7月26日
「あ、寝すぎた。」
周りをぐるっと一周森に囲まれた古森町。その町の隅にある木で造られた小さな家。二階からパジャマ姿でかけおりてくる一人の少女、小山こと。ことに両親はいない。以前まで親戚の家に居たが、一年ほど前から一人でここに住んでいる。
「約束、、間に合わない…。」
7月26日。だらけた夏休みの生活が日常と化したごく普通の夏の日。今日もいつもどおりの一日が始まろうとしていた。
(…助け…て…!)
「何?あの風、僕を呼んでる…?」
それは窓の外。今まで見たことのない光る風。そしてことを呼ぶ微かな声。ことは無意識のうちに走り出していた。朝食のパンをくわえたままの頬、寝癖のついたままの髪をまだ涼しげな朝の風が撫でていった。
*
「もうすぐ時間だよなぁー。」
町の中心にある大きな一本の木の下、退屈そうな少年の声。彼の名は風上涼太。
「そうだね…」
その横にいるのは少しウェーブのかかった長い髪をなびかせる上品な雰囲気の少女、藤井奈々子。今日はことも入れた三人で遊ぶために町の中心、石階段の目の前にある大きな木の下に集まる約束をしていた。この場所はこの三人の"いつもの場所"だった。
「今日は特別な日なのに…。」
奈々子がそう呟いたとき、キラキラと光る何かが通り過ぎていった。
「え?今のは…か、風?いや、でも…」
また何かが通る。
「ん?あれは…」
『ことだぁ!!』
二人はものすごい速さで通り過ぎていったことを追いかけ走り始めた。二人もまた古森町にやって来た夏に飲み込まれていった。太陽に照らされキラキラと光る木の葉が小さくなっていく二人の姿を静かに見送っていた。
*
ドスッ。
「…痛い。」
風を追って走ってきたことが何かにぶつかった。
「ここは…町の北のはずれ…なんだろう、これ。初めて、見る。」
そこにはことよりも大きい石碑がそびえていた。朝よりも高く上がった真夏の太陽の光が木々の隙間から溢れ、石碑にまだら模様の影を落としている。ことはゆっくり立ち上がって石碑に近づいた。
「何か、書いてある。…ん?これ、、は…!」
ゴオォォォォ-------。
突然大きな風が巻き起こり木々を騒がせた。それと同時にことの頭の中を駆け巡る記憶 記憶 記憶 記憶 記憶 記憶 記憶 記憶 記憶------------------------。
「……っ……ぉいっ…おいっ!」
ぷつん
「おい、こと大丈夫か?」
涼太がことの肩を揺すりながら心配そうに顔を覗き込んでいた。木漏れ日が筋のように差し込み、町の北側の森への入り口には驚くほど静かで穏やかな時間が流れている。
「ねーねぇ…なんだろうね、これ。こんなの前からあったっけ?」
奈々子が巨大な石碑を不思議そうに見上げている。
「なんだ?初めて見るな、そんなもん。」
涼太がそう口にしたとき、再び森が騒ぎ出した。
「…………ア。」
発せられたことの声が風に連れていかれる。
「こと?今なにか言ったか?風でぜんぜん聞こえな…」
「ウィンディア。」
ザァァァ------------------。
ことが呟くと辺りはまるで時が止まったかのように静まり返った。ことは石碑に近づくと手を触れた。
「この先にウィンディス以外の者の侵入を許さず。我らウィンディスは、この国ウィンディアでの生活と文化、そしてアズールを守るために。許可なく侵入した者は決して命あるまま帰してはならない。」
「…なあこと、今のなんだよ。"この先"ってことはここは何かの入り口か?」
涼太の一言で再び時間が流れ始める。
「石碑、、書いて、ある。」
「ふーん。…ってことは、ことはこの文字が読めるんだね!でも…何で読めるの?」
ことは奈々子の言葉に一度目を伏せた。そして再び石碑を見つめ、話始めた。
「よく、わからない。僕は、光る風、声に呼ばれた。それで、ここ…来た。助けてって言ってた。でも…今は、聞こえない。僕はウィンディア、知ってる。ウィンディス、知ってる。だけど思い出せない。ウィンディア…ウィンディス…何だろう。なんで文字、読めた…?僕は一体…。」
ことはまるで空っぽになったかのように石碑の前に立ち尽くしていた。
ポンッ
涼太がことに歩み寄り肩に手を置いた。
「別に今すぐ思い出さなくてもいいんじゃね?ゆっくりでも。」
「そうそう!それにさ、今日は特別な日だったでしょ?いくよっ!!」
奈々子がことの手を引いて走り出す。
「…待って。特別、、何?」
ことが聞くと二人は同時に振り返り
『ことの生まれた日!』
と満面の笑みで答えた。
*
『Happy Birthday!!』
クラッカーの音と共に楽しげな声が響いた。ここは古森町の中でもトップクラスの大きさを誇る藤井家。その中の白とピンクを基調とした可愛らしい奈々子の部屋。三人はそこでことの誕生日パーティーを開いていた。ことはついさっきまで今日が自分の誕生日であることを忘れていたらしく、ひどく驚いている。
「まさかなぁ…とは思ってたけど、本当に忘れてるとはな。こっちもびっくりだぜ。」
「ね。でもことらしいよ。涼太は毎年プレゼントくれぇ〜って言いながら歩き回ってるもんねー。」
「なっ!!」
しばらく黙って二人の会話を聞いていたことが口を開いた。
「ありがとう…。」
ことの頬に一粒の水滴が流れた。涼太と奈々子は驚いた。普段は基本無口で冷静なことが感情を表に出すところなど見たことなかった。ましてや涙なんて一度も。
「はい、プレゼント!」
ことは俯き、さらに涙をため、奈々子から小さな箱を受け取った。そしてもう一度呟いた。
「ありがとう…。」
こと自身も驚いていた。前に自分が泣いたのはいつだろか。今までこんなにも祝ってもらったことはなかったかもしれない。そもそもどうして今自分は涙なんか流しているのか。これはどういう感情なんだろうか。
「こと、開けてみてよ。」
「二人で選んだんだぜ!」
二人に促され、ことは丁寧に包装を解いていく。箱を開けるとそこには深い蒼色に輝く片耳用のピアスが入っていた。ことはさっそくピアスを左耳に付け、顔をあげた。
「どう…かな?」
二人は息を呑んだ。"美しい。"今まで見たこともないことの満面の笑み。そして窓からの光を受け、蒼く輝くピアス。二人の目に映ったことはこの上なく美しかった。
「綺麗…こと、とっても綺麗よ…」
「あぁ、よく似合ってるな。」
そのとき二人は室内にも関わらず、一瞬風が吹き抜けていくのを感じた。




