第一四話 尾張の虎
◆天文十四年(一五四五年)七月下旬 尾張国 那古野城
緊張しています。むちゃくちゃに。
未だに客間暮らしなのは、もうどうでもいいです。
戦国時代に来てから、一番のプレッシャーを感じています。
半刻(一時間)ほど前に、『大殿と平手中務殿が話があるそうです』と伝えられたので、今は謁見の間です。
そのうちに会うと思ってたけれど、信パパこと大殿の信秀とは初対面なんだ。しかも、呼び出される用件がまったく見当つかないので、心の準備のしようもない。失態を犯した覚えもないし……。いきなり首チョンパとか、冗談抜きで嫌だぞ。
尾張の虎こと織田備後守信秀。姿を見せないうちから、プレッシャーが半端ない。
これはあれか? 結婚相手の父親に挨拶する的な……。ああ、違うか。
落ち着け、落ち着くんだ。
手のひらに『虎』の字を書いて飲み込む? 素数を数える? おれは滝川一益だと言い聞かせる? ああ、不遇な将来が見えてきちゃったぞ。
大殿の足音が聞こえてきた。
どしっどしっどしっ! どしっどしっどしっ!
あはは。信パパの足音は信長ちゃんとテンポが同じじゃないか。さすが親子だな。
笑いがこぼれたせいか、少し気分が晴れてきた。
人の気配を正面の上座に感じたので「滝川左近将監一益でございます」と平伏する。
「面をあげい」
「はっ!」
尾張の虎は、何を言い出すんだろう。何とか無事に切り抜けたい。
「織田備後だ。ヌシが死神左近であるか。吉の事、礼を言う。種子島が得意らしいな」
信パパの顔を窺えば、やり手の政治家のよう。エネルギッシュで、想像よりもかなり若いぞ。あと五、六年で死ぬなんて嘘だろう?
くっ。なんて迫力だよ。平手政秀爺も横に座っていて、ダブルコンボなんだが。
「はっ! 恐れ多きことでございます」
「左近よ、一つ聞こう。吉がヌシに命ずれば、ワシを撃つか?」
うわ、ナニコレ。どういうクエッションだよ。
首チョンパもありなのか?
『是非もなしなのじゃ』
信長ちゃんの顔を思い出す。もしかして死ぬ間際の走馬灯なのか?
口八丁でなんとか切り抜けたい。
「吉様は、人一倍心優しきお方。特に親きょうだいには深い愛情を持っています。ゆえに、大殿を殺める仕儀はいたしませぬ」
「ホウ?」
虎は答えに納得がいってないご様子。論点ずらし作戦は通用しないか。
「……しかし、世の道理により、致し方なき場合は、吉様は、心を痛めつつも某に命じましょう。さすれば……」
「さすれば?」
虎の眼がギラリと光る。
本能寺の悪夢で明智光秀に討たれるのが運命ならば、ここでは死ななくて済むということ。そう考えても、大殿の迫力のある視線を感じて生きた心地がしない。
くっ! 分かった。もうどうにでもなれ!
「さすれば……躊躇なく大殿の心の臓を撃ち抜きます」
上司の命令ならば、撃つのは当然だ。どうだ?
「死ぬ覚悟ができてるようだなッ!?」
ドスッ! ドスッ! ドスッ!
虎が飛びかかってきた。まずい!
不正解か……おれは死んだな。
ひと思いにやってくれ。首を垂れる。
信長ちゃんと一緒に天下を取りたかったな。
シュッと風切音が! 終わった……。
「ワハハ! 吉のための覚悟か」
ポンと肩を叩かれる。
あれ? なぜだか助かったみたいだぞ?
虎も爺も笑っている……。どういう展開なんだ?
「吉のことを分かっておるようじゃな。これからも吉を守ってくれ。
ワハハ。大儀であった」
ひとまず大殿は、おれの返事を気に入ってくれたようだ。
ただ精神的なショックからか、気力が全く湧かない。
「はっ!」と平伏してヨロヨロと、自室に戻るのがやっとだった。
尾張の虎との対決は疲れる。
生命が五年ぐらい一気に縮まった気がするぞ。勘弁してほしい。
◇◇◇
信パパの迫力に大いに打ちのめされたので、客間で仕事をするけれど、まったく捗らなかった。
どんっどんっどんっ! どんっどんっどんっ!
お。この足音は!
信長ちゃんだ。ちょうどいい。きっと、気分転換になるだろう。
「左近、入るぞ!」
「殿、よくぞ、参られた」
今日の彼女は男装ながら、水色のリボンのような平たい紐で長めの髪を蝶々結び。いってみれば、ポニーテールを仕上げていて、とても似合っている。
髪型だけみれば、現代日本に普通にいてもおかしくない雰囲気だ。おかしくないどころか、連れて歩きたい可愛さがあるな。
「左近、ワシに教えてほしいのじゃ」
「はっ! 何なりと」
今日は質問デーかよ。
信パパと違って、子どもの虎ならばそうそう大怪我はしないはずだ。
信長ちゃんもいたって穏やかな表情だし。
「左近は何ゆえワシに仕えるのじゃ?」
「殿の考える未来を某も見たいのです」
「なるほど。左様か。家督を取れなかったら、さこんはワシのこと嫌いになるか?」
ん? なんだなんだ?
話がいきなりすっ飛んだぞ。
家督関連はデリケートな話題。本来であれば避けたいところ。
女子の信長ちゃんは、通常ならば織田家の家督は継げないのだから。
そして、彼女は不安げな上目遣いの表情に変わっている。まずいぞ。安心させてあげないとな。
「家督は関係なく、殿は殿ゆえ、決して嫌いになりませぬ」
「で、あるか! うむ。では、ワシは参るぞ」
一瞬のうちに憂いの表情が消え、ニコニコっと微笑むと信長ちゃんは行ってしまった。
なんだったんだ? 何か不安になる事でもあったのだろうか。
信長ちゃんは数え十二歳。まだ小学六年生相当だからな。




