第一四.五話 虎に翼【織田信秀】(☆地図あり)
◆天文十四年(一五四五年)七月下旬 尾張国 古渡城 織田信秀
我が娘はいったい何を……それはどういう意味だ?
隣に控える平手中務(政秀)も怪訝そうな顔をしている。
「吉、すまぬがもう一度言ってくれ」
娘の吉に問い質す。
「父上を助けるため、ワシは元服したいのじゃ」
元服をしたい意味は分かる。
昔から、吉は女だてらにワシの手伝いをしたい、とせがんでいたからな。
むろん、賛成できるかどうかは別として。
問題は、勘十郎云々という言葉だ。
「その次に何と言った?」
「ワシに勘十郎(織田信行)をくれ」
勘十郎をくれ、とはどのような意味だろうか。
吉は聡明な子であるのだが、発する言葉が少なく意味の分からぬことも多い。
「くれとは、いかなる意味ぞ?」
「ワシの養子に。才ある勘十郎を死なせたくないのじゃ」
なるほど。勘十郎を養子にほしい、という意味であったか。
だが、意図がよく分からない。そして『死なせたくない』とは?
勘十郎は通常であれば、我が弾正忠家を継ぐ身。だが、優秀な吉の存在もあって、勘十郎を嫡子とは決めかねている。
少し話を変えてみようか。
「しばし待て。吉は女子ではないか。優れた男と添い遂げるのも良いと思うぞ。斎藤新九郎(義龍)でなくてよい。滝川左近に嫁ぐのは如何だ?」
「ワシが左近の嫁に!?」
大人顔負けの知識や洞察力を有する吉も、さすがに色恋沙汰には疎いようだ。顔色を変えたな。
なるほど……やはりこの線で進めるか。
「吉は、左近を好いておらぬのか?」
「好くということを知らぬゆえ分からぬ」
「吉、ワシと左近のどちらと一緒にいるのが、心地よいか?」
「左近じゃ」
「それが好くということだ」
「父上は、ワシが左近を好いておるというのか?」
「うむ。間違いなく、吉は左近を好いておる」
「……」
なるほど。やはりウブだな。もうひと押しだろうか。
「吉、いかがだろう? 左近の嫁に行くのは。それとも、左近を婿にしてもよいぞ」
「父上がワシの身を案じるのは嬉しいが、ワシと左近を戦に使え。うつけどもを一掃できるはずじゃ」
「しかし、女子の身では無理ではないか?」
「父上は、三韓征伐の気長足姫尊(神功皇后)を愚弄するのか?」
「そういうわけではないが……」
「ワシに力があれば、戦に出ても良いのじゃな?」
くっ。百戦練磨のこのワシが、年端もいかぬ我が娘に言い負かされるとは。いつから、これほどまで強かになったのだ?
いや、実力を隠していたのが、ここ一月で開花したのだろう。
「力があれば……許す。しかし、勘十郎を養子にとはいかなる意味だ?」
「勘十郎は治世の能臣じゃ。乱世では周囲に流されて危ういぞ。それがわからぬ父上か?」
よく見えている。ワシの見たてと同じだ。しかし、小娘が果たして乱世を生き抜けるのか?
ひとつ脅してみるか。
「黙れ! 父を愚弄するかァア!」と一喝する。
「父上の目はなにを見てるのじゃ? 盲目ならば隠居して側室でも抱いておれ。ワシが尾張どころか日ノ本全てを平らげてくれようぞ」
吉は恫喝に怯えるどころか、全く動じない。なんという肝の据わり方だろう。
「吉の目に何が見えるというのだ。言えッ!」
「決して誅しないと誓うならば言う」
ん? どういうことだ?
「誓う」
「されば……母上、林佐渡(秀貞)、林美作(通具)。犬山(織田信清)も安祥の兄者(織田信広)も危ういのじゃ」
「……」
なるほど。自分の敵を見抜いているが、ワシに彼らを誅してはならぬ、ということか。
「母上は古渡へ。佐渡と美作は才があるゆえ、勝てぬ戦はせぬ。ワシが力をつければ黙るはずじゃ。犬山と兄者になら負けはせぬが、今川と同心すると厄介なのじゃ」
悔しいほどに見えている。
やはり手法はともあれ、吉にワシの後を継がせるべきなのだろうか。
「勘十郎は、養子でなければいかぬのか? ヌシの配下ではいかがか?」
「子が親を誅するのは、名分が立たぬゆえ配下より安全なのじゃ」
「しかし、ヌシの嫡はどうする?」
「戦をなくせば子を産める。産めねば才ある養子を迎えるまで」
「相わかった。力を見せよ。見せればまずは元服を許す。嫡についてはそのあと改めてだ。いかに力を見せる所存か?」
「ワシと父上で試し戦をするのはどうじゃ?」
吉が、政だけでなく、戦にも才を見せるようであれば、嫡は決まりかもな。
頃合も丁度いい。やらせてみるか。
「よかろう。委細は中務(平手政秀)と決めよ」
「父上、お願いの儀があるのじゃ」
「話せ」
「試し戦の際に、改良した種子島を父上に見せたいのじゃ」
「左近の仕儀か? 許す。下がってよい」
「はっ! ありがたき幸せ!」
ニコッと微笑むと吉は退出していった。肩にずっしりとした疲労感を覚える。
「中務、あやつは何者だ?」中務に尋ねる。
「殿の最愛の姫でありましょう」
「ヌシの傅の賜物か?」
「自ずとですな」
「勘十郎をどうみる」
「姫様の見立てに間違いないかと」
「鳶が鷹を産むというが、虎は何を産むのだ?」
「されば、翼の生えた虎」
「異形だな」
「全くもって」
「左近をどうみる?」
「得体の知れぬところはありますが、姫様の力を引き出し、役に立つことは間違いないかと」
中務のいうとおり、滝川左近が吉の傍に控えていることが、吉の実力を開花させたのは明らかだ。
「左近もまた異形であるかな」
「左様で」
「ワシは吉と左近に勝てるか?」
「勝てぬとは言いませんが分が悪いでしょう。翼の生えた虎相手です」
「吉の幸せはどこにあると思うか」
「姫様の思うままにさせることでしょう。試し戦、負けてやりますか?」
「わざと負けるのは、吉のためにならぬゆえできぬ。それに恐らく、吉に見抜かれるわ。ワハハ」
「わはは。虎も子を千尋の谷に落とすのですな」
吉のことだから、おそらく試し戦もかなりの実力を見せることだろう。だがワシも、尾張の虎と謳われた歴戦の兵。
愛する我が娘相手とはいえ、簡単には負けてやるわけにはいかぬ。