御崎翔子の場合 上
私の彼氏はつまらない人間だ。
私には、付き合って…えーっと、二ヶ月くらい?の彼氏がいる。
彼の名前は一色創。
特徴は、と聞かれると答えに窮するような、そんな何もない男だ。
背が高いわけでも、顔がとりたてて良いわけでも、勉強ができるわけでも、何か突出した才能があるわけでもない。
普通の人間。その他大勢のうちの一人。
付き合ったからと言って、彼に対する評価が変わることはなかった。
デートコースのチョイスは水族館、ショッピングモールといったありきたりな場所、プレゼントに送るものもよくあるネックレス、話していてこれといって面白いと感じたことも多くはない。
平凡。それが彼に対する評価のすべてだ。
かたや、私は勉強も運動も習い事も、全てを人並み以上にこなすことができた。
容姿も良いほうで、男子からちやほやされることも多かった。
なんでもできる完璧美少女、というのが周りから見た私の評価に相応しいのだろう。
だが、それだけだ。
私はなんでも卒なくこなすことができるが、『人並み以上』という以上の評価を出すことができなかった。
昔習っていたピアノのコンクールでも、中学校の時に入っていたソフトテニス部の大会でもそうだった。
一つのことに対して熱心に打ち込んでいるような、そんな人たち以上の評価を出すことはできない。
容姿に関してもそうだ。今でこそ私は学校一の美人という評価を得ることができているが、これから先、大学生、社会人と広い世界に身を置いていくにつれて私以上の美人なんてごまんと現れるだろう。
私はしょせん、その程度の人間なのだ。
何でもできるように見えて、実は何もできない人間。
一見するとよく見えるが、実際のところ中身はスカスカ。
それを上手く誤魔化しながら生きている。
周りには、私という人間の表面だけを見ている人しか集まらない。
当然だ。私には見るべき中身なんて、ないのだから。
だから、私はこんな毎日がつまらない。
私自身が、つまらない。
阿久津優也と付き合い始めたのは、別に彼が好きだからとかではなかった。
私はこの人並み以上の容姿のおかげで、よく異性から告白される。
阿久津優也もその多くの告白の内の一つ、告白してきた人たちの内の一人でしかない。
ただ、阿久津優也は、周囲からの評価がとても高かった。
曰く、学校一のイケメンだの、コミュ力が高いだの、サッカー部のエースだのといった高評価である。
女子からは勿論のこと、男子からの信頼も厚い。
だから、彼からの告白を受け入れた。
そこに恋慕の感情は微塵もなく、あるのは薄汚い打算のみ。
学年で最も評判の良い男が彼氏であるという、優越感に浸り、自己満足を得たいがためだけの関係。
私が求めているのはそれしかなかった。
もし、もしも、もしかしたら、私の表面以外を見てくれるかもしれないと、そういう、淡い期待ですらない、小さな願いの欠片みたいなものがなかったかと言われれば嘘になる。
だが、結局阿久津優也も、その他大勢の人たちと何も変わらなかった。
彼は私の容姿を褒め、私の性格が好きだとのたまう。
陳腐で、浅はかで、なんの意味もないような言葉を並べて私の機嫌をとろうと、好意を向けてもらおうと画策する。
そんな言葉は、私にとってなんの意味も持たない。
私が彼と付き合う理由は、イケメンだのエースだのといった付加価値のみ。結局、そこにしか付き合う理由を見出すことができなかった。
阿久津優也は、女子からよくモテる。
だが、軽薄な性格とは裏腹に、彼は誰彼構わず手を出すようなことはせず、私と誠実に付き合い続けていた。
まぁ、女子人気の高い彼と付き合っていることが露見したら、私に対する同性からのやっかみが激しくなりそうだから交際はふたりの秘密になっているのだけれど。
不思議なことに、彼は私にさえ手を出そうともしなかった。年頃の男の子なんてそういうことばかり考えているものだと思っていたから、少し意外だった。
キスはおろか、手を握ることすらない。私が彼の好みと離れているのかな、とも思ったが、それならそもそも告白してくることもなかっただろう。
私としては周りに交際の事実がバレる可能性が低くなるし、なにより、たいして好きでもない男とそういう行為に及ぶのには流石に抵抗があったため願ったりかなったりなのだけれど。
そんな阿久津優也と付き合い始めて、数か月がたった。
