第三五話 史実との乖離(☆地図あり)
◆天文十五年(一五四六年)一月中旬 尾張国 那古野城
三河岡崎城(愛知県岡崎市)を予定どおりに落としたので、現在の状況を整理してみよう。
まず史実の流れ。
松平宗家(本家)だった、岡崎城(愛知県岡崎市)の松平広忠が、信パパと対抗するために、嫡子の竹千代(徳川家康)を人質に出す約束で駿河(静岡県東部)の今川家に従属する。その家康が今川義元マロの駿府(静岡市)に護送されるときに、ゴタゴタがあって織田家の人質となった。
その後の第二次小豆坂(愛知県岡崎市)の戦いで、信パパが松平広忠と援軍今川家の連合軍に大敗してしまう。敗戦の影響で信パパは、安祥城の信広兄を救援できなかった。そのため安祥城は落城して、捕らわれた信広兄と家康の人質交換がされる。
やがて、すぐに松平広忠は死んで幼少の家康を旗印に、義元マロは三河に進出する意思を固めた。
当時、今川義元マロは相模(神奈川県)の北条家と激しく抗争中だった。だが信パパが死んだ後に、今川=北条=武田の三国同盟を結ぶ。この同盟により関東の北条が敵ではなくなったため、義元マロは西へ目を向け、三河を越え肥沃な尾張へ進出の意思を固めた。そして発生したのが桶狭間の合戦だ。
一方、この世界の流れはというと。
岡崎城の松平広忠が義元マロに従属する前に、おれが討ち取ってしまった。既に織田家にほぼ従属状態の桜井松平家の松平家次が、見かけ上は弱体した松平宗家(本家)を乗っ取った状態。
それまで松平宗家だった松平広忠の嫡子の家康くんは、すでにお星様なので旗印にはなり得ない。
ならば義元マロには、三河岡崎に攻め入る大義名分がないともいえる。ただ松平家は『十八松平』と呼ばれるほど、分家がゴチャゴチャと乱立している。だから、マロが他の分家を旗印に、三河進出の名分にすることも可能といえば可能。
だが、そもそも義元マロはもしかすると、本当は関東を獲りたかったのかもしれないぞ。現時点で織田家としては、マロに三河や尾張など西へ目を向けてほしくない。そこで、マロの当面の敵の北条家と、仲良くするのも一つの手ではある。
ただ三河全域が、ほぼ織田家の勢力下となったからには、マロも東の北条、西の織田と両面を敵にはしたくないはず。
ならばマロと仲良くする手に、乗ってくる可能性はゼロじゃない。
史実の信長の大ピンチでもあった桶狭間の合戦を、今川家との和議でクリアする手も充分アリなのかもしれないぞ。もう既に史実と大幅に歴史の流れ大きくズレが発生しているので、現在の状況から冷静に判断して行動したほうがいいだろう。
ドラマチックではないけれど、史実と違って信長ちゃんは女子で個人的な武力はかなり低め。桶狭間で『今川治部の素っ首貰い受けるぅうー!』などと叫んで、先頭きって突撃したら、返り討ちにあって逆桶狭間になりそうだしな。
いずれにしても松平分家は、松平家次の家臣にならないならば、潰しちゃった方がいいと思うんだ。三河の火種になりそうなところは、早めに消しておきたい。
三河の安定のためにも、信広兄、松平家次、水野信元の三名には力をつけてもらいたい。そこで岡崎城の合戦の際に、木綿の種を持って行った。
三河では水を得にくい場所も多く、米作に不向きな土地も広大にある。史実でも三河で、木綿の生産はされていたし、おそらく軌道に乗るだろう。
昨年、蚕の真綿で作ってもらったこたつ布団と、寝るための布団も、木綿布団にグレードアップする期待も充分だ。
三河岡崎を落とした機に、三河米も那古野取引所の取扱品目に加えた。きっと長年の信パパ対岡崎松平の戦いで、疲弊した三河の地も徐々に豊かになっていくはずだ。
