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第四.五話 尾張のうつけ姫の恋【織田吉】

 ◆天文十四年(一五四五年)六月二十日 尾張国(おわりのくに) 那古野(なごや)城 織田(きつ)


 わたしは女子でありながら、男子の格好、男子の口振りをしている。もちろん理由はある。


 物心がついてからは、父信秀は戦場に(おもむ)くことが多かった。

 平手(ひらて)政秀(まさひで))の爺に、「父上はなぜ戦をするの?」と訊ねると、「殿は尾張のために戦をしているのですよ」と教えてくれた。

 そうか。父上は尾張のために戦うのか。


 わたしは、誰のために戦えるのかな。

 よくべそをかいている、二つ歳下の勘十郎(かんじゅうろう)(信行)が困っていたら、助けるために戦えるぞ。

『吉は賢いな』と優しく褒めてくれて、ときには戦で傷を負ったりしている父上のためならもちろん戦えるな。


「父上は尾張で一番偉いから、尾張のために戦わなくてはいけないの?」と爺に尋ねる。

「尾張で一番偉いのは武衛(ぶえい)斯波(しば)義統(よしむね))様です」

 意味が分からない。まだまだ学びが足りないのかな。


「尾張で一番偉いわけではないのに、なぜ父上は尾張のために戦うの?」

「殿は尾張で一番強く、武衛様の部下の大和(織田信友)様の部下だから戦うのです」

「一番偉いブエイやヤマトが尾張のために戦えばよいのに」

「いろいろな事情があって殿が戦っているのですよ」

 どうにも腑に落ちない。

 いずれにしても、尾張で一番偉くなくとも父上は尾張のために戦っているのだ。父上は偉いな。

 様々な事を学んだら、兄者(あにじゃ)(信広)のように父上を助けられるのだろうか。


「わたしが兄上のように父上を助ければ、父上も楽になるのかな?」

「吉姫様は戦わなくてよいのです」

「父上を助けるために孫子も軍略も学んでいるけれど、それでは足りないの?」

「吉姫様は女子ゆえ戦わなくてよいのです」


 そうか。わたしが女子だから悪いのだ。では男になればよい。

「爺! ワシが男子であればよいのじゃ!」

 こうして男の格好と男の口振りをするようになった。


 母上は、男の格好をするようになったわたしを見ると、露骨に顔をしかめて「いったい誰に似たんだか」などとおっしゃる。

 顔の輪郭は母上に似ているけれども、母上の目とわたしの目は似ても似つかない。


「吉姫様も目が小さければ奥様に似た美人なのに……」と母上の侍女が、陰口を叩いているのは知っている。

 そうか。母上に似ず目が大きいので、わたしは不美人であるのだな。

 だが男子であれば、不美人であっても構うものか。


『責ある者はなさねばならぬ』

 やはり、ブエイは尾張のため戦うべきだ。

 それが道理であろう。

『なし得る者は責を負うべし』

 ブエイが尾張のため戦えぬなら、父上が尾張を治めるべきだ。

 それが道理であろう。


 道理が通らぬのは不自然だから道理を正さねばならぬ。

 わたしは何ができるだろう。

 槍働きは非力であるから劣るが、父上に従順なだけがとりえの信広兄者より、きっと戦は上手くできる自信がある。戦は兵を率いたり、謀略や調略で勝つのだ。非力であっても構わない。


 こうしたわたしを、母上は「なんと恐ろしや。まさにうつけよ」と評している。

 うつけで結構。うつけとは異端だ。

 異端だからこそなし得ることもあるだろう。

 否。異端でなくては、なし得ないこともあるだろう。


 うつけであるから異端であるからこそ、常人を超えた事跡を行えるはずだ。

 暇を見つけては、尾張の野山を駆け、戦を想定した目を磨くのだ。目で見た川の流れと実際の深さとの違いや、田の広さと米の収穫高の関係など。

 自慢の大きな目を磨いて、うつけでなくては見えぬものを見てやろう。


 孫子にも己を知らなければならぬとある。

 わたしは非力な女子でうつけ姫だ。

 非力な女子ができることなどたかが知れる。

 わたしには力が必要だ。うつけの言葉を理解できる男が必要だ。

 うつけの言葉を理解できるなら、()の者もうつけであろうな。


 うつけの心のせいか知らぬが、わたしは勘が鋭い。

 ふとした拍子に、うつけの男が見つかりそうな気がする。

 うつけの男と一緒に、世の道理に反する事を正していけば、父上も楽になるはずだ。


『殿方を慕う心を恋と申しまして、女子の自然な心向きですよ』

 いつかの侍女の言葉を思い出す。

 まだ見ぬうつけの男に思いを馳せる。

 なるほど。これが恋であるかもしれぬ。

 

 ふっ。うつけ姫の恋か。自嘲した。

 うつけの、異端の恋であるから、経過も結末も異端であるだろうな。

 おおいに結構だ。異端の恋の行く末を見極めてやろう。


 快晴だ。馬を走らせたくなった。

 嫁入り修行の和歌の修練などやっていられるか。わたしが嫁入りするならば、夫はまだ見ぬうつけの男であって、蝮の息子の斎藤新九郎(義龍)のはずがない。美濃へ嫁入りなどしたくない。


 乳兄弟で近習(きんじゅう)の池田勝三郎(かつさぶろう)恒興(つねおき))を呼ぶ。

「カツ! ひとっ(ぱし)り行くぞ!」

「はっ」

 しばし遠駆けしてこよう。ふとした予感があるから。

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