一色創の場合 上
初投稿です。
拙い文章ですが、どうぞよろしくお願いします。
僕の彼女は浮気をしている。
僕、一色創には付き合って二ヶ月となる彼女がいる。
彼女の名前は御崎翔子。学年、いや、学校一美人と評判の自慢の彼女だ。
頭脳明晰で、運動神経も抜群。
穏やかで優しい、大和撫子を体現したような性格に加え、腰まで伸ばした綺麗な黒髪と、笑顔が映える端正な顔立ちをもつ、まさに理想的な美少女。
それが僕の彼女、御崎翔子という少女に対する客観的な評価である。
だが彼女と付き合っている僕にとって、その評価はしょせん赤の他人から見た彼女の側面でしかない。
デートの時、ふとした時に見せる儚げな笑顔。
周りには隠していてもふと垣間見えることのある、憂いを含んだ表情。
サプライズでプレゼントを渡したときの驚いた顔。
そのすべてが彼氏たる僕にのみ拝むことを許された、彼女の姿なのだ。
かたや、僕に対する周囲からの評価は『普通』の一言に収束する。
勉強も運動も、何をやらせたところで普通。
顔も普通で、友達は多くもなく少なくもない。
突出した才能もなく、その他大勢としかなりえない個性の欠如。
皆は僕ら二人を見て嗤う。
「どう考えても不釣り合い」
だと。
僕自身、彼女と付き合う前はそう思っていた。
彼女との接点なんて同じクラスであることでしかなかった。
話したこともなければ、委員会や部活動が同じというわけでもない。
御崎翔子は高嶺の花だ、僕とは関わり合うはずもない人間なんだと。
けれど、二か月前――
「あなたが好きです。私と、付き合ってくれませんか?」
カーテンの隙間から夕陽の差し込む放課後の教室。
そこにいるのは僕と、頬を赤く染めながら僕に告白する彼女だった。
朝、登校してきた僕の下駄箱に入っていた一枚の手紙。
差出人の名前が入っていないそれに綴られた一言『放課後、教室で待っていてくれますか。』
ついに僕にも春が来たかと、意気揚々と放課後の教室で待っていた僕の前に現れたのは、御崎翔子だった。
その時、僕が抱いた感想は嬉しいとかそんなものではなかった。
だって、御崎翔子に呼び出されたのだ。
まさか彼女が僕に告白なんてことあるわけがないと、そう思っていたから。
むしろ何か彼女に対して知らないうちに粗相をしてしまったから怒られるのかと、恐怖さえ覚えていた。
でも、彼女の口から出てきた言葉は、いい意味で僕を裏切るものだった。
最初は困惑した。
「何かの罰ゲームなの?」
「それか、呼び出す相手を間違えたのかな?」
考えられる有力な理由を並べてみたが、彼女からの返答はただ一言。
「私は、一色創くんが、好き、なんです」
僕を見つめる大きな瞳から、本気かどうかを読み取ろうとしたけれど、やめた。
だってそんなことができるのなら、僕にはきっともっとたくさんの友達ができているだろうし。
それになにより、もう本気かどうかなんて関係なかった。
僕はこの瞬間、彼女に、『御崎翔子』に、恋をしてしまったから――
それから僕と御崎翔子は付き合い始めた。
当然、学校では大きな話題になった。
あの、御崎翔子に彼氏ができた。
しかも彼氏はぱっとしないモブ男だ、と。
周囲からは盛大に嫉妬の視線を集めることになったし、軽いいたずらなんかもされるようになった。
「翔子にはもっといい人がいるよ」
