第一〇七話 マロの野望
■天文十七年(一五四八年)九月中旬 尾張国 那古野城
「夏の間、松永弾正(久秀)や日向(明智光秀)がだいぶ働いてくれたようだが、仕上げなのじゃ」
今年の夏に織田家の主力部隊は、武田攻めを行なっていたため、長期に渡って信濃・甲斐(長野・山梨県)へ出兵していた。その間に本願寺勢力から買い取った形になる石山本願寺改め摂津の大坂城を本拠としている松永久秀と、京都の二条城を本拠に活動している明智光秀が、畿内(山城、大和、河内、摂津、和泉)の平定を担当していて、かなりの地域の支配が完了していた。
だが信長ちゃんの言葉通り、畿内制圧の仕上げの出兵を行なうことにした。
『畿内で守護や守護代を名乗るものは、天下の謀反人である足利氏に同心するものとして攻め滅ぼす。
織田家に許可なく砦や城郭の類を構えたものは、反乱の意志ありとして攻め滅ぼす。
織田の許可なく武具を所持したる者は、反乱の意志ありとして処罰する。
武具を所持している者で、反乱の意志のないものは、二条城または大坂城あてに提出せよ。時価で買い取る。
織田右近衛大将信長 天下布武(印)』
既にこの書状を大量に用意し、諜報衆の手によって畿内へばら撒かせている。
今回の畿内出兵は、武力を誇示する軍事パレード、刀狩り、恭順していない国人領主(小大名)の去就を明らかにさせる意味合いがある。また畿内以外の公領でも、同一の仕置きを行なう意思表示だ。
今回出兵するのは、尾張勢一五〇〇〇(うち鉄砲三〇〇〇)、美濃勢一二五〇〇(うち鉄砲二〇〇〇)、三河勢四五〇〇(うち鉄砲六〇〇)、伊勢勢三〇〇〇(うち鉄砲五〇〇)、北伊勢勢三〇〇〇(うち鉄砲三〇〇)、飛騨勢五〇〇、信濃勢六〇〇、甲斐勢一〇〇〇、近江勢一四〇〇〇(うち鉄砲二〇〇〇)、摂津勢六〇〇〇(うち鉄砲一〇〇〇)と山城勢三〇〇〇(うち鉄砲一〇〇〇)の織田領イコール公儀領(公領)の諸国からの軍勢だ。加えて属国となっている越前朝倉家、越後長尾家からの各四〇〇〇の援軍を十月上旬の期日に、安土城に集結させるように手配を整えた。
戦闘要員だけでけでも合計七〇〇〇〇を超える、これまでにない規模の軍事行動だ。
こうした畿内制圧のための出兵準備をしているところ、マロこと駿河の今川義元から文が届いた。
「今川治部(義元)から文が届いておるのじゃ。ほら」
信長ちゃんから文を受け取る。
『織田右大将殿が畿内平定のため出兵するとのこと、風の噂で聞いたでおじゃる。マロも織田の同盟国であるゆえ、喜んで働くでおじゃる。
マロと倅の氏真が、一〇〇〇〇の兵を率いて安土に着到するので、よしなに頼むでおじゃる』
マロの強かで抜け目なさがよく分かる手紙だ。駿河・遠江(静岡県)を領有している今川家については、現在は属国扱いの国知事には任命していない。織田家と今川間では相互防衛を主眼とした同盟を結んでいて、隣国ということもあり、織田・今川は経済的には非常に強く結びついている。
今年の武田攻め後に、信玄亡き後の甲斐の統治を今川に任せようという意向が、おれや信長ちゃんにあったがマロは即座に断っていた。
その代わりといてはなんだが『親織田』の姿勢を今回の出兵を機に、周囲や織田家に対して強く示したかったのだろう。幼い嫡男の今川氏真を従軍させるのも、より織田との関係を深くしたいとの意向の表れに違いない。
「強かな御仁ですね」
「全くじゃ。おそらく今川治部(義元)は関東に進みたいのじゃ」
駿河・遠江の二か国の国主の今川家は、石高でいえばおよそ四十万石と、それほど多くはない。織田との協力関係を早く打ち出したため、農業技術の向上や商業の発展により豊かな国ではあるけれど。
今川領の西側は織田家だし、北は旨味のない甲斐の地。とすれば東側の関東に進出するしかない。
史実では甲相駿三国同盟が結ばれた後は、今川家と北条家は極めて良好な関係になり、義元亡き後の今川家の滅亡の危機に際して北条家は援軍などの多大な援助をしたほどだ。
だが、今川義元マロが家督を継いだとき、今川北条間のいわゆる駿相同盟が破れて以来は、駿河東部を巡って合戦が起きるなど、現状の今川家にとって北条家は基本的に友好国ではない。
マロはいずれ織田家が関東を征服するとみて、防衛主眼だった同盟を強化する目論見での今回の出兵を行うのだろう。おそらくマロの目標は相模・武蔵(神奈川・東京都・埼玉)周辺の領有だ。
「治部殿の狙いは相模から武蔵でしょうね」
「うむ。いずれ関東は今川に任すか、北条に任すか、織田で治めるか、ということじゃな」
「ええ。今すぐは決めなくても構いませんが」
「うむ。まずは畿内に完全な安寧をもたらすのじゃ」
甲斐攻略戦を終えた後には、北条氏康から戦勝の祝いの文は届いてはいる。だが北条家はさほど織田への協調姿勢を示しているわけではない。いずれ織田家が関東から東北へと勢力を拡大するのは規定路線だが、その際に北条が徹底抗戦とするのか恭順するのかは、現状では予測がつかないところだ。
史実では織田北条間では友好関係を保っていたが、本能寺の変後に状況が一変する。おれ滝川一益が上野(群馬県)の本拠地で、変後の小反乱を鎮圧している最中に、北条氏直が同盟を破棄して、五六〇〇〇の大軍を率いて上野に侵入してくる。一益は初戦は押し返すものの結局衆寡敵せず破れてしまい、織田家の今後を決める清州会議にも出席できなかった。
滝川一益としては、因縁の北条氏との関係はこの世界ではどうなるだろうか。合戦するならば本拠地の小田原城が堅く厄介だ。
ただ今すぐの合戦になるわけではないので、あからさまな挑発はしにくい。できる部分から北条対策をしていこう。とりあえずは、北条家と親しい忍びの風魔衆の引き抜きぐらいかな。
史実では風魔衆は生活に困窮して盗みをしたと伝わるほどだから、地位や待遇は悪かったに相違ない。
いずれにしろまずは畿内制圧戦という名の軍事パレードを成功させよう。
マロが率いる今川勢が加わるので、戦闘員だけでも八〇〇〇〇名を超える大軍勢だ。壮観な眺めになることは間違いないだろう。
次話、4/9(木)2000ごろ 更新予定。
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里見つばさ