人気者の男子と秘密の交際、なんて自己満足のための要素は既に色褪せ、そろそろ別れを切り出すか、いっそ多少のやっかみを覚悟で周囲に交際の事実を公言しようかと考えていたある日のこと。
「なぁ、そろそろ俺らが付き合ってること、周りに言っちゃわねぇか?」
と、阿久津優也から提案されたのだ。
なんでも、阿久津を取り囲む女性陣がそろそろギスギスしてきたため、事態の解決のためにも私と付き合っていると公言したいのだと。
――くっだらない。
とは思ったものの、私自身阿久津優也との交際にそろそろ飽き飽きしてきていたところだったので、快くその提案を受け入れようとしていた。
しかし、彼の提案には続きがあった。
「どうせならよぉ、『面白い』見世物として公言しないか?」
日々の生活をつまらない、と感じていた私にとって面白い、という単語は非常に興味を惹かれるものだった。
たとえ、阿久津がロクでもないことを考えているのだと分かっていても、私はとりあえず彼の言う計画を聞いてみることにした。
「どういうこと?」
「まずは、翔子が適当な奴…あー、一色とかでいいか。一色に告ってオーケーをもらうだろ?」
「あら、私が告白して受け入れてもらえなかったらどうするのかしら」
「学校一の美人が告って断る男なんかいるもんかよ。そんで、一色と健全なお付き合いをしていくわけだ。そのうち一色はどんどん翔子に惹かれていくと」
彼は意気揚々と、自分の考えた計画を語り続ける。
「そしたら今度は俺と翔子が付き合ってるって噂が流れるようにするんだ。でも翔子とは相変わらず付き合い続けると。そうしたら、一色は疑心暗鬼になるわけだ。」
「そして、一色の不安がピークに達した時点で、ネタ晴らしをしてやるんだよ!本当は俺と翔子が付き合っていた、一色との付き合いはただの遊びでしかなかったんだってさ!…くくっ、想像しただけで笑えてくるぜ」
「その後は、あることないことでっち上げて、俺が翔子を一色の魔の手から救い出して付き合い始めた、ってことにするんだよ。これなら一色の面白い反応も観れるし、俺と翔子の交際を大々的に、しかも美談付きで公言できる」
「もしも一色が本当のことを触れ回ったところで、俺たちのほうがカーストは圧倒的に上だ。周りのみんなも俺たちの言葉しか信じねぇよ」
最低だ。
阿久津優也の計画を聞いた私の頭に浮かんだ感想は、その一言に尽きる。
こいつは、無関係の人間の恋心を弄び、辱め、踏みにじるような、そんな行為を平然と行おうというのだ。下手をすれば、一色創の心に一生消えないような傷を負わせる可能性すらある。
そんな最低な行為を、あまつさえ、一応彼女であるこの私にやれと。
そういうことを言っているのだ、この男は。
阿久津優也が私の表面しか見ていなかったのと同じように、私もまた、阿久津優也の外側だけしか見ていなかったのだと、このとき改めて実感した。
彼は私が想像していた以上に性根が酷く腐りきっており、人格的に相当歪んでいるのだと、強く確信した。
――でも、そんな彼の話す計画を、少しでも面白そうと思ってしまった私自身も、きっとこいつと同じように歪んでいるんだろうな。
それから数日後、私は一色創に告白をした。
嘘とは言え、私から異性に告白するというのは初めての経験だ。私は念入りに下調べをして、どんな状況で告白しようかと一晩中頭を悩ませた。
下駄箱に呼び出しの手紙を入れるというベタな方法で放課後の教室に残ってもらい、夕陽に染まる教室で、少し濃いめのチークを頬に塗り、
「あなたが好きです。私と、付き合ってくれませんか?」
告白の言葉はシンプルなものにした。
私の考えた絶好のシチュエーション。
最初は告白を疑っていた一色も、最終的には私の告白を信じ、付き合ってくれると言ってくれた。
これで、計画の第一歩は踏み出すことができた。
告白の後、私を家まで送ってくれた一色と別れると、私はその足で阿久津優也の下へと向かっていた。
正直に言うと、この時、私の胸中に渦巻いていた一色創に対する罪悪感や背徳感といった感情は、つまらない日々を過ごしていた私にとって心地の良い刺激となっていた。
世の中の不倫しているカップルが求めているのは、こういった刺激なのかもしれないと感じた。
「おぅ、結果はどうだったよ」
阿久津優也はにやにやしながら私に問いかける。
