その声に反応すれば必ずこの空間から引きずり出されることを知っていたからだ。
彼はここにずっと居たかった。もうあんなひどい現実はまっぴらごめんだったから。これ以上は耐えきれないと思ったから。
そんな彼のささやかな願いを、二つの声は嘲笑いながら吐き捨てるように罵った。
『お前バカなんじゃねぇか、今更何もかもを投げ出せると本気で思ってんのか?』【思っていないからこそ俺たちが出てきたんだぜ~!】
『もはや何もかもが遅いんだよ!こんな思いしたくなかったのならば母さんが焼かれたあの日に一緒になって死ねばよかったんだ!えぇ?違うか!』
【そもそも命を懸けて父さんと母さんは俺を逃がしてくれたのにいまさら何言ってんの俺は?】
もっと奥へ、と逃げるようにもがく彼を、二つの声がゲラゲラ笑いながら闇の中から意識を上へ上へと引きずり上げ始めた。
「いやだ!やめろ!やめてくれ!」『いいや止めないね!俺はもう後戻り出来ないところまで来たんだ!』【もはや賽は投げられた。起きる時間だぜぇ~】
ぐんぐんと上へ上昇してゆき、自分の目が覚めていく感覚がどんどん強くなってきているのを彼は感じていた。
『さぁお目覚めのお時間ですわ!』【面白いことになってんだ!早く起きなきゃ損だぜぇ~】
彼は悲鳴を上げたが、聞き入れるものは誰もいなかった。
意識が覚醒し始める。いまだ受け入れられない現実へと。
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ゆっくりと瞼を開けた。
ガンガンと痛む頭でどうにか上半身だけ起き上がり、頭を振るって今自分がいる場所を把握しようとした。
『やっと起きやがった。ホントあほらしーわー!』【よう寝坊助!さっさと状況を把握してみな!すっごい面白い事になっているぜ!】
まずはこの頭の中でガンガンがなり立てるこの二つの声についてだ。いったいこの二つの声は何なのだろうか・・・。
『あ?何言ってんのお前?正気か?』【そんなもん一つしかないだろ、現実に耐えられなくなった俺が生み出した哀れな人格だよ】
二つの声にそう告げられ、幸男は愕然としたが、それと同時に非常に腑に落ちた気がした。
『まあそれだけじゃないけどな』【そゆこと】と声に言われ、え?と声に出し他に理由があるのかと問いただした。
『あのさ~自分のことなんだからそれぐらい分かれよ』【あの雨ざあざあの時に概念取り込んで頭増えたじゃん?】
『頭が増えたってことは考えられることも増えるってわけ』【当然だけど思考が増えるってことはそれだけ変なことも考えやすくなるわけだ】
『当たり前だが俺はそんなことに耐えられる訳が無い』【だからその頭の担当を作り出したわけだ。自己防衛のためにな】
「なんてこった・・・」二つの声に生み出された経緯を聞き愕然となり、めまいがしてつい顔を覆ってしまった。
『あとはアレだ。俺はいろいろと感情をため込みすぎたんだ。心の内ですら吐き出されない感情は汚泥のように溜まってゆき』【結果、それを吐き出してくれるモンを作ったわけだ。いやですね~】
何とか自分の身に起きた出来事を受け入れようと沈黙し、ようやく多少は受け入れられ、どうにか周りに注意が向く程度にはなった。
まずは非常に狭い部屋にであることが分かった。部屋もあまり使われていないらしく埃が舞っていた。
ベッドもあまり柔らかくないらしく、体中がひしひしと痛んだ。
あんまりな目覚めだと思った彼は、ため息をしチャリッという音が首からしたことに感づいた。
何だろうと思い首に手をやると、そこに何か鉄でできた何かがはまっていることに気が付いた。
えっ何これは?と思いどうにか外そうと首輪に手をかけた矢先に、ノックもせずに小太りな男がどかどか部屋に入ってきた。
「おお!あんた起きたんかいな!」と幸男の姿を見るや否や肩をつかんで揺らしながら、話しかけてきた。
「あ、あんたはいったい」「おう!俺は奴隷商人ってやつさ!」
奴隷商人という単語を聞き、ではまさか俺の首にあるものは・・・、と思い無意識のうちに首についている輪に手をやった。
「いやー雨ざあざあのところにあんたが倒れてるのを見かけてな。ビビッときたぜ。こいつはいい売り物になるってな」
彼が黙っているのをいいことに男は好き勝手にまくしたてる。それだけこの男は幸男に何かいいものを見たようだ。
男は悪い扱いにはしないと去り際に言い、また入ってきたのと同じようにどたどたと去っていった。
あとに残された彼は、いまだに現実を受け止めきれず呆けた顔でドアをぼうっと見ていた。
『な?言ったろ面白いことになってるって』【そうそう笑え笑え!どうせそれしかできん】
二つの声がそう言ってゲラゲラと笑った。なるほど、確かにこれは笑える。傑作だ。彼もそれにつられて笑った。
こうして彼の新たなる始まりは幕を上げた。




