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第七三話 ぷれぜんとなのじゃ

 ◆天文十六年(一五四七年)九月中旬 尾張国 那古野城


 松永久秀の来訪と臣従という予想外のイベントがあったが、北近江の浅井氏を降した今は、次に控える伊勢攻略に向けての対策が最優先事項だ。


 伊勢のラスボス北畠(きたばたけ)氏は、この時代では珍しく公家出身の国司大名だ。現在の当主は北畠(きたばたけ)晴具(はるとも)だ。公家といっても、戦国時代を生き抜いているだけあり精強な武力を誇っていて、伊勢に強大な地盤を築いている。

 三河から京までの地域を、完全に織田支配下のいわば安全な中庭にするのが、現在の織田家の軍事的な戦略目標。今年中にできれば伊勢も制圧したいところ。


 まず信長ちゃんが指示したのが、近江(滋賀県)の国人衆(豪族)の制圧。近江に出張中の柴田勝家に命じた任務で、既に織田支配下となった旧六角領・旧浅井領の軍権を与え、さらには尾張から新たに鉄砲隊五〇〇を含む兵二〇〇〇を佐久間大学盛重に任せて、与騎として観音寺城へ派遣している。

 こうして近江の完全直轄化を目指して伊勢の北畠氏を孤立化させるわけだ。既に大きな勢力は殆ど存在しないので、制圧にはさしたる困難はないだろう。

 ちなみに、すでに臣従していた北伊勢の神戸(かんべ)具盛(とももり)は、織田の本拠に近い立地と、兄の北畠晴具と不仲が原因だろうか。独立した大名ではなく織田家直臣の道を北近江平定と前後して選んでいる。敵が多そうな北畠晴具だけに謀略ポイントは他にもありそうだぞ。


 軍事的な行動だけでなく内政面でもこの秋に大きな変革をしている。信長ちゃんは尾張・美濃・北伊勢神戸、三河安城の直轄地で、土地関係の権利調査と検地を実施したのだ。

 おれとも相談の上の施策なのは言うまでもない。具体的には、実際に現地に内政官が出向いて、現状の土地所有者と耕作者を把握する。そして、把握したいわば申告内容と、実際の測量調査結果との差異がないか調べる流れとなる。誤魔化しが効かないから、検地を行なった結果、税負担が高くなる場合があるので、当然ながら多かれ少なかれの抵抗はある。

 だが、今回の検地を素直に受け入れた場合、二年間の減税と那古野取引所での米の売買許可証の無償発行。さらには新しい農業技術や農具の導入や貸与を行なったり、裏作用の小麦や大豆の種子を無利子で借り入れられるなどの優遇措置を実施した。

 こうしたムチとアメ作戦が功を奏して、大規模一揆のような武装蜂起は起こらなかった。


 これまで織田領や直轄地と説明してきた信長ちゃんの直接的な勢力範囲を『公儀領(こうぎりょう)(=公領)』と呼ぶようになったのも、この秋のいわゆる『天文検地』以降だ。

 織田弾正忠家は日ノ本の神々から委託されて、公儀領における軍事警察権・行政執行権・租税徴収権を持つ、とその政治的正統性を説明したのだ。織田氏は越前(福井県)の(つるぎ)神社をルーツとしているのも、正統性の説明に実に都合が良くて助かる。


 公儀領では私戦・私闘・武器準備集合などいわゆる内乱罪や殺人・傷害・強盗・強姦・窃盗などの現代刑法犯罪の類は、禁じられて相応の罰則も定めた。

 また那古野には、犯罪の告発や土地関係の権利確認提起のため、裁判所の原型ともいえる奉行所(ぶぎょうしょ)を設置した。

 これら内政に力を発揮したのが、清洲から那古野に戻ってきた林秀貞に京都帰りの太田牛一だ。加えて、弟の勘十郎信行も若いのに要領がよく仕事が早い、との高い評価がされて信長ちゃんも顔を綻ばせる。


 こうした統治方針や構築した内政システムのチェックに伊勢への謀略、松永久秀の扱い方について、頭を悩ませていたときに玄関から例の音が。


 がたっがたっ……だーんっ!


