第七六話 天下取りへの大いくさ
◆天文十六年(一五四七年)十月上旬 尾張国 那古野城
将軍が不穏な行動をしていると情報を得たため、高島郡など近江(滋賀県)の未平定地域の制圧を担当していた柴田勝家には、信長ちゃんは平定は一時休止して観音寺城にて軍勢を整えて、待機する旨の命令を伝えた。室町幕府第十三代将軍足利義藤(義輝)・義晴親子に呼応して、近江の勢力が挙兵する可能性がある、との読みからの待機命令だ。
これまでに織田家に恭順した近江の将兵に手柄を立てさせる意味合いもある。
一方おれは、伊勢(三重県)の長野氏と木造氏への調略を行なう。どちらも伊勢のラスボス――北畠晴具の親族で本家を継げず、当主の晴具に含みところがあるらしい。晴具が将軍親子に呼応して挙兵した場合に、いわば留守となる中伊勢から南伊勢周辺地域を、空き巣狙いで平定してしまう目論見だ。
そして京都の明智光秀からは、待望の新情報がもたらされた。将軍の執務場所として確保していた二条城からは足利義藤が、また足利氏菩提寺の等持院からは仏門に入っていたはずの前将軍足利義晴、六角定頼とその孫の義治が逃亡したとのことだ。もちろん将軍らが逃亡した裏には松永久秀の謀略がある。
久秀は三好長慶亡き後の三好一族の軍勢を取りまとめて、管領の細川氏綱を旗印として、挙兵した足利義藤の援軍に向かう。と同時に越前(福井県)からは朝倉が、伊勢からは北畠が近江に攻め込む筋書きを立てたのだ。将軍義藤・義晴親子と、再び権力を取り戻したい細川氏綱が踊らされた格好となる。
当然ながら、久秀が三好家の全軍勢を取りまとめることはなく、久秀の政敵だった三好政康と岩成友通だけが近江へ出兵予定とのこと。
越前の朝倉軍は近江まで大軍勢を繰り出す予定だが、信長ちゃんを気に入っている宗滴じいちゃんだけに、実のところ織田家の頼もしい援軍だ。さらには、前将軍足利義晴のもとで権勢をほしいままにしていた細川晴元も、同じく松永久秀の謀略によって近江への出兵準備をしているとのこと。
信長ちゃんの対抗勢力を一掃しようという願望に乗じて、自分の邪魔な人間をも消し去る仕込みをするあたりが、さすが稀代の謀略家ともいえる久秀の人の悪さだ。
このように京や近江で戦火が広がる恐れが高まっているので、京では諜報衆の多羅尾光俊の多数の配下が、将軍義藤が自分を庇護している織田家に対して謀反の準備をしている、との風聞を盛んに流させている。対して信長も謀反を放置するわけもなく、京や近江での治安維持のために出陣予定だとも。
このような世論誘導と先日行なった莫大な禁裏御料(皇室領)の献上の効果が抜群だったようで、朝廷からの勅使が信長ちゃんあてに来訪した。
待望の武家頭領の証ともいえ、かの織田信長と同じ従三位権大納言兼 右近衛大将の叙位任官である。朝廷ひいては後奈良天皇は、足利将軍親子の復権を望んでおらず、信長ちゃん主導の政治を支持・歓迎する意味合いがある。禁裏御料という朝廷の飯のタネを握っているので発言力や影響力は絶大だよな。
現将軍の足利義藤が、傀儡の織田家勢力を払拭するため、武力で京都を制圧する軍事行動が、今回の任官で意味合いが変わるのだ。
武家の頭領を象徴する右近衛大将任官のおかげで、形式上は足利将軍は信長ちゃんの配下になるわけ。義藤が挙兵しても大義名分は殆どない一方、信長ちゃんとしては、不満をもって謀反をした部下を討つ名分があるので『将軍殺し』の汚名をかぶることはない。
これから足利将軍の軍勢を叩きつぶす際に、まったく遠慮が要らなくなった重要な任官だ。
ちなみに、旧六角家臣で織田配下となったの後藤賢豊、進藤賢盛、蒲生定秀の三名には、旧主の六角定頼から挙兵依頼の密書が届いたようだ。だが彼らはいずれも、南近江で待機中の勝家あてに密書を提出し織田への忠誠を誓ったとのこと。彼ら三名は、観音寺城降伏の際に、素直に恭順したとおり、時流が読めるので割と自然な感じだ。
蒲生定秀の孫で麒麟児と称されて、史実の信長の娘婿となった蒲生氏郷くんは、この調子ならば歴史の表舞台に無事に登場できそうだ。とはいっても、信長ちゃんの娘はあまり期待できないかもな。
このような状況で、六角定頼や将軍挙兵に力を貸すのは、史実で信長に対してゲリラ戦を行なったことから、三雲定持が本命だろうか。高島郡の国人衆は動向が不明だけれど、日和見の末に恭順してきそうな気がする。それこそ朽木元綱などは、史実の信長の朽木越えや関が原で、去就を大いに悩んでいるし。
がたっがたっ……だーんっ! ばたんっ!
