ふたつのやま
やまは、おおきくなった。
ひとひとりほどのたかさしかなかったふたつのやまは、いまではみあげるようだ。やまとやまのあいだにはふかいたにができ、そこにはさいしょにあつまったたびびとたちが、ちいさなむらをつくっていた。
たびびとたちのかずは、ばいにふえている。やまがおおきくなったことで、よりとおくにすむものたちがそれをみつけ、それがなにかをたしかめようとやってきた。
やまをみて、さっていったものもいる。だが、やまをすきになり、むらにすみつくものも、またいた。
かれらはしずかに、ゆっくりとやまにつちをかぶせつづける。ひとがふえ、やまはそのぶんだけはやく、おおきくなった。
あいもかわらず、ひろくひろくひろがるへいげんのまっただなかで、ただふたつのやまだけが、たびびとたちのみちしるべだった。
としおいたはじめのたびびとは、やまをみあげていた。じぶんがこのやまにたどりついてから、いったいなんねんがたっただろう。
じぶんとおなじように、はじめにこのやまにたどりついたたびびとのなんにんかを、はじめのたびびとはみおくった。そして、つぎはじぶんのばんだろう、と、はじめのたびびとはおもっている。
だがそのまえに。このけしきをじぶんのめに、やきつけておきたかった。
おおきくなった。なめらかなきょくせんをえがくふたつのやまをながめながら、ちいさくつぶやく。かれがはじめてやまをみつけたとき、それはちいさく、つよいかぜがふけば、くずれてなくなってしまいそうだった。
それが、いまではどうだろうか。みぎのやまも、ひだりのやまも。それがやまだ、と、とおくからでもわかるくらいに、しっかりともりあがっている。おおくのものの、しるべとなっている。
みつけられて、よかった。ここにきて、よかった。
それだけは。それだけは、うたがいなくそうおもう。
だが。じぶんのしてきたことは、はたしてこれでよかったのか。そうおもうことも、またあった。
むらのほうがさわがしい。またなにか、あらそいごとがもちあがったのだろう。
ひとがふえたのはうれしいことだった。だが、ふえたことで、みんなのいけんが、ひとつにまとまらなくなってきたのだ。
あらそいのたねになっているのは、まさにはじめのたびびとがあいしているやまだった。
ひとがふえるにつれ、あらそいがふえたことで、ろうじんたちが、これいじょう、やまをおおきくするのをやめよう、といいだした。なかには、やまをもっとちいさくするべきだ、というものまでいる。
あたらしくたどりついたものたちは、もっとやまをおおきくしたいとおもっている。かれらのなかには、そのためにやってきたものだっているのだ。あらそいになるのは、とうぜんだった。
それだけではない。やまにたいして、とくべつなきもちをもつものも、でてきた。
やまを、かみとあがめる。そういうものたちだ。
やまをすばらしいものだとおもい、こころのよりどころにする。それはいい。もんだいは、みぎのやまをあがめるものと、ひだりのやまをあがめるもの。そのものたちのあいだで、あらそいがおこっていることだ。
たがいにたがいのやまをけなしあい、おとしめあう。そんなことがつづき、ふたつのしゅうだんは、おたがいをにくみあうようになっている。このままでは、いつかなにかがおこる。そうおもわずには、いられなかった。
どうにかしたいとおもう。だが、じぶんがいきているうちになんとかできるとは、はじめのたびびとはおもえなかった。
どうしたものか。そうつぶやいて、たびびとはただ、みあげるまでになった、しろいやまをみていた。