 相変わらず騒がしい登場の信長ちゃんに思わず苦笑する。こればっかりは、成長してもなかなか直らないものだな。


「さこーん! 何しておるのじゃ?」

「松永弾正や、伊勢の(はかりごと)、今後の(まつりごと)について、考えておりました」

「まことか? 吉が騒がしく入ってきた、などと考えていたのであるまいか?」

 なんでバレるの? というか、信長ちゃんも騒がしいと自覚はあるんだな。


「い、いえ。左様ななことはありませんよ」

「ふうん。まあよいわ。しかし、あの松永弾正(久秀)はなかなか働きそうなのじゃ」

 やはり信長ちゃんは、史実同様に松永久秀のことをかなり気に入ったみたいだ。久秀は有能だけれど、史実では信長を裏切っただけにどうしても不安はある。

「あやつは、力があるだけに仕える相手を選ぶのじゃ。三好筑前(長慶(ながよし))は仕えるに値したのであろうよ」

 信長ちゃんの言葉のとおり、久秀は三好長慶の家臣時代は、忠実で有能だったからこそ重用されたのだ。


「ああ、なるほど。確かに」

「筑前が死んだから、あやつは仕えるに値する主君を探しておったのじゃ。して、あやつが見込む者がおらんかったから、ワシのもとへ来たのじゃ」

「確かに。それで那古野まで遠路参ったのでしょうね」

「ワシは筑前に比べ仕えるに値しないか?」

「まさか。筑前よりずっと仕え甲斐(がい)があると思いますよ」

「で、あるか! ワシも左様に思うゆえ、松永弾正を重く用いるのじゃ」

 ニヤリとする信長ちゃん。史実と同樣に久秀を重用するつもりなのだ。ならばおれは裏切られても、窮地に陥らないように手を打つまで。


「はっ! 姫ならあやつを使いこなせるかと」

「うむ。危険な男であるのはわかるが刀と同じなのじゃ。よう斬れる刀は敵もよう斬れるゆえ、自らを守ることになる。使いようを誤れば怪我をするが、誤らなければよかろう」

「はい。注意すれば問題ありません」

「うむ!」

 信長ちゃんは、松永久秀のお土産のカステーラ片手にニンマリご満悦顔だ。

 それにしても、気が利くなあ。久秀はお茶うけ以外にも、お土産カステーラを持ってきていたんだな。さすがデキる男だぜ。


「話は変わるが、さこんに褒美をやろうと思ってな」

「はあ、褒美ですか?」

 最近目立った軍功をあげた覚えもない。はて。

「いや、褒美でなくぷれぜんとなのじゃ」

 信長ちゃんが個人的に、おれに何かをくれるようだな。何だろう?


「貰い物ですまぬが、ほら。気に入ったのであろう?」

 信長ちゃんがニコッと差し出したのは、久秀が持参してきた珠光(じゅこう)小茄子(こなすび)