ちなみに今回の松平家次の擁立に際し、信長ちゃんが出した条件は、岡崎に全ての家臣を住まわせて、国人領主を作らせないというもの。
多少の反対はあったようだが、スポンサーであるし兵を出す強み。強引に押し通した。きっと反対した面々も、後で効果に喜ぶに違いない。
三河の情勢は以上だ。
今川義元マロとの外交関係は、信長ちゃんと相談して決めよう。
尾張に残る強敵は、上四郡守護代の岩倉城の織田信安と、信長ちゃんの従兄ながら、信パパに対抗意識が満々の犬山城の織田信清だ。既に手は打ってあるので、今年中の尾張統一が見えてきたな。
現時点で美濃(岐阜県南部)斎藤家との戦は考えていないけれど、そのうちに豊かな美濃は入手したい土地。だから、緩く友好関係を結びつつ、美濃統治の大義名分がほしいところ。
信長ちゃんが美濃に挨拶をしに行きたい、という打診を斎藤道三にしていたのだが、返事があって『ぜひ会いたい』とのこと。場所は正徳寺でいかが? ですって。
史実で信長は斎藤道三と正徳寺で会談をして、道三が信長の器量を高く評価したと伝わっている。
歴史は史実と違う流れになっているけれど、微妙に史実とリンクするのが面白いというか怖いというか。これが運命というものだろうか。
マムシ対策についても信長ちゃんと要相談だな。
がたがたっ…………だーんっ!
お。当の彼女がやって参りました。
新築の屋敷で引戸も工夫してあるから、軽い力で大丈夫なんだけどな。相変わらずの信長ちゃんの所作の荒さに苦笑してしまう。
ここばっかりは、お淑やかな妹の祥姫に軍配があがるよな。
「さこーん、寒いなあ。こたつで、ぜんざいを食べにきたのじゃ」
とはいえ、彼女が屋敷に来てくれると、やっぱり嬉しい。
「姫、よくぞ参られた」
「うーん。ぽかぽかでぜんざいは格別じゃな」
こたつでお茶碗のぜんざいを食べて、仏の多羅尾のような極楽笑顔の信長ちゃん。だがあえて、ここは厳しくいかせてもらおう!
「マムシの件はいかがでしょう?」
「祥の下でワシも知らぬ桜をやることで話がついたわ。それに祥は、家中に嫁ぎたいと強く望んだでな」
信パパにはいったい何人子供がいるんだよ。こういう時には便利だから助かるけど。先ごろ生まれたお市ちゃんが九女で、あの祥姫が四女だから、おれの知らない妹が四人いるわけか。
「なるほど。それは、なによりでした」
「しばし、待っておれ……」
信長ちゃんは屋敷の入口の方へ小走りで行き、すぐにぜんざい茶碗を持って来て再びこたつに入る。
おかわりしに行ったんだな。
屋敷の入口には待機用の小さな部屋があるので、きっと小姓やお奈津が控えているのだろう。
「姫、そういえば、大杯ぜんざいはやめたのですか?」
ふと気になり尋ねた。
「ワシもな、だんだんと育ってきておるので、童のようなことはやめたのじゃ」
なるほど。色々と気を遣い始めているんだな。でも、おかわりをたくさんしたら、大杯ぜんざいと同じだぞ。
「それにな。昨年より二寸(六センチ)も背が高くなったのじゃぞ!」
頬を膨らませながらのドヤ顔は、以前伝わってしまったツルペタへの意趣返しだろうか。そういえば、去年よりもだいぶ背が伸びている。
「おおっ! それはそれは重畳でした!」
「フン! そのうちに、つるでもぺたでもなくなり、さこんの背を追い抜かしてくれる!」
史実の信長の身長は一七〇センチ前後と伝わってて、この時代としては大男と言っていい。信長ちゃんも、一六五センチぐらいまで身長が伸びるとすれば、あと二〇センチも背が高くなるのか。
信長ちゃんは口ぶりに反しては機嫌のよさそうな笑顔で、こたつの中でおれの足を軽く蹴ってきた。
「はっ! 大いに楽しみにしております」
「で、あるかあ」
すっかりこたつの影響で、気の抜けた極楽顔の城主で上司である。