第四二話 今後の楽しみ
◆天文十五年(一五四六年)三月中旬 尾張国 那古野城
愛しの信長ちゃんと、ひとまず和解もできてほっと一安心。おれは通常業務を終えた後、自分の屋敷に戻って今後の方針などを考えていた。和解もなにも、おれの浮気を寛大に許してくれた、というのが実情であるが。
現状で尾張(愛知県西部)と三河全域(愛知県東部)を、実質的に手中に収めた織田家の実力は相当なもの。
尾張が約五十八万石、三河が約三十万石。三河は全て直轄領ではないので、単純計算はできないけれど、合計で約八十八万石。一万石あたり三〇〇人の単純計算ならば、二六四〇〇人の動員数は相当に大きい。日本国内屈指の勢力と言っていいだろう。
史実の信長は、桶狭間の合戦当時は尾張全土をほぼ手中に収めた状態。約五〇〇〇の兵力で今川義元を破ったと言われている。石高に対して兵力が少なかったのは、強敵の義元と対戦する際に、おそらく国人衆(豪族)の全てを掌握できなかったため。
ともあれ尾張統一がなったいま、今後の具体的な方針を信長ちゃんと決定しなくてはいけない。
がたがた……だーんっ!
お待ちかねの信長ちゃんがいらっしゃったようだ。
「さこん! ともにぽかぽかしようぞ」
信長ちゃんは好物のぜんざい持参でご機嫌な様子。
「おれも姫と話がしたいので待っておりました」
「ほー!? さこんがワシを待っていたとな?」
「はい。今後の目標を立てねばならぬゆえ」
「なるほど。さこんは何を決めたいのじゃ?」
「いかにして、世の戦をなくすか、その手法についてでございます」
「ワハハ。そうじゃな。京を押さえて我が織田家が、日ノ本の政を取り仕切ろうと思う」
ぜんざい茶わんを片手にご満悦顔の信長ちゃんだが、やろうとしていることは、史実の信長と同じなわけだ。
さすがだよ。
彼女が自ら、上洛作戦を言い出したので、説明する手間が省けた。
「素晴らしき考えですね。されば、京への道筋はいかがいたしましょう。今川も気になります」
史実の信長は、美濃(岐阜県南部)から近江(滋賀県)を経て京へのルートを確保した。
「お歯黒(今川義元)は強いゆえ、わざわざ戦を求めずともよかろう。和を結べるなら結ぶか。美濃は蝮の息子(斎藤義龍)が動いてからじゃ。
伊勢(三重県)は一つに纏まっておらぬゆえ、機を見て貰っておきたいのじゃ。近江も京に近いゆえ貰いたいところだが、名目がないゆえ後ほどいずれだな」
素晴らしい外交センスだ。
今川義元の現状は関東の北条氏との抗争に手一杯とはいえ、駿河と遠江(静岡県)を完璧に掌握している。動員数は最大一五〇〇〇前後と侮れない。
史実と異なり、織田家の国力は今川家より遥かに優勢。だが、今川家は家柄も充分で容易ではない敵だ。
今川軍が尾張に進出した際に発生した桶狭間の合戦は、かつては上洛作戦説が有力だったが、現在はほぼ否定されている。尾張の領土確保のための軍事行動説が有力視されているのだ。織田家の国力が今川家を上回っている現状で、義元マロが単純に織田家との合戦を求めるとは思えない。
織田家は、国力増強後に京都へ進出する方針だから、当面の間は三河の東側が安全ならば問題ない。
美濃の斎藤家については、道三の長子義龍が道三の実子ではない、との噂がある。そのため重臣にも、道三派と義龍派の勢力争いがあるようだ。道三との政略結婚が決定したばかりだから、しばらくは様子見の予定。だが、いずれ道三派と義龍派に争いが発生する見込みが強い。その時点で介入を行うのが、信長ちゃんとの意見の一致をみた方針。
