第四〇話 陥落
◆天文十五年(一五四六年)三月上旬 尾張国 那古野城
招かれるままに、そっくりさんの祥姫の横に座ると彼女は切り出した。
「左近殿、本日は姉上の用事が第一でした。ですけど、わたしは心の中で左近殿と早く二人きりで、お話する機会を待ち望んでいたんですよ」
祥姫が二人切りで話したかっただと?
まさか、妹ちゃんがおれに気があるのか?
いずれにしても、彼女の思惑が分からないので、オウム返しに尋ねる他はない。
「え? 某と二人きりで話したいと?」
「ええ。左近殿には、美濃との縁談を反対いただいたお礼を、しっかりと申し上げたいと思っておりましたし……」
「いえいえ。お言葉だけで充分です」
祥姫こと妹ちゃんには、昨年秋におれとの縁談が持ち上がった。もし信パパにイエスと答えたならば――妹ちゃんとおれは結婚してはずだ。そうなると今頃は、美人な妹を娶った義弟の立場で、おれは信長ちゃんの尾張統一を支えていたのだろうか。
そうした縁もあるし、愛しの信長ちゃんと顔や声がほぼ同じだけに、妹ちゃんには親近感も充分覚えている。だから、いずれ戦乱の地となるはずの美濃斎藤家と彼女との縁談には反対したんだ。
それにつけても、こたつでぽかぽかを堪能している祥姫の笑顔は、信長ちゃんと瓜二つ。きっと女性の格好を信長ちゃんがすると、いまの彼女とほぼ同じ表情になるだろう。春とはいえまだ夜は冷えるしな。
祥姫も信長ちゃんと同じく、ダメ人間になりかけてるぞ。やはり姉妹だ、と何ともいえない心地良さを感じてしまう。
「うふふ……姉上が羨ましいですわ」
女性は冷え性が多いと聞くし、こたつの魔力に妹ちゃんもすっかり陥落したようだ。
「ああ、こたつは心地よいでしょう。姫も大のお気に入りです」
「いえ……こたつだけはありませんよ?」
「え? こたつだけでないと仰いますと?」
祥姫の真意が分からず問い返す。
「左近殿と一緒にぽかぽかを味わえる姉上が羨ましい……」と、妹ちゃんがもたれかかってきた。やっぱり信長ちゃんと祥姫は双子に違いないだろう。かすかに漂う若い女性の体臭は、信長ちゃんそのものだ。
それにしても、このシチュエーションはまずい。まずいとは思うものの、織田家の姫様をあからさまに撥ね退けるのも論外。
もしかすると、妹ちゃんがおれに好意を示しているのか?
いや待て。彼女とは接点がそれほどあったともいえないぞ。単なる結婚願望だろうか。
さらに祥姫は「わたしにも良き縁談があるとよいのですが」と上目遣いの縋るような表情だ。
信長ちゃんとまったく同じ表情で反則だろ。理性が働かず、だめになってしまいそう。
祥姫は信長ちゃんの姫バージョンだから、おれの好みには間違いなく、彼女との結婚生活を妄想したほど。
だが本能に抗うように、なんとか言葉を絞り出す。
「祥姫様、お、おれは……その……」
「わたし、左近殿のように頼もしき男性の元に嫁ぎたいと思っておりました。ですから、左近殿がわたしとの縁談を断られたと聞きまして、大変口惜しく思いましたのですよ」
姉とタイプはかなり違うけれど、これまた直球な告白だよな。信長ちゃんと同じDNAのせいで、おれに好意を向けているのだろうか。いや、そんなことよりも、この流れはまずい。実にまずいぞ。
「某が縁談を断ったのは、祥姫様に他意があったわけではありませんよ」
「左様ですか。それならば嬉しいのですが」
柔らかい口調の祥姫の言葉がくすぐったい。信長ちゃんの丁寧で柔らかな口ぶりも聞きたいと思った。
というよりまず、客観的にみれば妹ちゃんとラブラブな状況を、何とかしなくては。
「もちろんですとも。祥姫様との縁談は某にとっても願ってもない良縁です。ただ、新参者が姫様を娶りますと、家中に要らぬ混乱を招くかと思いまして、泣く泣くお断りしました」
どう考えても苦しい言い訳だけど、こんなところで許してください。
「姉上は左近殿のことを、とても好ましく思っているようですが、左近殿も姉上の事を好ましく思っていらっしゃるのですか?」
当然姉妹だから、信長ちゃんのおれに対する気持ちはバレてしまうよな。
