第二〇話 織田三郎信長なのじゃ
◆天文十四年(一五四五年)八月中旬 尾張国 那古野城
信パパに勝利を収めた試し戦から三日。信長ちゃんから、主な将は左近の部屋に集合、との命令があって待機中である。
おれの部屋といっても、相変わらず城の客間の居候なんだ。
自分の屋敷を貰えたら、念願のお風呂を造る野望があるので、早くなんとかしたいところ。信長ちゃんの機嫌がいいときにお願いしてみよう。
どんっどんっどんっ! どんっどんっどんっ!
おや。今日の美少女上司は早めのご登場。
「左近、入るぞ!」と返事も聞かず、どすりと座卓の前に座る。
今日の信長ちゃんは、ポニーテールを黄色い平紐でまとめて髪飾りを着けている。
姫武将姿も格別だけど、デフォルトのポニテもやはり捨てがたい。最近は色気付いてきたのか、微妙にアクセサリーを変えているのも、印象が変わって楽しいものだ。
信長ちゃんの表情といえば、ん? 機嫌がいいような、悪いような微妙な表情している。感情をまったく読み取りにくい。
と彼女の顔を見ていたら、ツンと目を逸らした。あれ? おれはなにか粗相をしてしまったのか?
試し戦の時には満面の笑みだったのにな。気になる。
やがて、ガヤガヤと諸将が集まってきた。
今日のお題は、先日の試し戦の論功(査定)に違いない。きちんと評価をしない上司は、見捨てられても文句は言えないから。
「揃ったようじゃな。先の試し戦は大儀であった」
「ははっ!」と、諸将は揃って平伏する。
「ヌシらの力にて父上に勝利できたのじゃ。ゆえに褒美をとらす」
やはり論功だった。将たちの期待の視線が信長ちゃんに集まっている。
「森三左衛門(可成)! 孫三郎叔父(信光)以下、首を取らずとも数多の将を討ち果たした功は比類ないのじゃ」
「我には過分の栄誉、以後も忠勤いたしまする」
「柴田権六(勝家)! 敵主力を少数で相手取ったうえ、押し切った戦さばき、見事じゃった」
「まだまだ暴れたりぬでござる! ワッハッハ」
一番手柄は可成で二番は勝家。当然といえば当然だろうな。特に可成には、信長ちゃんとともに窮地を助けられている。
信長ちゃんが各将を賞して、目録を渡していく。それぞれの功に応じて、現代価格で一〇万から一〇〇万円ほどのボーナスだ。栄誉に服した者は当然ながらホクホク顔である。
「多羅尾四郎右衛門! 甲賀衆の戦道具により敵を撹乱できたのじゃ。実に天晴れじゃ」
「はっ! 我ら忍び衆の功を賞していただくなど、感激の極みです」
うんうん。隠れた功をきちんと評価する立派な名君ぶりで素晴らしい。だが、当の光俊は相変わらずの仏像スマイルで、表情がまったく変わらないから気になって仕方がないぞ。
「佐々与左衛門(成政)! 戦わずして小豆坂七本槍の二本をヘシ折った功は大きいのじゃ」
「台所に四刻(八時間)潜んでいた甲斐があったっす」
兄二人に毒を盛った成政にはどっと笑いが起きた。
「最後に、長槍衆の兵たちには銭二四貫(二四〇万円)を与える。三左と権六がうまく差配するのじゃ」
「はっ!」
あれれ? 信長ちゃん、おれに褒美はないのか?
確かに敵の首は取ってはいないけれど、試し撃ちもパーフェクトだったし、佐久間信盛も戦闘不能にしたぞ。
そういえば、論功の相談もされていないしな。信長ちゃんに嫌われてしまったのか?
あ、長秀が何やら信長ちゃんに耳打ちしているな。
「左近は……左近は……ワシの副将ゆえ、かの働きなど当然なのじゃ。より励め!」
かの武田信玄に『副将だから良い働きは当然だ』と称された内藤昌豊のような扱いなのか?
たしかにヘタに大きな褒美を貰うと、周囲の妬みを買うのでほどほどが良いのだが。全くゼロ評価というのは、はっきり言えばかなり寂しい。
それに、キッとおれを睨んだ信長ちゃんの視線が気になる……。
しくじった覚えは、全くないんだけどな。くっ。
「はっ! 必ずや」
って、言うしかないよな。とりあえずは。
「して、父上から『三郎信長』の名乗りを得たぞ! ワシは織田三郎信長なのじゃ!」
「おおおおおおーーッ!!」
やったぞ、信長ちゃん! 元服が許されたのだ。
満面の笑顔で、とても嬉しそうだ。家中で実力を認められたのだから、おれも我がことのように嬉しいぞ。第一関門突破ってところだな。
諸将もうんうんと頷いてる。
「これより父上の戦を手伝うことになるゆえ皆も励め! が、今日はめでたいゆえ、万千代(丹羽長秀)アレなのじゃ」
きっと、お約束のぜんざいパーティーだろう。
案の定、ささっと長秀が部屋から出るとすぐ戻ってきて、皆にぜんざいを配る。予め用意しておいたのだろう。
おや? 信長ちゃんは大杯ではなく、普通のお椀のぜんざいだ。体調でも悪いのだろうか。
こころなしか、彼女が浮かない顔をしてるようにも見えて気になってしまう。
「いやはや、ぜんざいは癖になりますな、うふふ」
「しかし、三左の武勇には驚いたわ。ワッハッハ」
「おれっちも早く元服できないっすかね?」
「わたしも実は、丹羽五郎三左衛門長秀の名乗りを許されました!」
「おお、五郎三左衛門長秀とは素晴らしき名前ですね」
などと、ぜんざいパーティーは盛り上がってる。
ところが、ふと気づけば信長ちゃんがおれの方に向かって、早足で歩み寄ってくる。彼女に何かあったか、と気になってていたから丁度よかった。直接聞いてみようか。
ところが、美少女上司はおれをキッと鋭く睨む。あれ? えっ!?
バチーーーーン!
ハリセン一閃。頭を叩かれた。
「なっ!? なっ!? なっ!?」
意味がわからないぞ。なんで、なんで?
鉄砲の改良だって、様々な改革だって、試し戦だって、頑張って成果も出したぞ。
たくさん褒美をもらっても良い活躍はしたつもりだ。意味が分からない。
もしかして、史実で謀反したときの明智光秀もこんな気持ちだったのか?
「左近! ヌシはツルでペタのワシは好かぬらしいな。試し戦で勝ったというのに、話が違うではないか。面白うないわっ!」
言い放つと、信長ちゃんは怒って部屋から出ていってしまった。
ツルでペタ? ツルペタ? 信長ちゃんがツルペタだから好きではない、なんて言ったか?
この時代の小学六年生だから、当然ツルペタだろうな、とは思ってはいたけれど。
あっ! 待てよ。確かに、甲賀忍びのお奈津にそんな事を口走ってしまった覚えがある。しまった――――。
なんてことをお奈津は、信長ちゃんに言ってしまうんだよ。どうする? ひょっとして大ピンチじゃないか?
◇太田牛一著『公記現代語訳』一巻より抜粋
信長様の元服祝いの際に、滝川左近が信長様に鶴の件とぺたの件で、不都合があったため折檻された。鶴は鳥の鶴であろうが、ぺたは滝川左近の言であるから、南蛮渡り物の名であろうか。信長様に特に気に入られていた滝川左近が、折檻されただけに諸将は珍しがったということである。