「おーっ! 嬉しい! 実は非常に心惹かれていまして」

「うふふ。持ち主にそれだけ愛されたら名物も本望であるのじゃ」

「ありがたき幸せっ!」


 こうして信長ちゃんからプレゼントの珠光小茄子を貰った。

 史実の滝川一益さんが所領や大きな権限よりも、欲しがった曰く付きの珠光小茄子だけに、非常に感慨深い。

 一益さん良かったね。代わりににおれが貰ってしまったけれど。

「さこん、よかったな。ワシも嬉しいぞ」

 まったくおれの考えることは、信長ちゃんにバレバレなんだよな。

「ええ。非常に嬉しくて感激しております」

「で、あるか! して、話は変わるが日向(光秀)によれば公方(将軍)親子が良からぬ事を企んでる気配を感じる、との事であるのじゃ」

 恐れていたことだがやはり。足利将軍は……マロの口癖ではないが、さもありなんだよな。

「ふーむ。あり得ない話ではないですね」

「公方と戦っても負けることはなかろうが、彼奴(きゃつ)らに乗じて動く輩が面倒なのじゃ」

 足利義藤(義輝)親子は、史実の足利義昭と同樣に『信長包囲網』でも作ろうとしているのだろうか? あるいは新しい後ろ盾でも見つけたのか。

 まったく困ったものだ。


「ええ、そうですね。好き勝手に動き回らないようにはしたいですが」

「押さえ切れぬなら、押さえ切れない場合を考えた方がマシなのじゃ」

 史実で信長は、意向に反した動きを取り続ける十五代将軍の足利義昭を結果的に追放している。ならば、いつ信長ちゃんが将軍義藤を追放しても問題ないように、準備した方が結果的にいいことかもしれない。


 史実の信長が将軍義昭を追放して問題なかったのはなぜか。

「姫は右近衛大将(うこんえのだいしょう)を任官したいですね」

「右近衛大将か……なるほど。武家の頭領の職でもあるし、さこんと対のようで気に入りそうなのじゃ」


 右近衛大将は源頼朝(みなもとのよりとも)が任官して以来、武家頭領の象徴という意味合いがあり、征夷(せいい)大将軍(たいしょうぐん)(将軍)と同等以上の格式を持つ官職だ。有名どころでは初代征夷大将軍の坂上田村麻呂や室町幕府の三代将軍で、強力な政治権力を掌握した足利義満(よしみつ)も任官している。

 現在は前将軍の足利義晴が仏門に入って以来空席で、新将軍の義藤はまだ任官されていない。


 将軍と同等の権威を持つ官職を、将軍義藤より先に任官して奪ってしまう目論見だ。信長ちゃんが右近衛大将に任官されていれば、武家の頭領と見なされる。将軍が存在していたとしても、将軍は形式的に信長ちゃんの配下となるわけ。


 史実でも、信長は足利義昭を追放した後すぐに、権大納言(ごんのだいなごん)兼右近衛大将を任官して、将軍と同等以上の権威を持って『上様』と呼ばれるようになった。

 つまり、足利将軍が存在していなくても、単独で武士政権を立ててしまう狙いがある。織田政権を確立するには、右近衛大将を任官すれば充分な権威付けになるだろう。

 まあ左近と対になるといっても、大将と尉では全く格が違うのだけれど。


「ええ。遅かれ早かれ公方様の周囲で、よからぬ動きがあるでしょう。ならば、姫が右近衛大将を任官できるように動きましょう」

「では、戦乱で押領された禁裏(きんり)御料(ごりょう)を回復する名目で、公儀領から四万石分ほど献上しようかな」

 この辺りが、信長ちゃんのセンスの素晴らしいところ。なるほど、経済的に逼迫(ひっぱく)している朝廷にとっては、大きなエサになるだろう。史実で信長は七〇〇〇石を禁裏御料として献上した例もあるし、江戸時代の禁裏御料は多くても三万石相当だからこの時代なら破格の待遇だ。


「充分かと思います。また日向だけでなく、松永弾正も畿内の動向に強いでしょう。任官の動きと公方様への対策をさせるとよいと思います」

 足利将軍の動きと対応策は、それこそ久秀の得意分野のはずだ。

「うむ! おそらく日向にしても弾正にしても適切な評価をして、恩賞や名誉などを与え重用すれば、決してワシを裏切らぬはずじゃ」

 史実の信長は手痛い裏切りをされているが、史実の信長と信長ちゃんは違うのだ。これまでの人物評価は的確そのものだし、史実の危険人物でも、通常レベルの警戒をすれば問題ない気がしてきた。



次話、史実と同様に室町将軍との対立が決定的に。


3/4(水)1800ごろ 更新予定。


読者の皆さまのブックマークと(最終話の広告の下部分で入力可能)が、創作活動のモチベーションの源になります。


どうぞよろしくお願いします。


里見つばさ

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