こうしたなか、信長ちゃんがいつになく盛大にいらっしゃいました。
「さこーん。織田焼きでも食べようぞ」
叙位任官の儀式を果たした信長ちゃんは、自分へのご褒美持参で非常にご機嫌。やはり、上司であり未来のヨメが笑顔だと、色々な意味でスムーズに物事が進む。
「姫! 右大将の任官、おめでとうございます」
懸案となっていた武家頭領を象徴する右近衛大将を無事に任官できたので、策を立てたおれもとても満足。これで天下統一の名分が立つというものだ。
「うむ。ワシはうこんなのじゃ。さこんと対であるので気分がよい」
名目上は、左近衛尉(将監)であるおれは左近衛府の役人。信長ちゃんは右近衛府の長官の右近衛大将なので、対とはいえ偉さがまったく違う。
「姫の場合は、右近ではなく右大将でしょう?」
「ワハハ。細かいとことは気にせずよいのじゃ」
偉い官職になっても相変わらずなのが信長ちゃんのいいところ。
「それにつけても典厩(足利義藤)も六角弾正(定頼)もいったい何を考えているのじゃ。三歳の童まで引っ張り出して……」
公方様と呼ばずにすっかり『典厩』と将軍を呼び捨ての信長ちゃん。話しているうちに、やや機嫌が悪くなってきた。
足利義藤に関しては自らが食住――住居というより城――まで用意して、厚遇した末に討つことになるのだから複雑な心境だろう。六角定頼と孫の義治については、さきの観音寺城で助命をした厚意が、全く無駄になっているので殊更だ。
「典厩親子も六角も困ったものですね」
「いや、彼奴らに輪をかけて困りものがおるのじゃ」
おや? もっと困った連中とは誰のことだろう。
「何かありましたか?」
「うむ。父上と爺が出陣させろ、とうるさいのじゃ」
「大殿だけでなく平手様もですか?」
なるほど。信パパはおれに直接『娘の大事な戦に、この備後が留守居してるわけにいかぬわ』と強い要望というか命令を伝えてきていた。
だが、文官的な仕事を主としている平手政秀の爺までもが出陣したいとは意外な反応だ。
今回の合戦に勝利すれば、明確に織田家に敵対する勢力は一掃されて、室町幕府将軍の権威も地に堕ちる。いわば天下取りへの王手となる大事な一戦。
信長ちゃんにとって今回の戦――近江・伊勢平定戦が、将来につながる重要な戦だと分かっているので、居ても立ってもいられない心境なのだろうか。
「では大殿には伊勢攻めをお任せましょうか」
「うむ。そうなるか」
「伊勢では戦もなく開城する見込みも高いでしょう」
伊勢への出陣は調略済みの勢力を、開城させることが主要な出陣目的だ。
「夜は冷え込むから腰を悪くされても困るゆえ、こたつで大人しく待っていろ、と言うたのだがなあ」
「いえいえ、頼もしい大殿ではないですか」
パパ大好きっ子の信長ちゃんは、パパを早く引退させようと躍起だけれど、正直なところ、今回のような大きな合戦では不測な事態の可能性も多いから、信パパを含めた歴戦の勇士の活躍を期待している。
こうした大戦への準備に余念がない那古野城が、諜報衆の新たな知らせにより緊張が走った。
――典厩殿が三雲城(滋賀県湖南市)で兵を集めている模様。
信長ちゃんの天下取りへの大いくさだ。相手が将軍だろうと構いはしない。横綱相撲で押し切ってやろう。
次話、大戦を前にして、妙な雰囲気の織田軍。
3/7(土)1500ごろ 更新予定。
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里見つばさ




