第二七話 討ち取ったり
◆天文十四年(一五四五年)十月四日 三河国 安祥城付近
安祥城に近づくにつれて、防戦状況が分かってきた。喚声や物音はするけれど、城攻めがされていない。おそらく、我が軍の反撃で、攻め寄せてきた岡崎勢を、押し返したのだろう。つまり、有利または勝ちってわけ。
気分が楽になり、安堵の息が漏れた。きっと信長ちゃんも無事だろう。
ふと、三騎の騎馬武者がこちらに駆けてきた。敗走してきた敵の将だろうか。いずれにしても、味方の将ではない。ならば逃しはしないぞ!
「槍衾用意! 弓と鉄砲、射撃はじめェエ!」
槍衾は騎馬の勢いを止めるため。槍の石突き(槍の柄の元部分の金具)を地面に突き刺して、槍の穂先を斜め前方に集団で突き出す戦法。槍衾によって騎馬の突進を防ぐんだ。
鉄砲の照準を合わせようとしたとき、馬を矢で射られたため、落馬した一人の武者が目に付いた。鎧武者はよろよろと立ち上がろうとしている。牛一が馬を止めたのかもしれない。
おれの獲物はお前だ。狙いを定めて引き金を落とす。
――射撃成功。ドウッと倒れる。
弓隊と鉄砲隊の面々も散々に撃ちかけて、残り二人の騎馬武者も動かなくなった。
「よおし! 撃ち方やめぇえい!」
伏兵に志願した甲斐があった。史実でも大勝だったし、松平勢が敗走するなら確実に名のある将を討ち取りたい。おれ自身の武功につながって織田家中での発言力も増すだろうし、松平勢の弱体化に繋がる。
目論見通りの戦果に満足してガッツポーズをしたくなる。だが配下もある身。落ちついて討ち取った騎馬武者を検分しなくては。
ゆっくりと歩みを進めて、仕留めた武者の様子を窺う。青白い顔で二十歳ぐらいのおれと同じ年回りの若武者。目に生気がないので、既に絶命しているようだ。見覚えのない顔だが、鎧に描かれた家紋は知ってるぞ。ドクンと心臓の音が聞こえた気がする。
テレビで観た『水戸黄門』の印籠にあった『三つ葉葵』の家紋。つまり、敵大将の松平次郎三郎広忠だ。
「松平次郎三郎ォオ討ち取ったりィイイ!」
「オオオオオオオーッ!!」
大声で吠えると、味方は大歓声で湧き上がる。
よし! 大将の討死を浸透させれば勝ちだ。勝手に敵兵は四散するだろう。
「総員、叫べぇえ! 無抵抗な兵は逃してよい」
「松平次郎三郎をォ! 討ち取ったァア!」
「松平次郎三郎ォ! 討死にィイ!」
「敵大将を討ち取ったァア!」
命令に、織田兵たちが叫び、さらに歓声があがる。
正直なところ死体を扱うのが、気持ち悪かった。情けないことだが、鉄砲隊の兵に頼んで、松平広忠の首の切り取りと運搬をお願いする。いったん首を持ってみたけれど、ズシッと重いんだな。
今回は大将を仕留めた勝ち戦だから、さほど問題にはならない。だけど、勝ちを収めるまでは、今後は首級を打ち捨てた方がいいかもしれないな。重い首を持ち運ぶと、機動力は格段に落ちる。
「左近、敵大将とは大手柄ですな。さすが死神左近! うっふっふ」
太田牛一が、ニコニコと声を掛けてくる。
「又助が馬を止めたんだろうが」
「さあ? 勝手に落ちたんではないですかな、うふ」
牛一、お前はまったく気のいい奴だよ。信長公記になんて書くんだい?
兵たちに叫ばせながらゆっくり安祥城に進軍していると、味方の騎馬武者の一団がやってきた。すでに、残敵は掃討したらしい。柴田勝家だ。
「ワッハッハ! 左近、ようやった。ワッハッハ!」
勝家は大笑いしながら、バンバン肩を叩いてくる。
満面の笑顔の信長ちゃんもやってきた。黒い鎧に、金色の織田木瓜家紋の前立てに飾られた黒兜。鉄砲隊のマントを着ている信長ちゃんは、現代の『信長公』のイメージに近い。
「左近、天晴れなのじゃ。勝どきをあげる。エイ! エイ!」
「オオオオオオオーッ!!」
「エイ! エイ!」
「オオオオオオオーッ!!」
ひとしきり勝どきをあげると、信長軍は高揚感とともに安祥城へ向かった。
◆天文十四年(一五四五年)十月四日 三河国 |安祥城
安祥城の二の丸に間借りしている陣に戻ると、信長ちゃんはテキパキと工兵隊に死体を埋める指示をしたり、戦勝報告の文を書くなどの残務処理中だ。
尾張の状況が不明なので、討ち取った敵将を確認する首実検はしない。急いで陣容をまとめて、那古野に戻ることが決定している。
陣払いや、武具の手入れ、小荷駄隊の兵糧積み込みなどに、周囲も出発準備に慌ただしい。
状況の整理をすると、一刻(二時間)ほどで今回の戦闘は終わっている。
伏兵の森可成隊の突撃、城内からの信長ちゃんと織田信広勢、刈谷からの水野信元勢の三方からの攻撃がほぼ同時に行われた。そのため松平広忠の軍勢は、大混乱に陥ったようだ。
広忠重臣の本多忠豊(本多忠勝の祖父)と忠高(忠勝の父)親子が、血路を開いて松平広忠を逃亡させることに成功。だが本多親子は囮となり、城門付近に留まったため奮戦のうえ討死する。
そうして戦場を逃げ出した松平広忠が、ゆるゆる進軍していた伏兵のおれの前に現れたってわけだ。
圧勝ではあったけれど、長槍隊に九名の戦死者が出たのは残念だった。
史実で、桶狭間の戦いの後に結ばれた、信長と家康の清洲同盟はどうなるんだろうね? おれが、家康パパを討ち取っちゃったんだし。松平家の恨みを買うのは間違いないだろう。
だが構わない。確かに家康は史実では天下人となったが、偶然の要素もかなり強いはず。尾張以東が安全なら、これから西に勢力を広げる織田家の戦略は、家康と同盟を結ばなくても可能だからだ。
また後の徳川四天王で、戦場で無傷だったといわれる猛将本多忠勝は、一五四八年生まれなのに、父親の本多忠高を討ち取ってしまったから生まれないことになる。だから忠勝の娘で現代日本の戦国ゲームで人気だった、後に真田信之の奥さんになる小松姫(稲姫)も当然アウト。男勝りと伝わる姫は、見てみたかったけれど。
他にも織田信広や水野信元が、松平方の将を討ち取っているようだし、史実の有名人が生まれないかもしれない。
どんどん加速度的に、おれの知っている歴史とずれていく不安がある。もちろん情報が入ってきていない尾張情勢も不安だ。
だけど、いまは信長ちゃんの初陣を、大成功に飾れたことを素直に祝おう。