この男は私が告白に失敗するなんて微塵も考えていないようだった。…まぁ、私もそんなに考えてなかったけど。
「えぇ、告白は成功したわ。でもこれ、罪悪感が半端ないわね。今も一色君に見られているんじゃないかって気になってくるわ」
「へ、それもまた楽しいんだろぅが。んじゃ、これからの予定の確認な。一色とデートを重ねてあいつを完璧に堕とすんだ。そしたら期を見計らって今度は俺たちが付き合っているところを学校のやつらに見せつける、分かったな?」
あぁ、この男は正真正銘の下種だ、と再確認する。そして、それに共感している自分自身もまた、クズ以外の何物でもないのだと、改めて自覚した。
それから、私と一色はデートを重ねた。
放課後はいつも一緒に帰っていたし、突然彼からプレゼントを貰ったこともある。プレゼントのネックレスは阿久津が勝手に売り払ってしまったけれど。
また、計画には私が付き合っている一色から酷いことをされていた、という偽の前提条件が必要になるため、私と一色の交際の事実も私が公言した。
一色とのデートは本当につまらなかったけれど、計画が順調に進んでいると思えば、充実感も感じられた。
それから少し経って、ついに計画は第二段階へと移行することとなった。
私は一色と変わらずお付き合いを続けつつ、たまに阿久津と二人で街を出歩くようになった。それもあえて人目につきやすいような場所を、(いやいやだけど)阿久津と腕を組みながら、だ。
私たちの目論見通り、私と阿久津が付き合っている、という噂は瞬く間に学校中を流れることとなった。
一応、私たち二人とも学校では人気者で通っているため、当然追及は多かった。
だが、まだ阿久津に乗り換えたと明言する時期ではない。それをするのは、私が一色と決別をした後だ。
私たちは適当にはぐらかして誤魔化し続けた。
一つ、懸念、というより違和感を感じることがあるとすれば、一色の私に対する態度だ。
これだけ噂が広まっていれば、当然一色の耳にも入っているはずだ。
彼に友達は多くはないものの、別にぼっちというわけではない。
確か隣のクラスには彼の幼馴染もいるはずで、彼からでも噂を聞く機会は十二分にあったはずだ。
しかし、彼は阿久津に関する、いや、私の浮気に関する話題をおくびにも出さない。
それどころか私に対する態度が、噂が出回る前と全く変わらないのだ。
もしかしたら、本当に噂を聞いていないのかもしれない。そう思い、それとなく遠回しに話題にしたことがある。
「周りが何を言っていても、私があなたのことを好きなのは変わらないから」
と。
けれど、それに対する彼の返答は、とても簡素なものだった。
「そうなんだ」
というたった一言であった。
それは、本当に、心の底からどうでもよさそうな、そんな声音であった。
一瞬、一色の私に対する感情が冷めてしまったのかもしれないと感じた。けれど、このやり取り以降の会話ではいつもの一色に戻っていたし、一色が私に向ける視線にも以前と変わらない好意が見て取れた。
私はこの時、初めて一色創という人間の内側を垣間見た、そんな気がした。
そして、ついにネタ晴らしの時がきた。
私はトークアプリで、放課後屋上に来るよう一色に連絡を入れた。
一色の態度に違和感を感じてはいたものの、計画自体は順調に進行していたし、これ以上期間を延ばすと周囲の人たちにも誤魔化しきれなくなりそうだったので、今日、決行することにした。
なんだかんだいって、私はとてもドキドキしていた。
仮にも二ヶ月ほど付き合っていた彼氏は、実は本当の彼氏になれてすらいなかったと知ったら、いったいどんな反応をするのだろうか。
あぁ、楽しみだ。
つまらない授業も、つまらない学友たちも。
後に楽しみが控えていると思うと、この瞬間だけとっても愉快なものに見えてくる。
私はきっと、クズ、なのだろう。下種、なのだろう。
それでも、この楽しさを得られるのならば、そんな侮蔑も甘んじて受け入れよう。
私は私自身を嘲笑しながら、放課後が来るのを今か今かと待ち続けていた。
そして、ついに一色との決別の時が来た。
茜色に染まる屋上で、阿久津に引っ付きながら一色を待つ。
指定した時間になったと同時に、ドアが開く音と共に、一色が姿を表した。
私は、表情を抑えることができなかった。
表情筋が、自分でもわかるほどの下品な笑みを張り付ける。
さぁ、あなたは、いったいどんな反応を見せてくれるのかしら?