「なんであんなモブみたいな野郎と」
「一色創氏ね」
なんて、好き勝手噂もされた。
それでも彼女が、
「私から彼に告白したの」
と周囲に宣言したことで、いたずらはなくなった。まぁ、嫉妬の視線は今もなお浴び続けているけど、それくらいはしょうがないと割り切っている。
彼女とは清い交際を続けていた。
下校の時に彼女の家まで一緒に帰ったり、週末にデートに行ったりはするものの、キスはおろか、手さえ繋いだことはない。
というのも、彼女がうつむきながら、
「わ、私たちにはまだ、早いんじゃないかな。も、もう少しだけ待ってもらってもいい、かな?」
と言ったからだ。
僕は彼女を愛している。
彼女ともっと深い仲になりたいとも思うが、それ以上に彼女のことを大切に、大切にしたいと思っていたからだ。
それに、今のままでも僕は充分に幸せだった。
付き合い始めて一か月たったころ、僕は彼女にネックレスをプレゼントした。
今まで趣味のカメラにしか使うことがなかったために貯まっていたバイト代をはたいて、彼女に似合いそうなものを長い時間吟味して贈った。
彼女は驚いて一瞬固まった後、満面の笑顔で、
「ありがとう、大切にするね」
と言ってくれた。
その後も「大切にしすぎて、なかなかつけられないの」と恥ずかしそうに教えてくれた。
彼女にこうも思われる僕は、幸せ者だ。
だから、このままでいいと、そう思っていたのに。
『お前の彼女、阿久津優也と一緒に歩いてたぞ』
今から二週間前、そんな文面と共に親友から送られてきたメッセージに添付されてきたのは、僕ではない男と腕を組んで、仲良さそうに歩いている僕の彼女、御崎翔子の写真だった。
写真の男――阿久津優也はイケメンだ。
サッカー部のエースで軽薄そうな見た目をしているが、周囲からの人望は厚い。
女子からモテるのは当然のこと、ノリのいい性格故に男子からの人気も高い。
常に美少女に囲まれ、可愛い妹もいるという、どこぞの主人公かと突っ込みたくなるような、恵まれた人間。
いわゆる、リア充。カースト最上位の人間。
同じくカースト最上位である彼女と、御崎翔子と釣り合う存在。
そんな彼と御崎翔子が付き合っている。
という噂が流れ始めたのは、ちょうど親友からメールを受け取ったあたりからだ。
周囲の反応は様々であった。
僕が捨てられたとか、御崎翔子が浮気をしているとか。…圧倒的に前者のほうが有力な説であったことには流石に泣けてきたが。
阿久津優也による横奪愛だとか、他にもいろいろな噂が出回っていたけど、でもきっと、皆が根底で思っていることは一つだったのだろう。
「あんなモブ男よりも、よっぽど釣り合っている」
そんな空気が流れていた。
だから皆は御崎翔子を責めない。阿久津優也を責めない。
悪いのは一色創だった。
一色創が何かしたから御崎翔子が離れることになってしまった。
阿久津優也は御崎翔子を救い出してあげたのだ。
そんな空気が、流れていた。
だが当然、僕は彼女と別れたつもりはない。
彼女に別れ話を突き付けられたことも、僕から別れを切り出した記憶もない。
だから僕は、変わらず彼女と付き合い続けていた。
ある日の帰り道、彼女は僕に、
「周りが何を言っていても、私があなたのことを好きなのは変わらないから」
と、そう言ってくれた。
僕はそれに対してなんて答えたのだったか?
