自己紹介
時刻は18時30分、場所は浦野ハイツの中庭。
「ど、どうしました、何かにぶつかりましたか?
すごい音がしましたけど……」
【101】号室から出てきたのは、50代の男性でした。
中年、と言ってもいい年齢ですが、清潔に保たれた服装や、高級そうな洋服、落ち着いた雰囲気に味があります。
いわゆるナイスミドル、というヤツなのでしょう。
「なん……だ?」
【102】号室から出てきたのは、40代の壮年男性です。
【101】号室の男性とは打って変わって、だらしない服装に太った体。
そして、ビン底も逃げ出すような、分厚い眼鏡!
引きこもり、という設定だったはずですが、外に出てきたのは小説効果なのかな、と猫の少女は思いました。
「んー?
お姉さん、初めまして!」
【103】号室から出てきたのは、3歳くらいの男の子。
可愛らしく挨拶をして、ニコニコと笑顔を浮かべています。
ご両親は、いないみたいだな、と猫の少女は思いました。
「あらっ。
あらあらあらー!
久しぶりね~」
【201】号室から出てきたのは老齢の女性です。
確かメールでは、【202】号室の???さん、つまり私について事情を知っている設定だったよな、と猫の少女は考えました。
「えーっと、どこかで会いましたっけ」
「あら、忘れちゃった?
昔から知っているよぉ。
ほら、最後にお漏らししたのが小学校3年生……」
「うわーーうわーーうわーー!」
猫の少女は慌てふためきます。
設定とはいえ、自分のことを知っているというのは本当なんでしょう。
猫の少女は両親を小さいころに亡くし、一時期は親類の家に暮らしておりましたが。
厄介払いの形で小学校3年生のころから1人暮らしをしていました。
1人暮らしの初日、寂しさのせいでしょうか。
少女は本当に久しぶりに、お漏らしをしてしまったのです。
(誰にも言ってないのに……滅茶苦茶恥ずかしいんですけど)
ただの小説のキャラクターだとしても、恥ずかしいものは恥ずかしいのでしょう。
少女は心の中で愚痴りました。
猫の少女は、4人を見渡すと、声をかけます。
「みなさん、メールとか、届きました?」
4人はそこで初めて携帯を取り出し。
そして、読み始めました。
「こ、これはどういうことですか?」
「ここは、今まで住んでいた場所ではない、特殊な空間になります。
私たちは一致団結して、この空間を抜け出さなくてはいけないんです」
【101】号室の中年に、猫の少女は答えました。
「まずは、自己紹介からしようと思ってますが。
みなさん、それでいいですか?」
「ええ、そうですね」
【101】号室の中年が、答えます。
「うん、わかった!」
【103】号室の小児も、答えます。
「そうしましょうか~」
【201】号室の老女も、答えます。
……【102】号室の壮年は、返事をしませんでした。
携帯を覗きながら、何やら「なんで自分だけ……」だの「情報が多すぎ……、デパートみたいな品揃え……だな」だの。
ブツブツと文句が聞こえます。
「あ、じゃあ、【102】号室から出てきたお兄さん。
お兄さんから、自己紹介、お願いね」
人の話を聞かないことに苛立ちを感じたのでしょう。
猫の少女は、そう話をふります。
が。
【102号室】の壮年は、聞いていないのか無視しているのか、ブツブツ携帯を覗き込んだままでした。
「ねえ、オタクのおっさん!」
猫の少女の失礼といえば失礼な声に、やっと彼は反応しました。
「……数多 品数」
「……はぁ?」
「数多品数……よろしく……」
【102号室】の壮年は、そう言ったっきり、またメールに向き直っています。
……変な名前です。
数と数で、被ってます。
ああ、この名前であれば、引きこもるのも無理はない、と。
猫の少女は、自分の名前を棚に上げて、少しだけ同情しました。
まあ、もちろん、そうでない可能性についても、考えてはいましたが。
「ふ~ん……。
そしたら、次は正太郎君」
「え?
俺は正太郎って名前じゃないよ?」
「君みたいな小さい男の子を、正太郎っていうの」
猫の少女の良くわからない言葉に、小児は少し困った顔をした後、大きな声で答えました。
「俺の名前は、※※※※です!」
ん?
周りの4人は、自分の耳が悪くなったのかな?
と思いました。
けれども、どうやらそうではないようです。
「……あ、あれ?
※※※※、※※※※!」
小児は一生懸命自分の名前を言おうとしていますが。
どうやら、言えないようです。
「※※※※、※※※※。
……成程ね」
猫の少女も、自分の名前を口にして。
それが口にできない事を確認すると、言いました。
「どうもこの空間では。
……名前が言えないみたい、だね」
他の4人が、目をぱちくりとします。
「※※※※。
あれ、本当ですね!」
「面白いねえ」
4人はそれぞれ、思い思いのことを試した後。
「しょうがない。
ここは、メールで送られてきた名前で各々を呼ぶことにしよう。
みんな、あるんでしょう、固有名詞。
私は『おとな』なんだけど」
猫の少女がそういうと、各々がメールを確認して、言いました。
「私は、『かたりべ』ですね」
「俺は、『ねずみ』だ!」
「私は、あら。
『こども』だねぇ」
なんだかよくわかりません。
女子中学生の猫の少女の固有名詞が『おとな』で。
老女の固有名詞が『こども』。
どう考えてもランダムとしか思えないそれぞれの固有名詞。
……一体これは、何を意味しているのでしょうか。
「……それで、オタク君はどうなの?」
猫の少女が、冷たい目で【102】号室の壮年を見ます。
彼は、当初は無視を決め込んでいましたが。
周りのプレッシャーから、どうやら逃げられないと感じたのか。
少しだけ逡巡した後。
……ぼそりと、答えました。
「……『ふえふき』……だ」