第五三話 天下布武
◆天文十六年(一五四七年)四月上旬 美濃国 稲葉山城付近
美濃(岐阜県南部)の斎藤家重臣の安藤守就から織田家に誼を通じたい、との文が届いたので信長ちゃんは、即座に美濃制圧の手を打った。斎藤家の主な重臣面々に『来月早々に義弟斎藤道三のため、稲葉山に攻め上るので織田に恭順せよ』との手紙を送ったのだ。
空気や時流を的確に掴む信長ちゃんの外交センスは、凄まじいものがあり舌を巻くほかない。
優秀な当主義龍が亡くなって、跡継ぎは幼少で先行きがまったく不透明。しかも隣国の織田家は、史実より遥かに強大で、戦争となったら全く歯が立たないのは目に見えている。
例外は次期当主の側近などで、体制の変化に伴って美味しい思いをしているごく一部。大多数の家臣にとっては、不安しかないだろう。
文を寄越してきた安藤守就は、西美濃三人衆と呼ばれる西美濃地方の有力者の一人。史実では、知将竹中半兵衛に娘を娶らせたので、半兵衛の義父にあたる。
信長ちゃんの内応を促した手紙の効果は絶大だった。
まず、さきの安藤守就を含めた西美濃三人衆の稲葉良通、氏家直元。さらには、彼らと親しい竹中半兵衛の父の竹中重元、不破光治の計五名が反応した。彼ら五名は、信長ちゃんに人質を出したうえ、恭順する旨の返信を連署して届けてきたのだ。
この手紙を受け取った信長ちゃんの行動はまさに神速。即日中に那古野で、鉄砲一〇〇〇と長槍二五〇〇の兵を編成し、美濃の稲葉山城へ向けて急行する。
信パパ、信光叔父、斎藤道三や恭順の意向を示した五人に対して、稲葉山城への出陣要請をしたのは、なんと進軍の途上という慌ただしさ。
史実の信長も、稲葉、安藤、氏家の三名が、内応する約束をするや否や、出陣して非常に驚かせたという記録が残っているが、史実の信長以上に素早い兵の運用だ。
「尾張と同じくぅう! 美濃にも繁栄をぉお! もたらす為にぃいいい! 稲葉山をぉおおお! 落すぞぉおお! ものどもぉおお! 続けぇええええーいっ!」
出陣式で兵たちを鼓舞する我が信長ちゃんは、白い鎧に赤い陣羽織、髪をおろし白い鉢金鉢巻の出で立ち。おれの愛情フィルターを外したとしても、充分に神々しいだろう。
「うおおおおおおおおおーーっ!!」
大きな喚声で応えた高い士気の尾張兵の様子をみれば、稲葉山の落城は既定事実と思えた。
昨日出陣したわが那古野勢は、稲葉山城のほど近くに陣を構え、諸将の着陣を待機中。おれが地面に腰をおろしてリラックスしているところ、信長ちゃんがやってきた。
「さこんと一緒の戦は久しぶりなのじゃ」
表情はいたって穏やかで落ち着いている。やはり明日の勝利は間違いないだろう。
「ええ、左様ですね。三河以来です」
「ワシは勝てるかな?」
「たいした損害もなく、早々に稲葉山は落ちるでしょう」
「で、あるか!」
ニンマリと笑う信長ちゃんだったが、次の言葉にはぎょっとしてしまった。
「さこんの目には、まことに未来が映るのであるな。ワシのどのような未来が映っているのであろうか」
勘の鋭い信長ちゃんだから、おれが未来記憶を持っている特殊性に、いつ気づくか心配だったが――まずいぞ。かなり核心をついてきた気がする。
いくら信長ちゃんと親密だからといって、おれが現代日本に住んでいた荒唐無稽な話は通じないだろう。それに、本能寺の悪夢については、どう説明するんだよ。
「姫が天下を取り、日ノ本に戦のなき世がくるのが映っています」と、お茶を濁すしかない。
「ワシが天下を取り、日ノ本の戦をなくすのじゃな?」
「はい。姫が日ノ本の戦をなくすのです」
「此度の稲葉山の城を落しても、まだまだ長き厳しい戦も続くであろうな」
「はっ。長く厳しい戦いもありましょう」
「是非もなしである。ワシはこれより天下を取るのじゃ。天下布武じゃな?」
あれれ? 史実の信長の政策を、信長ちゃんが自ら言い始めた。
「はい。天下布武でございます」
信長ちゃんの表情がキッと締まり、目が鋭くなった。何だ? 何を言うつもりだ?