そして、今日。
僕は彼女に呼び出されていた。
場所は放課後の屋上。
そこで大事な話があるのだという。
正直、億劫だ。
きっと阿久津優也との噂に関する話だろう。
僕が彼女を愛していることに変わりはない。
だから、そんな話はしたくない。変わらない関係でいたい、というのが僕の本音だ。
…けど、きっとそうもいかないんだろうな。
僕は重い腰を上げ、カバンを持つと、茜色に染まる教室を後にした。
「お前はさぁ、弄ばれてったてワケ」
放課後の屋上に人影が三つ。
阿久津優也と、御崎翔子。それに僕のもの。
阿久津優也はこれ見よがしに御崎翔子の肩を抱き、彼女もまた阿久津優也の胸にべったりと引っ付いている。
そしてそれを見ている僕。
傍から見たら、これはどんな光景に見えているのだろうか。
そんな無体なことをぼーっと考えていた僕に、阿久津優也は大声で続ける。
「つまりさぁ、俺と翔子は前からとっくに付き合ってて、翔子がお前に告白したのはただの暇つぶしのゲームだったってわけよ、ぎゃはははは!!」
そう言って彼は得意げに、僕のことをあざ笑う。
御崎翔子もにやにやとしながら僕のことを見ていた。
「で、どーよ?翔子との恋人ごっこは。楽しかったかよ?いい夢見れたかよ?」
「手も握れなかったんだろ?まぁ、俺がお前とは極力触れ合うなって言ってたからなんだけどよ」
「お前も哀れだよなぁ。翔子みたいなイイ女とお前ごときが本当に付き合えるわけがねぇじゃん」
「そんなことにも気づかないで、あんなお高いプレゼントまでしちゃってな」
「あのネックレス売り飛ばした金で、俺らはデートさせてもらちゃったよぉ、ごめんなぁ」
阿久津優也はなおも矢継ぎ早に言葉を並べる。
僕に対する優越感を多分に含ませた、ネタ晴らしと嘲笑の嵐。
それに対して、僕は何も言うことができなかった。
僕にできるのは拳を握りしめ、必死に表情を取り繕うことだけ。
ダメだ、ダメだと自分に言い聞かせ、目じりに力を込め、肩を震わせる。
そんな僕の様子がおかしかったのか、阿久津優也の暴言はさらにヒートアップしていく。
僕の容姿をなじり、負け組だと見下し、暇つぶしの道具だと人間性さえも否定する。
彼の言葉にこれ以上耳を傾けたくなかった僕は、ふと、彼の横にいる御崎翔子に目をやる。
大声で僕を罵倒する阿久津優也の横にいる彼女には、先ほどまで浮かべていたにやにやとした表情は既になく。
そこにあるのは、ただつまらなさそうな目で僕を見る、そんな顔だった。
僕の視線に気づいたのか、彼女は侮蔑の視線と共に僕に言葉を投げかける。
「はぁ、ここまで言われてるんだから反論の一つでもしたらどうなのよ」
彼女のそんな表情を見るのも、彼女のそんな声を聞くのも初めてだ。
道端に落ちている小石を見ているような、つまらないという感情を隠そうともしないその表情。
くじ引きで期待外れの商品が当たった時のような、面白くなさそうなその声音。
きっと彼女は、僕に対して落胆しているのだろう。
一方的になじられてもなお、何も言い返そうとしない、行動を起こそうともしない僕のことを。
阿久津優也は滑稽な僕の姿を見て楽しんでいるだけなのだろうが、彼女はきっと、僕が無様にも抵抗する様を見たかったのだ。
信じていた彼女に裏切られ、間男からコケにされながらも、それでもなお彼女のことを信じて反論する僕を、あざ笑いながら切り捨てる。
きっとそんなシチュエーションを期待していたのだろう。
――あるいは。
あぁ、あるいは、彼氏として何も反論できない僕を情けなく思っているのかもしれない。
僕を愛してくれているからこそ、何も言い返せない僕に失望を隠し切れないのかもしれない。
それゆえの、落胆。
もし、本当にそうであるならば、まだ救いはあるけれど。
さっきから僕を罵倒し続けていた阿久津優也が、不意に言葉を切った。
そこで僕は御崎翔子に向けていた意識を彼に戻す。
「と、いうわけだからさ。お前はもう用済みなんだわ。とっとと翔子と縁切って帰ってくれや」
手をひらひらと動かし、僕を追い払うかのようなジェスチャーをする阿久津優也。
その言葉を聞いた瞬間、僕はもう耐えることができなかった。
抑えつけていた表情は弛緩し、感情が吹き出しそうになる。
「…もう、限界だ」
口をついて出てしまった言葉とともに、僕は足元に置いていたカバンを手に取った。
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