伊勢は意外といってはなんだが、五十数万石もある豊かな土地。小規模な国人(豪族)領主が多いため、各個撃破すれば攻略もさほど難しくはないだろう。しかも伊勢を獲れば、美濃を経由せずに近江へ抜けられる。
だから、伊勢では情報収集を行い、チャンスを覗って拠点確保を行う方針だ。
近江は八十万石近いとても豊かな土地。ぜひともいずれ手に入れたいが、現状は六角氏と浅井氏の勢力範囲で攻め込む名分もなく尾張に隣接してもいない。だから近江へ進出するのは、美濃か伊勢を確保して以降の作戦となる。
「はっ! よき考えですね」
「うむ! 他に気がかりはあるか?」
「那古野の地に、店を出すのはいかがでしょう。総技研(=総合技術研究所)にて作りたる物を売ればよいかと」
経済を発展させる政策の一環だ。那古野は人口が急増中だし、取引所があるので他国の商人も多く訪れている。
作った商品の需要は十二分にあるはず。
「なるほど、それは面白いな。早速すすめよう」
「ええ。実に楽しみです」
「わはは。楽しみじゃな。すこっぷやこたつなども売ったら飛ぶように売れるだろう」
「きしめん、ひつまぶしや味噌カツなども売りたいものです」
後世の名古屋名物を思い出して提案してみた。食生活をもっと充実させたい気も充分にある。
「必ずや那古野の万人が喜ぶ料理でございます。きしめんは麦を使った麺。ひつまぶしはうなぎの料理。味噌カツはぶた……いえ猪料理でございます」
いけない。現在はまだ、養豚は一般的ではなかったんだ。
「さこんは、戦や政だけでなく、料理にも詳しいのであるな。ワシも食べたいのじゃ」
「ええ、もちろん。乞うご期待です」
もちろん、信長ちゃんには真っ先に食べてもらわないと後が怖い。
ふう。これではまるで『信長公の料理人』だな。現代でドラマにもなったマンガを思い出す。
食の充実もまた、今後の楽しみな計画の一つだ。気合を入れて実現させよう。
――まずは今後の外交方針。
今川義元とは、さんざん信パパと戦った過去の経緯もあるので、難しいかもしれないが、和平を結べるなら結びたいところ。それに、既に多羅尾光俊に依頼しているが、遠江(静岡県西部)で湧いているアレを手に入れたい。
ひとまず、美濃は斎藤家の動向を注視しながら静観。
伊勢へは、スキを見て積極的に介入し進出する方針。
――そして織田家直営店について。
未来知識を利用して、総技研で開発した物を、商売にするという案だ。尾張の名産品にもなるだろうし『織田家御用達』のブランディング効果も見込めるかもしれない。
諜報衆の多羅尾光俊にも、総技研に人を回してもらわなければな。武器も重要だが行軍食も何とかしたい。
総技研の所長には、丹羽長秀が就任している。鍛冶職人、木工職人、甲賀衆などを取り仕切って、うまくやってくれているようだ。
ほんとに何でもできるヤツだよ。素晴らしいぜ。ついでに、シェフにもなって料理を作るのはどうだい?
ともあれ外交方針も決まったし、念願の織田家直営店の許可ももらえたし、何より信長ちゃんと仲直りできたのが大きい。これから多忙になるとはいえ、とても気分がよかった。
だけど、調子に乗って浮かれていると、またろくな事にならないから、慎重に行動しなければ。
自分を戒めよう。
今後の戦略を信長ちゃんと決定したので、具体的な手配や対処法に頭を悩ませていた。信長ちゃんは、ぽかぽかこたつでうとうと。
そんなとき不意に来訪があった。
とんとんっ!
