表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

55/130

第四四話 危機

 ◆天文十五年(一五四六年)三月中旬 尾張国 比良城付近


 信長ちゃんが興味津々だった大蛇捕獲はできなかったが、おれは比良城周辺を見回ることにした。池の付近は小さな川があり、田畑がありと、現代日本ではなかなかお目にかかれない長閑(のどか)な風景。小川はおそらく伊勢湾に注ぐのだろう。

 日本国内の太平洋に注ぐ川ならば、実はたいていの場合ウナギが()んでいる。現代日本で、おれは釣りを趣味としていて、ウナギも狙って釣ったりしていたものだ。

 (さば)くのに非常に難儀だが、旨味がたっぷりで風味よく、脂の乗った天然ウナギの蒲焼は、別格の美味さだ。信長ちゃんにも、美味しいウナギを、ぜひ食べさせてあげたい。美容と健康にきっと効果があるはずだ。


 ウナギを思い出していたら、久方ぶりに釣りをしたくなった。だが実際に魚釣りをするなら、この時代では針と糸が問題になってくる。現代の釣り針のようなミリ単位の高精度の鍛冶仕事が、簡単にできるとは思えない。それに鍛冶の労働力は、まずは鉄砲に使うべき。釣り糸に関しては確かテグスといって、野生の蚕の(まゆ)を作る直前の幼虫から、細く透明で強い糸が採れたはずだけど。

 なので残念ながら、釣りはしばらくお預けになってしまうな。ウナギは古く奈良時代の万葉集にも記載があるから、漁師が獲る方法をきっと知っているだろう。罠か網を利用するんじゃないかな。


 那古野周辺で、ウナギが獲れるならウナギ料理を開発したい。確かメジャーなウナギ料理の蒲焼は、江戸時代がルーツだからかなりの先取りになるぞ。

 現代の名古屋名物――ひつまぶしは、ご飯の入ったお(ひつ)に、小さく切ったウナギの蒲焼を乗せたもの。そのまま食べたり、ネギやわさびなどの薬味を混ぜて食べたり、出汁やお茶をかけたお茶漬け形式で食べたり、と様々な食べ方で楽しめる料理で大好物だった。

 初夏の土用の丑の日前後には、久し振りにひつまぶしを食べたいぞ。


 蒲焼といったら、タレが重要だ。醤油、砂糖、酒などを混ぜたもので、焼いたウナギの骨を煮出すとそれっぽい味になると思う。

 醤油については、味噌を作る工程でできる味噌たまりで代用できるはずだ。

 そうだ。醤油についても生産法を確立したいな。きっと料理に重宝するだろう。


 砂糖については、信長ちゃんが大好きなぜんざいにも使用するので、輸入に頼らず醤油と同じく自国で生産したいところ。温暖な土地でサトウキビを栽培するか、稲作に向かない土地で栽培できる甜菜(てんさい)という野菜から、砂糖が作れるはずだ。


 米を作りにくい土地といえば、蕎麦(そば)栽培も奨励しよう。飢饉(ききん)に備える救荒(きゅうこう)作物としても有効活用できるはずだ。この時代の国力は人口に直結している。飢饉による餓死者を失くすためにも、救荒作物の栽培は急務だ。

 蕎麦以外の救荒作物としては、カロリーたっぷりなジャガイモやサツマイモも利用したい。ただ、どちらも現時点では南蛮船の輸入頼みになる。

 唐辛子やコーヒーなど嗜好品も、南蛮貿易で手に入れたいぞ。


 うなぎ料理から始まって、食事の充実を夢見て甘い幻想に浸っていたところ、バシッと頬を張られて現実に引き戻された。

「うぁああ!! 何だ!? 何だ?」

 硬い何かが顔面に当たり、(まと)わりついた。腕を大きく振って必死に硬い物体を振りほどこうとする。だが物体が身体から離れるどころか、身体全体が背中の方向に強引に引っ張られた。


「こらァアーッ! やめろォオ!」と叫んだものの、ぐいぐいと力任せに思い切り引っ張られる。

 どうやら、太い紐で編んだ大きな網を頭から被せられているようだ。刀で網を切って脱出しよう、と必死にもがくも無駄だった。

 五、六人がかりで取り押さえられ、身体に被せられた網ごと、縄で厳重に縛りあげられてしまった。身動きできなくなったうえ、大事なプレゼントの大小の刀も取り上げられてしまった。


「刀はやめろ! その刀は……お願いだっ!」

 無駄だと思っても懇願せざるを得なかった。だが、当然のことながら返事はない。怒りが湧いてきた。

「この尾張で狼藉(ろうぜき)の振る舞い、許されると思っているのか!」

 もちろん暴徒は無言のまま。

 迂闊だった。脇が甘かった。もう少し身の回りを警戒すべきだった。

 尾張の治安の良さや、信長ちゃんに浮気を許してもらったうえ、いちゃいちゃしたという、久方の多幸感に浮かれていたのだろう。悔やんでも悔やみきれない。


 数名がかりで、手足と胴体を持ち上げられ放り投げられた。硬くて平たい場所に全身がぶつかった衝撃が、非常に痛くて息苦しい。耐え忍んでいたところ、目を隠され口にも太い紐が結ばれてしまった。

 全力でもがき暴れるも、数名で厳重に押さえつけらたので全くの徒労に終わる。


 しばらくして、ぐらぐらと身体が激しく大きく揺さぶらるようになった。

「えっほ! えっほ!」といった声と荒い息遣いが聞こえる。

 輿(こし)(かご)のようなもので、どこかに運ぼうとしているのだろうか。

 揺れですっかり酔ってしまって、気分が悪く吐きそうだ。

 こいつらは一体何者だろう。誰の指図でおれを拉致するんだろう。

 おれの存在が邪魔なヤツ。心当たりは結構ある。

 この時代に来て最大のピンチだ。三河の戦でも感じなかった恐怖に全身が粟立つ。


 この状態からどのように脱出するか。いずれにしろ、体力を温存しておかなければならない。

 とは思うものの、揺れは激しくさらに酷く酔ってしまった。


「停めてくれエッ!」

 叫んだつもりだったが、紐を口に噛ませられているため「モゴモゴもゲぇ」といった、くぐもった音しか出せなかった。


 ◇太田牛一著『公記現代語訳』二巻より抜粋


 あるとき、信長様が佐々与左衛門(成政)の領地の比良に大蛇が出るという噂を聞きつけ、与左衛門、滝川左近(一益)、柴田権六(勝家)、筆者などを連れて、比良の地を見回りなさった。

 あまが池に大蛇が出るとのことなので、付近住民が大蛇に食われては大変だろうと考えて、信長様は大蛇の捕獲を命令なさった。


 佐々与左衛門が付近の住民を集め、池の水を掻きださせたものの、大蛇の姿は見えなかった。そこで、佐々与左衛門と柴田権六が池に潜って探したが、一向に大蛇は見つからなかった。

 比良に同行した滝川左近が、その夜に城に戻らなかった。信長様は左近が足を滑らせて池に落ちて、大蛇に食われてしまったのではないか、と大変悲しみ心配なさったということである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