ジェットコースターのダンジョン
ジェットコースターのダンジョンでは、毎日のように事故が起きる。地下鉄にぶつかってはねられたり、崩れてきた土砂に埋まったりして、乗客の半分は生きて帰れないという。
ダンジョンというのは地下に作られた迷宮や牢獄のことで、モンスターや罠が潜んでいたり、ひとりでに形を変えたりする。それをジェットコースターにしてしまったのだから、事故が起きても誰も文句は言えない。
そんな危険な場所も含め、ダンジョンの掃除をするのがタイガの仕事だ。
「こんにちはー。掃除ギルドでーす」
ロケットのような形の入り口から、地下への階段が続いている。何度か呼びかけたが、返事はない。
「いいや、入っちゃえ」
タイガはモップをかついで階段を降りていった。階段は短く、すぐに地下一階へ着いた。一階といっても踊り場のような狭いスペースで、小さな楕円形の乗り物が置いてある。
「これがジェットコースターかな」
タイガは掃除ギルドから各地のダンジョンに派遣されている。行ったことがある場所も時間が経つと形を変えてしまうので、いつも勝手がわからない。
楕円形の乗り物は、一人分の座席しかなかった。乗り込むと動き出し、暗がりの中をゆっくりと進んでいく。タイガは安全ベルトを探したが、そんなものはなかった。
がたがたと機体が揺れ、下り坂に入る。タイガはモップを突き出して壁に当てた。こうしていれば簡単に磨くことができる。
「ラクな仕事だなあ。終わったら中華屋のダンジョンでチャーハン食べようかな」
そう思った途端、急に機体が向きを変え、壁から離れてしまった。タイガは懐中電灯を出し、行く手を照らした。
なんと、レールが引かれていない。暗い洞窟の中を、乗り物が勝手に走っている。
タイガはモップを下に向け、引きずるようにして床を磨いた。逆さまになった時は天井を磨き、宙に浮いた時は乗り物の中にへばりついて椅子を磨き、投げ出された時はモップの先で乗り物を引き戻した。
「それにしても長いな」
ちゃんと地上へ戻れるのだろうか。そんな不安を感じ取ったかのように、スピードが落ち始めた。軋むような音が何度も響いた後、とうとう動かなくなった。さらに悪いことに、懐中電灯の明かりまで消えてしまった。
「困ったな。これじゃ帰れないよ」
そうは言っても、帰らなければ食事にもありつけない。タイガは乗り物から降り、歩き出した。どこをどう走ってきたのかわからないが、とりあえず後ろに戻るしかない。
足元はごつごつしていて歩きにくく、何度もつまづきそうになった。モップで前を探りながら行くと、暗闇の中にぼんやり何かが光っているのが見えた。
「ランプ……いや、まさか火の玉?」
気味の悪い、青白い色をしている。背筋が寒くなるのを感じながら、タイガは歩を進めた。その時、かかとの下でぱきっと何かが音を立てた。
青白い光のおかげで、足元が見えるようになっていた。辺り一面に、人骨が散らばっている。てっきり岩場か砂利道を歩いているつもりでいたが、全て骨だったのだ。
「そっか。毎日事故があるってことは……そういうことだよな」
タイガは目を閉じ、手を合わせた。そしてすぐに、そんなことをしている場合ではないと気づく。このまま出られなければ、自分もこの骨たちの仲間入りだ。
目が慣れてくると、さらに恐ろしいものが見えた。骨に混じって、壊れたジェットコースターの残骸が転がっている。いくつもいくつも、まるでこの場所に惹かれて来たように、大破した機体や黒焦げになった機体、壁にめり込んだ機体までがある。
「こ、これは……」
「そう。あなたもこうなるはずでした」
低く無機質な声がして、タイガは身を縮めた。前後を見回すが、人の気配はない。
「もっと近くに来てください」
もう一度ぐるりと見回し、青白い光に目をとめた。そう、それです、と声が言った。タイガは片手でモップを握り、ゆっくりと光に近づいていった。
火の玉にしては細長い。見たところ大人しそうだ。
「幽霊……じゃなさそうだな」
「いえ、幽霊です」
断言されてしまった。タイガは意を決して光のすぐそばまで行った。いざとなればモップで殴って逃げればいい。そんな攻撃が効くのかどうかわからないが、素手よりはマシだろう。
近くで見ると、それは確かに幽霊だった。地面から数センチ浮き、ぼうっと光を発している。しかし人間ではない。タイガは息を飲んだ。
「ジェットコースター!」
さっきまで乗っていたのと同じ、小さなカプセルのような形だ。触れようとすると手が突き抜けてしまう。もちろん乗ることもできず、ただふわふわと浮かんでいる。
「良かったですね。私のようにならなくて」
幽霊は抑揚のない、でも少し恨めしげな声で言った。
「俺は幽霊になんかならないよ。少なくともジェットコースターの幽霊には」
「私だって好きでこうなったわけではありません。お相撲さんを五人乗せて走っていたら、車輪が潰れてしまったんです。ちょうどこの場所で、壁にぶち当たって大破しました」