この控えめなノックはまさか! 祥姫だろうか。信長ちゃんと鉢合わせは、とても気まずいぞ。
入り口に駆け寄って引き戸を開けると、果たしてそっくりさんの祥姫だった。
「左近殿……うふふ。また来てしまいました。ああ……姉上が来ているのですね」
祥姫は信長ちゃんの気配を察してくれたようだ。よかった。
少なくとも二人が揉めることはないだろう。
だがここで彼女には、はっきりと言わなくてはいけないぞ。
「ええ。姫のことを考えますと、今後祥姫様とおれは、会うのをやめたほうがいいと思います」
意を決して祥姫に告げる。
「左様ですか……」
祥姫は、寂しそうで悲しげな顔だ。
信長ちゃんに別れを告げているようで、とても心苦しい。だがここで、きっぱり言わなければ、また同じことになってしまう。
「祥姫様、斯様な仕儀になってしまい、まことに申し訳ない」
祥姫にしっかりと頭を下げる。
「左近殿、謝らなくて結構ですわ。そもそも騙し討ちのようなものでしたし、姉上に恨まれるのも心外です。それに……」
騙し討ちという言葉は悪いが『こうすれば、姉上になれます』と言って、姿形や口調まで一緒というのには、まったく抗えなかった。
まったく自分の不甲斐なさを感じる。
「それに?」
祥姫が何を言おうとしているのか、気になって続きを促す。
「――それに実はわたし、家中のさる方との縁談が進んでおりまして……左近殿とは似ておりませぬが、強くて頼もしきお方です」
「それはそれはめでたき事ですね。おれも安心しました」
「左近殿に、そのように言ってもらえると嬉しいです。姉上に見つからぬうちに失礼します」
そう言い残して、祥姫は行ってしまった。
ほっとした。安心した、という気持ちが大きい。
ずるいようだが、祥姫の縁談が進んでいるのなら、彼女とおれとの関係は全くなくなるだろう。
おれは、姫で上司で彼女(仮)の信長ちゃんとの関係を悪くしたくはないのだから。肩の荷が下りた気がする。
「さこーん!」
おっと。呼ばれている。
「は、はっ! しばしお待ちをっ!」
慌てて信長ちゃんのもとへ小走りで戻る。
「また湯殿を借りて、温まりたいのじゃ」
信長ちゃんはこたつだけでなく、屋敷に設置してある湯殿も気に入っている。
最初は、この時代普で一般的な蒸し風呂でなく、湯に浸かる湯殿も珍しかったのだろうが、すっかり湯に浸かる行為自体を気に入っているようだ。
お小遣いをはたいて、ヒノキ風呂にした甲斐があったな。
「湯に浸かるのが、斯様に心地よいとは知らなかったのじゃ。うふふ……さこんもともに入るか?」
なんとも大胆な事を言い出したぞ。もちろん興味がないとは言えないが。祥姫との一件もあるし、ここは自重の一手だ。
「そ、その儀はいずれ後に……」
「フン。さこんにワシの身体が物足りぬ、と言われてしまうのも口惜しいのじゃ」
信長ちゃんはプッと頬を膨らます。つるでぺたの一件をまだ気にしているみたい。
「姫の身体が物足りないなんて、まったく思っていませんよ」
同等の祥姫の身体を知っているし、その祥姫の魅力に溺れかけていた自分を知っている。
「で、あるか。ならよいがな。しかし、温泉とやらはこの湯殿より心地よいのであろう? 温泉を楽しみたいものじゃ」
以前ちらっと話した温泉のことを、覚えていたのだろう。わくわくした興味津々の表情だ。
温泉旅行もいいな。尾張近辺だと、下呂温泉(岐阜県下呂市)が現代日本で有名だった。歴史も古い名湯だから、既に湧いているかもしれないぞ。多羅尾光俊に調べてもらおう。
温泉も今後の楽しみな計画のひとつだな。
部下を引き連れての慰安旅行も最高だな。肉体疲労にも効果があるだろう。きっとみんなも喜んでくれるはずだ。
読者の皆さまのブックマークと評価(広告の下部分で入力可能)が、創作活動のモチベーションの源になります。
どうぞよろしくお願いします。
里見つばさ