「吉姫様のことは、大変慕っております」
かなり苦しい答えだが嘘ではないな。
「うふふ……妬けますわね。ところで姉上と左近殿は、なんと申し上げてよいのやら、いわゆる『いい仲』なのでしょうか?」
そして、また質問である。
しかし信長ちゃんといい、信パパといい、この祥姫といい、ド直球の答え難い質問してくるのは遺伝なのか。勘弁してほしい。
「いわゆる『いい仲』ではありませんが、親しくさせていただいてるのは確かです」
うん。嘘はついていないよな。
「姉上の恋路を邪魔するつもりはありませんが、姉妹ですから似ているのでしょう。わたしも左近殿のことを、たいへん好ましく思っておりますのよ」
これまたストレートな告白と同時に、祥姫がおれをしっかり抱き締めてきた。
祥姫が信長ちゃんのように思えて気分が高揚してくる。しかし、この展開はまずい。信長ちゃんがふらりと入ってくる可能性もゼロではない。
ただ禁欲生活が続いたせいか、どうにも本能が勝ってしまいそう。これはいけない、非常にまずいぞ。
「祥姫様、そ、某は……」
「あらあら、左近殿。怖い顔つきをなさって……姉上のことを気にされているのでしょう? 大丈夫。姉上は疲れた、といって早く休んでいます」
図星だった。
『さこん。らぶらぶな気分なのじゃ』
祥姫には申し訳ないのだが、信長ちゃんの顏や声がちらついて、どうしようもなく罪悪感で一杯だった。信長ちゃんがこの場に来る可能性は低いとはいえ、なんとか話題を変えたい。
いくらそっくりだとしても、信長ちゃんではないのだから。
「あ、祥姫様。そういえば姫の忘れ物とやらは?」
「姉上の忘れたのはコレ。もう見つけましたよ。うふふ……。それに、わたしもコレを使えば、姉上になれますわ」
妹ちゃんは懐から平たい紐を取り出して、ささっと髪型をポニーテールにする。微笑む彼女の姿は、確かに信長ちゃんそのものだ。
「姫……」
「さこんは、ワシのことを好いておらぬのか?」
信長ちゃんを真似た祥姫の口調は、本物とまったく区別がつかない。
「おれは姫のことが大変好きです」
信長ちゃんに答えたつもりだった。
「ワシも、さこんのことが大好きなのじゃ。お互い好きであれば、斯様な事は自然であろう」
いきなり、唇を唇で塞がれる。
おれは、祥姫でなく信長ちゃんを抱いているんだ。信長ちゃんの真っ直ぐな気持ちを思い出して、自分に何度も言い聞かせた。ダメだ。もう自分を止められない。
「うふふ……姉妹だから同じなのでしょう。わたしも左近殿の温もりを感じたいの。夫婦になるはずだったのですから。身体も顔も姉上と同じですよ」
薄暗い闇の中に、ぼうっと白く浮かびあがった信長ちゃんと同じであろう細い裸体は、おれの理性を陥落させるのには充分に魅力的だった。
「姫、最高に綺麗です」
「さこんもワシを好きなのであれば、抱いてほしいのじゃ。」
信長ちゃんの髪型や口調を真似た祥姫は、本物にしか思えない。もう我慢ができない。
「姫、素敵です」
彼女を強く抱きしめて、本能の赴くままに一つになる。自分の身体で、姫の体温を感じながら貫いた。
おそらく祥姫は、男性経験がなかったのだろう。はじめは苦痛に顔を歪ませはしたものの、やがて喜びにあふれた笑顔を返してくる。天にも昇るほどの気分だった。最高にきれいだ。
「さこんとこうして抱き合いたかったのじゃ。さこん、嬉しいぞ……」
「おれもこの上ない気分です」
かなりの後悔と罪悪感を感じたが、祥姫との関係は、信長ちゃんとの夜をたやすく想像できて、戦国時代にきて最高の幸福感をもたらす。
◇◇◇
「さこん殿、わたしはこれにて。もちろん姉上には口外しませんので、心配はご無用です」そう言い残して祥姫は去っていった。
久しぶりに欲望に身をまかせた行為の結果、もちろん満足感と多幸感は充分にある。相手は信長ちゃんとDNAが同じ祥姫だ。
だがどう考えても浮気だよな。
やっちまった。信長ちゃん、ごめんなさい。
身体は本能を解き放って快調だったが、肩にずっしりと重りを乗せた気分になった。