第三話 信長様は姫だった
少年信長の質問には、織田信長が実際に採った戦略が正解なはずだ。周囲の大人に理解されなかったなら、なおさらおれに興味をもつのは間違いないだろう。
現時点で名目上の尾張国トップ――守護斯波武衛義統の元で、信長の父親の信秀は随一の実力者と目されている。そして信秀の最大の政敵といえば、形式上の上司の織田大和守信友だ。史実で信秀の代では信友を排除できず、信長も苦労して信友を討っている。
「されば……民を安んじ富ませ、商人の助力を得ます。そして、武力をもって不要な秩序を破壊し、新しき秩序を創り出す。まずは大義名分を得て、織田大和守を除き、守護様を操れば良いかと!」
どうだ? 正解だろう? 信長くん。
「ワハハ。ワシのことを理解できるようじゃな。名を申せ」
やっぱり正解だ。良かった。少し肩の荷が降りた。
「某はカズマと申します」
もっともらしい言葉遣いで返答する。
「気に入ったのじゃ。ワシに付いて来い!」
美少年信長はにっこりと素敵な笑顔。
うまくいったようだな。第一関門突破といったところか。
出会ったのが考えに柔軟性のある信長でなかったら、こう上手くは進まないだろう。
「はっ! 喜んで」
「名を与える。ヌシはこれから左近と名乗るのじゃ」
どこから、左近が湧いてくるの?
「へ? 何ゆえ左近と?」思わず訊ねる。
「それはな……左近に右近やら、四天王やらが家来にいれば、強そうで聞こえが良いのじゃ」
厨二病かよっ!
吹き出しそうだったが、なんとか耐えた。年齢が年齢だしドヤ顔をしている信長に楯突くのも愚かだ。
短気で苛烈なエピソードも残っているし。
「ありがたき幸せにございます!」
「爺も心配しているので城に戻るのじゃ。ふむ……左近はそうだな、是非もなし。ワシの後ろに乗るのじゃ」
馬に乗った経験はないけれど、どうやらこの身体が覚えているらしい。自分でも驚くほど簡単に騎乗できた。
いいのか? 仮にも嫡男なんだし、普通は何人もお供が付くよな。
そう思っていたら大声が聞こえてくる。
「吉さまぁあ、探しましたぞぉお!」
これまた騎馬少年が駆け寄ってくる。信長の近習だろうか?
「おう、カツか! 許せ」
「この池田勝三郎、平手様に叱られてしまいます。して、そちらの御仁は?」
怪訝そうな視線のガキは、信長の乳兄弟の池田勝三郎恒興だろうか。
「カツ殿。某は左近カズマです。以後お見知りおきを……」
ひとまず挨拶はしておこう。
「カツよ。見所があったので、この左近を拾ったのじゃ」
「しかし、平手様になんと……犬猫じゃありませぬよ……」
「それは、カツの縁者としてじゃな……」
信長と恒興が小声で話している。おれの素性の口裏合わせといったところか。
「風の噂でオウミに拙者の従兄の……滝川左近とやら……」
「それでよい。さすがカツなのじゃ」
作戦タイムが終わって恒興が話し掛けてきた。
「左近殿。拙者は池田勝三郎です。貴殿は、近江国(滋賀県)の拙者の従兄――滝川左近将監一益ということになりました。
確とお願いします。くれぐれも、吉様のお役に立つように」
なるほど滝川一益か。滝川一益は素性がよく分からないものの、信長に重用されて織田四天王の一人ともなる重臣中の重臣だ。
本能寺の夢では信長の役回りを演じて、あっけなく敵に囲まれてしまったが、今度は信長の部下だ。
いつ夢が覚めるか分からないけれど、とりあえずは大出世コース確定だし、ひとまずは安心はできる。
しかし一益さん本人がいたら、どうするんだよ? 歴史が変わってしまうだろ。
だがよく考えたら、おれがこの時代に存在している時点で、既に歴史が変わっている。是非もなしだ。
ここで、恒興の後ろに乗り、那古野城に向かうことになった。
もちろん、この時代の城に天守閣はない。
門番を蹴散らすように城内に入るや、少年信長は辺りに響き渡るような声で喚く。心なしかご機嫌の様子。
「爺! 遠駆けから戻ったのじゃ! 左近を拾ってきたぞ」
初老の武士が駆け寄ってきた。信長の傅役の平手政秀だろう。中年の顔立ちの割に総白髪なのは、ストレスが多いせいだろうか。
平手爺は眼光鋭く一瞥をくれるが、予想に反して警戒感は少ない。
池田恒興はおれを下ろすと、どこかに馬を走らせていった。平手爺に叱られるのを察して逃げたな。間違いない。
「それはそれは、よろしゅうございました。しかしながら、吉姫様、本日は和歌の修練のはずでしたな!」
「されど、すっきり晴れていて遠駆け日和なのじゃ。ほら……左近だって」
肩を落とす信長。
ちょっと待った。今、平手爺は『吉姫』と呼んだよな?
「吉姫様! 明日の和歌の修練は四刻(八時間)いたしますぞ」
「和歌の修練は退屈過ぎるのじゃ」
平手爺の叱責を何食わぬ顔で受け流して、信長は不機嫌そうに、ぷっと頬を膨らませている。よくよく信長の顔を見れば、卵型の顔の輪郭にすっと通った鼻筋、気の強そうな大きな瞳に長いまつ毛。
中性的な顔立ちで日焼けはしているものの、充分現代にも通用する美少女といえるだろう。
なんてことだ。信長が姫だなんて。
嘘だろ? いや、嘘ではない。確かに信長は自分が男だとは言ってなかった。
信長が男ではなく美少女な姫だから、信長くんではなく信長ちゃんだな。
今は小学生相当だけれど、五、六年も経てば、彼女は誰もが息を呑むほどの美人に成長するだろう。
――まさか!
信長ちゃんの将来を想像していたら、バラバラなジグソーパズルのピースがきっちりと収まった気がした。
本能寺の夢で自害してしまった美少女は、この信長ちゃんの将来なのか?
おれと信長ちゃんは恋仲になって、数年後に明智光秀に討たれる運命なのか?
本能寺の変で、このと一緒に滅ぼされる運命なんか、冗談じゃない。ふざけるな! ひっくり返してやる!
知る限りの未来知識を活用して、徹底的に歴史を――運命を変えてやる!
そう決意を固めたものの、どうすればいいんだよ。おれの知っている歴史と、この戦国時代は確実に異なる。
カンニングできないおれは、とんでもない不正解をしてしまうかもしれない。
どうする? どうなる?
呆然としていると、平手爺がニヤリとしながら耳打ちをしてきた。
「左近殿。ということで、相済まぬが、姫様のワガママにしばし付き合ってくれぬかのォオ?」
逃げられないか? 無理だ。爺といっても戦国武将。イエスしか選択の余地はない。ヤクザ並の迫力だから。
仮に逃げられたとしても不審者扱いだし、美少女信長ちゃんを放っておくわけにはいかない。ここで何とかするしか道はないのか。
「かしこまりました! こ、光栄の限りでございます!」と返答するのがやっとだった。