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阿久津優也の場合 上

「はぁっ、はぁっ、くそっ、くそくそくそくそくそがぁぁぁ!!」



俺は今、無様にも学校の屋上から逃げ出し、玄関へ向かって走っている。


どうしてこんなことになったんだ?

今日は、一色創を弄り、俺と御崎との交際を公言するための餌にする、ただそれだけで終わる一日だったはずなのに。

それがどうして、俺は今、あいつらから逃げているんだ?


…くそっ、先ほどまでのやり取りが、頭から離れない。



――突然に盗撮写真をばらまき始めた一色とビビる御崎。

俺がどれだけ叫んだところで一色は全く意に介さず、むしろ盗撮やストーキングを誇るかのように語り始める始末。

しまいには御崎までとち狂ったかのように俺を裏切り、一色とベタベタし始め――



「なんなんだあいつらは、キモいキモいキモいキモいんだよぉ!!」



思い出すだけで吐き気がこみ上げる。

あの後、腰が抜けて立ち上がれなくなった俺のことを、一色はまるでもう興味を失ったかのように無視して御崎といちゃついていた。

御崎さえもこちらを一瞥した程度で、その後は一色にしか目を向けることはなかった。


あいつらは狂人同士、互いの頭がおかしいことを一切否定せず、むしろ互いのすべてを肯定しあいながら愛しあっていた。

気持ち悪い。心底気持ち悪い。

あんなの互いの自己満足をぶつけ合ってるだけじゃねぇか。

恋は盲目なんていうが、あれはそんなレベルじゃない。

自分たちが狂ってることに気づきながらも自分たちの都合以外はすべて無視する、そんな類の代物だ。

おかしい。普通じゃない。いかれてる。気持ち悪い。



「はぁっ、やっと、着いたっ」



そんなことを考えているうちに、俺はやっと玄関にたどり着いた。


…そうだよ、俺がまともで、あいつらがおかしいはずなのに、どうして俺があいつらから逃げ出すようなことになってるんだ。


ここにきて、あいつらの狂気に気圧されビビっていた俺の心から怒りがこみ上げてくる。

バカにしやがって。

あいつらが、あんな狂人どもがもう学校に来れなくなるようにしてやりたい。

あいつらを、この俺のことを散々コケにしたあいつらの本性をばらして回りたい。

けど…



「あれぇ、優也くん、まだ学校にいたんだぁ」



イライラしながら下駄箱で靴を履き替えていると、間の抜けたような女の声が聞こえてきた。

声のする方を向けば、そこにいたのはよく俺の周りに集る女の内の一人…名前はたしか、乙葉なんとかだった気がする。下の名前は覚えてない。興味ないし。

小柄な体格に、ツインテールと童顔。いかにも一部の男から熱烈な視線を集めそうな風貌。

乙葉は俺を見つけてご機嫌のようで、ニコニコと俺に近づいてくる。



「優也くん今帰り?よかったらあたしと一緒に帰ろうよぉ!」



相変わらず、随分と間抜けな喋り方をする女だ。

ただでさえむかっ腹の俺をさらにイライラさせるような、ゆっくり間延びした喋り方。

確かに顔は可愛いほうなのかもしれないが、こんなのが御崎の次の次くらいにモテるとなると、この学校の程度もたかが知れているってもんだ。

けどまぁ、俺の評価を落とさないためにもここは紳士的な態度をとらなければならない。

女子ってのは少しでも人の落ち度を見るけると光速で噂を広めるような、そんな醜いやつばっかりだからな。



「あぁ、いいよ。一緒に帰ろうか」


「ほんとぉ?やったぁ~!優也くん優しい~!」



…この程度でここまで喜ぶなんて…こいつら、本当に俺の顔しか見てねぇんだな。

普通のことしか言ってないのに勝手に優しくされたと勘違いするような浅ましさ。

イケメンには何を言われても嬉しいってか?反吐が出る。

どうせ俺以上のイケメンが現れてたら秒でそっちに靡くんだろ?

所詮顔や周りからの評価しか見ていないような糞女ども。こいつらに囲まれたところでなんにも嬉しくないんだよ。

あぁ、気持ち悪い。ムカつく。

俺をコケにしやがった一色も御崎も、俺の顔目当てに集ってくるこいつらも。

なにもかもがムカつく。

ムカつく、ムカつく、ムカつく!!!