「天下人になる織田吉が滝川左近にしかと命じるッ!」
どうした、信長ちゃん? いきなり命令口調だけど。
「は、はっ!」
信長ちゃんはきっとした少し厳しめの顔つきで
「ワシの天下を見届けるまで死ぬことは許さぬッ! 常に側でワシの天下獲りを助けよッ!」
そう鋭く言い放った。
「はっ!」
「必ずこの命令は守れよ。背くことはまかりならんッ!」
「は、はっ! 必ずや」
信長ちゃんの久しぶりの厳しい口調に驚いて、しどろもどろな返事になってしまっていた。
すると、信長ちゃんがおれの耳にすっと顔を近づけて耳打ちをしてくる。
「たわけッ! 女子のワシが恥を堪えて斯様に言い寄っておるのに、間抜けた返事はなんじゃ?」
そうだ。姫で上司で彼女(仮)の信長ちゃんは、言葉通りに意味を取ってはいけない時もあるんだ。厳しい命令口調だけど、意味するところは『あなたにずっと側にいてほしいの』ってこと。
「おれは常に姫の側にいます。約束しますから安心してください」
「で、あるか!」
満足そうに彼女は微笑んでいるが、頬を赤く染めている。珍しく信長ちゃんが照れているようだ。自分の言葉に照れているのか、おれの言葉に照れているのか分からないけれど。
『厳しいところからこのデレへの落差がたまらないんだよ。この落差が。おまえは知らないだろうがな』
信長ちゃんのそっくりさんで、お淑やかな妹の祥姫を娶った柴田勝家に、心の中で自慢した。
◇◇◇
翌日の早朝から続々と着陣した美濃の諸将は「殿の厚情は、生涯忘れませぬ」などと、口々に人質不要の旨を各将に伝えた信長ちゃんに、最大限の感謝の意を示す。
稲葉山城に攻め寄せる旗印によって、美濃の実力者の多くが寄せ手に加わっているのを知って、城主の斎藤利治と後見役の日根野弘就は、そもそも抵抗の意志に欠けていたようだ。
稲葉山城を包囲後に、織田鉄砲隊が一斉射撃を行なうと、大量の鉄砲に驚いたのだろう。前国主の斎藤義龍の生命を奪ったのも、織田の鉄砲隊による射撃なだけに恐怖心が染み付いてるのかもしれない。射撃が終わるや慌ただしく白旗を掲げて、日根野弘就が恭順の意を示し開城してきた。こうして、昼前には稲葉山城攻城勢戦は、あっさりと終わりを告げる。
おれを含めた那古野の主な将と、信パパ、斎藤道三は開城した稲葉山城を接収するために、稲葉山(金華山)の急な斜面を山頂へ向かって登った。現代ではロープウェーを利用するほど急峻な山頂からの、四方に広がる眺めは非常によく、日光を反射してキラキラと輝く長良川が印象的。
「これから美濃も尾張同様に繁栄するため、城と町の名前を縁起の良き名に変える。みなのもの! これより、この地を岐阜と呼ぶように」
「おおおっ!」
出陣前に、かつての教育係だった沢彦和尚に、既に命名してもらっていたのだろう。高らかに史実と同じ新地名を宣言する信長ちゃんだ。
史実で稲葉山城を落とした信長は、この稲葉山を岐阜と改名後に本拠を移す。
だが愛しの信長ちゃんといえば「眺めもよく守りやすき城のように思えるし、平地も広く町も広げられそうなのじゃが……」と、言葉を濁してどうにも歯切れが悪い。
「些かワシの琴線に触れぬところがあるのじゃ」
さすが、我が信長ちゃん、鋭いぜ。
堅城のように見えるが、岐阜城は史上五回も落城している。あるいは長良川が近く洪水の懸念をしたのか、将来の岐阜市と名古屋市の未来を予見したものか不明だけど、せっかく改名した岐阜の地に、信長ちゃんはさほど魅力を感じなかったようだ。
岐阜城守備のため、鉄砲隊五〇〇、長槍隊一五〇〇を、柴田勝家と橋本一巴および斎藤道三に任せると、早々に陣払いをして那古野に帰る命令を下した。
次話、信長ちゃんは部下を引き連れて京都へ向かいます。
2/15(土)06:00ごろ 更新予定。
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里見つばさ




