第二三話 初陣(☆地図あり)
◆天文十四年(一五四五年)十月二日 尾張国 那古野城
「岡崎勢が陣触れを行なっております」
諜報衆の忍びがもたらした情報により、那古野城は騒然とした。
岡崎とは三河国(愛知県東部)の地名である。徳川家康の父、松平次郎三郎広忠の居城だ。現在の家康は二、三歳だったかな。とにかく、既に生まれているはずだ。
陣触れとは領民に徴兵を行って、出兵することに他ならない。出兵先はおそらく、織田領との境の安城になるだろう。
急報を受けた信長ちゃんは、諸将を集めるとともに、早鐘を打たせて全兵を招集する。
現段階では、半刻(一時間)ほどで、五〇〇名は動員できるはずだ。
それから、信長ちゃんはどう動くつもりだろうか?
とりあえずは、何も言わず黙っていよう。信長ちゃんの戦略センスはどのようなものか。期待しちゃうぞ。
「岡崎勢が安城に攻め入る兆しあり。それぞれ、陣容を整えて出陣の準備じゃ! 兵糧は七日分あればよい」
安城とは岡崎と同じく三河の要地。信長ちゃんの庶兄の織田三郎五郎信広が守る安祥城がある。
信広兄は、史実で一度謀反未遂を起こしている要注意人物だ。信長ちゃんは女子だから後継者としては弱い。だから信広兄は史実よりも野心を燃やして、家督を狙っているに違いないだろう。
今は信パパが健在だから、安全パイだろうが。
「五郎左(丹羽長秀)は、林佐渡(秀貞)、平手の爺(政秀)に岡崎勢が出陣の兆しありと伝えるのじゃ」
「はっ!」
「左近は、ワシとともに、すぐ古渡に参るぞ」
「はっ!」
古渡城の信パパに、何か献策する気になったんだろう。いいぞいいぞ。
久しぶりの姫武将姿は格別だ。白い鎧に赤い陣羽織。髪は下ろしていて、白い鉢金鉢巻。
◆天文十四年(一五四五年)十月二日 尾張国 古渡城
急いで古渡城に移動した信長ちゃんとおれは、信パパに謁見を願って許された。
「三郎(信長)に左近であるか。急ぎとのことだが、いかがした?」
尾張の虎は、相変わらずギラギラとエネルギッシュ。だが二回目なので、前回ほどは緊張しない。
だけど『落ち着け、落ち着け』って、自分に強く言い聞かせる必要はかなりある。
やっぱり、ちょっと苦手。
「岡崎勢に動きあり。ワシら那古野勢のみで後詰するゆえ、父上は後詰をするふりをして、尾張のたわけどもを誘い出すのじゃ」
後詰とは、救援部隊の派兵という意味。松平広忠の岡崎勢が出兵するなら、当然ながら、織田松平間の争点となっている安祥城が目標となる。安祥城を守備する兵数はさほど多くない。だから、救援部隊を派兵する必要が絶対なのだ。
信長ちゃんが率いる那古野勢だけで、失敗が許されない重要任務の安祥城救援を行いたい、ということ。
そして信パパに、尾張の反対勢力を陽動作戦で釣り出せと言っているのだ。
「なんと!」
情報の収集は、諜報衆を組織化をした信長ちゃんの方が早い。岡崎勢の情報は、信パパにはまだ入ってきていない様子。
本来ならば織田家としては、尾張に散らばっている反織田勢力を、一掃したい状況ではある。だが、大義名分に欠けるので、こちらから戦を仕掛けるわけにいかない。
現在の反信パパ勢力といえば、まずは信パパの上司でもある、清洲城の織田大和守信友。尾張下四郡(尾張南部)の守護代だ。
次に、岩倉城の織田伊勢守信安。こちらは尾張上四郡(尾張北部)の守護代。
そして、信長ちゃんの従兄でもある、犬山城の織田十郎左衛門信清である。
反信パパ勢力を、この機会に炙り出して、相手に攻撃をさせるのが信長ちゃんの狙い。素晴らしい戦略だ。
「我らは那古野に戻り次第、出陣します。明日の昼には、安城に着陣しましょう。また、『織田備後(信秀)は、初陣の小娘を後詰に出すほど苦境である』との風聞を、清洲、岩倉、犬山に流します」
すかさずフォローする。
「初陣でそんな……」
信パパは驚愕の表情だ。
「父上は大慌てで、なるべく多くの兵で出撃し、休んでおれ。クックックッ。何が出てくるのか楽しみなのじゃ」
「松平次郎三郎(広忠)は勇猛なれど、種子島を知りません。ゆえに首を狙います」
「父上はのこのこ出てきた冬の虫を、守山の叔父上(織田信光)と叩いておるがよい」
「林佐渡(秀貞)殿、平手中務(政秀)殿には、那古野を守っていただきます。謀反のふりををさせると、さらに効果的かもしれません」
信長ちゃんと一気にダブルコンボで畳み掛ける。どうだろう?
「ヌシらは全く……なんということを……」
言葉の割には、信パパは笑っている。よしよし、うまくいきそうだな。
さらにダメ押しの一手をぶつけよう。
「念のために、清州の武衛(斯波義統)様の身の安全を図るため、予め手練の忍びを潜ませております」
尾張の名目上のトップの守護斯波義統は、大和守信友の傀儡とされているが、信パパに対しては協力的な姿勢を示している。史実で義統は親信長の行動をとったため、信友に誅殺されてしまう。
斯波義統が殺された史実を踏まえて、清州城の信友に何らかの動きがあっても、尾張統治の旗印になる斯波義統の安全を確保するために、予め諜報衆の数名を潜入させていたんだ。早めに忍びを確保して打った手が生きてくる。
「ええい! 分かった。三河はヌシらに委細任せるゆえ勝手に致せ。ワシは尾張で暴れてやろうぞ」
大殿信パパは破顔一笑。作戦は大成功だ。
初陣で大戦果をあげて、一気に信長ちゃんの武威を高めるぞ。
「ワシは那古野に戻り次第、安城に出立する。父上のご武運を祈っているのじゃ!」
◇◇◇
那古野城への帰り道、信長ちゃんが問いかけてきた。
「さこん、どうじゃった?」
ねだるような視線。これには全く弱い。
「殿、見事でした! 感服いたしましたぞ」
「フン、急ぐぞ。左近!」
あれ? 不正解だったのかな?
信長ちゃんは少々不服そうな表情だ。彼女が求めている言葉と違ったみたい。難易度が高いぜ。
キッと表情を締めて、馬の速度を上げ始めた信長ちゃん。那古野では既に出陣準備が整っているだろうか。小さな背中を追いかける。
◆天文十四年(一五四五年)十月二日 尾張国 那古野城
「三河の安寧のためぇええ! 織田三郎がぁあ! 松平次郎三郎を討つのじゃぁあ! 者どもぉお! 励めぇえ! 出陣!!」
「オオオオオオーーーッ!!」
長槍三二〇、騎馬三〇、弓一〇〇、鉄砲五〇の合計五〇〇が今回の軍勢。後世にはきっと『神速』と、呼ばれることになる信長ちゃんの記念すべき初陣だ。
牛一は? いつもの調子でニコニコと、なにやら帳面に書き付けている。
よしよし。後世のために、陣容など詳しく記録しておいてくれよ。
目的地の安城までは、一泊二日の行程だ。