「優也くん、どうしたの?なんだかちょっと怖い顔してるよぉ?」



おっと、いけない。つい顔に出てしまった。

学校で平和に暮らすためには、こんなやつらにもいい顔をしてやらなければならない。

俺は「なんでもないよ」と取り繕いながら、このイライラの元凶である二人の顔を思い出した。

くそっ、全部あいつらのせいだ。あいつらのせいで…。

…そうだよ、いっそこの女にあの二人のことを言ってしまおう。こいつは俺のことを盲目的に信用してるはず。嘘を言っているとは思わないだろう。



「あのさ…」



と、そこまで開いた口から、それ以上の言葉を紡がれることはなかった。

思い出されるのは、あいつらから俺に向けた最後のやり取り。

いや、正確には一色の手元から唐突に聞こえた、俺の、妹の声。



『――お、お兄ちゃん―――お願い、も――やめて――』


『う――さい。とっとと服を脱――』


『いや――あ、――んっ――――』



さっきまで膨れ上がっていた俺の中の怒りは急激に萎み、再び恐怖が心を染め上げる。

動悸が激しくなり、全身の産毛が逆立つ。

奥歯はカチカチと音を立て、ぞわりとした寒気が身体中を襲う。

なんで、なんで、なんであいつはあんなものを持ってるんだ。

俺の、俺たちの秘密をどうして知っているんだ!?



「ゆ、優也くん?どうしたの?何か言いかけてたみたいだけど…それに、今度は顔が真っ青だよ?」



心配そうに様子を窺う乙葉の声で、俺は正気を取り戻す。

だが、頭に浮かんだ疑問は、心を覆う恐怖はなくなることはなく。

俺はこれ以上、乙葉の前で普段通りに振舞う自信はなかった。



「すまん、乙葉。ちょっと気分が悪いからさ、俺は近くの公園で休んでから帰るよ。乙葉は先に帰っててくれないかな」


「え、優也くん大丈夫?体調でも悪いのかな?私もついていくよ!」


「いや、そんなたいしたことはないんだ。夜も遅くなっちゃうし、乙葉を付き合わせるわけにはいかないよ」


「で、でもそんな優也くんほっとけないよ!わたしも一緒に…」



あー、うざい。

人がせっかく言葉を濁して帰れって言ってんのに、なんで汲み取れないかなぁ。

そこまでして献身的になる私、素敵!アピールがしたいのかよ。



「頼むよ、今日はちょっと一人になりたい気分なんだ!」



イラつきを十分に抑えることが叶わず、俺は少し強めの口調で乙葉に言った。

乙葉はそんな俺を見て怯えたのか「わかったよぉ」と言いながら渋々帰っていった。


俺は一人、公園のベンチに腰掛ける。

奇しくもそこは、御崎が一色と嘘の付き合い始めた後、俺と御崎が密会をしていた公園であった。




夕方の公園で一人、どうしてこんなことになったのかと考える。


そもそも、俺が御崎翔子に告白をしたのは、別に御崎のことが好きだからとかではなかった。

御崎は確かに美人ではあったが、それでも俺の妹の可愛さに比べれば月とスッポンのようなものだ。


俺が御崎に告白した理由は二つ。

一つは、俺の周りに集る女どものことだ。

あいつらは自分こそが俺の彼女たるに相応しいと毎日毎日俺にアピールをしてきた。というか今も続いている。

鬱陶しいことこの上ない。

だが、そのうちの誰か一人と付き合ったところで恐らく自体は好転することはない。きっと付き合った後もなんとかして俺たちを別れさせようと、それまで以上に面倒くさいことをしでかしてきそうだったからだ。

だから、御崎翔子に告白した。

彼女は男女ともに認める、学校一の美人だ。そんな彼女と俺が付き合ったのなら、あいつらもきっと諦めざるを得ない。そういった腹積もりだった。

それに、俺も一応学校一のイケメンとして通っている。俺のことを振ることはないだろうと、そう思っていたし、実際に振られることはなく御崎は俺の告白を了承した。

だが、それからが予想外だった。



「ねぇ、阿久津くん。私たち二人のことは、私たちだけの秘密にしましょう」



彼女はそう、提案してきたのだ。

それでは意味がない、とは思ったが流石に俺の打算を彼女に打ち明けることもできず、結局内緒で付き合っていくことになった。

正直、俺という彼氏ができたことをすぐに周りに自慢したがるだろうと予想していたが、御崎翔子はそのようなタイプではなかった。むしろ、俺と付き合うことで他の女子との折り合いが多少なり悪くなることを嫌う性格であった。

