act-01
誰かが私を呼んでいる。
遠い遠いところで、確かに私を呼んでいる。
でも、その声の主を私は知らない。
* * *
「イヴ・フェイル侯爵令嬢、今夜こそ私と踊ってくれないか」
「……申し訳ありませんがお断りさせて頂きます」
ドレスを持ち上げ一礼しその場を離れると、ダンスホールからそっと抜け出し自室へと戻る。
イヴはすぐさま部屋の奥の扉を開け、そこに身を滑り込ませると静かに鍵をかけた。
「イヴお嬢様!」
と同時に自身の名前を呼ぶ侍女長の声が廊下から聞こえた。
キィイと音を立て開け放たれた自室の扉と、自身を探す複数の足音に聞き耳を立てながらイヴは小さく息をつく。
この部屋の扉は本棚そのもので、一見には分からない。知っているのはイヴの味方である数人の侍女だけ。侍女長すら知らないこの部屋は昔、イヴの母が誰にも秘密だと悪戯っ子の顔で教えてくれた場所だ。
窓の無い部屋には所狭しと本があり、少し埃っぽい。
イヴは暗闇の中、手探りでランタンの明かりを点けると、少し前に持ち込んだソファーにゆっくりと腰掛ける。
目一杯絞ってあるランタンの明かりは殆どその機能を果たしていない。
「疲れた」
今日はフェイル家主催の夜会だった。
父は主賓の挨拶をし少し経ったら仕事に戻ると言って出掛けてしまった。
侍女たちにここぞと着飾られたイヴは、しかし夜会などには興味が無く、主賓の挨拶が終われば壁の花として居ようと静かに心に決めていた。
のだが、そんな事許されるはずもなく、次々と申し込まれるダンスの誘いに嫌気が差し、最終的に夜会で会うたびにダンスを申し込んでくる男ーーアルベルト・ローゲン侯爵で限界を迎えた。
「この世なんて、つまらないわ」
だって、あの人が居ないんだもの。
ソファーの近くに乱雑に積まれた本たち。その1番上の本を無造作に掴むと、イヴはランタンの明かりを少しだけ大きくしてページを捲った。