――しかし、一色の反応は、私が想定していた反応の中で、最もつまらないものであった。
私の隣では、阿久津優也が一色に対して罵詈雑言を浴びせている。
だが、一色は何も言い返さない。
いや、それどころか俯いて阿久津と目すら合わせようとしない。
…なんなの。
なんなのなんなのなんなのなんなのなんなのなんなの!
なんで、あなたはそんなにつまらない反応しかできないの?
私が、せっかくいろいろと準備してきて、やっと迎えた最高の瞬間のはずだったのに。
どうして、どうしてあなたはこんな時までつまらない反応しかできないの?
ねぇ、仮にも私たち恋人関係だったんだよ?
悔しいと思わないの?何か一言でも言ってやろうって、そんな気さえ起きないの?
ふと、一色が俯きながらも私に視線を向けていることに気づいた。
「はぁ、ここまで言われてるんだから反論の一つでもしたらどうなのよ」
最後のチャンス、という気持ちで彼に言葉を投げかけた。
最後の、私からの反論へのきっかけを与えた。
それでも、阿久津だけでなく、彼女にさえここまで言われても、それでも一色は、何も、言い返さなかった。
つまらない。
つまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまららないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまんないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらない。
一色創は、最初から最後まで、何もかもが、つまらなかった。
もう、彼に期待することは何もない。
はぁ、せっかくいろいろとしてきたのに、全部無駄に終わっちゃたな。
私は隣で無駄に大声で吠えている阿久津に向けて、そろそろ終わらせようという合図を送る。
「と、いうわけだからさ。お前はもう用済みなんだわ。とっとと翔子と縁切って帰ってくれや」
阿久津は決定的に一色をつき放つ一言を、彼に突き付けた。
…それにしても、こいつは何も言い返さない人間に対して怒鳴り続けているだけで気持ちよくなっちゃうようなやつだったのね。
ただ歪んでるだけじゃなく、人間としてもこんなに小さいだなんて、本当救いようがない。
なんて、自分のことを棚に上げて内心阿久津のことを嘲笑していると、一色は小声で何かを呟きながら、自分のカバンを持ち上げた。
…最後は逃走、いえ、敗走といったところかしら。
本当に最後まで、つまらない男だったな――。
そう思いながら下を向いていると、不意に、
バサバサバサッ
何かが落ちる、音がした。
ゆっくりと前を向くと、そこには、無造作にカバンをひっくり返し、その中身をばらまいている一色の姿があった。
正確には、満面の笑みを浮かべながら、こちらを見る一色の姿があった。
脳が、理解が追い付かない。
カバンを持ったのは逃げようとしたわけじゃなかったの?
カバンから落ちた大量の何か…あれは、写真?
それに、どうして、どうしてこの状況で、あんなにも無邪気な笑みを浮かべられるの?
隣にいる阿久津も固まったまま動かない。
そんな、時が止まったかのように思える状況の中、風に吹かれ、一枚の写真が私の足元に飛んできた。
思考の追い付かない頭で、とりあえずその写真を拾って、みると、そこに、映って、いたの、は、
――私の、私の部屋で、私がくつろいでいる様子を撮った…明らかな盗撮写真であった。
ご閲覧、ありがとうございます。
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