act-09
「さて、と」
街が暗闇に包まれた頃、フェイル家の屋根に降り立ったのは薄紫色の髪の男。
長く瞳を覆う前髪をピンで留め、全身黒い服に身を包んだその男はグイッと伸びをしたあと1人、イヴの部屋のバルコニーに降りた。
「イヴ・フェイル……泣いていたの?」
ベッドで眠るイヴの睫毛は濡れていて、頬には薄く涙の跡があった。男はそっと人差し指で睫毛の涙を拭うとそれをペロリと舐める。
「あっまい。……ねえ、起きてるんでしょ? リール・アルフィート」
男は眉間に皺を寄せる。
男の黒い瞳が一瞬、真っ赤に変わった。
『あなたは、誰』
イヴの身体がゆっくりと起き上がる。
「シヴァ。ノース……じゃなかった。アルジェの知り合いだよ」
『アルジェ?』
「……昨日会っただろう? 忘れちゃったの? 君の大切な人を」
イヴは藍色の肩に付くくらいの髪で、瞳の色も髪と同じ藍色だ。
しかし、今シヴァと話しているのはワインレッドの長い髪と銀色の瞳を持つ少女。
『……アルジェ。アルジェとは誰?』
「君の大切な人でしょ? ほら、今も必死に名前呼んでいる」
『アルジェ…………彼は、でも、』
「ふむ。やっぱりまだ混乱してるか。仕方がない」
シヴァの瞳が冷たく光る。
「そろそろ持ち主の魂に負担が掛かるね。また来るよ」
『……っ! 待って!』
「お休み、リール・アルフィート」
シヴァはそう言うと、指をぱちんと1つ鳴らした。
すると糸が切れたかのようにイヴの体がベッドへと沈む。
ワインレッドだった髪も、銀色の瞳も、今はもう藍色に戻っている。
「記憶の戻った魂が目覚めたら、お前はどうする。アルジェ・シェイカー」
気持ち良さそうに寝息を立てるイヴを冷たい瞳で見下ろしながら、シヴァは小さく言葉を紡ぐ。
誰も答えないその問いは、暖かい部屋の空気にゆっくりと溶けた。
* * *
この世はつまらないわ。
だってあの人が居ないんだもの。
少しくすんだ赤い瞳で私を見てくれた
大切な大切なあの人が。