「五人も乗せるから悪いんじゃん」
幽霊が言うには、重量制限も何もないのだそうだ。さすがに気の毒で、タイガは目線を落とした。壁際に転がっている太い骨は力士たちのものだろうか。その近くに散らばっている破片は、この幽霊の体かもしれない。
タイガの心を読んだように、幽霊は笑った。
「お相撲さんはみんな無事でしたよ。腹の肉がクッションになったのでしょう」
「そうなんだ。良かった」
とはいえ、ここで何度も事故が起き、人が亡くなったことに変わりない。このまま放っておけば、骨につまづいて次の事故が起き、その残骸につまづいてまた次の事故が起き、いつまでも惨事が繰り返されてしまう。
「よーし。じゃあ始めよう」
タイガはリュックから大きなビニール袋を出し、シャツの袖をまくった。モップで骨をかき集め、次々と袋に放り込んでいく。
「何してるんです?」
「掃除だよ」
頭蓋骨や膝の皿など、はっきり形がわかるものもある。タイガは気にせず袋に入れていった。どうせ大した怨念など残っていない。こんなところでジェットコースターに乗るような人たちなのだ。
骨はかさばるので、すぐに袋がいっぱいになってしまう。タイガは次の袋を出して広げる。
あの、と幽霊が言った。
「そんなお構いなく」
「いいんだよ、仕事だから」
「でも、どうやって運び出すんですか」
タイガは手を止めた。それだ。それが問題だ。
骨を全部拾って、欠片も粉も集めて、乗り物の残骸も集めたらとうてい一人では運べない。それ以前に、帰り道すらわからないのだった。
「幽霊さん、超能力とか使えない?」
「使えませんよ」
タイガは肩を落とした。よりによって、なぜジェットコースターが幽霊になってしまったのだろう。
それはですね、と幽霊は自慢げに言う。
「私の思いが、ここにいる誰よりも強かったからです」
「どんな思いなの?」
「もっともっと走りたいという思いです」
何の意外性もない願いだ。タイガは幽霊を眺めた。機体は綺麗で、車輪も全部揃っている。
「走れるんじゃない?」
「無理です。体がないので、ここに浮かんでいることしかできません」
「へー。意外と不便なんだ」
ジェットコースターなのに走り回れないとは、さぞストレスがたまるだろう。しかし幽霊を動かす方法なんて聞いたことがない。骨の山を運ぶほうがまだ簡単だ。
「あ! ねえねえ、この骨に乗り移ることってできないの? ついでに焼却炉まで運んでくれたら助かるんだけど」
「無理ですね。人間には乗り移れません」
「えー。人間ったって、もう骨じゃん。物質だよ」
そこまで言って、はっとした。最高の乗り移り先がここにある。幽霊とまったく同じ形で、損傷もしていない、おまけに抵抗したり暴れたりもしないときている。
「ちょっと待ってて!」
タイガは暗がりのほうへ走って行くと、止まってしまったジェットコースターを押して戻ってきた。小さいとはいえ、かなりの重さだ。数メートル押しただけでも汗だくになってしまう。しかし同じジェットコースターの幽霊が乗り移ればどうだろう。
幽霊はちかちかと瞬いた。青白い光が黄色になり、ピンクになり、何やら喜んでいるようだ。
「その発想はありませんでした! これなら乗り移れます」
「やった!」
顔のない幽霊が、まるで微笑んでいるように見えた。そして輪郭がぼやけていき、光が弱まり、ついには消えてしまった。代わりに、ジェットコースターの機体が七色に輝き出す。
「さあ、乗ってください!」
「いいの?」
「もちろんです!」
幽霊と一体化したジェットコースターに乗り込むと、ほのかに暖かかった。機体に星や水玉の色模様が浮かび上がる。
「出発進行!」
タイガとジェットコースターが同時に叫ぶと、袋の中から骨が飛び出し、行く手に並んだ。細長い骨は地面に連なり、レールになる。頭蓋骨は明かりを灯して等間隔に浮かび、道を照らしてくれた。
骨のレールの上を、ジェットコースターはすいすいと滑っていく。ひゃっほう、と声を上げて宙返りをしたり、後輪だけで立って走ったりするので、タイガはモップで体を支えながら乗った。
「これです! これがジェットコースターの生きる道です!」
「良かったね」
光が混じり合い、まるでパレードの真ん中を走っているようだ。骨のレールですら、ネオンのように輝いて見える。
揺られているのも楽しいが、そろそろお腹がすいてきた。
「いつ頃地上に着くの?」
「地上?」
ジェットコースターは徐々に加速し、光の尾を引いて下り坂へ突入する。
「地上になんか行きませんよ。ダンジョンの中を走り続けるのが私の生き甲斐です。この体がすり減ってなくなるまで、ずっと」
タイガは飛び降りようとした。しかし、スピードが上がりすぎて立ち上がることすらできない。光に包まれて、自分もジェットコースターの一部になってしまったようだ。
骨の道はどこまでもどこまでも、誘い込むように続いていた。