誤算ではあったが、説得し続けていればそのうち許してもくれるだろうと、鷹をくくっていた。


しかし、いくら説得したところで御崎翔子は折れなかった。

決して周りに言いふらすことをよしとせず、かといって俺との秘密の交際を楽しんでいるかと言えば、そうでもない。

俺から彼女に手を出す気は全くなかったが、彼女からも俺に何かしてこようとはしなかった。手を握ることさえせず、デートさえもしようとしない。

ただ付き合っているという事実があるだけ。

御崎はいったい何故俺と付き合っているのか。理解ができなかった。


そんな状況が数か月続いた。

俺の周りの女どもは徐々に険悪な雰囲気になってきており、そのうちイジメなんかにも発展しそうなほどであった。

それ自体はどうでもいいのだが、俺が迷惑を被るのはご免だ。

いい加減俺と御崎の関係を公言しようと、そのために御崎をどう説得しようかと考えていた。


数か月の間、俺は別に何もしてこなかったわけじゃない。御崎翔子のことはひっそりと観察し続けていた。

そこで一つだけ分かったのは、御崎翔子が、とても退屈そうに毎日を過ごしているということだ。

表面上は学友たちと楽しく交流し、授業には真面目に取り組み、放課後は気の合う友達と遊びに出かける。

そんな充実した毎日を送っているように見えて、その実、あいつはふとした瞬間にとてもつまらなさそうな顔をする。

それはきっと外面と内面が大きく乖離している俺だからこそ分かったのかもしれない。

彼女も心の内では全く別のことを考えているのだ、と。

そう考えると御崎が俺と付き合っているのも納得できる。彼女は他の女と関係が悪くなるかもしれないと言いながらその裏で、他の女に対する優越感に浸っていたのかもしれない。


御崎翔子という人間は、清純そうに見えて、内心は打算と自己満足に溢れている。

これは使えるかもしれない、そう思った。


そこで俺は御崎翔子に提案した。

つまらない毎日に刺激を与える、面白い『イベント』として、俺たちの関係を公言すること。

一人の哀れな男子が道化として躍る、楽しい楽しい喜劇。


果たして、彼女は俺の予想通りこの計画に乗ってきた。

そして哀れにも道化役に選ばれたのは、クラスでも大して目立たない、話したこともない、平凡な男、一色創。

特に理由はなかった。ただ、計画が成就した後、俺たちに直接害を与えてくる勇気のなさそうな、そんな人間を選んだだけだった。

あいつの無害そうな顔の裏に潜む、あの、狂気を知っていれば、あいつを選ぶことなんてなかったのに。



「えぇ、告白は成功したわ。でもこれ、罪悪感が半端ないわね。今も一色君に見られているんじゃないかって気になってくるわ」



嘘の告白が成功した後俺に向かってそういう御崎は、溢れる恍惚を隠せていない表情であった。

その時、悟った。あぁ、こいつはよっぽど歪んだ人間なんだ、と。

けれど別に、狂人というわけではなかった。ただ性根が腐っているだけだと思っていたし、女なら闇の一つや二つ、抱えることもあるのだろうくらいにしか思っていなかった。

それがどうして…。


それからも計画は順調に進んでいった。

一色にバレている様子は微塵もない。

俺から見ても一色はどんどん御崎に惹かれていっているように見えたし、御崎からもなにかミスを起こしたなんて話は聞かなかった。


それなのに、それなのに…。



「くそっ!!」



他に誰もいない公園のベンチを叩いて苛立ちをぶつける。


計画は順調だったはずなのに、なんの落ち度もなかったはずなのに、なんで最後の最後であんなことになったんだ。

元々一色には全部がバレていて、むしろ俺たちのほうが道化扱いをされていた。

御崎は狂った末に俺を裏切り、本当に一色のものになりやがった。

しかも、あまつさえ、あいつは、一色創は、俺の妹を盾にして俺のことを脅してきやがった。


ふざけんなよ、くそがっ!!


昂るイライラを抑えるために、俺は手に持っていたスマートフォンを開く。

気遣いを口実に送られてきていた乙葉からのメッセージは無視し、パスコードで守られたアルバムアプリを開く。


『優衣』というタイトルのフォルダを開き、そこに無数に映る写真を眺める。

はぁ、何度見ても、何枚見ても癒される。



そこに映っているのは、俺の愛する妹の姿。

俺のことを愛する妹の姿。

まだ乙葉たちのような醜いものには染まっていない、純真無垢な妹の姿。




――今年で小学校高学年になる、まだまだ幼い、妹の姿。


ご閲覧、ありがとうございます。

よろしければ感想などいただけると幸いです。

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