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第五話 四面楚歌

 ◆天文十四年(一五四五年)六月二十一日 尾張国 那古野城


 屋敷がまだ用意できていないので、しばらくの間、那古野城の客間に居住させてもらうことになった。

 しかし、寝心地の悪い寝具には閉口してしまうぞ。敷布団がないので畳が敷いてある場所で寝て、掛け布団代わりに綿の入った夜着(やぎ)と呼ぶ大きい着物を羽織るだけ。敷布団と同じく枕もない。寝具のレベルアップが絶対に必要だな。


 現代日本人にとって、慣れない寝具だったものの、慌ただしく忙しい一日だったので熟睡できたのは助かった。予測していたことだが、すべて戦国時代の夢ではなく、目覚めてみれば住居兼仕事場にあてがわれた客間だ。


 現時点での時の流れは、やはり本能寺の悪夢につながっている可能性が高いだろう。

 昔読んだSF小説は、主人公は歴史を修正するために、タイムスリップする内容だった。そして、歴史修正の役目を終えた主人公は、その世界に存在してはならないため命を落とすことになる。


 そんな運命は冗談じゃない。

 とはいえ、現代に戻れる可能性はごくごく低いだろう。なぜおれが戦国時代に来たのかも分からない。

 けれど、本能寺の変につながる運命だけは絶対阻止だ。


 ともあれ、今は急ぎでやるべきことをやるしかない。本日は吉姫こと信長ちゃんは、一日中和歌の修練の予定。早朝から平手爺に強制連行されているので、今後の計画を立てることにした。


 まずは信長ちゃんの置かれている現状を整理しよう。

 信パパこと大殿の信秀は、本拠地を那古野から一里(四キロ)ほどの古渡(ふるわたり)城としている。理由は定かではないが、妻子の殆どを那古野に残しているので、仲のいい側室とゆっくりしたいという噂もあるくらいだ。


 ここ那古野城の城主も信パパだけれど、林佐渡守(さどのかみ)秀貞(ひでさだ)城代(じょうだい)(城主代理)を担っている。この林秀貞は特に注意しなくてはいけないぞ。弟の通具(みちとも)が、勘十郎信行の傳役(もりやく)ということもあり、確実に『信行派』といえるだろう。史実でも林秀貞は信行を擁立する謀反に加担している。

 城の廊下でおれとすれ違ったときも、『うつけ姫が、また馬の骨を拾ってきおったわ』などと、捨て台詞を吐いたくらい。完璧に敵意を向けられている。


 平手(ひらて)政秀(まさひで)爺は傳役(もりやく)だけあって、史実で信長の能力を早くから見抜いたと伝わっている。ただ信長ちゃんが女性だから、美濃斎藤家との婚姻政策を主導しているように、織田家の後継者として考えていない可能性が強い。


 確実に『信長派』といえるのは、信長ちゃんの近習の池田勝三郎(かつさぶろう)恒興(つねおき))と、丹羽(にわ)万千代(まんちよ)長秀(ながひで))の両名だけだ。特に丹羽長秀は、おれ滝川一益と並んで、後の織田四天王と呼ばれる重臣の一員となるだけに、活躍を大いに期待したいぞ。

 ただ恒興は十歳、長秀は十一歳なので、即戦力という意味では無理だ。まるで小学校の遠足だ。


 信長ちゃんの生みの親の、土田(どた)御前(ごぜん)は、育ちの良さそうな和風美人。

『母上は己に似ておらぬワシを嫌っているのじゃ』

 信長ちゃんが寂しそうに口にしていたが、まず味方とはいえないだろう。


 救いといえば信パパこと大殿信秀が、信長ちゃんのことを殊更可愛がっていること。そして、勘十郎信行を後継者と決定していないことだ。

 ただ男親が娘を猫可愛がりするのはよく聞く話だし、信行は信長ちゃんより二つ下のまだ十歳だから、後嗣(こうし)に定めるのは時期尚早、と考えているだけかもしれない。


 まさに周りが敵ばかりの四面楚歌だ。とにかく味方が少ないのは、心細いだけでなく武力も限りなくゼロだからお話にならない。新参者で、知り合いもいないおれ一人の力など吹いて飛ぶようだ。

 史実から考えて『信長派』になる人材はいないだろうか。


 ぱっと思い浮かんだのは、まずは柴田(しばた)権六(ごんろく)勝家(かついえ)。史実で勝家は信行の家老(重臣)となって、信長に一度は謀反を起こす。だが、信長に帰参後は持ち前の武力を生かし、忠誠を尽くして『かかれ柴田』と称される重臣中の重臣となる。


 髭モジャで中年の無骨者イメージが強い勝家は、おれと同じ年の若武者だ。おそらく実績はさほど積んでいないだろう。勝家が信行の配下になる前に、うまく取り込めないか?

 待てよ。

 真偽は定かではないけれど、勝家には信長の妹の市姫に懸想(けそう)していた、というちょっとロリ風の逸話があったな。信長ちゃんに色仕掛けさせてみるという手を打てないか。

 小学六年生の信長ちゃんに、色仕掛けをさせる策を考える自分が、非常に悪人になったような気がする。というか、この考えは完璧に悪人だ。

 実際に勝家が信長ちゃんになびきすぎてしまっても、心情的にかなり困ってしまう。


 色仕掛けはさておき、有力候補の勝家以外に目ぼしい人材といえば、『攻めの三左』こと(もり)三左(さんざ)可成(よしなり)だ。森可成は『森蘭丸の父』と残念な紹介をされることも、かつてはあったようだ。だが実際の可成は、信長の信頼が非常に厚く、政治・戦闘・外交も優秀にこなせる名将だ。

 史実でも、そろそろ信長配下になる時期のはずだし、まずは攻めの三左をなんとか仲間にしたい。


 史実の信長配下には綺羅星のように優秀な人材が多く集まっていたが、現在は他国に仕えている場合、長秀のようにまだ幼い場合、生まれていない場合すらある。

「他に誰がいたかなあ……」


 そんなこんなの人材確保作戦を考えていたところ、不意の来訪があった。

「左近殿、邪魔するぞ」

 平手(ひらて)中務丞(なかつかさのじょう)政秀(まさひで)、通称平手爺だ。


「おや、中務(なかつかさ)様。姫と一緒ではないのですか?」

 この時代に、『政秀』といった実名は、(いみな)(忌み名)といって、気安く呼ぶのは(はばか)られている。通称や官職名で呼ぶのが一般的。

 たとえば、学校や会社で『織田信長様』といった実名は使用せずに、『織田教授』とか『織田部長』と呼ぶイメージだ。


「一服入れがてら、おぬしの様子を見に来たのだ」

「左様ですか……」

 返事はしたものの、さっぱり平手爺の来訪の意図が分からない。信長ちゃんの傳役(もりやく)なので、爺と心の中で呼んでいるが、年は五十前で身長は低いものの、武将らしく引き締まった体躯(たいく)をしている。


「左近殿は確か近江(おうみ)(滋賀県)の生まれであったかな?」

 世間話でもしに来たかと思って、口裏合わせ通りに軽い気持ちで「ええ」と返事をしたところ、仰天してしまった。

 平手爺は眼光鋭くおれを睨みつけて、目にも止まらない速さで、抜刀して切っ先をおれの顔面に向けている。


 斬られる!

 まったく反応ができない。

「な、中務様……いったいな何を……?」

 声も身体も震えている。

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